86、必要なモノ
しばらくの間、とはいえ時間の感覚は相変わらずなかったけれど、闇の圧に抗いながら落ち着いた世の中を見て穏やかに過ごしていたサラ。
しかし、闇の者がサラによって隠されていた入り口を見つけて侵入したことに気付いたサラは、久しぶりにその歯車の空間に足を延ばした。
そして、宙を見て息を呑む。
一つ一つがバラバラに存在していたはずの歯車が、重なり、噛み合い、動力を互いに伝え合っていたから。
目の前でもまさに一つが、その大きなからくりのような物に組み込まれていく。
闇は、その歯車を破壊しようとしているようだった。
その闇の塊に魔法を繰り出し、歯車破壊を何とか阻止すると、サラは改めて歯車を見上げた。
まるで精密な魔道具のようなそれは、誰の手によるものでもなく、自力で組み込まれていく。
カチリ、と音がしたかと思うと、歯車の一部が勢いよく回り始めた。
そして、サラの後ろに扉のような空間が開いた。
その先には、闇に覆われた神殿と、親友たちがいた。
開いた扉の先には、よくわからない概念のような者が存在していた。目には見えない、しかしそこにしっかりと存在感のあるそれは、目の前に現れたサラに驚いているようだった。
手を伸ばすと、それも手を伸ばしてくる。
触れると、サラの脳裏に様々な映像が流れていった。
その中の一つに、愛しい愛しい彼の、倒れた姿も。
それを助けるには、この概念に力を貸してもらわないといけないことも。
助ける手段を持つ者たちが、その場にいることも。
サラは躊躇わずに親友たちの近くにいる者たちの力をそっと借り受けた。
借り受けたことで、後ろではさらに歯車が噛み合った音が聞こえた。
『 』
力を貸してくれるのね。ありがとう。
サラは、道を譲ってくれたそれに礼を言うと、更に先に足を踏み入れた。『 』を助けるために。『 』『 』の力を借りるために。
そして、新たに開いた扉に、旅立とうとする魂を捕獲し押しとどめるために。
力を借りたのは『デプスシーカー』と『エッジラック』。
深淵の知識を欲する者と、縁と運を左右する者が、何の因果か仲間たちと共にその扉の先にいた。
サラが前に歯車の空間で助けた女性は『幸運』。二人はその『幸運』と縁を結ぶ者たちだった。だから、彼らがいたのも、何らかの『幸運』が関わっているのだと、肉体を離れたサラには感じ取ることが出来た。
二人が邂逅したことでサラの目の前の扉が開いたということは、自身もその『幸運』の恩恵があるということだ。
サラが水晶に閉じ込められ、この空間で彼女を助けたことによって、歯車が回り出したと言っても過言ではなかった。
まるで全てが流れる様に繋がっていく様は、まさに『幸運』以外の何物でもなかった。
そこにある歯車は、運命の歯車。回り出さなければただの歯車でしかないが、噛み合うと巨大な力が生まれる。
その生み出される力を無から導き出したのは、『幸運』と呼ばれ、王宮でその力を大いに振るった女性だった。
彼女によってこの世界に異邦人がもたらされ、魔物が駆逐され、歯車が回り出す。
サラは意図せず、世界の理をその目で見たのだった。
勢いよく回り始めた歯車を見上げていると、どこからともなく声が聞こえてきた。その声はまるで、その世界を丸ごと包み込むような、優しく、そして力ある声だった。
『禍なる力の塊は
彼の地で目を覚まし
世の数多ある歯車が噛み合い加速し
闇と光が交錯し
世の理は苦難と安寧を天秤に掛ける』
声と共に脳裏に飛び込んできたのは、かつてバラバラだった大陸の国を和平で結びあげた者の末裔の変わり果てた姿と、それと戦った者の姿。
荒れ狂う黒い闇の王の目の前には、一対の剣と盾が錆びて転がり、魔に抗おうとする者の肩には、黒いマントが翻っている。その手には聖剣と呼ばれる眩い光を帯びた剣があり、しかし、魔王と対峙したその若者は、すでに疲れ切った顔をしていた。その若者と自身たちの姿が重なる。かつて魔大陸となったこの大陸では、何度も自身のような魔との戦いが行われていたことが、胸に焼き付いた。
相打ちとなり闇を消し去ると同時に命を落とした若者の姿に、サラはただ静かに祈りをささげた。
「意志ある者の欲望というものは、しっかりと自身を律することが出来ないとまたああいう闇を生んでしまう。何度力ある者が相打ちとなって命を落としたかわからないけれど、確かにその時はアレを消し去ることが出来た。でも、あれは何度でも同じように現れるのよ。逆にね、私達みたいに相打ちにすらできなくて封印していた方がまだ不安がないくらいなのよ。でも、だからこそわかったことがあるの。アレの力が増幅するのは、この地の奥深くに眠る『神の御使いの欠片』と呼ばれた錬金釜があるから。アレを消し去ってそれを壊せば、こんな無意味な戦いも終わる」
サラは辺りを見回して、魔王の向こう側にいるユキヒラに視線を移した。
聖剣はある。
何度も見てきたあの過去の戦いの中、必ずと言っていいほど皆が手にしていた物があった。しかし、自分たちは手にしていなかったもの。だからこそアレに止めを刺すことが出来ず、負けてしまった。
アレの体力を削ぐ剣は『聖剣』で、止めを刺すのは『覇王の剣』。どちらも、自分たちは持っていなかった。ギリギリまで追い詰めていたのは、この身にアレを取り込んだ自身が一番わかっている。ただ、アレを消すすべを持たなかっただけ。知らなかったで済む問題ではないが、王宮の書庫にもそんな文献はなかったはず。結果的にアレを取り込んだことによって色々知ることが出来たので、あるいはよかったのかもしれない。決定的に消す方法が分かったのだから。
サラは森の奥からブレイブとマックが戻ってきたのを視界に捉えて、口元を上げた。
16年前は、本当に色々な物が足りなさ過ぎた。そして今も。
ブレイブが弓を射て、マックが短剣を構えて参戦する。
これで、ここに来たメンバーが全員そろったことになる。
サラはぐるりと皆の顔を見回すと、一言呟いた。
「まだ、足りない」
「足りない?」
サラの言葉を聞いていたセイジが、怪訝な顔をすると、サラは「歯車が」と続けた。
「覇王の剣と盾がこの世に顕現しているの。あれは魔王にとって止めを刺す剣。でも持ち主がここにいない。そして、力を増幅させてくれる人もいない」
「覇王の剣と力の増幅って、ないとだめなのか? 聖剣はあの聖騎士が持ってるけどそれだけじゃダメだってことか?」
「ええ、聖剣で体力は削れるけれど、今は歯車が欠けた状態なの。呼んでこないと」
「サラはその足りないのを知ってるのか?」
サラの脳裏に勢いよく回り出している歯車が浮かぶ。それでもまだ、組み上がっていない歯車もあった。
あれは、『デプスシーカー』と『エッジラック』の歯車。それぞれ独特の色に輝いていて、何の歯車なのか、感覚でわかった。
そして、最後に力を貸した……。
「『エッジラック』と『デプスシーカー』あの人たちは鍵よ。あの人たちがこの世にいなかったら、すでにこの世界はなくなっていたわ。本当にギリギリだったの。色々歩いていたらそれが見えちゃって。時の傍観者がそこら辺を調べていた私に力を貸してくれたのよ。でも自身は傍観者だから手が出せないって」
「あのハーフエルフ……俺も力を借りちまったな。でもサラ、『デプスシーカー』は連れてこれるとしても、『幸運』はダメだろ。魔力が少ないから魔物になる」
「それどころか今、この世界のどこにもいないわ。もちろんここにいることが一番望ましいけれどね。きっと彼らは存在しているだけで違うのよ」
「なんだよそれ」
セイジが首を捻る。
水晶の中から身体が解放されたその時、サラはまさにあの歯車の空間にいたのだ。すぐ近くに闇の塊がいたので、自身の身体から抜けて力を手に入れたのがわかるほどに、しっかりとした形をとっていた。
そして、その歯車の空間には、まさに彼女が通った時と同じ道が出来ていた。
走っていたのは『幸運』。素手のはずなのに手には光に満ちた剣のような物を持ち、襲い掛かる闇の塊を片っ端から切り捨てながらも足を止めることはなかった。
それでも後ろから闇の塊は迫っていて、次々光の道を呑み込んでいた。サラが魔法を放っても、力をつけたせいかほぼ効かず、祈る様な気分で闇を押さえていた。
彼があの道の先に行ったら、残りの歯車がしっかりと噛み合う。彼が走った後は、歯車が次々組み上がっていったから。彼女の時とほぼ同じような状況に、サラは必死で手を伸ばした。
水晶という閉じられた世界から解放されたからか、精神が肉体に引き寄せられそうになりながらも、サラは目の前を必死で走り抜ける彼の元にとどまった。
『まだよ。もう少しだけ待って』
引き寄せられそうになるのをそう呟くことで抑え、闇に呑まれそうになっている彼の元に手を伸ばす。
彼の足元の道が消え、彼の身体が闇に投げ出されそうになり、サラはなんとか彼の腕を掴むことに成功した。けれど、闇の力が強くて落下を防ぐことしかできなかった。
『お願い……っ、無事、あの向こうに……』
腕を引いても、下から闇が飲み込もうとしているのか、光の道に戻すことが出来ないでいると、目の前に赤い光が溢れた。
驚いて腕の力を緩めてしまった瞬間、彼の腕が離れて行く。
ああ、と赤い光に目が眩みながらなんとか目を開けると、ふわ、と身体が浮き、気付いたら光の道の上に彼と二人で立っていた。
そして、目の前にいる彼の背中には、薄赤い大きな羽根があった。
『その羽根は……』
『ここでくたばっちゃいけないと強く思ったら、背中から出てきました。ありがたい。先を急ぎます。助けてくださってありがとうございました』
『あなたは』
『この道で母を助けて下さったのは、あなただったのですね。ここでとても強い殺気があったけれど、誰かがそれを消し去ってくれたと、母から聞いたことがあります。感謝します』
サラが見送っていると、彼は今度こそ無事、光の道の先へ消えていった。
途端に回り出す歯車。しかし、彼が消えたことで、光を発していた歯車の輝きがガクッと減った気がした。
ああ、彼がいないと、しっかりと歯車が力を振るえないんだ、とわかった。
サラがその場所に立っていられたのは、そこまでだった。意識が浮上し、瞼の裏に光が射す。
スッと重くなる身体に、もうすぐ自分は意識を取り戻すんだということが分かった。
今度こそ、サラはその感覚に身を委ねた。




