42、光明が指す先
「喋った……?」
呆然とルーチェが石像だった獣人を見上げると、獣人は口を開け、舌でぺろりと口の周りを舐めた。
『おう、もう元気そうだな。生き返ったんだな』
「生き返ったってそんな大げさな。俺は死んでねえよ。死ねねえ、絶対に」
じろりと小さな目に見下ろされ、ルーチェは詰めていた息を吐いた。
獣人がニヤリと人好きのする笑顔をその顔に乗せたからだ。
その笑顔に警戒心を少しばかり溶かされたルーチェは、獣人の目の前にドカリと座り込んだ。
『ああ、昨日もそんな感じだったなぁ。消えかけた灯が、途中からしっかりとした炎になりやがったから。何かが兄ちゃんの背中を支えてんだろうな』
獣人の言葉に、ルーチェは少しだけ目を見開いた。
獣人の言う炎というものが何を指しているのか、見当がついたからだ。
「あんたさ、そういうの見えるのか?」
『見える。兄ちゃんの炎は綺麗な月の色だ。昨日は消えそうになってたけれど、今日はしっかりしてる』
「そっか……」
確かに、昨日寝入るときは、二度と目が開かないんじゃないかと、少しだけ心配だった。
杞憂に終わったわけだが。
ルーチェは口元を少しだけ緩めると、改めて獣人を見上げた。
台座の上に立っているだけじゃなく、その獣人自体の体躯もかなり大きく立派だった。
尻尾の辺りはまだ石だったが、頭部腹部はすっかり材質が異なっている。
エミリの言っていた獣人とはこの石像のことなのだろうか、とルーチェは少しだけ首を傾げた。
「なあ、ちょっと訊いていいか?」
『まあ、俺に答えられることならな』
そんな獣人の返事に、ルーチェの顔が笑みが上る。
「あんた、獣人なのか? それとも石像なのか?」
率直に質問すると、獣人はハハ、と笑い始め、その笑いは徐々に大きくなっていった。
『いい質問だ。そうだな、難しい所ではあるんだが、俺は自分では獣人だと思ってる。ただし、この任に着いたときに純粋な獣人であることはもう諦めてる。実際にここに立ってから、かなりの時間が過ぎてるしな。どれくらいかって言うと、獣人が人族と生を共にしなくなった時からだ』
「そりゃ長いな、石像歴。獣人ってのは皆寿命が長いのか?」
『いや、長寿と言われるエルフほどの長生きは出来ねえからこそ、俺がここで石になってんのよ』
「ああ、石になってると歳取らねえのか。石の時も意識はあるのか?」
何気なくルーチェが訊くと、獣人はニヤリと笑った。
『あるぜ、色男の坊や。兄ちゃん、数年前にここに可愛い子を連れて来たことあっただろ。ほらあの髪の長い聡明そうな子。兄ちゃんはその子をなんて呼んでたっけかな。確か、「サラ」と……』
「あーわかったもういい。なんだマジで意識あるのか。そのことを覚えてるんなら話は早い。知識を司る者に質問があるんだが、答えちゃあ貰えねえかな」
ほう、と面白そうな顔をした獣人に、ルーチェはさらに酒の瓶を渡した。途端に獣人の目が輝き始める。
早速腕を伸ばして、酒を受け取り呷った。
「俺はこの手でサラを封印した。サラを助ける方法を知りてえんだ」
『自分で封印したのにか? 一体どういうこった』
ルーチェが、魔王を討伐に向かい、そこで勝てないことを知り、唯一の方法である魔王の封印をサラの身体と水晶で行ったことを詳しく説明すると、時折相槌を打ちながら聞き入っていた獣人は、唸った。
『ハッキリ言おう。無謀だったな。あの魔王は生半可な力じゃ消し去れねえ。最初に魔王になった王が遺した残留思念みたいなもんが膨れ上がって魔王になるからな。今消しても、またそれは膨大に膨れ上がって行くんだよ。だからこそ魔大陸は未だ人の住めねえ土地になってるんだよ。昔はあそこも綺麗な山々と色んな種族の笑顔の溢れた土地だったのによ。たった一人のせいですべてが消えちまった。場所も、人も、そして関係性も』
無謀、それが殊の外心に突き刺さった。まさに同じことを考えていたせいか、刺さった棘が次々と鈍痛を呼び起こす。
『それにしても兄ちゃん、魔法陣使ってたな。どこで仕入れた知識だ? あれは獣人が残らず持ち去ったはずだったんだけどな』
「没落した貴族とか、資金繰りに難儀してる貴族が、趣味の一環で飾り物として集めていた本を裏で流したりしたもんをうちで手に入れて覚えたんだ」
『取りこぼしかあ。それにしても兄ちゃん。魔力たっけえな。まるで魔力増幅の魔法陣を使ったあとみてえだ』
何気なく呟かれた獣人の言葉に、ルーチェはハッと顔を上げた。
小さなころは、ルーチェもサラも人並み程度にしか魔力がなかった。それが魔法陣に夢中になっているうちに、いつの間にか討伐メンバーに選ばれるほどの高魔力になっていた。
それはまるで、魔力が無理やり増幅されたようなそんな。
「その魔法陣ってのは、こんなやつか?」
覚えている限りを地面に描きだすと、獣人はスッと目を細めた。
『まさにそれだな。その魔法陣を発動させちまったせいで、兄ちゃんの魔力が限界を超えてるんだな。ちなみに、その魔法陣の書かれている本はどうした』
「いつの間にか消えてた。俺が持ってたんだけど、気付いたらなくなってた。こっそり親父が人に売ったのかとも思ったけど、親父もそれは全く触ってないらしくてな」
『……ならよかったぜ。多分あれだ。俺らの魔法が効いてて、人に伝授すると自動で消えるんだな。ってことは、兄ちゃんの頭の中にはあの本の知識全部詰まってるってことか』
「……そんなことまで出来るのか……」
獣人の話を聞いて、ルーチェは小さく唸った。
あの本がなければそもそもサラはこんなことにならなかったってことだろうか。
しかし古代魔道語の本に出合わなければ、サラとここまで親しくなることもなかっただろうし、そのことを考えただけで一気に自分の人生が色あせる。
今自分が生きているのも、サラが水晶の中で生きているからこそだ。
「って、あれだよ。サラを助ける方法、なんか知ってるか?」
『知ってるぞ。でも、知ってるだけで、俺は兄ちゃんに力を貸してやることは出来ねえんだ。それでも知りたいか』
「当たり前だろ。教えてくれ」
獣人の言葉に、ルーチェは迷いなく答えた。
その潔さに、獣人がちょっと笑う。
低い笑い声は、石造りのその部屋に、心地よく響いた。
『アーティファクトの封印を解く方法と同じような物なんだがな。器になった物と同等の魔力を保有できるものを用意する。でもって、封印を解く。間髪入れずにその代わりの物にアーティファクトの魔力を移動させる魔法陣を描く。ただそれだけなんだ。アーティファクトは単なる飾りと化し、封印されていた媒体は、前の形に戻る。そして原因である魔力は、その代わりの物に閉じ込めることが出来る。その魔力保有できる物ってのは、もしかしたら人族は聞いたことがねえかもしれねえが、『オーブ』ってやつだ』
「オーブ……? 昔、親父がそんな宝石が昔王宮に国宝として納められていたって言ってたのを聞いたことはあるが……実際にあるのかどうかはわからない。それが必要なのか?」
盗みも辞さないという構えのルーチェに、獣人が待てよとストップを掛ける。
『そりゃあ多分違うものだな。オーブってのは中に魔力を貯めておくもので、よくそこらへんに転がってる魔素の変質したところの中にある物だ。俺らみたいに目がよければその変質した場所を見つけられるんだが、人族は多分無理だろうから、その王宮にあるってのは違うものだと思う。宝石じゃねえし。オーブってのは中に魔法が入ってるんだよ。そのオーブを持つと、中に入った魔法が覚えられるっていう師いらずの便利道具なんだがな。色々な属性のオーブがある中で、唯一、色のないオーブがあるんだ。それが、魔力が溜まる前の空オーブ。空オーブは容量がものすげえから、どんな媒体にもなるし、中に結構魔力を詰め込めるってもんだ。だから、多分兄ちゃんが必要なのはその色のないオーブだ。でも魔王の魔素をまるっきり閉じ込めるにはその色のないオーブですら複数個必要だ』
獣人の言葉に、ルーチェが肩を落とす。
「あんたたちの目がないと手に入らねえってことか。……獣人の所に案内してもらうってことは……」
『それは出来ないんだ、すまない。仲間を売るのと同じ行為になっちまうからな』
「そうだよなあ……俺も、仲間を売れとは言えねえ」
どうするかな、とルーチェは溜め息を吐いた。
せっかく見つかったサラを取り戻す手立ては、最初の一歩で躓いた。
じゃあ次はどうする。
諦めるという言葉は、ルーチェの中には浮かんでは来ない。
『ああ、でも身体の魔力を違う力に変換させる力のあるハーフエルフはいたぜ。昔はよくここに遊びに来てくれたんだが、最近はめっきり来てくれねえなあ。どうしてるのかなあいつ。友人なんだ』
「魔力を違う力に変換させる……?」
ハッと顔を上げると、獣人がニヤリと笑った。
『そいつは多分、兄ちゃんの何かを使って、俺らみたいな目を兄ちゃんに持たせることも出来るんじゃねえかな。ずいぶん変な魔力を持ってたから』
「そいつの居場所は、わかるか?」
『ここからほど近い街で、趣味で雑貨屋をしているとか言ってたな。ここに来たのも、呪いの研究をしたいとかいうふざけた理由だった。気さくで、でもちょっと気障ったらしい奴だったぜ。持ってくる酒はめちゃくちゃ美味かったけど』
間が開いてしまい申し訳ありませんでした。
読んでくださってありがとうございます。




