41、単身向かった先には
サラと一緒に来た時に見上げた獣人の像は、それこそ天に聳え立つような巨大なものに見ていたのだが。
やってきてみると、静かにたたずむ獣人の石像は、見上げはするが、記憶にあったほど大きなものではなかった。
しかし、パッと見ただけで違和感があった。
「待て待て待て。ちょっと待てよおい!」
なんだこりゃ、と思いながら、ルーチェは石像を一回りしてみた。
細部まで作りこまれた石像は、今にも動き出しそうなほど躍動感に包まれている。
「前に来たときは、腕を組んで目を瞑っていただろ……」
石像の表情は、辛そうな、悲しそうな、そんな表情をしていた。そして腕が何かに向かって伸びている。
前にサラと見上げた時の石像は、まるで眠ってでもいるかのような、そんな穏やかな表情で、腕を組んでいたはずだったのだが。
前に来た時とは違う石像なのだろうか。まさか動いたとかそういうわけじゃないよな、とルーチェは石像を見上げた。
ふと、前は組まれていて見えなかった腕に何かが彫り込まれているのが見えた。ブレスレットの着いた腕は、その隙間もとても精巧で、まるで本当にブレスレットをしているかのようだった。
『稀代の英雄ジャル・ガーここに眠る』
そこには、そう彫り込まれていた。
「寝てねえだろこれはどう考えても」
誰かを心配して手を伸ばしている、そんな獣人の石像。前は腕を組んでいて見えていなかった身体の全面も見えるようになっていて、そこにはもう一つアクセサリーが下がっていた。
「くそ、よく見えねえ。でももう魔力もねえし、一旦休むか……」
先ほどから魔力枯渇の眩暈がするのは自覚していた。
呪いの石像があると言われたここは、近場の街では禁忌になっていた。だから人が現れることもない。
ルーチェはとりあえず魔力を回復させようと、石像の裏側に回りそこに腰を下ろした。
自然、深いため息が漏れる。
ともすれば、手が震えそうになる。
何かを考えていないと、何か行動していないと、自分の取った行動について後悔の波が次から次へと押し寄せてくる。
「……疲れたな」
昨日までは当たり前のように一緒にいた、たった一人が横にいない。ただそれだけで、目の前の世界の色がこんなにも褪せてしまうなんて。
魔王との戦闘で受けた傷の痛みは、サラを封印したときにすでに感じなくなっていたけれど、痛みを忘れてはいても、ルーチェの体力は限界に近かった。
ルーチェは、黒い影を立ち上らせたサラの姿を思い出し、奥歯をギリっと噛み締めた。
ルーチェにとって、サラは、世界で一番大切な人だった。
領主であるサラの父親と、大商人であるルーチェの父親が懇意にしていたことで、領主の館に行くたびに一緒に遊んでくれたのがサラだった。それこそ、よちよち歩きのころから。
父親がトレの街に店を構えたのも、領主の人柄によるところが大きかった。そして、その領主といい関係を結び、街の利益になるよう動いたルーチェの父親は、相談に行くたびにルーチェを手に抱いて館に向かっていた。
晩年にできた息子に、自分の交渉術を授けようと思った父の親心だったのだが、当の本人は同じ歳に生まれた領主の娘のサラと遊ぶ方に夢中になっていた。
勿論、家では計算を勉強し、その合間には父親のつてで入ってくる様々な本を読み解いている。子供らしく遊ぶ時間など、サラと一緒の時くらいしかないことを知っていた父は、何も言わず、ルーチェのいいようにさせていた。
ある日、父親の元に入ってきた一冊の本が、ルーチェとサラのこれからの人生を一転させることになった。
ルーチェはその日も、領主の館に行くという父親に付いてきていた。
サラと共に部屋を出ようとしたとき、たまたま父親の持っていた本が目に入り、少しだけと父親にお願いして見せてもらったその本は、薄汚れた、装飾もぼろぼろの、知らない文字の書かれた古い書だった。
サラとルーチェはその本に夢中になり、父親たちは子供たちがその古い文字の本を読めることに驚き、そして称賛した。
二人で本を読み解いていくうち、ルーチェは中に描かれていた魔法陣の構築を理解してしまい、サラは世界の理を理解してしまい、さらに二人は古代魔道語の本に没頭した。
ひたすら本を理解し続けた数年。気付いたら、二人は描かれた魔法陣の一つの魔法によって、魔力が莫大に増えていた。
親たちも、自分たちですら、魔力が増えていたことに気付かなかった。
そんな中、魔物の大陸で溜まりに溜まったよどみが形となり、魔王となり、世界の脅威が復活したとの触れがあった。
王家にだけ伝わる魔道具で、魔王に対抗たりえる魔力を持つ者が選定され、その時初めて、二人は既に魔大陸で動けるほどの魔力を持っているということがわかった。
王宮に二人が呼び出される中、サラとルーチェの親たちだけは、子供たちを死地に送るような物だと、泣いた。
二人は丁度17歳。サラがルーチェのそばから離れなかったことから、ようやく成人した二人を添い遂げさせよう、と親同士で話を進めていたまさにその時だった。
その魔法陣の描かれた本は、すでに消失している。そこから二人で集めて回った古代魔道語の本は、すでに一冊しか残っておらず、それは父親がルーチェの形見として大事にしまった。
三年かけて魔王の前にようやく対峙し、自分たちなら大丈夫とたかをくくった結果がこれだ。
自分たちの青臭くて愚かな過信に反吐が出る。
ずるずると頽れていく身体をそのまま投げ出し、ルーチェは普段よりとても重い瞼に辟易していた。目を閉じてしまったら、もう瞼を持ち上げられないんじゃないか、そんな不安に駆られながらも、ゆっくりと目が閉じていく。
「……サラ……起きたら、ちゃんと、方法……さが、す……」
気力でそれだけを呟き、ルーチェはそこで意識を失った。
目を覚ますと、酷く気分が悪かった。
腹は痛い、肩も痛い。極めつけに魔王の爪で抉られた太腿がじくじくと鈍い痛みを伝えてくる。
ゆっくりと目を開けると、そこは相変わらず石像以外何もない洞窟の中だった。
ひどく寒気がしたが、目を閉じたときよりはましだと、ルーチェは痛む身体を何とか起こした。
「ああ……よかった。俺、生きてた」
ここに来た時には感じなかった痛みが、ひたすら全身を襲ってくる。
その痛みが意識をはっきりさせてくれるのが助かる、とルーチェはふらつく身体を立たせた。
昨日は見れなかった、石像の胸元を覗くため、ルーチェは目に魔力を集中した。こうすることで、細かい物や、よくわからない物も理解できる。
胸元には、『稀代の英雄ジャル・ガーは酒が好き 浴びるほど飲ませろ』と書かれていた。
「酒……? だからどう……って、掛けろってことか? 酒を」
手持ちに酒はなかったため、ルーチェは考えた末に、小さめの街に跳んで手に入れることにした。ついでに、ぼろぼろの服を交換したかった。
ゆっくりと手を動かして魔法陣を描き、自分の身体の表面の傷を治していく。魔法陣では減った体力を戻すことだけは出来なかったので、できればスタミナポーションも欲しかった。
ほぼボロ布と化したローブを羽織り、ルーチェはセィ城下街から一番遠いウノの街の近くに跳んだ。
ボロボロのルーチェを心配した門番に手渡されたポーションを煽りながら、ルーチェは必要な物を街で手に入れていった。ありったけの路銀を二人に持たせて船に乗せたから、手元には少しの金しかなかったけれども、その格好が功を奏してか、街の皆が好意的に物を安くしてくれたので、ありがたく手に入れてルーチェは洞窟に戻った。
早速転移の魔法陣を少し改変して構築した魔法陣を描き、手元の酒を頭の上から降らせてみた。
すると、酒の掛かったところが目に見えて変化していった。
見る間に石の質感が、本物の毛並みに変わっていく。
じわじわと酒の染み込んでいったところから、石の色とは違う、青灰色の毛並みが現れた。
ピクリ、と耳が動く。
そして、瞳が、じろりとルーチェを見た。
『美味い酒をありがとな』
低い低い声で、さっきまでは石像だったはずの物は、ルーチェにそう言った。




