第六節 鋼の王ベルセルラーデ
「……それで、結局ベル兄様は何がしたいのですか?」
既にエレオノーラの身体に拘束はなく、ベルセルラーデの傍に座らされたまま、隣に立つ王を見上げる。
彼は満足そうにヨハン達の戦いを見守っていたが、その質問を受けてエレオノーラへと顔を向けた。
「暇潰しだ」
それを聞いてがっくりと頭を下げる。
この男は昔からそうだった。自分勝手で、人を振り回す。
「だがな、エレとそこな英雄よ」
相変わらず縛られたままのカナタは自分を呼ばれてベルセルラーデの方を見た。
「エレに関しては幼き頃よりの縁もあるし、何よりもお前は余の親友であるゲオルクの妹だ。このような場所で苦労するよりは余の元に来た方がいいのは事実であろう」
「……だからそれは!」
「加えて貴様もだ、英雄。御使いを倒したというその噂は遠くバルハレイアまで伝わっている。そして同時に、英雄とは人の間に摩耗するものである。で、あればな」
ベルセルラーデは一度言葉を切る。
それを聞いてカナタが何を思ったのかはエレオノーラには判らない。
ただその表情には、何か思い当たることがあるというのは伝わって来た。
彼女は英雄だ、力を持っている。
エレオノーラからすれば羨むほどのものだが、本人としてはどうなのだろうか?
時折、エレオノーラは思う。
自分が王族ではなく、普通の少女であったのならばと。
なにも知らず、国のことになど関わらず――民やエトランゼのことも関係なく。
自分の気持ちのままに振る舞えたらどれほど楽だろうかと。
それは彼女、人で在りながらセレスティアルを操る少女にも言えることではないのだろうか。
「王の下にあれ。それが貴様の一番幸福な道であるぞ」
「やだよ」
間髪入れず、はっきりと、カナタはそう口にした。
その目はベルセルラーデから一切逸らされることなく、ほぼ反射的に応えたのだろうが、後悔もない。
心から、そう思っているようであった。
「ふむ」
ベルセルラーデは怒るわけでもなく、鋼の杖の切っ先をカナタに向ける。
それでも彼女は微動だにしない。ベルセルラーデから殺気がないことを判っているのか、それとも単純に何も考えていないだけなのか。
多分、後者であろう。
「ボクがいる場所、ボクのやることは自分で決めるよ。それは貴方が決めることじゃない」
「聞かせてみよ」
「あの人の傍がボクのいる場所だから」
「……果たしてそれだけの傑物か、あの男は? 見れば無様に転がり、一人では余の兵の相手にすら事足りぬ始末ではないか」
その言葉通りヨハンとヴェスターは懸命に鉄巨人の相手をしているが、流石に分が悪い。ヴェスターはまだ元気だが、ヨハンは鉄巨人の攻撃を避けきれず、かと言って受けることもできずに何度も地面を転がっては立ち上がるを繰り返している。
「……まあ、お世辞にも格好いいとは言えないけど……。でも、ボクはヨハンさんと一緒にいるって決めたから、それは絶対に変えないよ。何があっても」
「ふんっ。理解できぬ」
そう言ってカナタから視線を外して、今度はエレオノーラを見た。
「どうした、エレオノーラ? 何故泣く?」
「……えっ?」
頬を伝う雫に、今初めて気が付いた。
ゆっくりと顎を伝い、透明な涙は地面に落ちて見えなくなる。
エレオノーラは自分の目尻に触れて、それを慌てて拭う。
「あー! 泣かした!」
攻めるようにカナタが言った。
「余ではなかろう! なぁエレよ?」
「……ち、違います! ベル兄様ではなく、カナタの言葉を聞いていたら……」
「ほら! 貴様ではないか英雄よ!」
「ボ、ボク!? なんで!? なんか変なこと言いました!?」
「違う! 違うのだ! ……本当に、違うのだ」
理由は自分でも判らない。
いや。
判ってはいるが、それを飲み込むまでには時間が掛かる。
カナタの言葉が、真っ直ぐな彼女のヨハンへの想いが眩しくて、それに比べて王族と言う立場で彼を縛り付けようとする自分の、なんと醜いことかと。
そう、思ってしまっただけのことだ。
カナタは自分の意思でヨハンと共にいることを決めた。アーデルハイトもそうだろう。
それに比べて自分はどうだ。
「カナタの所為ではない。自分の浅ましさに嫌気が差しただけだ。こうしてヨハン殿が必死になってくれているのは、妾の立場があってのものなのだと、自覚してしまったからな」
「いや、それはないです」
と、またもカナタは軽々しくそれを否定する。ベルセルラーデの言葉を拒否したときと同じように。
「ヨハンさん、女の子なら誰でも助けに行きますよ? お金にもならないのにおっぱいが大きい金髪の子に押しつけられただけで、何でもほいほいやっちゃうんですから。武器もタダだし、甘やかすし、無茶なお願いされても嫌な顔一つしないし……」
「どうした、英雄よ?」
「おまけに婚約者とか勝手に決めるし、ちゃんと否定はしないし……。あれじゃアーデルハイトが可哀想だと思わないのかな。そもそもそう言うのはちゃんとボクの意見を聞いてから……」
間違いなく一番甘やかされているのはカナタだし、ヨハンが何をして誰と仲良くなろうと勝手なのだが、残念ながらここにそれを指摘する者はいない。
「……フハハッ。いいではないか! 英雄色を好むもの。なるほど、それだけ聞けば確かに大した人物なのかも知れんな」
「とにかく。そう言う人なんです。そこに関しては本当に何も考えてません。目の前に困って人がいて、それが女の子なら助けちゃうんです。お姫様とか、そんなの関係なく」
断言したそれが果たして本当かどうかはエレオノーラには判らないが。
少なくとも気になることが二つできた。一つはその金髪の少女のこと、そしてもう一つは――。
「ここまでだ」
いつの間にか、戦いの音は消えていた。
ベルセルラーデもはっとして、声がした方を見る。ヨハンがショートバレルの銃口をベルセルラーデの頭に向けてそこに立っていた。
見れば後ろの方では残骸になった鉄巨人と、草の上に大の字になって転がっているヴェスターが見える。相当な激戦があったのだろう、辺りの草は焼き払われて土が露出して、あちこちが隆起したり陥没したりしている。
「見事だ、と。一先ずは褒めておこう」
満足そうに頷いて、ベルセルラーデは身体の向きを変えて正面からヨハンを見た。動けば撃つとは言われていないが、この状況で何の臆した様子もなくそれができる度胸は大したものだ。
「ヨハンと言ったか? 英雄と、エレから貴様の話を聞いていた。なんでも胸の大きな女が好きとか?」
「……なんの話をすればそうなるんだ? いいからさっさと二人を返してもらう。こっちも体力の限界だ」
「重要な案件である! 答えよ!」
「……何をだ?」
「胸の大きい女と、小さい女と、どちらが好みなのだ!」
「大きいに越したことはないだろう」
「なるほど。なるほどな」
ベルセルラーデは腕を組み、深く二度ほど頷いた。
カナタのヨハンを見る目が凄いことになっているが、今は誰もそれに気が付いていない。
「よかろう。貴様を同志と認める」
「……会話の脈絡が全く掴めんのだが」
「フハハハッ! 気にするでない。王の深慮を理解しろと言う方が無茶と言うもの。そのぐらいは余とて心得ている。貴様は仲間を連れ、余の下した試練を見事乗り越えてエレの元に辿り付いた。それだけで充分であろう」
エレオノーラの肩にベルセルラーデは手を掛けて立たせる。
それからその身体を優しくヨハンに向けて押し出した。
「ベル兄様……!」
「エレよ。幼少の頃にそなたが好きだった歌劇を覚えているか? 何の捻りもない、騎士が攫われた姫を助けるという陳腐な物語だが、そなたはそれを何度も見に行こうとしては止められていただろう」
幼少の頃の思い出だ。
広くオルタリアで親しまれているその劇を、エレオノーラは大好きだった。
エトランゼとの混血として窮屈な日々を過ごすエレオノーラは、いつか自分にも同じように騎士が現れて連れ出してくれると、子供の頃は本気で信じていたのだ。
だが、エレオノーラは滅多なことでは城から出ることはできない。面倒な立場の姫が厄介事を起こさないようにと、いつでも見張られていた。
「余とゲオルクがお忍びて連れ出してやったな。毎回のようにその後は余達が怒られ、何故かそなたが泣くのだ。先程の涙でそれを思い出したぞ。……演じてみた気分はどうだ?」
「ベル兄様……まさか!」
「勘違いするな。そやつが来なければ余はそなたを連れ帰るつもりでいた。だがまぁ、祭りも含めて催しとしてはなかなかに楽しめた!」
両手を広げて、ベルセルラーデは観客の元へと歩み出る。
彼の一挙一動に注目しながら、イシュトナルの民達はこの戦いの最後がどのようなものになるのかを見届けようとしていた。
「斯くしてあの男、あの冴えない騎士は見事に姫を救いだした。これにてこの余興は終わりとする。些か陳腐な物語ではあったが、余と言う役者が加わることでそれも壮大な叙事詩となっただろう! 民達よ、貴様等を束ねる美しき姫と、忠実なる家臣達! そしてこの偉大なる王ベルセルラーデ・ネフェルタリア・ソム・バルハレイアに盛大な喝采を送るがいい!」
その天まで届くような大声に、観客達は一斉に沸き立った。
「楽しかったぞー!」
「凄い戦いだった!」
「魔剣士様ー! こっち向いてー!」
「姫様! 次回からこのようなことを行う時は予め一言お願いします!」
「魔導師は爆発しろ!」
鋼の王の声に誘われて、彼等は熱狂する。この一連の戦いは、それに参加した本人達以外には祭りのための壮大な催し物として受け止められたようだった。
「では余はもう少し祭りを楽しみ、それからここを去るとしよう! トゥラベカ!」
長身の女戦士は、黙ってベルセルラーデの横に立つ。
「さあ道を開けよ民達よ! 鋼の王の帰還である!」
言われるままに人々は左右に分かれ、ベルセルラーデが進む道を作っていく。
彼は上機嫌にその間を通りながら、また彼が描いたこの劇を楽しんで観衆達は口々にお礼や祝福の言葉を口にしてそれを見送っていく。
その後ろ姿が遠くなり消えるまで、そのざわめきが消えることはなかった。




