第一章 エトランゼ 第一節 ようこそ彼方の大地へ
彼方の大地で綴る
第一章 エトランゼ
第一節 ようこそ彼方の大地へ
「なんでこんなことになっちゃったんだろう……」
少女の声が薄闇の中に漂い、誰の耳に入ることもなく消えていく。
四方を石に囲まれた薄寒い地下牢。嫌な匂いの漂う格子の中に、『朝霧かなた』は一人、申し訳程度に積まれた藁の中でその身を横たえていた。
何が起こったのか、彼女自身にも全く理解できていない。
いつもの学校の帰り道だったはずだ。その証拠に、土に汚れてはいるが今来ているのは学校指定のセーラー服。スカートのポケットには生徒手帳も、財布も、換えたばかりの携帯電話も入っている。
気が付いたとき、彼女は紅い月の下に立っていた。
空が深い紅に染まり、薄紫色のオーロラが大地を照らす不気味な夜。
直前の記憶も曖昧なままに、見たこともない草原の下に放り出されていた。
足音が階段を降りてくる。地下にあるこの場所に、何者かが近付いて来ていた。
無意味だと判っていながら半ば本能的に身を固めてそれに備えていると、やってきたのはカナタをここに連れて来た奇妙な格好の男だった。
大柄だが何処か愛嬌のある顔立ちのその男はまるでコスプレのような鎧を身に纏い、背中には大きな金槌、腰には短剣を差している。
「まったく、困ったよう」
本当に困っているのかいないのか判らない口ぶりで、男はカナタの牢屋の格子の前にある椅子に腰かけると、水筒を取りだして中の水を口に含む。
それを一気に飲み干して一息ついてから、カナタの方を見た。
「あー、疲れた。お前の所為で無駄に苦労したよ。結局お前が逃がした奴は捕まらなかったしさ」
カナタがこの世界に来たとき、彼女は一人だったわけではない。
他の男女一組、互いに全く知り合いではなかったが、三人でほぼ同じ場所に立っていた。
三人は混乱し、戸惑いながらもどうにか現状を把握しようと、大声で助けを呼びながら草原を練り歩いた。
そうしているうちに現れたのが、目の前の男だ。
男は突然刃物を突き付け、三人を捕まえようとした。しかし、カナタが機転を利かせて残り二人を逃がすように仕向けたことで、結果としてカナタ一人だけが捕まった。
「お前もとんだお人好しだよな。あの二人、初めて会ったんだろ? エトランゼがここに来るときは大抵そうだから、おれにも判るんだ」
「エト……?」
「エトランゼ。お前等みたいに余所の世界からこっちに流れてくる奴等のことだよ」
「余所の世界って……。ドッキリ?」
看板を持った仕掛け人の登場を期待しても、一向にそれらはやってこない。
「うん。捕まえたエトランゼの十人に一人ぐらいはそれ言うけど、違うよ。可哀想だけど、おれの飯のためにお前は売られるんだ」
「売られるって……それ犯罪だよ!」
「エトランゼに限ってはそうじゃない。犯罪だけど黙認されてるんだ。お金になるからね」
男は「よいしょっと」という掛け声と共に、椅子から立ち上がる。ごそごそと懐を探り、赤茶けた塊をカナタの方へと放り投げる。
「死なれたら困るから、それでも食っとけよ。夜明けには移動するからな」
「移動するって、何処に!?」
「うーん……。それを決めるのはボスだからなぁ。まずはエトランゼを集めてる貴族のところか……。お前結構可愛い顔してるから、娼館かもなぁ。まだ小っちゃいけど、将来有望そうだし」
一瞬、締まりのない顔をしてから、男は表情を引き締めなおす。
「しょうかん……?」
「っとと。おれも油売ってばかりもいられないんだ。紅い月の夜にしかエトランゼは来ないんだから、今夜のうちにもう二、三人は捕まえないとボスにどやされる」
どたどたと階段を駆け上がって行き、再びその部屋にはカナタ一人になった。
ゆっくりと藁の上から身を起こし、床に投げ込まれた干し肉に手を伸ばす。小さくお腹が鳴って、この状況が夢でないことを自覚させられる。
「……ボク、売られちゃうの?」
当然だが返答はない。
売られるということは、例えそれが何処であれ、ろくな未来は待っていないだろう。
「……なんでこんな……。ボク、何も悪いことしてないのに」
恐怖と、不安と、それから余りの理不尽に対する怒りが胸の中で交じりあい、言葉にならない感情が雫となって目から零れる。
彼女ほどの年齢ならば大声で泣き喚いても無理もないようなこの状況で、涙を拭い、これ以上溢れないように気をしっかりと持つ。
「駄目だ。弱気になっちゃ駄目。泣いても何も解決しないんだから」
プラス思考、能天気だけが取り柄と友達によくからかわれていた。そんな彼女の言葉を期待して相談を持ち掛けられたことも、一度や二度ではない。
泣いても何も解決しない。気合いを入れると、意を決して赤黒い肉の塊にかぶりつく。
「固くて不味い」
でも大丈夫。食欲があるのならきっと何とかなる。
そう自分に言い聞かせ続けるカナタの耳に、思ったより早く男の帰還を知らせる粗暴な足音が響いてきた。
先程上がっていった階段を、十分も立たずして戻ってきた男はカナタと食べかけの干し肉を一瞥する。
「まったく、こんなことなら肉やるんじゃなかったよ、勿体ないことしたなぁ」
やはり何処か間抜けな、間延びした声でそう言いながら、鍵を取りだして鉄格子を開けた。
「出してくれるの?」
「買い手がついたんだよ。後ろの」
落ち着いた足音が階段を降りてくる。
『買い手』という言葉に身を竦ませながらそれを待ち構えていると、やってきたのはゆったりとした服に身を包んだ、黒髪の青年だった。年齢はカナタよりも十ほど年上だろうか。何処か落ち着いた態度で、不思議な安心感がある。
「本当は駄目なんだけどなぁ。収穫がなかったらおれがボスに怒られるし」
「だから色を付けて渡してやったんだろう。その金で遠くに行って、人身売買なんかじゃなくて違う商売をやるんだな」
「そうは言うけどさぁ。おれみたいなはぐれ者に他にできることもないって」
「そう言わずに探してみろ」
そこで一度会話を切って、その青年はカナタを見やる。
「旦那も好きだねぇ。確かに可愛いけど、見ての通りまだ子供だよ。金返せって言っても返さないからね」
じゃらりと、大柄な男の手の中で中身が詰まった袋が揺れた。
その言葉に身を掻き抱くようにするカナタだが、青年の視線には厭らしい類のものは全く感じ取れず、ゆっくりと警戒を解いていく。
「一先ずここを出るぞ」
どうしていいか判らず、身動きの取れないカナタを導くように、大きな手が小さな手を握る。
無理矢理ではなく、促すように、ゆっくりと先導する青年に従って、カナタも少しずつではあるが歩を進めていった。
「毎度~」
場違いな男の声など、最早耳にも入らない。
それは一種の錯覚のようなものに過ぎなかったのかも知れない。
自分でも判らないが、彼に対する警戒心は薄れ、ただ黙ってその後に付いて階段を昇っている自分がいた。
▽
「取り敢えず、腹が減ってるだろう?」
それから何処をどう歩いたのか、よく覚えていない。
気が付けばカナタは男の家に連れられていて、木製のテーブルに並べられた料理を目の前に、椅子に座らされていた。
温かそうに湯気を立てる野菜の入ったシチューとパン。たったそれだけの食事だが、空腹と不安に襲われていたカナタにはご馳走にように見えた。
窓から見上げる空には紅い月。
真紅の光はその周囲に現れる紫色のオーロラと交じりあい、赤や黒、紫の絵の具をぶちまけたキャンバスのような不快感がある。
「こんな日に出歩くのは余程の物好きか、さっきの奴みたいな人攫いぐらいだ。後は、この世界にやってきたエトランゼだな」
さっきまでカナタがいた建物を脱出する道すがら、カナタは目の前の男から諸々の説明を軽く受けていた。
決して納得できたわけではない。胸の中では理不尽に対するやり場のない怒りがぐるぐると渦を巻き続けている。
夢であれと、何度も心の中で唱えた。
だがその度に、手を引いている男は視線でそれを否定する。
「自分も、他にも大勢来たエトランゼがそう思い、願ったが、残念ながらこれは全て現実である」と。
エトランゼ、それはカナタが元居た世界から流れ着いた者達の総称。
カナタのセーラー服が示す通り、彼等はその直前まで普通に生活していた。
ある者は学校へ行き友人と談笑し、またある者は会社で上司に頭を下げ。
家族と団欒を過ごしていた者達もいるだろう。紛争地域で命のやり取りをしていた者もいるらしい。呼び出されるのは、何も日本人だけに限った話ではない。
その誰もに共通しているのが、理不尽に、昨日までの全てを奪いさられて、身に付けた荷物だけをそのままにこの地に呼び出されたということ。
「お前、自分が囮になって他のエトランゼを助けただろう?」
口にしていいものか、カナタが迷っていると、目の前にカップが置かれる。真っ黒なそれは、香りからして珈琲のようだった。
「そいつらが偶然、俺のところにやってきた。自分の代わりに捕まった女の子がいるから助けてほしいってな」
ぐっと、スプーンを握る手に力が籠る。
「その人達はどうしたんですか?」
「近くの街に届けた。一応、安全なはずだ。……飲むか食べるかしろ。冷めるぞ」
「珈琲、苦くて飲めません」
「……気が利かなかったな」
棚をごそごそと漁り、砂糖が入った大きな瓶が目の前にどんと置かれた。
「ミルクそれを作るので切らしてしまった」
こくりと頷いて、スプーンで砂糖を入れる。うんと甘いものが飲みたくて、五杯も六杯も入れては溶かして掻き混ぜる。
そうして最早珈琲とも呼べない甘い何かを飲んでから、シチューに手を付けた。
スプーンですくって口に含むと、シチュー独特の甘みのある味が舌の上で蕩けるように広がった。
「……ぐすっ」
その温かさに、安心したのだろう。
張りつめた心が解けて、抑えられていた感情が溢れだす。
「泣くほど不味かったか?」
彼なりの冗談なのだろうが、全く面白くはない。
「おいじくは……ないです」
「そうか」
涙の粒が頬を伝い、シチューの中に落ちる。
それからは無言で食事を食べ続け、やがて全ての完食した。
全てを食べ終えたのを見届けたから、青年はカナタを家の外に連れていく。
二人で珈琲の入ったカップを持ちながら、建物の外に出ると、目の前に広がる光景が少しずつ変化していっていた。
「……月が沈む」
男が誰に言う出もなく呟く。
その言葉は半分は偽りだった。月が沈んだわけではなく、紅い色が消えていくだけだ。
――だが、それはカナタに信じられない光景をもたらした。
その奇跡のような美しさを、カナタは両手でカップを持ちながら見つめている。
「きれい……」
零れた言葉は無意識のものだ。
先程までとは打って変わった、蒼い月光と、空から見たこともないほどの満天の星々から降り注ぐ輝きが、地上全てを眩く照らしている。
その輝きは草花や、遠くに見える澄んだ泉に反射して、まるで地上全てが光り輝いているようだった。
その光景を写真に納めたくて、カップを地面に置いて、スカートのポケットから携帯電話を取りだして、ふと我に帰る。
残り電池残量が半分を切った携帯電話から、電話をかける相手はもういない。
幾らこの景色を記録に残そうと、それを見せたい相手はこの世界にいない。
もう、会うことはできないのだと。
その事実に、カナタは気付いてしまった。
「ボク、もう帰れないんですよね?」
「断定はしない……が、少なくとも俺がこっちに来てから数年、元の世界に戻る方法は耳にしたことはない」
「……そっか」
諦念の籠った声。
それは別に、元居た場所を心の中で切り離せた証ではない。
むしろ、嵐の前の静けさ、前兆であった。
「ボク、帰れないんだ。もう、お母さんにもお父さんにも会えない。友達にだって……会えないんだ」
走馬灯のように、記憶が流れていく。
優しかった両親。能天気で行動力ばかり無駄にあるカナタに、苦笑しながらも一緒に過ごしてくれた友人達。
様々な思い出が奔流のように頭の中を流れては、消えていく。
「もう、会えない」
いや、消えたわけではない。
その目から涙となって、流れている。
地面を濡らす光に気付いたのは、カナタよりも男の方が早かった。
「泣きたいなら泣け。少し離れたところにいてやる」
気遣いを見せる彼に対して、カナタが取った行動は余りにも理不尽極まりない。
その服の裾を掴んで引きとめると、彼の胸に向かって全力で飛び込んだ。
そうして小さな両手で、その胸板を叩き続ける。
髪を振り乱し、涙が流れることも構わずに、相手の都合など知ったこともなく、ふつふつと湧き上がる怒りと悔しさを、見知らぬ恩人にぶつけているのだ。
「なんで、どうしてボクなの!? ボク、何もしてないよ! 明日の授業の準備をして、放課後に友達を遊ぶ約束をして……! 冷凍庫にあったアイスも食べてないし、もうすぐ誕生日だったから、お父さんがケーキ買って来てくれるって約束もしてたのに!」
なんで惨めな八つ当たりだ。
頭では判っていようと、理性が幾らそれを抑えようとしても身体は止まらない。口からは支離滅裂な言葉が零れ続けて、もはや全ての出し尽くすまで果てることはない。
「帰りたい……。帰りたいよ」
ふわりと、頭の上に手が乗せられた。
男の大きな掌が、子供にそうするように、安心させるようにと優しく頭を撫でている。
最大級の無様を晒した相手を笑うわけでもなく、ぶつけられた理不尽に怒るわけでもなく。
「来たばかりのエトランゼと会うのはもう何度目かのことだが、こういう手合いは初めてだ。これで気がまぎれるとは思わないが」
低く、できるだけ優しくしようと努力が垣間見える声色が、カナタの耳を打つ。
それが、最後の決壊を読んだ。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
男の胸に顔を埋めて泣き喚く。支離滅裂どころの騒ぎではない。言葉ですらなく、ただの叫び声が幻想の大地に木霊する。
「彼方の大地へようこそ、エトランゼ」
男の小さな呟きは、カナタの泣き声に消される。
ただ、彼女が落ち着くまで、彼はそのままそうしていてくれた。
そんな二人の出会いの物語を知っているのは、夜空に浮かぶ先程までとは違う、優しい蒼色の月だけだった。
▽
ヨハンの魔法道具屋。
そう看板が建てられた石造りの建物は、店とは名ばかりで、閑古鳥がよく鳴いている。
「ただいまー!」
景気の良い声と共に、扉が開け放たれる。
ここ半年ばかりは、もう一つ鳴き声が増えたものだが。
入ってきたのはショートボブの髪に、ワンピースタイプの服を着て、その上に軽装の防具を付けた少女だった。
中央に石造りのテーブル、奥にカウンターが置かれた以外には、商品棚に乱雑に様々な品物が並べられた店内をまるで我が家のように突っ切り、カナタはカウンターへと身を乗り出す。
その店の主ヨハンは年齢は二十代中ごろだが、その落ち着いた佇まいから実年齢よりも上に見られることが多い。
中肉中背、これといって特徴のない容姿の、ローブを纏った青年だった。
ヨハンももともとはこことは違う世界、簡単に言うならば地球の、日本出身者であるため本来の名前があるのだが、ある理由からそれを使ってはいない。
「はい! これ!」
元気よくカナタがカウンターに差し出した袋を開き、中身を改めるとヨハンは小さく頷いた。
「魔獣の牙に火獣の毛皮。後は壊れた武器の欠片か」
「魔法の力が込められた武器は、壊れてもまた再利用できる、でしょ?」
「そうだ。特にエレクトラムやオブディシアンは他で引き取ってくれるところなどないだろうからな。どんどん持ってこい」
「……あはは。パーティ組んだ人達からは貧乏くさいって笑われたけどね」
「言わせておくといい。笑われることで金が得られるのならそれに越したことはない」
一度奥に引っ込み、カナタが持って来たものに対する代金を適当な革袋に入れて、小さな手の中に投げて渡す。
その間に火を起こし、お湯を沸かしながら茶色い豆を挽く。
「珈琲? ボク、砂糖とミルク沢山入れて!」
匂いを嗅ぎ付けたカナタが声を上げる。
「……誰もカナタに呑ませるとは言っていないが」
「えー、だってボクが来たら煎れるんだから、当然ボクの分もあるってことでしょ?」
特に否定はせずに、珈琲を入れる作業を続ける。
「うわ、こんなに……!」
「正当な報酬だ。少し気になったんだが、他のところで報酬を値切られたりはしていないか?」
あの日、二人が出会ってから早いものでもう半年。
紅い月の夜に、地球から何人もの人間がこちらの世界、誰が呼んだのか『彼方の大地』に呼び出される。
その現象については未だ何の解明もされておらず、ヨハン達はエトランゼと呼ばれ、この世界で生きていくことを余儀なくされていた。
ヨハンに拾われて数日間は呆然自失をしていたカナタだったが、持ち前の明るさと行動力を発揮して、今では冒険者として日々の食い扶持を自分で稼いでいた。
「実はちょっとだけ」
入れ終わった珈琲を、咎める意味も込めてカナタの目の前に強く置くと、その衝撃でミルクが入って茶色くなった液体が小さく揺れた。
「だって、お金に困ってるって言われたら仕方ないじゃん」
「既定の報酬で仕事を受けたらそれはきっちりと取り立てるべきだ。それが契約というもので、決して反故にしてはならない。特にお金が関わることならなおさら」
「それは判るけど……」
冒険者は様々な依頼を受けてこなすことで報酬として金や道具を得る。その内容は魔物退治から街の清掃まで多岐に渡る。
特別な手続きや技術を必要とせず、誰でも気軽に仕事を受けられることから大半のエトランゼはそこに落ち着く。
多分に漏れずカナタもヨハンの勧めで冒険者になったのだが、お人好し故にこの世界ではそれに足を取られることも多いようだ。
「せめて誰かとコンビでも組んでくれればもっと安心なんだがな」
「じゃあヨハンさんが一緒に来てくれればいいのに」
「残念ながら店がある。ここからは離れられない」
「どうせお客さんも来ないしいいんじゃない? ガラクタいじりばっかりしてたら身体が鈍るよ」
「そのガラクタは多少なりともお前の役に立っていると思っていたのだがな」
「それはまぁ、そうだけど」
ヨハンの店の主な収入源は、買い取った――カナタの言葉を借りるならば――ガラクタを組み合わせて作る魔法具だとか魔装具だとか、マジックアイテムだとか呼ばれる魔法の力が込められた道具によるものだ。
いつも客入りが少なく見えるが、高値で取引されている珈琲豆をある程度仕入れることができるだけの儲けはある。
「でも本当に売れてるの? なんか高くない?」
適当にその辺りの剣を持ち上げながらそう質問する。
「相応の価値があるものだ。稲妻の力を宿した剣は振るえば雷撃が敵に飛んでいく」
「じゃあこれは?」
今度は宝石が嵌め込まれたブローチのようなものを手に取る。
「装備者の魔力を増幅させるアクセサリーだ。五個まで効果があって、六個目以上を付けて魔法を使えば暴走して大怪我をする」
「危ないじゃん! ちゃんと注意書きしとこうよ!」
「売るときに説明するから問題ない」
確かに稲妻の剣にしてもブローチにしても効果のある代物なのだろうが、如何せん値段が高いのが問題なのだろう。駆けだしとはいえ今のカナタの稼ぐ給料ではとてもではないが買えるものではない。
「それが買えるぐらいに稼げる冒険者なら、別口から同じぐらいの性能の道具を手に入れているだろうからな」
「判ってるならなんか対策しようよ!」
「だから比較的安価なものも置いてあるんだろう。お前の剣だってそのうちの一つだ」
錆避けのコーティングがされた剣や、魔法金属で作られた軽くて丈夫な装備などがそれにあたる。カナタが冒険者になるにあたって餞別代りに渡されたのもそのうちの一本だった。
「ボク、稲妻の剣がよかったなぁ」
「それも考えたが、使い方を間違えて自分か仲間を感電死させる未来が視えたからな」
「……否定はできないでどさ……」
椅子を引っ張って来て座ると、カウンターの上にだらりと上半身を伸ばすカナタ。
「奥の工房にもっと凄そうなやつあるよね? あれは売り物じゃないの?」
「あれは作ったはいいが製作費が嵩み過ぎて幾らで売っていいか見当もつかなくなったやつだ。そのうち、何処かに卸しに行くさ」
店の奥にある、魔装具と呼ばれる、装備者に圧倒的な力を与える全身防具も存在している。カナタがそれが欲しいと言った際には今の稼ぎ十年分の代金を要求され、諦めることとなった。
「面倒くさがりなんだから……」
「しかし、報酬はちゃんと受け取った方がいい。ただでさえエトランゼの冒険者に対しての風当たりは強い」
これ以上店の経営の話をカナタとするつもりはないのか、半ば無理矢理ヨハンは話題を変えてくる。
「……それは判ってるけど」
カナタの表情が暗くなる。
彼女にも思い当たることがあるのだろう。
この国、この世界でのエトランゼに対するもともとの住民の対応は決していいものとは言えない。
最初にエトランゼがやって来てからもう十数年経つらしいが、それでもまだ彼等に対する差別は消えず、一部では国民としての法が適用されないところまである始末だ。
「あ、そうだ! 剣、壊れたんだった」
腰に差していた鞘を外して、彼女の小柄な体格には不釣り合いな、幅広の剣を差し出してくる。
見れば所々に刃毀れや欠けが目立っている。
「俺は鍛冶屋ではないのだが」
「でも直せるでしょ?」
「いい加減剣の使い方ぐらいは覚えろ。ただでさえお前は『ギフト』の使い道が今一つ判らないのだからな」
「……う、それは……。だってまだ上手く使えないんだもん」
拗ねたように、カナタは両手で持った珈琲を口に運ぶ。
エトランゼはこの世界に来た際に、『ギフト』と呼ばれる力を授かる。
原理は未だ解明されておらず、誰がどんなギフトを得るのかの法則性も全く不明。
何よりも問題なのは、そのギフトの力の差が個人によって大きすぎること。
それによりエトランゼの間での格差が広がるばかりか、この世界にもともといた人々の間でも、エトランゼは皆強力なギフトを持っていると誤解を生んでいる。
そのためギフトを持つエトランゼに対する差別は大きくなるばかりだった。
「ギフトって言えばさ、凄かったんだよ! 最近凄いギフトを持っている人と友達になったんだ。トウヤ君って言って、炎使い《パイロマスター》のギフトで、ばぁーって火を出したり剣に火を纏わせたり、凄かったなー」
夢見がちにその時の光景を思い返すカナタ
の表情には憧れと、ほんの僅かながらの羨望の心が見て取れた。
「はぁ。どうしてボクのギフト、こんなに地味なんだろ。地味っていうか最早意味不明だし」
溜息をつきながら顔を下げて覗き込む彼女の両手では、小さな光が踊っている。
かといえばそれは別段、何かの役に立つわけではない。物理的な感触を持ってはいるものの、相手にぶつけても石を投げられた程度の痛みしかない。
「俺も見たことのない、未知のギフトだ。今後成長すれば何らかの役に立つかも知れないし……」
「立たないかも知れないんだよね?」
カナタが掌の中の光をぽいと投げ捨てると、少しばかり床を転がってから霧散するように消えていく。
「……まぁな」
ギフトは個人に与えられるが、決して唯一無二の力ではない。
カナタのギフトは唯一無二のものだが、この世界に元より存在している魔法で代用で来てしまう程度のことしかできない。
勿論なんの道具もなしに、その場でそれを行えるのは大きな違いだが、それはあまり慰めにはならない。
反面、この世界を探しても殆ど見つかることのない個性的な力を持つ者もいる。
人の心を読む、天才的な頭脳を持つ、炎や風、雷などの現象を思うがままに操る。
そんな力を持つ者は稀であり、カナタもその『希少』なギフトを持つ一人ではあるのだが、今のとこ珍しいだけで役には立たないというのが本人の抱いている感触だった。
「まー、落ち込んでても仕方ないってのは判るけどね。それにギフトは鍛えれば鍛えるほど強くなるって聞いたし!」
珈琲を飲みながら、ヨハンはこくりと頷く。
「うん! そうと決まればもっと修行しないと! 取り敢えず、今できる仕事を探しにソーズウェルかな」
ソーズウェルはこの国の王都オルタリアの南方に位置する街で、王家を守護する五大貴族のうちの一人が治める巨大な交易都市だった。
「あ、ソーズウェルと言えば」
今度は何を思いだしたのか、話がまた転換する。
この忙しないところは果たして若い女性特有のものなのか、それともカナタが落ち着きがないだけなのか。
ヨハンに判断する基準はない。
「三日後、ソーズウェルにお姫様が来るんだって! お姫様!」
「ああ。各地を査察していたエレオノーラ姫だろう。父王が危篤になったために急遽予定を切り上げて戻ってくるらしいが」
「へぇ。詳しいね。なんで?」
「こんなところに住んで久しいが、最低限の情報ぐらいは把握している。お前も、一応は自分が住んでいる国のことぐらいは把握しておけ」
エレオノーラ姫はその美しい容姿から国民の人気も高い。きっと当日は父の死に悲しむであろう彼女を慰めるためという名目で、その姿を一目見ようと多くの国民がソーズウェルに詰めかけるだろう。
「ふーん。じゃあさ、三日後にボク、ソーズウェルにいるから、剣届けてよ。ついでに一緒にご飯でも食べよう!」
「……なんでそんな面倒をしなければならん」
「えー、いいじゃん! だってここって外れにあるから来るの面倒くさいし」
ヨハンの店は王都とソーズウェルの間にあるのだが、直線の街道が整備されたことで使われなくなった山道の中腹に建っている。そのため偶然通りかかる客などは滅多なことでは訪れることはない。
「それにその面倒な行程を踏んで、ちゃんと道具を売りに来てあげてるんだよ」
「俺のところの方が他よりも高く買っているから、そこは問題ないと思うが」
「いいから! 可愛い弟子のためだと思ってね」
「弟子にした覚えはない。まぁ、愛嬌があるのは認めるが」
「じゃあ今から弟子になる」
「師事代を取るぞ」
「そこはお師匠お墨付きの愛嬌で支払うよ」
明るく、前向きでついでにお調子者。調子に乗っているときの彼女を止める術を、ヨハンは半年で習得することはできなかった。
「仕方ないか」
こうして結局折れてやることになる。
「やったー! ありがとう! それより、お姫様が来るってことは護衛の依頼とかないかなぁ? ボク、お姫様を護る騎士ってちょっと憧れてるんだよねー」
憧れは憧れでも、騎士に護られるのではなく、本人が騎士になってしまう辺り、目の前の少女はずれている。
「俺だったら姫の護衛にカナタをつけるなど怖くてできん。せいぜい楽しませるための道化がいいところだろう」
「あー、道化かぁ。それも楽しそうだね」
嫌味を全くものともせずに、カナタはいつの間にか彼女専用となっているカップの中の珈琲を飲み干し、カウンターに強く置いた。
「ごちそうさま! それじゃあボク行くね」
「……ちょっと待て」
「ふぇ?」
出ていこうとしたところを呼び止められて、カナタはきょとんとした顔でヨハンを見上げる。
面倒事を愛嬌で押し切られた意趣返し、というわけでもないが、一つやらなければならないことがあったことを思い出した。
「可愛い弟子に、師匠からプレゼントが二つあるんだが」
「いらない!」
両手を前に突きだして、完全に拒否の構えを取るカナタ。
「なんだ、プレゼントがいらないとは殊勝な奴だな」
「タイミングと切り出し方と、それから表情でロクなものじゃないことぐらいは判るよ!」
「どうせ暇なんだから別にいいだろう。それに、ここに来て珈琲を飲んで、更に剣の修理を頼んだ時点でお前に拒否権はない」
「うー。その言い方は狡い」
根っからのお人好しであるカナタは、そう言われると踏み倒すことなどできはしない。
「修理費もタダにしてやるんだから別にいいだろうに」
「判ったよぅ。やればいいんでしょ、やれば」
今度はカナタが折れる番だった。
剣の修理費と、三日後のソーズウェルへの届け物の代わりに労働力を確保したヨハンは、容赦なくその内容を告げていく。
一度了承してしまった以上、例えその内容は明らかに剣の修理費と釣り合っていない重労働だろうと、カナタに拒否するという選択肢は残されていなかった。
「それだけじゃないぞ。一つは本当にプレゼントだ」
ぱっと顔を明るくさせたカナタの額に、ヨハンが無造作に放り投げた宝石がぶつかって「あう!」という悲鳴と共に床に転がった。
「一度だけ砕けば自分の場所を知らせることができる宝石だ。範囲はそれほど広くはないが、ソーズウェルぐらいなら感知できる」
「それよりも女の子の顔に向けて物を投げたことを誤るべきだと思うんだけど!」
額を抑えながら、眇めた目でこちらを睨むカナタ。
「ソーズウェルでの食事は奢ってやる。時間ができたらそいつを砕け」
現金なもので、おごりとの言葉にすっかり気をよくしたカナタは、最早食事のことしか頭になく、何を食べるかを夢想しながらヨハンの店を後にしていった。