8日目
平成28(2016)年2月11日木曜日。
――記録(日々の体力作りや霊的な修行など)。
1時間正座。未達成。
11,5キロ走る。未達成。
9キロ歩く。未達成。
総合距離13、5キロ。未達成。
腹筋69回。達成!!
背筋70回。達成!!
腕立て伏せ40回。達成!!
スクワット40回。達成!!
横足開脚40秒。達成!!
無呼吸75回。未達成。
性行為(自慰行為も含む)禁止8日目。達成!!
本日の食事。制限なし。
本日の飲料(服薬時の飲料は含まない)。制限なし。
――今日一日の感想。
今日祭日で就労訓練休みでした。
まだ眠いのでもう少し寝たいと思います。
それと、食事と飲料に関してはしばらく制限なしでいこうと思います。
やばい、気が抜けたせいか、16時20分まで寝てしまった。
今日も妹とカラオケに行きました。
時間にして3時間ですね。
最近、霊的なものに関しておざなりになり気味ですね。
できる限り気を付けたいと思いますが。
その後、筋トレをしました。
まだ記録更新し続けていますが、そろそろ限界になるかも。
これで今日の日記を終わります。
――コラム(語りたいことなど)
今日はスピリチュアリズムの”犠牲的精神”について語ってみたいと思います。
シルバーバーチなどの高級霊の皆様は口を揃えて犠牲的精神の大事を説きます。
確かに、犠牲的精神は理に適っています。
例えば世界に二人だけの人物がいて、それぞれ1万円ずつ持っているとします。
その二人がそのお金を全て募金に当てたらどうなるでしょうか?
そうです。募金機関が正常に働けば、二人に返ってくるのです。
これは多人数でも同じです。全ての人が募金すればその募金が均等に全ての人々に行き渡るのです。
その面では犠牲的精神は理に適っていると言えます。
しかし、やはり理想論に過ぎません。
それに犠牲的精神が大事だと言いますが、どこまでならいいのでしょうか?
自分の命を失うほどでもいいのでしょうか?
犠牲的精神は理に適っていて素晴らしいですが、少し危険な部分もあります。
シルバーバーチは身体的なものを粗末にしろとまでは言いませんでしたが、
犠牲的精神は積極的に行うべきだと説いています。
高級霊の皆様は犠牲的精神に関して、もう少し慎重に説くべきかと思います。
今までの宗教を間違って解釈した人たちがスピリチュアリズムでまた同じ考えにならないように。
これが今後のスピリチュアリズムの課題なんじゃないかなあと思います。