約束のチョコレートクッキー
~前回のあらすじ~
一角鯨が強い。
黒い巨体と、口元から伸びる角が、まだその場に留まっていた。
よくいえば敵のHPが1/4まで減ったと言えばいいのだろう。
だが――半分以上の人が死に、武器もほぼ全てを失った。
残された攻撃手段があまりにも少ない。
「コーマさん! メアリさん! こうなったら接近戦です!」
クリスが言う。崩れ落ちていたメアリも立ち上がり、俺の横で鳴音の指輪をはずして俺に投げた。
「……あぁ、父さんの敵、この手でとってやる。マユ姉さんはサポートをお願い」
「二人とも、待て! 俺達がかなう相手じゃない! 逃げるぞ!」
俺は叫んだ。
「ここまでHPが減ったんだ。アイランドタートルを食わせたら確実に呪殺することができる。俺を信じろ!」
そんな確証などない。自分で言って、自分のことが全く信じられない。
俺はただ、ここから逃げることに舌を集中させた。
「もしかしたらアイランドタートルと一角鯨を戦わせたら、今ならアイランドタートルが勝てるかもしれない」
そんななわけない。
マユから聞かされた話だと、アイランドタートルはHPだけは高いが攻撃力は高くない。
その高いHPも呪いのせいで弱っている。実際、診察メガネでみても、HPは90万程度しか残っていない。
人間のものよりもはるかに高いHPだが、勝てるわけがない。
「そうだね。コーマの言う通りだ」
メアリはそう言い、一角鯨を見つめる。よし、メアリを説得できたら、クリスもなし崩し的に無理やりつれて――
「でもね、私は最後まで戦いたい。父さんの死を無駄にしないために」
「そうですね。私も勇者として最後まで戦います!」
クリスはそういい、今にも飛び出しそうな構えをとる。
逃げることなど微塵も考えていない様子だ。
それに、俺の怒りがぶちまけられた。
「ふざけるなっ! お前等は一角鯨のHPを見ていないからそんなことが言えるんだ! いいか、あいつは――」
「コーマさん、私はしっかり見えています。私が逃げ出したときにどうなるかという未来が見えていますよ」
クリスは言い切った。
「ここで私が逃げたら、一角鯨はアイランドタートルを、皆の住んでいた北の島を食べるんですよね。多くの人の故郷がなくなっちゃうんです。ならば、私はここを退くことはできません」
「コーマ、ありがとうね。あんたの作ってくれた武器や道具がなければ、あたい達は戦う術もなかった。あんたは逃げていい。あとはあたい達に任せな」
直後、接近戦になったときのための作戦通り、マユの無詠唱による水魔法により、霧があたりをたちこめた。
霧が出ている状態だと雷の杖やエレキボムの照準が狂うだけでなく、威力も弱くなるということで使わなかった。
ただの霧ではなく、幻を混ぜこんだ霧のため、霧の中には海上を走る多くの人間の姿が見える。
「コーマさん、安心してください、私は勇者です。必ず生きて帰ります」
そう言って、先に走り出したメアリを追って、クリスは海の上を駆けていく。
そして、浮島には俺とマユだけが残された。
「……マユ、お前は逃げなくていいのか?」
俺は静かにそう問いかけた。
(私が逃げ出したらこの霧を維持できなくなります。そうすれば、メアリさんとクリスさんが一角鯨に狙い撃ちされます)
マユはそう言った。つまり、彼女も逃げないということだ。
全く……本当にバカばかりだ。
俺はもう行く。
そういい、アイテムバッグから持ち運び転移陣を取り出し、その中に入る。
一瞬のうちに景色が変わった。
そこは、港だった。
南の島の港ではない。
なぜなら、北の方角にここからでもしっかりと一角鯨を見て捉えることができた。
「北の島の港よ、コーマ」
声のした方向を見ると、いつもの黒いドレスに身を包んだルシルが俺を見つめていた。
とても優しい顔で。
「ルシル……俺は南の島で待ってるように言ったはずなんだが」
ルシルには魔石を十分な数持たせていた。
それを使えば、北の島まで転移することは可能だろう。
だが、ここは危険だ。できればすぐに避難してほしい。
「こういう時くらい、傍で見ていたかったの……それにしても、とんでもない化け物が出たものね」
「ああ、だから俺は逃げてきたんだ」
「そう……それが賢明だと思うわ。人間がかなう相手じゃない。まぁ、コーマは魔王だけどね。それで、クリスは一緒じゃないの?」
「ああ、あいつは戦うそうだ。全く、どこまでいっても勇者だな」
ここからでも一角鯨の姿は見える。
HPが僅かだが、本当に僅かだが減少していっている。クリスとメアリが戦っているのだろう。
俺とは違う。本当にバカな勇者達だ。
バカでバカでバカで……本当にうらやましいバカだ。
なんであそこまで真っ直ぐに進めるのか。
「ルシル、魔王城に戻ったら何をしようか」
「そうね。前にコーマが言ってたチョコレートクッキーを食べたいわ」
あぁ、そういえば作ってやるって言ったような気がするな。
クッキーとチョコレートを一緒に食べたらおいしいと気付いたルシルのために作ってあげるって。
「そうだな。アイテムクリエイトで作ってもいいし、チョコとクッキーの材料さえあれば手作りでもいいかもな」
「アイテムクリエイトで作ったほうがおいしいんじゃないの?」
「アイテムクリエイトだと愛情が込められないだろ」
俺はそう言い、ため息をついた。
そうだ、俺はチョコレートクッキーを作らないといけない。
だから生きて帰らないといけない。こんなところで死ぬわけにはいかない。
クリスみたいにバカになって戦って死ぬわけにはいかない。
それでも――心が落ち着かない。
「なぁ、今、こんなもやもやした気持ちで作るチョコレートクッキーと、全部解決させて作ったチョコレートクッキー、どっちがうまく作れると思う?」
「どっちも同じよ。感情で味が変わるとしたら、料理の腕が未熟な証拠だわ」
「……身も蓋もないことを言うなよ」
勝った方がおいしいクッキーを作れる、みたいなことを言ってほしかった。そう言われたら、少しはやる気がでたかもしれないのに。
「それ以前にお前が料理の腕を語るな! 愛情の代わりに爆発魔法を込めるような奴が感情によって味にブレが出る料理人のことを未熟と言うな!」
と怒鳴りつけた上で、俺は苦笑した。
あぁ、おかげで緊張の糸が切れたよ。なんか、うだうだ考えるのがバカらしくなってきた。
ルシルも静かに微笑む。
「コーマ、行くのね?」
背を向けた俺に、後ろからルシルが声をかけた。
「ああ、行くよ……頼む、ルシル。お前の親父さんの力、また使わせてもらう」
「封印を解除するのはいいけれど、第一段階までよ」
「わかってる。それ以上解放されたら、北の島だけでなく35階層そのものをぶち壊してしまうかもしれないからな」
直後、俺とルシルのつながりが僅かに薄くなる。
それにあわせて、ルシルの見た目が少し成長した。
中学一年生くらいだった見た目が、中学三年生くらいにまで成長した。
胸もわずかに膨らんでいるし、髪も少し伸びた。
そして、
《殺せ。壊せ。倒せ。殺せ。殺せ。壊せ。潰せ。壊せ。殺せ。殺せ。殺せ。倒せ》
俺の中の破壊の衝動が膨れ上がる。
大丈夫、声は聞こえるが我慢できる。
以前よりもつらくない。
【竜化状態が第一段階になりました】
【破壊衝動制御率92%。ステータスが大幅上昇しました。一時的に炎魔法がレベル5まで上がりました。一時的に雷魔法がレベル5まで上がりました。一時的に雷炎レベルがレベル3まであがりました】
【雷炎魔法――雷炎を取得しました】
【スキル上昇により破壊衝動制御率が93%まで上昇しました】
叡智の指輪の影響で、システムメッセージが脳内に浮かび上がった。
一瞬で変わっていく文字だが、頭でその意味をしっかり理解できた。
ルシファーの力を取り込むことを竜化と呼ぶらしい。
93%ルシファーの力を抑えているということか。これが0%になったら、おそらく俺の魂は力に飲み込まれるのだろうな。
アイテムバッグから手鏡を取り出し、自分の姿を確認した。
服やアイテムバッグ、靴までを赤い鱗が覆っている。背中に生えた翼も竜の鱗が覆っていた。
前は皮膚が赤くなり、翼が生えただけだったが、こうなると竜の化け物に近い。
「コーマ……無理しないでね」
「ああ、わかってる。最悪逃げるさ」
本当はもう最悪の状態になっている。本来なら逃げ出す時期はとっくに過ぎている。それでも、戦う選択を選んじまった俺は――やっぱりクリスと同じバカなんだろうな。
「じゃあ、コーマ、頑張って。私ができるのはこれくらいよ」
ルシルはそう言って、俺の頬に自分の唇を押しつけた。
正直、頬まで竜の鱗に浸食されているせいでルシルの唇の感触が全く伝わってこない。でも、温かい気持ちが俺の中に伝わってくる。
俺とルシルがまだ繋がっている証拠だ。
そして、俺の足元に魔法陣が現れた。
そうか、封印が僅かに解けたことで今のルシルは少しだが魔石なしでも魔法が使えるようになったのか。
俺を一角鯨の近くまで転移してくれるってことだな。
「ありがとう、ルシル、行ってくるよ」
もし俺が死んだらルシルに一角鯨を殺してもらえるだろうな、とか考えたけど、やっぱり生きて帰らないと。
約束しちまったからな。
ルシルにチョコレートクッキーを作るって。
だから、生きて帰らないといけない。絶対に。
そう思った直後、俺は地面を失った。
気付けば、一角鯨の真上、天井ぎりぎりに俺は放り出されていた。
「…………!! 一番バカなのはルシルだろぉぉぉ!」
破壊の衝動の声をBGMとして聞き流しつつ、そう叫びながら、俺は重力という神の作り出した力のせいで自由落下していった。




