ルシルへの願い事
ルシルが料理を運んでいた。
運んでいるのはラビスシティーでパンの次くらいに一般的に食べられるパスタ料理だ。
白いスープが注がれている――スープスパか。
だが、それはルシル料理ではないように思える。
ここでルシルが料理を作れば漏れなく魔物化するから。
「コーマお兄ちゃん、これ、私が作ったんだよ」
エプロンを着けたカリーヌが笑って言った。
「カリーヌが?」
「うん、ルシルお姉ちゃんに作り方を教えてもらって」
ルシルに教わって、カリーヌが料理を?
「お兄ちゃん、食べて食べて」
カリーヌが俺に言った。
少し嫌な予感もしたけれど、カリーヌの笑顔に押され、俺はお皿を受け取るとテーブルに置いて椅子に座った。
フォークを取り出し、麺を絡めて持ち上げる。
口の近くまで持ち上げると、パスタからそそり立つクリーミーな香りが俺に届いた。お腹が軽く音を立てる。食欲をそそるいい香りに俺は目を閉じ、そしてそれを口に運んだ。
「うまいっ!」
食べた直後の、まるでリアクション芸人のような反応だけれども、本当にうまい。
パスタはほどよいアルデンテになっていて歯ごたえがあり、スパイスも効いている。隠し味に入っているのは鷹の爪だろうか?
ピリリとした辛味が食欲をさらに増進させる。
「コーマさん、凄いですよね。ルシルちゃんが指示すればこんなに美味しく作れるんですから」
クリスが言った。彼女もまたカリーヌの料理を既に食べたのだろう。
「ふふん、これでも日々料理の研究は欠かしていないわよ」
ルシルは自慢げに言った。
そうか、ルシルの料理マイナス補正がなければこんなに美味しい料理ができるのか。
「ご馳走様」
俺は合掌してそう言った。
「コーマ、今までごめんね。こんなに美味しい料理を作れなくて」
ルシルは照れるように、だが、申し訳なさそうに言った。
「コーマ、私の美味しくない料理を食べ過ぎて嫌になって出ていっちゃったんでしょ? でも大丈夫。これからは――」
俺は気付けばルシルを抱きしめていた。
「ルシル――俺はルシルのことを愛している」
「コーマ!? ちょっと、カリーヌとクリスがいるんだから」
ルシルが少し焦って言った。
「クリス、カリーヌ、悪いがふたりきりにしてくれないか?」
俺のいつもと違う決意に気付いたのか、
「カリーヌちゃん、行きましょう」
「うん、わかった」
とカリーヌを連れてクリスは部屋を出た。
そして、俺はルシルとふたりきりになったところで、彼女を解放する。
「ルシル、ジューンから聞いたことをお前に話したいと思う」
「……それがコーマを苦しませる原因になったことなの?」
「ああ。でも、今はもう解決できた。そして、俺がこれを言えばルシルが苦しむかもしれない」
俺は悩んだ。
全ての事実を伝えたらルシルもまた苦しむかもしれないと。
俺が日本に戻れないと知って泣いた彼女が、全ての事実を知ったらさらに苦しむのではないかと思った。
だが、何も知らないままでいていいはずがない。
これは俺のエゴだ。
ルシルが苦しむのなら、俺も一緒にルシルと苦しんでいこう。彼女がさっきのように笑えるように。
だって、ルシルは俺が愛した女なのだから。
「最後まで黙って聞いてほしい」
※※※
「ということなんだ」
ルシルは黙って俺の話を最後まで聞いた。
表情がころころ変わり、若干現実を受け入れられないような表情も浮かべていた。
「……私がお父様……ううん、お父様は本当はいなかった……それって本当なの?」
「メディーナにも確認した。ジューン、メディーナ、レメリカさん、三人が全員嘘をついていない限り事実だろう……思ったより驚かないんだな」
「メディーナの封印を解いたときにね、あの子、私のことを見て言ったのよ。『ルシファー様、お久しぶりです』ってね。あの時はこの子何ねぼけてるのよ、って思ったけどね……それに、不思議に思っていたのよ。魔王が死ねば迷宮は滅びる。なのになんでこの迷宮は無事なんだったんだろう? って。魂の杯に魂を封印していたからだって自分を言い聞かせていたんだけど、なんてことはないわね。私が魔王だったんだから。他にもいろいろとあるのよ。それにね――」
とルシルは言った。
「私はお母様のことを知らない。そして、お父様の姿も――ほとんど覚えていなかったのよ。知識としてはあったんだけどね」
「覚えていなかったって、お前、それ――」
「おかしいでしょ――ここまで条件が揃ってもお父様がいなかっただなんて信じたくなかったのよね」
ルシルは自嘲し、そしてその瞳から涙が零れた。
「ルシル、お前、自分の記憶の封印は解けるのか?」
「……無理よ。まず、封印されていることすら私にはわからないんだもの。それに解きたくないわ」
「どうして――」
「だって、そんなことをしたら私が私じゃなくなっちゃうかもしれない。そんなの絶対にイヤ!」
ルシルの拒絶はひどいものだった。
「ねぇ、私、どうやってコーマに償えばいいと思う?」
「償うって?」
「だって、今の話が本当なら、私がコーマを召喚したのも、コーマがお父様――ううん、神の力を飲み込むのも予定通りだったんでしょ? あの時、コーマが私のパンを食べた時、コーマはわき目もふらずに宝物庫に向かっていった。あれって、コーマが魂の杯の中に封印された神の力に引き寄せられたってことじゃないの?」
「それは気付かなかった……そうか、じゃあ、俺は今まで俺が誤って魂の杯の中に入っている力を飲み込んでしまったことに対して自責の念を抱いていたが、それは俺のせいじゃないわけか」
「そうよ。だから、私、コーマに殺されたって文句を言えない――」
「つまり、ルシルは償うために俺に何でもすると言うことか?」
「――うん」
ルシルが無言で頷く。
そのルシルの健気さに俺は――
「じゃあ、俺と結婚してくれ」
と自分の欲望を伝えた。
そのいつもの俺のセリフに、
「ちょっと、コーマ。ここでプロポーズするの!? しかも私が断れない状況で!?」
ルシルが呆れて叫ぶ。
「ははっ、お前がなんでもいう事を聞くって言ったんだろ。おっと、もうさっきの発言を後悔しても遅いぞ!」
「後悔するわよ……なんでコーマはシリアスな雰囲気を台無しにするのかしら」
「シリアスさんは今日は早退したからな。ここからはラブストーリーの時間だ」
「どんなに良く言ってもラブコメよね。コメディーの要素が強い」
「そうだな。皆で笑いあえる結婚式にしような」
「少なくとも私は笑えないわよ、こんな展開」
「そうか、それは困ったな。笑顔のない結婚はダメだろ……それに考えてみればルシルとはすでに婚約済みだからな。ルシルがせっかくなんでもしてくれるって言ってるんだ。もっと別の命令にしよう」
「コーマ、これ以上私に何をさせるつもり?」
「そうだなぁ……よし」
俺は手をポンと叩き、ルシルに言った。
「ふたりの子供を作ろう」
ルシルの鉄拳が俺の顔面を捉えた。




