枕カバー
メイベルの部屋に入って最初に感じたのは女の子独特のまるで花畑の中にいるような甘い香り――などではなくてインクが持つ独特な香りだった。
実はメイベルの部屋は他の部屋よりも少し広めに作っている。部屋の割り当てをしたときから彼女はフリーマーケットの店長だし、この寮を作った時から彼女には店を継いでもらいたいと思っていたため、他の従業員と同じ扱いはどうかと思ったからだ。
メイベルは最初は皆と同じ広さの部屋でいいと言ったし、客であるクリスよりも広い部屋は申し訳ないと言ったのだが、
「部屋をどう使うかはメイベルの裁量次第だ。他の人より広い部屋を割り当てられたからって慢心するとは思わないし、メイベルが店長に相応しくないと俺が判断したら、オーナー権限で店長の役職ごと他の人と交代するからな」
と言ったら、メイベルは何かいろいろと考えた上でこの部屋で寝起きをすることにしたのだが。
失敗したかな――と思う。
他の人よりも広いスペースには、どうやって扉を通したのかわからないくらいに大きな業務用のデスクが置かれ、その上には書類が山となっている。書類の山の横に、すっかり熱が失われたハッカ茶が入っているカップが置かれていた。
メイベルがカップをそのままに寝るとは考えられないので、本当に仕事をしていたのだろう。
「メイベル、この部屋、寝る以外に仕事にしか使っていないんじゃないか?」
書類の束が積まれたテーブルとベッドの他にはお茶を入れるための魔力コンロと鍋しかない気がする。
「そんなことはありませんよ。前にアンちゃんが遊びに来たときに読んであげた絵本がそこにありますから」
本当だ。書類の中に絵本が一冊混じっている。本来ならば可愛らしいその本がこの部屋では異物のように感じるから不思議だ。
メイベルは少し硬そうな木の椅子に座り、仕事をはじめる。
「……メイベル、仕事をしながら少し待ってろ」
俺はそう言うと、部屋を出た。
そして、外に出て店の裏側から倉庫に入り、素材をいくつか持ってメイベルの部屋に戻った。
「コーマ様、何をなさるんですか?」
「……アイテムクリエイト」
俺は素材を持ってそう言うと、一瞬にして木の椅子ができあがった。座り心地は絶対にいいはずだ。
そして、俺はメイベルを見た。
彼女は目の前で起きた現象を見て、ペンを落とした。
「コーマ様、今のは一体――魔法……ですか?」
「あぁ。素材があったらどんなアイテムでも一瞬で作ることができる。例えば薬草と蒸留水でポーションを作れるし、白金鉱石から白金のアクセサリーだって一瞬で作れる。俺は……ウソをついていたんだ。俺はメイベルに尊敬されるような男じゃない」
俺がそう言うと、メイベルはゆっくりと俺が作った椅子に近付き、その椅子を触った。
俺も同じように、メイベルのベッドに腰掛ける。
そして、彼女はその椅子に座り、座り心地を確認すると、
「とても気持ちいいです、コーマ様。私のために作って下さったのですよね」
「……軽蔑しないのか?」
「私はコーマ様がお金持ちだからとか、高価な商品をたくさん持っているからだとかそんな理由で敬愛しているのではありません。コーマ様のことを敬愛しています。お金に全然興味がなく、面白いからという理由でとんでもないことをして、私たち従業員のことを一番に思って下さって、パーカ人形を集めて珍しい物が手に入ったら子供のような笑顔で私に自慢をしにくるコーマ様のことが――いいえ、理由なんて全て後付けですね。私はコーマ様がコーマ様だから好きなんですよ」
「……俺が……俺だからか」
俺はそのまま仰向けにベッドに倒れた。
※※※
気が付いたら既に朝を迎えていた。
昨日は靴を履いたまま、足を下したまま寝ていたはずなのに、いつの間にか靴が脱がされていて、布団もかけられたいた。自分が無意識に靴を脱いで掛布団を被ったのかと思ったが、靴がとても綺麗に揃えられている。
どうやらメイベルがしてくれたらしい。
全然気付かなかった。
「はぁ、女の子の布団の香りを感じる暇がなかったな」
「……コーマ様、私の布団の匂いを嗅ぎたかったのですか?」
「はっ、メイベル、いつの間に」
メイベルはトレイを持って立っていた。全然いるのに気付かなかった。一生の不覚だ。
「朝食をお持ちしました」
「あ……ありがとう。メイベル、昨日俺が見せたことは――」
「安心してください。誰にも言いませんから。コーマ様が私を信じて秘密を打ち明けて下さったのですから、誰かに言うわけがありません」
「……うん、ありがとう」
俺はそう言うと、メイベルが持ってきた朝食を食べた。
やっぱりメイベルの料理はおいしいな。あぁ、でもどちらかと言えばコメットちゃんの方が料理は上手かな。
「コメットちゃんの料理と比べるとまだまだなのは自分でもわかっていますよ」
「……っ!? なんでわかったんだ!? まさかメイベル、お前は俺の心の中を読んだのか?」
「女の子はたまに心の中を見ることができるのですよ。誰にでもできるわけではありませんけど」
なんということだ、女の子には友好の指輪が搭載されているというのか。
これは迂闊なことを考えられないぞ。
メイベルの布団の匂いを感じ取れなかったのは残念だけど、昨日俺は枕を使わずに寝たから枕のメイベルの残り香を感じ取ろうとかそんなことは考えてはいけない。
「違う、メイベル、今のは違うぞ。考えてはいけないと思ったら考えてしまうんだ」
「いえ、さすがにそこまで詳細に読み取ることはできませんよ」
「そうだよな……」
「枕カバーは昨日洗ったばかりですから匂いはあまり残っていないと思います」
「詳細に読み取られてる!」
「コーマ様の目線の動きで読み取りました。これは商人の勘です」
「商人凄っ!」
俺は商人にはなれそうにない。
というか、メイベルがいたら俺の変態度合がどんどん詳らかになっていく。
「少し嬉しいですよ」
「俺が変態なのが嬉しいのか?」
「だって、コーマ様。昔、私の体には全く興味がないって仰ったじゃないですか」
「俺がそんなことを言ったのか!?」
「はい。間に合ってますって」
……あぁ、言った! 確かに言った!
なんて奴だ。こんないい子があんな献身的なことを言ってくれたのに、酷いことを。
「あれ? でもあの時は本当はそんな覚悟ができていなかったから、俺がそう言って安心したんじゃなかったっけ?」
「そうですね。あの時はそうでしたが、コーマ様を敬愛するにつれて少し自分の魅力について考えるようにもなりましたね。でも、あの時にコーマ様がこの店で働かせることを条件に私に悪戯をするようなら、コーマ様のことを敬愛することはなかったでしょうけど」
「どうすれば正解だったんだっ!」
「そうですね、ではコーマ様。今までのお礼、この体でお支払いしましょうか?」
とメイベルが上目遣いで俺に尋ねた。
今までの会話の流れだと、たとえどんな目線で攻められようとも冗談として躱してしまえる空気のはずなのに、そんなことは絶対に許されないという雰囲気が作られたいた。
これがメイベルの百戦錬磨の交渉術なのだろうか?
「……ごめん」
「やっぱりそうですよね。コーマ様は好きな人がいらっしゃるんですから、その方を裏切るようなことはできませんよね」
「それは商人の勘?」
「女の勘――いいえ、女の確信です」
そうか、確信されてしまっていたのか。
はは、メイベルには敵わないや。
友好の指輪無しで俺の心をここまで読まれているなんて。
「コーマ様、もう答えは出たんですか?」
「……あぁ、メイベルのお陰でな――」
メイベルは言った。
俺が俺だから好きなんだと。
俺も同じだ。
俺はルシルが好きだ。ルシルが秘密をかくしているとか、俺を利用している可能性があるとか、料理が下手だとか関係ない。
俺はルシルがルシルだから好きなんだ。
それは絶対に変わらない。もしもそんなことで気持ちが変わるようなら、俺は昨日のように苦しまなかっただろう。
「メイベル……」
「コーマ様、謝らないでくださいね」
ははは、最後まで心読まれすぎだろ。
「……ありがとうな」
俺は瞳を閉じてそう言うと、突如唇にその感触が――
それが何なのかはすぐに気付き、その感触を再確認しようと思ったらメイベルの顏が離れていくのが見えた。
「コーマ様、無礼を失礼しました。ですが、私の匂い伝わりましたか?」
「……うん、しっかりと」
「今度、泊まりに来るときは事前に連絡をください。枕カバーは洗わないようにしますので」
「メイベルっ!?」
「冗談です、言ってみただけです」
メイベルが言った。そして――
「メイベル。バーベキューの約束のことだが――」
「バーベキューの日付は決まっていません。いつまでもお待ちしております」
「あぁ、必ず俺はここに帰ってくるよ。枕カバーの匂いを嗅ぐために」
「コーマ様、さっきのは冗談ですから。えっと、もう少しロマンチックな台詞が欲しいです」
「じゃあ、言い方を変えるよ」
俺はゴホンッと咳をつき、
「俺は必ずここに帰ってくる。枕の香りが俺を導く限り」
「本当に言い方を変えただけですね」
メイベルは俺の言葉のセンスに愕然とし、そして、
「……はは」
「……ふふ」
「はは……あはははは」
「ふふ……あはははは」
ふたりで笑った。
バカみたいに大笑いしたのだった。




