コーマのいないその裏で
かつて、俺はルシルと結婚したいと言ったことがある。
その時の返事は散々なものだった。結婚する必要がないとか、そういう答えだった。
もう嫌な思い出なので忘れようとしていたが、まさかルシルの方から結婚の提案があるとは。
勿論、それは俺の望みでもあり、いつでも来いと思うのだが、どうも怪しい。そう言えば、ルシルの奴、最近料理を全くしていない。迷宮への侵入者絡みのイザコザが一段落ついたら食べる約束をしていたのにもかかわらず、だ。
しかもルシルはこの村で、毎日働いている。魔王城ではただ畳の上に寝転がり、「コーマ、チョコレート取って」「コーマ、パフェ作って」としか言わなかったルシルが、である。
やはり偽物か? と思ったが、どうもそんな雰囲気ではない。
本当にこのルシルが偽物で、俺を篭絡するために送り込まれてきた敵だったら、こんな告白はしない。もっと良いシチュエーションを用意するはずだ。
わからない。
ルシルの狙いがわからない。
「……どうしたの? 結婚したくないの?」
「いや、正直、話が急展開すぎてついていけないんだが――ルシル、俺とは結婚する必要はないって言ってなかったか?」
「言ってたわね。まぁ、他にもいろいろと理由があったんだけど、コーマが結婚という形に拘りたいのなら結婚してもいいかなって思っただけよ。そんな気分だったのよね」
「そうか、気分で言ったのか」
これはむしろルシルらしい発想だ。
ならば、ルシルの気分が変わる前に返事をしよう。
「……結婚したい。結婚式は魔王城でいいか?」
「ううん、魔王城もいいけど、この大陸でいいんじゃない? どうせならコメットちゃんたちも呼んで、私たちの村を別に作りましょうよ」
「俺たちの村を?」
「うん。聞いたんだけど、このあたりではまだまだ村を作る予定の土地があるそうだから、そこを使わせてもらいましょ? いつまでもコメットちゃんやタラたちを地下に閉じ込めていくわけにはいかないでしょ?」
ルシルにしてはまともなことを言うな。
確かにこの極東大陸なら、知り合いにばったり出くわしてしまう恐れもない。死んだとされるコメットちゃんをかくまうことはできるだろう。
「もしかして、ルシルが一生懸命働いていたのって、村を開拓するためのノウハウを知るためだったのか?」
「さすがに地上だと私がいつまでも怠けているわけにはいかないでしょ? あぁ、でもこの姿だとさすがにドレスのサイズとかもあるし、本格的に結婚するまでに魔力をある程度回復させないといけないわね」
と、ルシルは魔力を解放して変身する。
中学生くらいの姿になったルシル。大分成長したとはいえ、未発達な部分が目立つ。この姿でウエディングドレスを着てもお遊戯会――とまではいかないまでも、新婦にはなかなか見えないだろう。
確かにルシルの言う通り、どうせならルシルには俺と同い年くらいの姿にまで成長してもらいたい。
かといって、俺の封印を解除したらそれはそれで本末転倒だ。第一段階の封印解除くらいならば自力で抑え込むことはできるけど、それでも破壊衝動は押し寄せてくるので式の間苦しみ続けることになる。
「魔力の神薬だけだといつまでかかるかわからないな」
本来なら魔力一割アップの魔力の神薬だと一週間飲めば二倍以上の魔力になるはずなのだが、ルシルにはその効き目があまり出ない。数日飲んでようやくMPが1上がる。しかもどういうわけか、最近、本来ならば上がるはずのMPの上昇率が落ちてきて、最近だと五日飲んでようやくMPが1上がるというのが現状だ。
「……そうだ! 魔法書を作ればいいじゃないか。
現在、ルシルには水、雷、光の魔法書を使わせた。闇魔法は既に修得済みなので、土、風、火あたりの魔法書を用意して覚えさせたら魔力アップはできるだろう。
確か、水魔法を覚えた時もMPは1上がったし、雪魔法などの魔法も派生した。
ついでに俺も魔法を覚えたいし。
「ちょっとでかけてくる。そうだ、指輪の用意とかしないといけないな。ルシル、希望のデザインとかあるか?」
「そういうのを考えるのはコーマの役目でしょ?」
「あぁ、それもそうだな。悪い、ちょっと浮かれていた。任せておけ。最高の指輪を用意するからよ。そうだ、結婚式当日は無理だけど、でもウエディングケーキとしてルシルがケーキを作ってみないか? 俺が責任持って食べてやるからよ」
俺はそう言って、アイテムバッグからケーキ作りの本を取り出す。
本当ならば食べたくないケーキだけれども、考えてみればルシルのケーキは俺とルシルの絆を強めることになった思い出の品だからな。
食べたくはないが、食べておきたい。
「ケーキ作りの本? そうね、参考にさせてもらうわ」
「おう、せめて気絶しない程度の毒にしてくれよ」
「だから、私は毒を作ってるつもりはないんだって」
ルシルは苦笑しながらも、ケーキ作りの本を大事そうに抱えてくれた。
「それじゃあ、行ってくるわ」
とりあえず魔法書の素材となる道具を探すために家を出た。
※※※
「それじゃあ、行ってくるわ」
そう言って、コーマは元気に家を出ていった。
そんなに私と結婚したいのかしら……私は別にどっちでもいいんだけど、でもまぁ、それでコーマが――
「…………」
私は忌々し気に、自分の胸を見た。
そして、その胸から通信イヤリングを取り出す。
忌々し気にイヤリングを見詰めた私は、
「……どうしたの? クリス」
『ですから、何度も言いましたが、コーマさんにこっちに来るように言ってください』
「何度も言っているでしょ。コーマはそっちには行かないわよ」
『それならコーマさんに変わってください。私が直接話をしますから』
「コーマはクリスと話したくないって言ってるわよ。だから、いつまでもコーマに頼ってないで、困ったことがあったら自分で解決しなさい」
『ルシルちゃん、ちょっとま――』
私は通信イヤリングを切り、それを再び胸にしまった。
ここに隠しておけば、万が一にもコーマに見つかることはないから。
「……さて、コーマが帰ってくるまで、部屋の掃除でもしてようかしら」
と、私は手に持ったケーキ作りの本を見て、自嘲の笑みを浮かべた。
「ケーキ……ね」
パラパラと捲ると、様々なケーキの描かれたイラストと、ケーキ作りの手順が書かれている。
そして、私はその本を木のベッドの上に投げ捨て、そして言った。
「そんなの、私が作る訳ないでしょ」
と、私は部屋の壁に掛けられた鏡を見る。
その鏡に映った私の顔からは、笑顔が完全に消え失せていた。




