名も知らぬ相手
ルッビナの花守りを懐に忍ばせ、俺はフリーマーケットの裏口から外に出た。
町がやけに静まり返っている。
俺は裏口からフリーマーケットの屋根の上にあがった。地上を監視するための鳥の模型が飛んでいる。だが、あの鳥に据え付けられた映像送信器が、俺の姿を映してルシルに届けているのかどうかはわからない。
仮に映しているとしても、迷宮の中の監視で、現在は地上の様子を見ることはできないだろう。
コメットちゃんとタラが無事に戻ることができているのなら、地上まで見ることができるほどの多くの目を持つメディーナも現在は薬の調合作業をしている可能性が高い。
やはり、向こうからの援護は期待できない。
(竜化第一段階――)
体から再度赤い鱗が生えてくる。
竜化第一段階までは、西大陸にいたころから自力で封印解除できるようになっている。ただし、ルシルの強力な封印に自力で歯向かうわけだから、その時の負担はかなりのものだ。
そして、屋根の上から地上を見下ろす。
兵が巡回しているが、それ以外の人の姿はやはりあまりいない。が、気配は感じる。どうやら住民や冒険者たちは、酒場や宿、自分の家などで兵たちが去るのを、まるで嵐が通り過ぎるのを待つように待っているのだろう。
リーリウム王国の兵たちだ。
まるで支配下に置いているみたいだが、彼等は兵ではあるが正規の方法で入国したから、勝手に外を出歩くな、などと言えないのだろう。一応、何人かは外に出歩いているみたいだし。
「今行くからな」
そう呟き、俺は自分がひどい男だと思った。
先ほどのセリフを呟いたとき、俺の中にはルシルのことしかなかった。
魔王城にはルシルだけでなく、タラもカリーヌもマユもマネットもゴブカリもメディーナも、そしてコメットちゃんもいるというのに、俺はみんなの事を考えていなかった。
ルシルを僅かな危険に晒すことを覚悟してマユを助けにいったのに、ルシルの不確かな危険に俺は視野が狭くなった。
「待ってろよ、みんな」
自省の念に駆られながらも、あえて言い直し、屋根の上を飛び移っていくと、一気に壁を駆け下りた。
壁を走るという人にありえぬ光景を見たリーリウム王国の兵たちが、持っていた槍を俺のほうに向けたが、遅すぎる。構えるまでもない。
俺はそのまま兵たちが槍を突き出すよりもはやく、通り抜けていき、ときには兵たちを飛び越え、迷宮の中に入った。
一階層に入った。迷宮の中に入ってくる冒険者が少なかったのだろう。いつもよりも魔物の気配が濃い。
俺の強さがわからないのか、魔物が襲い掛かってくる。
通行に邪魔な魔物は、そのまま殴り倒し、そうでない魔物は無視し、地下十階層を目指した。
地下五階層で男だけの冒険者パーティに出くわした。
突然の俺の出現に矢を射ってきた。中々いい腕だ。あれだけ動揺しているのに的確に俺の急所を狙ってきた。
だが、装備が悪かった。俺に当たるも、鱗に弾かれて落ちる。
俺はそいつらを捨て置き、さらに地下へと降りていった。
地下七階層あたりまでいくと、俺から溢れる殺気を感じ取ったのか、魔物達が姿を見せなくなった。地下十階層の転移陣が使えないせいだろう。冒険者の数も少ない。
そして、走り続け、そのまま地下十階層に到着した。
俺は走り、ルシル迷宮の入り口に進む。
宝箱に偽装された入口。
そこで俺を待っていたのは――
「ここから先に行かせるわけにはいかないな、コーマ」
赤い髪の若い男だ。それほど強そうには見えないが。
どうして俺のことを知っている?
「…………」
「まぁ、普段からお前には、お前の正体を見抜いている素振りは見せなかったからな。驚くのは無理もないと思うが」
「待て。俺とお前は会っているのか!? お前は一体誰だ!?」
怪しい男に、俺が叫ぶ。
男は固まった。
そして――
「まさか、お前、俺が誰か忘れたのか!?」
「忘れたも何も、お前なんて知らない」
「知らないわけないだろ! お前とは何度も会ってるだろ! 俺だ! ジョーカーだっ!」
そう言われても、知らないものは知らなかった。
「ジョークだ!」と名乗ったら気付かれたのかも。




