メイベルの決断
その日のフリーマーケット閉店後、私はリーとファンシーに昼間のことを話しました。
その話を聞いて、ふたりはようやく腑に落ちた、という感じです。
「……驚かないんですか?」
「いや、驚いたのは驚いたけど、それ以前に納得やわ。メイベル、この食事食べてみ」
「……え?」
私は目の前のパスタを見ます。トマトソースパスタですよね、普通の。
フォークに絡ませて、一口……と同時に舌に激痛が走り抜けました。
「辛っ! なんなんですか、これは」
「何って、メイベルが作ったパスタやん。唐辛子たっぷりの」
「さらに言わせていただくと、先ほどから私たちが辛い辛いと叫んでいるのに、メイベル店長は上の空で気付いていなかった様子でしたよ」
……全然気付きませんでした。
仕事が終わって一気に気が抜けたのでしょうか……自分で言うのもなんですが、私らしからぬ失態です。
リーがグラスに水を入れてくれたので、私はそれを一気に飲み干しました。
でも、この辛味のおかげで頭がすっきりしました。
「それで、メイベル店長はどうしたいん? って、まぁ決まってるわな」
「そうですわね。サハイラ商会といえば、大陸でも有数の巨大な商会。そこの総帥の噂はいろいろと聞きますが、効率主義でありながらも顧客からの信頼は厚いそうです。ただ、唯一の欠点といえば、効率主義による人員整理が一部の従業員から不満は上がっているようですが、実力のある者からしたら成果主義である商会の経営術が利点でもあります」
「それやったら、メイベル店長は安泰やな。真面目に手足が生えて服着て歩いているみたいなもんやしな」
私って……そこまで酷いですか?
自分では自然体でやっているつもりなのですが。ちゃんと一日最低3時間は寝ていますし……あぁ、コーマ様が持ってきた睡眠代替薬を、コーマ様が仕入れてくださった睡眠代替薬を使って全く寝ない日もありますが。
「にしても、メイベルが抜けたら、ファンシーが店長か。従業員を雇わんといかんな」
「私としてはリーが店長でもいいんですが、それはオーナーが決めることですわ」
「そうか、そうやな。メイベルが辞めるとなると、うちらもオーナーに会えるわけか。それは楽しみやな」
……ふたりは私が店を辞めることに反対はないようです。それはそれで寂しく思います。
そう言いながら、私はパスタをもう一口食べました。
舌に激痛が走ります。辛いものを食べて痛いと感じたのはこれがはじめてのことです。
「えっと、ふたりとも食べたんですか? この料理を」
「まぁ、うちらは奴隷やからな。セバシ様のところやったら犬の餌のような飯を食べる訓練もしたし」
「それに、コーマさんと一緒にいたら、このくらい食べないといけないって思いますしね」
「コーマ様が?」
私が尋ねると、ファンシーは笑ったように言った。
「コーマさん、私が焦がした料理を見て、『うん、このくらいなら十分うまいな。捨てるなら俺が貰うぞ』といって、召し上がっていらっしゃいました」
「コーマ様が?」
「はい、黒く焦げたトーストをバリバリと、飲み物も飲まずに。鍛冶師として十分に稼いでいらっしゃり、私達にもよくお菓子の差し入れを持って来て下さるのに」
「あぁ、たしかにコーマがもってくるお菓子は旨いな」
「コーマさん、仰るんですよ。『いくら気持ちが篭っていても食べられない料理があるからな。気持ちが篭っていて食べられる料理なら食べるのが普通だろ』って。ふふ、でも焦げたパンを美味しそうに食べるコーマさんが食べられない料理ってあるんですかね?」
「きっと、あれは炭でも食べるんちゃう?」
ふたりは笑うと、私を見て、
「メイベル店長。店のことならうちらの意見を尊重してほしいけど、今回ばかりはメイベル店長が自分で決めんとあかんわ」
「それでも、相談ならいつでも乗りますから」
そう言って、ふたりは食べ終わったあとの食器類を持って、奥のキッチンへと向かいました。食器を洗いに行ったようです。
ひとりになった私は、パスタを食べます。
やっぱり辛い。よくふたりはこれを食べきれましたね。
そう思って、水を飲みました。水を飲むと余計に辛味が増しますね。
さらに水を飲もうとして、グラスが空になっていることに気付きました。
水を汲みに行こうとキッチンに向かうと、中から声が聞こえてきました。
(メイベル、やっぱりやめるんかな……)
(わかりません。オーナーも彼女の意見を尊重するでしょうね。会ったことはありませんが、そのくらいはわかります)
(そっか。辞めたら寂しくなるな)
(なら、泣きつきますか? やめないでと。ふふ、女の武器の見せ所ですよ)
(やめてぇや。うちはメイベルには幸せになってほしいって心から思ってるんやで。こんなチャンス、滅多にないやろ)
(そうですね……リー、もう一杯水飲みますか?)
(貰うわ。本当に辛かったからな。でも、メイベル、あんな状態やのに、うちの分のパスタは食べやすいように短く切ってたんやで)
(私の嫌いな玉ねぎも、私の分だけ少なくしてくださっていましたし。あんな気持ちの篭った料理、残せるわけがありません)
(え? ファンシー玉ねぎ嫌いなん?)
(もちろんです。女の武器を安売りさせるような悪魔の食材ですよ)
(ははは……まぁ、うちはメイベルがどんな選択をしようと、笑顔で答えるつもりや)
(そうですね……もしもメイベルが去ったら、その日の夜はふたりで泣きましょうか)
(女の武器は安売りしないんとちゃうの?)
(友達のために泣くのは人として当然ですわ)
……私はそっと自分の席に戻って、パスタを食べました。
とても辛いです。辛くて、涙が出てきます。
口が麻痺して、震えてしまいます。
……私、この店で働けて、とても幸せです。
※※※
翌日。約束の時間に、ゼルギア様はいらっしゃいました。
奥の応接室に御通しします。ここでできる話ではありませんから。
「それで、あなたの心は決まりましたか?」
お茶を出すと同時に、ゼルギア様はそう質問を切り出しました。
「はい」
私は小さく頷きます。
「答えを聞かせてくれますか?」
ゼルギア様の申し出に、私は頭を下げて言いました。
「すみませんが、お断りします」
顔を上げると、ゼルギア様が目を丸くしていました。断られるとは思っていなかったのでしょう。
それほどまでに、私には一生縁がないと思っていた、夢のような申し出だったからです。
ですが――
「私はたしかに商売が好きです。ですが、それ以上に、この店と、そして従業員のみんなが好きなんです」
「奴隷の身分のままでもいいのですか? 主人が一声かければ、あなたはいつ店をクビになるかわかりませんよ? そうしたら、あなたの好きな商売もできなくなる。もしかしたら、知らない男に情婦として売られるかもしれない。私について来れば奴隷の身分から解放する。私の妻となる。すると、今よりは職を失う恐怖からも解放されるだろ?」
「同じことをあの方に言われたことがあります。だから、私は今回もこう言います。そんなことにはなりません。なぜなら、私はそんなことをしたら損だと思わせるくらいにこの店を立派に、大きくするからです。私を失ったら損をするというくらいに」
私の言葉に、ゼルギア様は頭を抱えました。
「弱った。ますます君が欲しくなった。このようなことはしたくなかったが、今度は直接、君の主人と話しをさせてもらうことにしよう。そして、奴隷として働いてもらうことにしよう」
「え?」
「ただし、君の主人が君を手放したくなるようになったら……その時だ。せいぜいそうならないようにこの店を大きくしてください」
ゼルギア様はそう言うと立ち上がり、
「だが、私の商会はこれからも今以上に大きくなる。あの時に結婚をしておけばよかったと思ってももう手遅れだよ。商売人はその瞬間の決断を大事にしないといけないからね」
そう言って白い歯を輝かせて立ち去りました。




