プロローグ
今日から暫く(恐らく1カ月ほど)、メイベルが主人公のスピンオフ作品
「笑顔の値段」
の章になります。短い間ですが、メイベル視点の物語をお楽しみください。
プロローグ
思い出すのは、いつも木の香りです。
背の低かった私は手を伸ばしてカウンターの端を掴み、足と手を使って力いっぱい上がっていき、カウンターから顔を出しました。
そこが、お父さんに一番近い場所であり、このカウンターの木の香りが、私にとってはお父さんの香りでした。
お父さんは私がしたことに気付くと、にっこりと微笑み、優しく頭を撫でて椅子を出してくれました。
私が笑うと、お父さんは優しく微笑み、私が笑うとお店のお客さんたちも笑顔を向けてくれました。
だから私はこの場所が大好きでした。
「そうだ、メイベル、これを見てくれるかな?」
お父さんは私に小さなペンダントを見せました。
お父さんが見てっていうときは、鑑定をしてほしいっていう意味だ。私には生まれながらに、鑑定というスキルを持っていて、そのアイテムの名前がわかる。それに気付いたのは、ううん、それが特別な力だと気付いたのはこの頃でした。お客さんが売りに来た金細工を見て、お父さんに「金メッキって何?」って尋ねた時のお客さんの顏は今でも覚えています。
お父さんはそれから、私が横にいる時、時折こうして鑑定を頼むことがありました。
私がペンダントの名前を言うと、お父さんは「偉いね」と言っていつも頭を優しく撫でてくれました。
それから数年後。お父さんが連帯保証人になっていたお店の人が夜逃げして、お父さんに多額の借金が回ってきました。
「ねぇ、お父さん、どうしてあの人達、お金も払っていないのに商品を持って行っちゃうの?」
私の質問にお父さんは笑顔で「いいんだよ、メイベル」といつもとかわらない優しい顔で答えてくれました。
それから、私はお父さんと一緒にいる時間が長くなりました。
商品の仕入れ先への挨拶、会計の仕方、帳簿の付け方など、お父さんは私にいろいろと教えてくれました。
「お父さん、そんなにいっぱい覚えられないよ」と私が駄々をこねると、お父さんは「ごめんね、メイベル。でももうあまり時間がないんだ」と言って、本当に私にさらに多くの事を教えてくれました。
それからしばらくして、お父さんは過労で亡くなりました。
お父さんは全部わかっていたんだ。自分がこのままでは死ぬことを。それでも借金を返そうして頑張った。借金が残っていれば下手すれば店を手放すだけではなく、自分達が奴隷になる可能性が高かったからでしょう。
ひとり残された私は、初日は泣きながら、二日目からは笑顔で懸命にお店を切り盛りしたが、結局借金の返済期限に間に合わず、奴隷として売られ、店も抵当に入ることになりました。
そして、今日――目を覚ましても私は奴隷でした。
どうやら勉強中に寝てしまったらしく、本に涎がついていました。
私はハッとなり、涎の後をボロ切れで叩くように拭き取ります。強くこすると文字のインクがにじんでしまうから。
目だった汚れは残っていないようで、私は安堵しました。この本は父の形見で唯一手元に残った本で、大切にしたいです。
蝋燭の長さを見ると、どうやら三分ほど眠ってしまったようです。
その三分間で、とても懐かしい思い出と悲しい思い出を夢に見たようです。
きっと、机の木の香りが私にあんな夢を見せたのでしょう。
懐かしく思い、ふっと微笑む。だが、そこには笑い返してくれるお客様もお父さんもいません。
「ヴリーヴァ、話がある」
そう言って、私の部屋にノックをせずに入ってきたのは、奴隷商であり今の私の主人でもあるセバシ様でした。
私や他のルームメイトは全員、即座に椅子から降りて、床に正座します。
セバシ様がノックをしないのも、私たちがこうして床に座るのも、奴隷として買われたときのための訓練の一環です。
「はい、なんでしょうか? セバシ様」
「さっきハンクさんから連絡が来て、例の店を借りたいという客が現れたそうだ。会ってみるだろ?」
「――是非お願いしますっ!」
奴隷だった私に、運命の日が訪れました。
スピンオフは毎晩18時更新です。




