マネットと犬とカリーヌ
僕と犬の奇妙な関係がはじまってしまった。ちなみに名前はつけていない。コーマが「この犬はやけに人に慣れているから、もしかしたらどこからか逃げてきたのかもしれない」と言ったためだ。
下手に名前を付けてしまうと、カリーヌあたり、犬に情が移り、別れがつらくなるだろうからとの考えのためだ。
コーマはこの犬の特徴をメイベルに伝え、暇なときに調べてもらうことになった。
でも、どうでもいい話だ。
餌はコメットが与えているし、散歩は僕のゴーレムが代わりに行っている。
僕と関わることはない。そのはずだった。
だが、犬はことあるごとに僕のゴーレムを引きずっては僕の部屋に入ってきて工房を荒らした。
力の強いゴーレムにしたら、首輪を外して僕の工房を荒らした。
いったい何がしたいんだとマユを通じて尋ねたら、僕と一緒に散歩がしたいそうだ。誰と一緒に行っても同じだろうと断ると、また部屋を荒らした。
マユに散歩をしながらしつけをしたら部屋を荒らされなくなりますよと言われた。仕方なく共に散歩を行いしつけをしようとするが、犬が強く引っ張ると僕の小さな体は力負けして引きずられていった。
僕は虚弱な魔王なのだ。こんな野生動物に力で勝てるわけがない。
縄を外すと、犬は走って行った。そのまま帰ってくるなと思ったら、犬はUターンしてこちらに来て、僕を咥えた。糸を使って操り、この犬の魔の手から僕自身を救い出した。
その日の夜、クリスが魔王城を訪れ、僕が先に帰ったことについて怒っていたが、全部聞き流したので内容は覚えていない。
そんなこんなで三日間、死闘のしつけが行われた。苦労の甲斐があり、ようやく散歩をした日だけは僕の工房に来ないようになった。
それから毎日朝と夕方のダンジョン内の散歩が僕の日課になった。
(何やってるんだよ、僕は……)
ふと、僕の迷宮の中に残してきた火竜のことを思い出した。
今はあいつは迷宮の最奥にいる。あのあたりは火の勢いが強く、僕が近付くことはできないが、元気でやっているだろうか?
昔の相棒に思いを馳せながら、僕はその日の朝も散歩に行こうとして犬小屋に向かった。
(なんだ、これ……?)
犬が衰弱していた。犬小屋の前で蹲って動かない。寝ているだけかと思ったが、どうも様子がおかしい。呼吸音がいつもと違い、苦しそうだ。病気だろうか?
やれやれ、運のいい犬だ。
本来なら病気の野良犬はそのまま死ぬだろうが、幸い、ここにはコーマが作った薬が山のようにある。
アルティメットポーションならたとえどんな病気だろうがたちまち完治してしまうだろう。
そう思い、僕はアルティメットポーションを持ってきて、犬の口に無理やり飲ませた。
だが――犬はさらに苦しそうにしていて、治る気配がない。
なんだ? いったい、何が原因なんだ?
ただの病気じゃないのか?
「おい、マネット! 俺のコレクションルームが荒らされているんだが、お前の犬がやったんだろ! ちゃんとしつけをしないと……って、おい、どうした?」
「コーマ……こいつが苦しそうなんだ。アルティメットポーションを飲ませても治らない。どうしたらいいと思う?」
「アルティメットポーションでも治らない?」
コーマは怪訝な顔をし、犬の顔を見た。
すると犬を逆さに持ち上げ、大きく振った。
「おい、コーマ! 何をしているんだ、そんなことをして――」
僕が叫んだその時だった。
犬の口から何かが落ちた。
それは――犬の姿の指人形だった。
「まったく、俺の部屋のパーカ人形を飲み込んで喉を詰まらせたんだな」
「人形を喉に詰まらせた? それだけ?」
コーマが犬を下ろすと、そいつは僕に近付いてきて、ペロペロと僕の頬を舐めてきた。
はぁ……心配かけやがって。
僕は安心し、犬の頭を撫でた。
その時――コーマの通信イヤリングが震えた。
※※※
「どうもありがとうございました」
30歳くらいの人間の女がそう頭を下げる。
その女が握っているリードの先には、僕が世話していた犬がいた。
メイベルがコーマに知らせたのだ。迷い犬のチラシがあったと。
五歳の娘が散歩中に急に走り出し、首輪が緩かったため外れて逃げて行った。それからずっと探していたそうだ。
飼い主が見つかったから、返す、そう言われた。
ようやく犬の面倒から解放され、僕はほっと胸を撫で下ろした。
引き取られていく犬に女の子が近付いていく。その女の子の手には、歯形だらけの木の人形が握られていた。その人形を思い出したのか、魔王城に帰って、コーマは言った。
「あの人形、マネットに似ていたな」
そんなわけない。僕の方が数十倍可愛いぞ。
去りゆく犬がこちらを見て一度、バウワウと吠えた。
その意味はわからない。僕はマユと違って友好の指輪を持っていないから。
ようやく静かになったな。
ゴーレム工房で僕は、歯形のついたゴーレムを見て、息を吐いた。
そこにカリーヌがやってきた。
「ねぇ、マネット、遊ぼ」
こいつは……せっかく静かになったと思ったのに。
「……遊ぶのは嫌だ。でも、散歩くらいなら一緒に行ってやってもいいぞ」
僕の申し出に、カリーヌは笑顔で頷いた。
どうやら散歩の日課は続きそうだ。




