マネットと犬
犬に咥えられていたのは、わずか数分だった。
僕を咥えたまま誰もいない場所まで移動したので、糸を伸ばして野良犬を操ることに成功した。
そして、僕はその犬の背中の上に乗り、背中についた涎を手で触りげんなりとした。
「……戻るか」
別に町に来たくて来たわけじゃない。カリーヌと遊ぶのが嫌だから逃げるように魔王城を出てきただけだしな。
そろそろコメットあたりが朝食の後片付けを終え、相手をしているころだろう。もしかしたら、コーマも作業を終えてコメットと三人で遊んでいるかもしれない。それはコメットにとって最高のご褒美だろうな。
転移石は一個しかないが、手をつなぐなどしていたら一緒に転移できるから問題ない。
途中で人間の女たちが僕を――僕を乗せた犬を見て「可愛い可愛い」とはしゃいでいた。僕が可愛いのは認めるが、人形を乗せた犬が可愛いという評価は納得できないな。
どう見てもこの犬は不細工だろうに。
転移陣を潜り、会議室にたどりついた。
会議室ではルシルが畳の上に寝そべってクッキーを食べていた。クッキーのカスが畳のヘリの隙間に落ちていく。少しは掃除する者のことも考えてやれよと思うが、言っても無駄なので黙っておく。
ルシルは僕が入ったのを確認すると座り、
「ダメじゃない、マネット。この部屋は土足厳禁なのに犬なんて連れて来て。少しは掃除する人のことを考えなさいよね。コーマが怒るわよ」
「……悪かったね」
僕はそう言うと、犬を操り畳の外に出て、糸を伸ばしてドアノブにひっかけ、扉を開けて部屋を出ていった。
廊下を進み、ゴーレム工房に入る。
カリーヌはいないな。
やれやれ、これでやっと作業ができる。
僕は犬から降り、先程作っていたゴーレムの調整をする前に着替えようと思った――その時だった。
後ろから物凄い音がしたので振り返ると、
「なっ!」
先ほどの犬が大暴れしていた。
しまった、操作を解除したのがいけなかった。
「あ、やめろ! それは造るのに三日もかかった蜘蛛型のゴーレムでまだ銘入れをしていないから強度が――」
犬が蜘蛛型のゴーレムの上に乗ると、その八本の足はポキポキと折れた。
「貴様ぁぁぁぁっ!」
どうやら今日は仕事ができそうにないらしい。
とりあえず、その犬を連れて外に出て、ゴーレムを作る要領で犬小屋を作成した。
機能性重視の造りにしている……がなぜか犬は入ろうとしないで、犬小屋のまわりをうろうろしていた。
……何故だ?
※※※
「それで、何故某に質問をするのだ?」
剣の修練をしていたタラは僕の質問を聞き、特に不機嫌ではないもののそう尋ねてきた。
ちなみに、その間、犬は岩の柵を用意して脱走しないように閉じ込めている。
「だって、タラは犬だろ?」
「某はコボルトであって犬ではないのだが、おそらくそれは匂いだろうな」
タラは剣を振りながら言った。
「自分の匂いのついた何かをその小屋の中に入れてやればそこが自分の家だという証になる」
なるほど、そういうことか。
小屋に戻ると、犬が逃げ出していた。
高さ二メートルはある柵を用意したのに、どうやって逃げだしたんだよ……と思ったら、その犬は二メートルの柵をさらに飛び越えて柵の内側に戻っていた。
今度は屋根をつけないといけないな、そう思いながら僕は柵の隙間を通って内側に入り、先ほどまで着ていた涎塗れの服を犬小屋の中に入れる。
暫く待つと、その犬はようやく小屋の中に入った。
やれやれ、これで一安心だ。
そう思ったら、犬はまた小屋から出て来てバウワウと吠えた。
……何だ? 何を言いたいんだ?
全くわからない。
そう思ったら?
「散歩に行きたいです、ご主人様……と言ってますね」
振り返ると、ウォータースライムを被った女――マユがいた。
そうか、そういえばこいつが持つ友好の指輪は人間だけではなく、動物の心も読めるんだったか。
「ご主人様? 誰が?」
「マネットさんのことじゃないですか?」
「僕がこいつの? いや、そもそもなんで僕がこいつの世話をしているんだ?」
そうだ、早くこいつをラビスシティーに追い返そう。
首輪もしていないから野良なんだろうし、きっとそっちのほうがこいつも自由に生きていけるだろう。
そう思ったら、
「マネット、首輪とリード糸を主に頼み、用意していただいた。きっちり主としての役目を果たすように」
そう言って、タラが僕に赤い首輪とリードを渡してきた。
いや、そんなのも渡されても困るんだが。
「ラビスシティーは野良犬は保護という名で殺傷処分される。狭い都市だ。感染症がなによりも恐ろしく、野良犬はその媒体となるからな。この犬は良い主人に巡り合えて運がいい」
タラがそんなことを言って犬の頭を撫でた。
僕がこの犬を飼う流れになってるぞ?
そんなのごめんだからな。僕は忙しいんだから。
しつこく続きます。




