マネットとクリスティーナ
コーマがかつて経営していた店というのは、歩いて一分足らずのところにあった。結構綺麗な見た目だが、結構古い建物だと思う。もっともそれは、僕が土と石を扱うプロだからわかることであって、普通の人間にはわからないだろうね。
正面の扉は鍵がかかっているらしく、クリスティーナは僕を乗せて店の裏口に回った。
そして鍵を開けて店の中に入る。
そこは倉庫だった。
(おいおい、なんだよ、この店)
僕は店に入って、その異常な光景に絶句した。
床に一面、転移陣が敷き詰められていた。しかも、遠隔型の強制転移陣だ。
いったい誰がこんなことを……ってまぁ、コーマしかいないだろうけれど。何の目的でこんなことをしているんだ?
「あら、クリスさん、どうしたんですか? こんな朝早くに」
そう言って緑色の髪のエルフの少女が店の方から近付いてきた。
話には聞いたことがある。たしかメイベルというこの店の現在のオーナーで、この町一番の大富豪だ。
メイド服を着ていて、指にミスリルの指輪、耳に通信イヤリングをしているほかは装飾品を全く身に着けていない。もっともミスリルの指輪ひとつで、村をふたつやみっつくらい買えると言われているので、決して質素な身なりとは呼べないが、何も知らない人が見たら大富豪には見えないだろう。
少なくとも贅沢をしているようには見えない。
「あ、ちょっと店の様子を見るようにコーマさんに言われて」
クリスティーナは下手な言い訳をするが、こいつが悪い人間でないことはメイベルも知っているらしく、特にそれ以上追及してこなかった。
「あれ、その人形……鑑定で見えませんね……レア度無しの人形?」
メイベルが僕を見てそんなことを言った。鑑定スキル持ちか。僕は人形だが命があるひとつの生命体だ。鑑定で見ることはできない。
だからといって、レア度無しと決めつけるのはやめてもらいたい。
「……でも造りはしっかりしていますね。うん、銀貨三枚」
メイベルは僕を見てそんなことを言った。
待て、それは売り値か? 仕入れ値だとしても安すぎないか?
糸を伸ばして操ってやろうかと思ってしまうが、そんなことをしてコーマに知られたら今度こそ怒られるからな。
こいつもコーマのお気に入りなのは明白だし。
「あの店の方を見てきていいですか?」
「あ、はい。開店まであと二時間ありますからどうぞ。私は倉庫の整理をしていますから、なにか必要なものがあったら言ってください」
「ありがとうね、メイベル」
大抵の相手に敬語を使うクリスティーナは、メイベルにはタメ口だ。それはメイベルを下に見ているというわけではなく、いい意味で対等に見ているということだろう。
(いい意味で対等……か)
そこまで考えて、カリーヌの僕への態度を思い出す。カリーヌは僕のことを対等と見ているのか。
……一瞬ほだされそうになったが、あいつと対等というのはやはり腹が立つな。
クリスティーナの肩に乗り、僕は店の中に向かった。
照明もまだつけられていないが、窓から差し込んでくる光のおかげで暗さをあまり感じることはない。
誰もいないことを確認し、僕は口を開いた。
「……クリスティーナ、手を出してくれ」
「なんですか?」
僕は転移石を入れている方とは反対のポケットに手を入れ、そこから金貨を一枚取り出し、クリスティーナに渡した。
「マネットさん、なんですか? このお金」
「それで、そこの糸を買っておいてくれ」
「……あの、このお金はどうやって手に入れたんですか? マネットさんって働いていませんよね?」
「働いてるよ! コーマに命じられてゴーレムを作ってるだろ? それに見合った給料はちゃんとコーマから貰ってるさ」
「え!? マネットさん給料を貰ってたんですか!?」
意外だという感じでクリスティーナが叫んだ。
「僕だけじゃなくて、ルシル以外は全員給料をもらってるぞ? もっとも、全員お金はあまり必要にしていないからほぼ全員貯金しているがな」
ゴブカリやマユは自分の配下の魔物のために使っている。
ちなみに、買いに行くのはマユの役目だ。実はあの人魚魔王はこの店の常連客らしい。
「いくらですか?」
「月金貨20枚だ」
「ずるいです! 私もコーマさんと交渉して月20枚給料を貰えるようにしてみます」
「クリスティーナは本来、従者に給料を渡す立場だろう」
「あ、そうでした」
うっかりしていたと言わんばかりにクリスティーナは笑った。まぁ、今のコーマは従者としての役目を果たしているとは言えないので、給料は未払いでも問題ないだろうが。
「クリスさん、何か話し声が聞こえますけど、誰かいるんですか?」
クリスティーナが騒がしくしているせいでメイベルが戻って来た。
僕は咄嗟に人形の真似をして動かないようにした。
「あ、なんでもないの。それより、この糸を貰っていきたいんだけどいくら?」
「銀貨20枚ですよ。とても貴重な糸ですから」
クリスティーナが「え、こんな糸が銀貨20枚?」という顔をしていたが、貴重な糸なのは見ればわかる。値段も妥当だ。
お金を払うと、僕たちは今度は店を出て、喫茶店に向かった。
かつて、コメットを操りお茶を飲んだ店だ。
もっとも、僕は人形なのでお茶など飲む必要はない。それでも、クリスティーナが朝ごはんをまだ食べていないというので、朝の時間限定で行っているパンと紅茶のセットを注文させた。ここの代金は僕持ちだ。
オープンテラスのため、町を行き交う人が良く見える。
母親に抱きかかえられた女の子が僕を見て、物欲しそうな顔で、僕に手を伸ばしてきた。見る目のある子どもだ。
と町人見物をしていると、急にクリスティーナが僕を椅子の上に下ろして立ち上がった。
(どうした?)
僕は周囲に聞こえないようにそう尋ねた。
(ちょっと……行ってきます)
行く? どこにだ?
(置いていかれたら困るんだが。どこに行くんだ?)
(だから……までですよ)
(よく聞こえないぞ?)
(だから……レまでですよ)
クリスティーナが少しだけ声のボリュームを上げた。
(聞こえない。もっと大きな声で言ってくれ)
「だから、トイレに行くんですよっ!」
大きな声で叫んでしまったため、周囲の視線をクリスティーナは一身に集めた。
彼女は顔を真っ赤にしてトイレに逃げ込んだ。
本当は三回目には聞こえていたんだが、少し意地悪をしてみた。コーマがクリスティーナを揶揄うのは面白いと言っていたのはこういうことか。
それにしても、僕をこんなところに放っておいて……ん?
横を見ると、大きな顔があった。
……犬か?
茶色い毛の大型犬がいた。
そいつと目が合った。
「バゥワゥっ!」
犬が大きく吠える。鬱陶しい。
そう思った時、その犬はあろうことか僕を咥えて走り出した。
まだ続きます。




