タラの修行旅~後編~
湖面に浮かぶ船を、某が櫂でこぐ。
船と並走するように魚がついてくる。湖底の苔の光のため、魚影は逆光となり、黒い影が如実に見えた。あれほど毎日獣人達に獲られているにもかかわらず、ここの魚は人を恐れることはない。もしかしたら、弱い魚を獣人に獲られることで強い種を残そうとする本能があるのかもしれない。
この湖には恐らく獣人以外天敵はいないのだろう。
いくら食糧が豊富にあるからといって、延々とその数を増やせば滅亡するかもしれない。
主から聞いた話だが、水の中にも空気が溶けていて、それがないと魚は生きていけない。
そして、その空気を生み出すのが水草であり、空気を生み出すには光が必要だと仰っていた。
このヒカリゴケは魔素を吸収することで光を放ち、その光で空気を生み出しているのだとするのなら、ヒュドラが滅びれば、ヒカリゴケも魚も全滅するのだろう。
本当にヒュドラはこの湖を守っているのだろう。
だが……、
「……マイナ殿、すまない」
「え?」
某の手刀がマイナ殿の後ろ首に叩きこまれた。
かなりの手加減をして、本来なら気を失うどころか痛みも感じないはずだが、急所を捉えればこのような芸当も可能だ。
これもゴーリキの時に学んだ手法だ。
コメットにも教えて、某を練習台として修行させたが、まだまだ完ぺきとは言えないので、某以外の人間には使わないように言ってある。普通の人間に使えば首が飛ぶ強さになることが30回中1回はあるからだ。
気を失った彼女を船の上に寝かせ、某は船を進めた。
そして、ヒュドラも某が近付いて来たため、その顔をあげる。
だが、それでもいまだに三つの首のうちの二つは眠ったままだ。
浮島の端に船を止めると、小船から跳び、ヒュドラの前に着地した。
某のことを贄と思ったのか、ヒュドラがその首をこちらに近付けてくるが、その動きが止まった。
某が剣を取り出したからだ。
「……悪いが、某はお主に食われてやるわけにはいかぬ」
某がそう言うと、ヒュドラは大きな唸り声をあげた。
眠っていた二つの首が起き、三つ首、六つの瞳がこちらを見据えた。
どうやら、こやつも戦う気のようだ。
眠っていたふたつの首は炎を吐きだした。
うむ、なかなかの威力だ。
某は剣を回転させ、強風を起こす。
炎のブレスを追い返そうとする。
……これはきつい……と思った。
剣で風を起こしてドラゴンの炎を返す話を童話で見て、いつかしてみたいと修行した時期が某にもあった。
だが、実際にやってみたらこれほど疲れる技はない。
某は剣を回すのをやめ、その炎をふたつに叩き割った。
「最初からこうするほうがいい」
某の左右を炎が通り抜けた。
本来なら避ければいい炎だったが、某の背後には、マイナ殿が眠る小船がある。
「……うむ、背後を気にする戦いも悪くない」
かつてグー――今のコメットを守るために戦い、傷つき、倒れたところをルシル殿に召喚され生き延びた。
あの時の雪辱を晴らすという意味を勝手に持っては背後のマイナ殿にも、目の前のヒュドラにも失礼なのはわかっているが、思わず笑みがこぼれた。
主には感謝しても感謝しきれない。
「悪いが、終わらせてもらう」
剣を置き、某が本気で跳んだ。
真ん中の首の後ろに手刀を叩きこむ。
そして、真ん中の首は気を失った。
「この程度で十分か」
そう呟くと、某は懐からふたつの茶色い塊を左右のヒュドラの口の中に放り込んだ。
それは魔物餌。主が、我々が純粋なコボルトだった時代に作ったものだ。
ヒュドラはそのふたつの魔物餌を食べると、某に首を垂れた。
純粋な力と、この魔物餌。かつて主が狂走竜を飼いならした時に使った手法だ。
「その様子だと、体はもういいみたいだな」
ふしぎなことがあった。
ヒュドラは、何故獣人を食べるのか?
食料なら魚で十分だ。嗜好として食べるのなら、年にひとりというのは少ないし、そもそも乙女である必要がない。
予測はしていたが、ヒュドラを見て確信した。
ヒュドラは眠るとき、三本の首のうち一本が眠り、二本が起きている。
だが、このヒュドラは二本の首が眠っていた。
弱っていたのだ。
その原因が、魚であることは明白だった。
この魚の主食であるヒカリゴケは本来毒性のある苔だ。
魚たちは毒を食べても平気なようだが、それでも魚の中で毒素はさらに変化した。ヒュドラの中に毒素はたまっていった。その毒を取り除く抗体を得るために、ヒュドラは恐らく獣人を食べることにしたのだろう。
獣人の血液には毒への抗体があるから。
そして、女の獣人の場合、子供を産むことでその抗体の一部が失われる。
だから、ヒュドラは乙女を望んだのだろう。
だが、その毒も、主が作った魔物餌の前では無効のようだ。
まったく、主の作った魔物餌には恐れいる。
原材料にアルティメットポーションを使って作っているのだから、当然といえば当然だが。
魔物餌を食べたことで体内の毒も完全に失われ、気を失っていた真ん中の首も目を覚ましていた。
「お主には、これからもこの湖と獣人を守ってもらいたい。頼めるか?」
某の問いに、ヒュドラは首を垂れた。
それが彼の返事であった。
※※※
「ということで、守り神が生贄を求めることはなくなった。年に一度、これをヒュドラに捧げればいい」
某は目を覚ましたマイナ殿、長老、村の人たちに説明をし、主から貰った魔物餌を三百袋渡した。
一袋に三十個入っているから、九千個。
一度に二個使っても四千五百年は無事だろう。
主が作った魔物餌だ。根拠はないが、腐ることもないだろう。
「……勇者殿、なんと御礼をいったらいいのか」
「礼はいらぬ。某は村の者誰にも相談せず、身勝手に守り神を服従させ、薬を飲ませた。もしも守り神が服従しなくても、薬が効かなくても、どちらもこの村の不利益になったかもしれぬ。全ては某の身勝手なこと。責められることはあれど、感謝されることはない」
「しかし……」
「これで失礼する」
そう言うと、某は呼び止める声を聞かずに、獣人達の村を去った。
「タラ様!」
洞窟を出たとき、後ろからマイナが大きな声をあげて某の名を呼んだ。
「ありがとうございました! このご恩は一生忘れません!」
某は一度歩みを止め、そして足を前に出した。
その言葉だけで報酬としては十分すぎた。
※※※
そして、某は魔王城に戻ったのだが、
「タラ、今まで何をしていたの?」
コメットが笑顔で仁王立ちしていた。
「……ヒュドラと戦っていた」
「そう、今日は夕ご飯抜きね」
彼女のその言葉を聞き、朝食も昼食もとっていないことを思い出した。
この時、先ほど渡した魔物餌を一袋残しておけばよかったと思った。




