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リセット  作者: 桐条京介
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 すでに水町玲子との同棲生活は経験しており、アルバイトと大学での勉強を両立させる方法も知っている。

 同じ人生を繰り返しているわけではないが、コツがわかっているので、よりスムーズに生活を楽しめている。

 水町玲子とは喧嘩もなく、幸せな日々を送っている。母親の梶谷小百合が遊びに来ていなければ、恋人を最優先に活動していた。

 おかげで母親へ変に嫉妬されたりもせず、想像していたとおりの日々を送れている。

 正月には二人揃って地元へ帰り、それぞれの実家でのんびりする。もちろん、両家による宴会なども開催される。

 前回の人生よりも水町家と梶谷家の仲は良くなっており、玲子と小百合が会話をする機会も圧倒的に増えていた。

 そして大学生活も終わりに近づけば、当然のごとく結婚の話題が持ち上がる。

 こちらも以前の人生で経験しているため、婚約の際のやりとりなどは潤滑に行われた。

 哲郎と水町玲子は晴れて婚約者となり、大学卒業と同時に結婚するのが決定した。

 就職先はもちろん水町家の工場であり、バブル最盛期から崩壊までの流れを知っている哲郎に慢心はない。最低必要減の設備投資と手を広げすぎない業務計画で、会社を長く繁栄させてみせる。

 大学の卒業式後は約束どおりに地元へ戻り、哲郎と水町玲子は揃って水町家の工場へ就職した。

 結婚式も無事に行われ、玲子の苗字が水町から梶谷へ変更される。そして、しばらくは梶谷家で同居する形になった。

 今回は最初から独立するのもありかと考えていたが、是非にと梶谷小百合が提案してきたのだ。

 猛プッシュされれば断りきれず、哲郎が承諾した以上、嫁である玲子が異論を唱えられるはずがなかった。

 この間の人生ではとんでもない結末に遭遇したが、今度は問題ない。哲郎もフォローするつもりでいたし、なにより玲子と梶谷小百合の仲は格段に良くなっていた。

 勤め先の会社でほぼ全権を任されつつある哲郎と違い、水町玲子の業務は総務となる。しかも母親が手伝ってくれるので、作業量はあまり多くならない。

 あまり長時間、家を空けてなくてもいいようにと水町の両親が気を遣ってくれたのだ。これに甘えて、玲子は哲郎より早めに帰宅できる態勢が整った。

 これまでの経験があるので心配になったりもするが、かといって哲郎が仕事を途中で切り上げて帰宅するわけにもいかない。

 水町家の長女と正式に結婚したのもあり、入社直後から責任ある立場にされていた。

 新入社員へのいきなりな特別待遇に他ならないが、現在会社に在籍している社員から異論は起こらない。

 というのも、高校生時代から哲郎がアルバイトとして会社で働いていたからだ。誰よりも大量に所持している知識を活用し、見事に経営を軌道に乗せた。

 おかげで社員たちの給料も大幅に上昇しており、疎まれるどころか哲郎は高校生の頃から感謝されていた。

 水町玲子と交際してるのも公然の事実だったので、いつ結婚するのかと冷やかされたものだった。

 現実に夫婦となり、大学を卒業した哲郎が第一線で働くのは当たり前であり、他の社員にしても違和感を覚えないみたいだった。

 対人関係にあまり悩まず仕事ができるので、哲郎にとっても嬉しい限りである。あとは嫁姑問題が片付けば、万事上手くいく。

「どうだ、新婚生活は」

 本日の仕事もそろそろ終わりというところで、妻の父親でもある社長に声をかけられる。

 前回の人生からの嫁姑問題が辛くて……などとは口が裂けてもいえないため、普通に「幸せです」と応じる。

「父親にとって、娘の嫁ぎ先は気になるものだからな。その点、俺は幸せ者だよ。立派な若者のもとへ嫁にだせたんだからな」

 何度も頷きながら、社長はそう言ってくれる。その期待に応えるためにも、哲郎には全力で水町玲子を幸せにする責任があった。


「ただいま」

 水町工場の社長との会話を終えた哲郎は、真っ直ぐ自宅へ帰ってきた。

 もともとあまりお酒が好きではないため、同じ会社の社員と飲みに行ったりするケースは極端に少ない。

 本来なら先輩の誘いは断れない時代でもあるのだが、将来の社長になる可能性がある哲郎だけに周囲もある程度は気を遣ってくれた。

 それでも何か行事がある際には、できる限り参加するようにしている。やはり同僚と親睦を深めるには、飲食の場に同席するのが一番だからだ。

 だが現在は新婚というのもあり、きちんと仕事が終われば実家へ帰宅している。梶谷家では両親だけでなく、結婚したばかりの玲子も哲郎の帰りを待ってくれていた。

「おかえりなさい」

 出迎えるのは妻の役目とばかりに、姓を梶谷へ変更した玲子が真っ先に玄関へ来てくれる。

 哲郎の上着を預かり、出勤の際に使用しているバッグも持ってくれた。最初は悪いような気もしていたが、近頃はこれが当たり前になっている。

「今日もお疲れ様でした」

「玲子もお疲れ様。仕事に家事と、毎日ありがとう」

 相手を想うのも大事だが、なるべくなら言葉にした方がより明確に気持ちを伝えられる。

 これは哲郎が何度も人生を繰り返してきた上で、辿り着いたひとつの結論だった。

 すべてがすべて当てはまらないかもしれないが、これまでの人生経験から哲郎は自身の方針を覆すつもりはなかった。

 素直に気持ちを伝えすぎて駄目な結果になっているのならともかく、これまでは基本的に上手くいっている。

 すれ違いなどから不幸な結末も体験してきたが、例のスイッチのおかげで自分が納得する人生に変えられている。

「お義母さんと一緒に晩御飯を作ってるけど、もう少しかかりそうなの。お風呂の準備はできてるから、先に済ませてしまう?」

 お礼を言われて、はにかむような笑顔を見せてくれている妻が、そのように伝えてきた。

 梶谷小百合と一緒に料理を作っているくらいなのだから、とりたてて仲が悪くなってるとは考えにくい。

 そもそも前の人生では、玄関先で帰宅した哲郎を出迎えてくれたのはほとんどが梶谷小百合だった。

 妻の玲子は梶谷小百合の背後に、どこか怯えながら立っていた。哲郎が帰宅した際には、わずかに安堵してるようにも見えた。

 そんな光景が頭の中に残っているだけに、現在の状況はとても新鮮だった。そして、これこそが哲郎の望んでいた日常のひとこまでもある。

「じゃあ、先に風呂へ入らせてもらおうかな」

「わかりました。お背中……流しますか?」

 これまでそうした発言はあまりなかっただけに、哲郎は思わず「え?」と間の抜けた声を発してしまった。

「うふふ。哲郎君……じゃなかった。あなたの照れた顔なんて見たの、どれくらいぶりかしら」

 そう言って、悪戯っぽく妻が微笑む。背後の台所からは美味しそうな匂いが漂ってきて、哲郎の食欲をくすぐる。

 冗談だと知って怒るよりも、むしろ妻が可愛らしく思える。本当に自分は玲子に惚れているのだと、改めて実感した。

「急にサービスが良くなったから、何か良いことでもあったのかと想ったよ」

「あら。良いことなら、毎日あるわよ」

「毎日? それは豪勢だね」

「ええ。哲郎君と結婚してから、私はずっと幸せだもの。それが一番の良いことよ」

 毎日の良いこと。それは哲郎との結婚によってもたらされる幸せ。聞いた瞬間に、力いっぱい妻を抱きしめていた。

 最初は痛いよと言っていた玲子も、気がつけば哲郎の背中へ手を回していた。

 お互いに強く抱きしめあったあとで、哲郎はお風呂へ、そして玲子は台所へ向かった。


 月日が経つのは早いもので、哲郎と玲子が結婚してから数年が経過していた。

 前回の人生で遭遇した困難は兆しすら見当たらず、順調極まりない日々を遅れている。

 これもすべて例のスイッチのおかげと感謝しながら、平和な毎日を満喫する。

 会社で信頼できる人々に囲まれながら仕事をして、家に帰れば愛する人たちと会話をする。

 これほどまでに満たされた人生があったのかと満足し、もうスイッチに頼らなくてもよいのではないかとも思えてくる。

 何度も哲郎の道を明るく照らしてくれたスイッチは、引き出しの中でゆっくり眠っている。

「あなた、どうかしたの?」

 一日の終わりに、居間でボーっとしていた哲郎に愛妻が声をかけてくる。

 若かりし頃も十分に綺麗だったが、歳を重ねるごとにその美貌はさらなる境地へ達しようとしていた。

 義理の母である梶谷小百合との関係も良好で、前回の人生のように家出をしたりもしない。順風満帆という表現が相応しかった。

「いや、考え事をしてたんだ」

「考え事?」

 ちゃぶ台に置かれていた湯飲みが空になっていたのを確認した玲子が、新しい緑茶を急須から注いでくれた。

 ふわりと湯気が立ち上り、心地よい熱と一緒に美味しそうな匂いを運んでくる。

 鼻腔で緑茶独特の香りを楽しんだあと、お礼を言ってから哲郎は両手で持った湯のみに口をつける。

 軽くさましてからひと口飲み、湯のみを静かに置くと、妻の玲子が「何を考えていたの」と尋ねてきた。

 隠す必要もないので、哲郎はかすかに笑みを浮かべながら答える。

「人生についてさ。これまでの過去を振り返りながら、これからの未来に胸を躍らせようと思ってね」

「あら。あなたは、意外にロマンチストでしたのね」

「もっと前に気づいているかと思ったよ」

 居間に響く哲郎と玲子の笑い声に引き寄せられるように、台所から梶谷小百合もやってくる。

 ギスギスした雰囲気はなく、自然に会話へ加わり、新たな談笑が開始される。

 そうして夜も深まれば、哲郎は玲子と二人、自室でゆっくりと過ごす。何にも変えがたい幸せな日々。これがずっと続くのだと哲郎は確信する。

「玲子……愛してるよ」

「急にどうしたの? でも、嬉しいわ。私もあなたを愛しているもの」

 互いの温もりを感じられれば、それだけで幸せな気分になる。妻の玲子も同じだったみたいで、心からの笑顔を見せてくれている。

「何があっても、私たち……ずっと一緒よね」

「もちろんだよ。俺が玲子を手放すはずがないだろ」

 照れ臭さを覆い尽くすほどの愛情が、哲郎に正直な気持ちを話させてくれる。

 恥ずかしがってばかりでは相手に何も伝わらない。後に気恥ずかしくなったとしても、今の気持ちを大事にする。

「俺たちは……これからも幸せに生きていくんだ」

 自らの腕の中で寝息を立てようとする愛妻に、哲郎は静かに囁きかける。

 数多く例のスイッチに頼ってきた。おかげで哲郎は、幸せな人生を歩めている。少しばかり他人に申し訳ない気もするが、至福の現在を返上するつもりはなかった。

 このままお金を貯めたら、周囲に祝福されながら独立しよう。そして子供も何人か作れればいい。そんなふうに考えて哲郎は目を閉じる。

 ――その瞬間だった。急にすべてが崩れるかのような感覚に襲われる。慌てて目を開けば、瞼を閉じていた時と変わらない暗闇が周囲を包んでいた。

 何だ。一体何が起こっている。玲子? 玲子はどこだ。

 叫ぼうとしても声が出ない。訳がわからないまま、哲郎の意識は漆黒の闇の中へ落ちていく。

 そしていよいよ意識が途切れる直前、哲郎は誰かの声を聞いたような気がした。

 ……今回の人生も駄目だったな。仕方がない。リセットをしよう。

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