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リセット  作者: 桐条京介
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 そもそも、このスイッチは誰が一体どのようして作製したのだろうか。哲郎が本来存在してるべき時代の科学力を総結集しても、作れるとは到底思えなかった。

 傍目には単なるスイッチにしか見えなくても、これは紛れもなくタイムマシーンと呼べる代物だった。

 もしやあの老婆は人の形をしてただけの地球外生命体で、地球より遥に進んだ科学力を試すために、あえて哲郎みたいな人間をモルモットに選んだのではないか。一瞬でも、本気でそう考えた自分自身に苦笑する。

 謎多いアイテムではあるものの、一足飛びにそうした結論へ辿り着くには短絡的というものだ。しかし、どれだけ答えを求めたところで、哲郎の頭の中には存在するはずもなかった。

 例の老婆に聞ければ話は早いものの、過去に戻ってきた現状では、どこにどう行けば会えるかなんてまったくわからない。要するに、このスイッチが何なのか考えたところで、徒労に終わるだけなのである。

 いずれわかる時がくるかもしれないということで、とりあえずスイッチを作ったのはどのような文明なのかという異質な考察を終了する。

 とにかく、これまででわかったのは、哲郎はもう好き勝手に過去へ戻れないということだった。

 自由に場面を選べるのは最初の一度だけで、以降はスイッチが分岐点だと認めたシーンにしか戻れない。理由は不明だが、そのようなルールであれば従うしかなかった。

 続いて哲郎は、次の注意書きへ視線を移す。スイッチの裏側には、他にもまだ読むべき文章が存在していた。

 姿形は小学生でも、記憶や思考能力は大人と変わらない。よって、難しい漢字なども、従来の哲郎が知ってるものならば、問題なく読み書きできる。

「ええと……過去に戻った際でも、記憶や本来の人生で得た学習能力は蓄積される。ただし、運動能力に関しては、その時代のものに戻る」

 知識ならまだしも、運動能力が過去への移動を繰り返すたび、際限なく蓄積されたら哲郎はあっという間に超人の域へ突入する。

 そうなったらマスコミ各局へ追い回され、時の人となった挙句に、人間離れした運動能力を解明するために様々な人体実験を施されるに違いなかった。

 いくら過去へ戻れるスイッチを所持してるとはいえ、そんな人生はごめんだった。

 であるならば、逆にこの制約は哲郎にとってありがたいものなのかもしれない。この項目はあまり気にする必要はないなと、その下の段へ移る。

「一度過去へ戻った際の記憶であっても、次に過去へ戻った人生に引継ぎされる。脳細胞の劣化などを始めとした副作用は存在せず、本人が忘れない限りは青天井で増え続ける」

 手に入れた記憶はすべて哲郎のもので、何度自分の人生における過去へ戻ろうとも損なわれることはない。読み終えたばかりの文章を要約するとそうなる。

 この機能――というべきかどうかはわからないが、ともかく知識を繰り返し増やしていけば、世界有数の学者として名前を残すのも夢ではなかった。

 何せ未来の記憶を得たまま、過去へ戻れるのだ。様々な種類の抗菌薬が、どのようにして生まれたか覚えておけば、一躍哲郎は超がつくほどの有名人になれる。

 そうして富と名誉を手に入れれば、想像の産物でしかなかった金と女に囲まれた生活を送るのも可能だった。

 まさに夢の装置であり、どうしてこのスイッチをあの老婆がくれたのか、改めて哲郎は不思議で仕方なかった。

「喜ぶのはあとにして、とにかく注意書きを全部読んでしまうか」

 面倒臭いからといって、注意書きの確認を後回しにした挙句、人命に関するような禁忌を見逃していたら困る。

 こういうケースでは、慎重になりすてもいいくらいだった。そのためには、常に冷静でいる必要があった。

 頭では充分に理解しているが、スイッチの能力を知れば知るほど、興奮から鼓動が加速する。興奮が暴走しないようにするだけで、正直、精一杯だった。


「譲渡しない限り、所有権は使用者へ帰属し続ける」

 つまりは、誰かにあげたりしなければ、永遠にスイッチは哲郎のものになる。

 その下の行には、他人へ所有権を譲渡する方法が書かれている。

「他者へ譲渡する場合には、過去へ戻りたがっている人間と縁を結んだ上で、権利者自らが譲渡したい者へスイッチを手渡しする必要がある」

 声に出して読んでみたが、ずいぶんとややこしい条件が含まれていた。

 さらに、手渡しただけでは権利は移行されず、譲渡された者がスイッチを使用して、初めて所有者として認められるとある。

 しかも文章には、まだ続きがあった。

「手渡された者が三日以内に使用しなかった場合、スイッチは従来の権利者の元へ戻り、二度とその人物への権利譲渡はできなくなる」

 受け取る場合は簡単だが、相手へ権利を渡すのはずいぶん苦労を必要とする内容だった。

 過去へ戻れるなんて絶大な権利を手に入れられるだけに、不穏な売買を危惧したのだろうか。とはいえ、このスイッチがあれば、恐らくはお金に困らない。何故なら、この世にはギャンブルがある。

 いつどの時間、どの場所で宝くじの一等が出た。どの台で、ラスベガスのスロットが大当たりしたかなんてのもわかる。

 一番手っ取り早いのは競馬かもしれない。競馬新聞を毎日チェックして、万馬券が出た日付とレース、馬の番号を記憶しておけばあっという間に大金を手に入れられる。

 わざわざスイッチを売ってまで、金銭を得る必要がないのである。

 手放すとしたら、過去へ戻る必要がなくなった場合か、哲郎にスイッチをくれた老婆みたいに未来を諦めた人物程度だった。

 けれど例の老婆にしても、スイッチを使えば輝かしい人生を手に入れられるまでやり直せる。にもかかわらず、過去へ戻りたがらずに哲郎へ権利を譲渡した。

 三日以内にこうして過去へ戻ってきたことで、スイッチの権利者は哲郎になっている。

 だが、スイッチを譲渡する理由が思いつかない。何せ、これがある限り、哲郎は永遠の命を手に入れたも同然なのである。

 寿命で力尽きる前に過去へ戻れば、何度でも人生を繰り返せる。まさに凄まじいのひと言に尽きた。

「……待てよ。万が一、事故とかにあった場合はどうなるんだ?」

 例えば、いきなり交通事故等に遭遇した場合、悠長にスイッチを押してる時間があるとは思えなかった。

 不安に駆られた哲郎は、注意書きをよりじっくり読んでいく。すると丁度、疑問点についてピンポイントで書かれている一文があった。

 ――事故等で生命を失った場合、自動的にスイッチが作動して、権利者を直近の分岐点となる過去へ運ぶ。その際のペナルティ等は、一切発生しない。

 要するに、スイッチによって戻れる過去場面まで、勝手に連れて行ってくれるというのだ。文字どおり、完璧なシステムだった。

 しかし言葉を変えれば、自分の命を勝手に失うような真似はできないともとれる。

 だからこそ、老婆は嫌気がさして、哲郎へスイッチをくれたのかもしれない。使い方を一歩間違えれば、確かに厄介なシステムである。

 とはいえ、対処法がないとは思えなかった。

 満足する人生を送れて老齢になり、余命幾ばくもないとわかったら、縁を作った人間にスイッチを譲渡すればいいのだ。そうすれば、真っ当に生命活動を終了できる。

「そうなると……あの老婆がどうしてスイッチをくれたのか、ますます謎になるな」

 ボロボロだった身なりで、行き倒れていた姿からは、老婆が充実した人生を過ごしてきたとは考え辛かった。

「……他人のことを、気にしすぎても仕方ないな。せっかくの権利だ。大事に使わせてもらおう」

 注意事項を読み終えたところで、哲郎はスイッチを勉強机の引き出しにしまうのだった。


 母親からやるように言われていた宿題を終えるのに、たいした時間はかからなかった。

 本来の哲郎が小学生だったのはかなり昔であり、どんな授業をしたかも半分以上忘れている。

 けれど小学生レベルの問題で苦労するほど、哲郎が積み重ねてきた知識は脆くなかった。

 実際に取り組んでみると、我が国内における若年層の学力上昇の軌跡がよくわかった。

 恐らくは六十数年後の未来より、この時代の小学生の勉強はずっと簡単だった。

 当時は相当に難しく感じられ、勉強なんて嫌いだったが、未来――哲郎にとっては現代だが、そこから戻ってきた者にとってはさして努力など必要なかった。

 これから年数が経過して中学、高校と進学していけば事はそう容易でなくなるかもしれないが、本来の人生で真面目に勉強をしていた哲郎には順応できる自信があった。

 だからこそ、勉学に関しては、特に心配はしていない。むしろ案ずる必要があるのは、異性関係である。

 何せ本格的な恋人ができたのも、いわば二度目の人生となる今回が初めてなのだ。考えるほどに、不安ばかりが募ってくる。

 そんな哲郎に大丈夫だと安心させてくれるのが、勉強机の引き出しに入っている例のスイッチだった。

 スイッチが認めた場面でなければ戻れなくなったとはいえ、過去へ行ける能力が備わってるのには間違いない。不便な点があるとすれば、スキップ機能がない程度である。

 スイッチの裏の注意書きにもあったが、過去に戻ったあとは一日、一日をしっかり送る必要がある。

 都合よく、様々な出来事に対してこれまでと同じ対応でセッティングして、あの場面まで早送りなんて荒技は使えない。下手をすれば何回、何十回と同じ日常を通り過ぎることになる。

 さすがにそれは少し面倒かもしれない。とはいえ、こんな便利な機能が、何のリスクもなく手に入れられるとは思ってなかった。

 このぐらいであれば想定の範囲内で、特別に問題視する必要もない。使用する言動の変更などによる、多少の変化を楽しむのも一興だと哲郎は考えた。

 夕食の時間になり、仕事から帰宅した父親と一緒に家族三人でご飯を食べる。

 この時代には、まだ男尊女卑の傾向が強かったので、ちゃぶ台のど真ん中に父親が座る。

 母親は胡坐をかく父親の隣に正座しており、哲郎や父親の世話を懸命にしてくれる。

 別に小百合が特別亭主関白なのではなく、これが基本的な夫婦の形として哲郎が住む地方には根付いていた。

 大人になってからは、必ずしもそういう家ばかりでないのを知ったが、この頃の哲郎が未来で得れる情報を所持してるはずもなかった。

 現在の哲郎が異質の存在なのであり、当時はこの光景が当たり前だと思っていた。

 過去の思い出が現実になったのを知り、懐かしさを覚えた哲郎は不覚にも、また目頭を熱くする。

 だが晩御飯の席でいきなり泣いたりすれば、学校でいじめられてるのかという話にもなりかねない。哲郎の父親は厳格というより、奔放主義者でもあった。

 そのため、勉強をしろなどの無理強いはせず、常に哲郎の意思を尊重してくれた。

 それでいて、いざという時には必ず助けてくれる。他の家では放任主義に見えたらしいが、父親は充分に愛情を注いでくれていた。

 もっともそのことに気づくのは、今よりもずっと後になる。その時になって、もっと親孝行しておけばよかったと後悔する。

 哲郎だけに限らず、大体の子供たちがそうなのかもしれない。夕食の席上で、少しだけひとりしんみりとなる。

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