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リセット  作者: 桐条京介
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 無事に合格した高校の入学式があった日の夜。例のごとく、哲郎は水町家へお邪魔していた。

 今日ばかりは家へ帰ろうかとも思っていたのだが、水町玲子に誘われて寄っていたら夜になり、そのまま相手方の両親に食事へ誘われた。

 すでに何度となく一緒に食卓を囲んだ経験があるので、特に違和感は覚えない。むしろ当たり前のような気分になる。

「いや。今日はめでたいな」

 家主でもある水町玲子の父親が豪快に笑う。工場を経営しており、業績もすこぶる順調らしかった。

 運営資金を持ち逃げされた未来は悲惨な末路だったが、そこさえ乗り切れば他社が羨むぐらいの好景気へ突入していたのだ。現在の状況が、それをよく物語っている。

 食卓にも、それこそ鯛のお刺身など、豪華絢爛な食事が並んでいる。哲郎の自宅も裕福と呼べないまでも、それなりの収入はある。だが水町家とはレベルが違った。

 もっとも水町工場も大手企業とは言い難いので、大金持ちとまではいかない。あくまでも小さな町の中では、有名な小金持ちといったところだろうか。それでも、食べるのに困ってる家庭もあるこの時代では、充分に幸せだった。

 従業員の給料も適度に上げているみたいで、傍から見ている分には経営者へ不満を覚えている気配は感じられない。人に騙されやすい一面はあるものの、水町玲子の父親が優秀なのがわかる。

「本当は乾杯といきたいところだが、哲郎君はまだ未成年だからな」

 愛娘の水町玲子が志望校へ合格した際も嬉しそうだったが、今夜はより一段と喜んでいる。

 一度着替えた娘に再び制服を着てもらっては、瑞々しい高校生姿に感動の涙を流す。玲子の成長ぶりに目を細め、普段は工場の経営者とは思えないくらいに頬を緩める。

 最初は微笑ましげに見ていた水町玲子の母親も、次第に呆れ気味の表情を浮かべるほどなのだから、いかに感極まってるのかが他者でも簡単に理解できる。

「もう、そのぐらいにしておいてください。今夜は哲郎君もいるんですよ」

「おお、そうだった。すまないね。せっかくのお客様をないがしろにするような真似をしてしまった」

 謝罪の言葉と同時に、水町玲子のファッションショーも終了する。部屋へ戻って着替えてくると言い残し、ひとり食卓から立ち去る。

 哲郎だけが残され、場には愛する恋人の両親が揃っている。本来なら気まずくなって当然なのだが、水町家の食卓には一切そうした雰囲気は発生しなかった。

「こうして、今を楽しんでいられるのも、すべて哲郎君のおかげだよ。あの時に、運営資金を奪われていたら、今頃は家族揃って路頭に迷っていたはずだからね」

 水町玲子の父親が言うあの時というのは、もちろん田所六郎と佐野昭雄による盗難事件が発生しかけていた夜のことだ。哲郎の策が見事にハマり、二人はいまだ警察の厄介になっているはずだった。

「気にしないでください。それにお礼なら、日中に娘さんからしてもらったばかりです」

 哲郎の返しに、水町玲子の父親が「そうか」と笑う。奥さんも微笑んでおり、二人とも心を許してくれていると実感できる。

「玲子と哲郎君は、本当に仲が良いわね。周りから、羨ましがられるのではないかしら」

「そうだな。しかも女性側の両親が公認となると、そうそう見当たらないぞ。哲郎君は果報者だな」

 確かにそのとおりである。普通は高校生、ましてや哲郎と玲子の場合は小学生の頃から交際している。始めのうちこそ、子供の恋愛ごっこと高をくくっていても、中学生くらいになってくるとそうもいかない。

 不純異性交遊へ発展して、変な道へ行かないように親が介入してきて別れさせる。そんなパターンが一般的だった。

 ところが哲郎の場合は例の事件を解決した功績もあり、中学生にしてすでに交際の許可をもらったどころか、水町家の出入りを含めてかなりの自由を保障されていた。

 おかげで玲子の部屋で二人きりで勉強したりもできる。時折、様子見がてらに、玲子のお母さんがやってくるのはご愛嬌である。


 制服から部屋着に着替えた玲子が戻ってきて、本格的に入学式後のお祝いが開催される。

 高校へ合格したあともひと騒ぎしているのに、今回もである。意外と水町玲子の父親はイベント好きなのかもしれない。

 もっともパーティといった感じではなく、普段の食事内容が特別版になっているくらいの差でしかなかった。

「美味しい。哲郎君も、もっと食べてね」

 それでも鯛のお刺身なんて滅多に食べられないので、水町玲子はとても嬉しそうだ。頬張りながら見せてくれる笑顔ひとつで、哲郎もまた幸せな気分になる。

 水町玲子の父親もきっと同じなのだろう。一生懸命にご飯を食べるというよりかは、ちびちびと日本酒を飲みながら、場の雰囲気を楽しんでいる。

「そうよ。遠慮しないでいいのよ。哲郎君は、大事なお客様なんだから」

 水町家の母娘に似たような台詞を言われれば、仮に嫌いなものであっても食べないわけにはいかなかった。

 他人と会食している時だけは、好き嫌いが出ないように子供の頃から教育してくれた両親に感謝する。偏食気味だったりすると、場を気まずくするばかりで、あまりお祝いを楽しめなくなる。

「美味しく頂いています。ありがとうございます」

 丁寧にお礼を言いながらも、決して自分が一番先にならないよう気を遣ってお刺身等へ箸を伸ばす。夕食に招かれたお客様とはいえ、最低限の礼節は必要だ。

 話しかけられれば、会話にも笑顔で応じる。信用金庫で勤務していた人生で、長年かけて培ってきた対人用の技術だった。

 例のスイッチを使って過去へ戻れば、年齢こそ若返るものの、獲得した情報の増減はまったくない。従って哲郎は、人の何倍もの時間をかけて積み上げてきた知識を所持している。

 たいして勉強しなくとも優秀な成績を収め、いともあっさり県内有数の進学校に合格できたのもそのおかげだった。

 図書館で恋人と一緒になって勉強するどころか、家庭教師みたいに哲朗が教えるケースがほとんどなのだ。

 当初は同年代のくせにと嫌われたりしないか不安に思ったが、どんな問題でもすらすらと解いていく哲郎に相手女性は尊敬の念を抱いた。

 過去の人生における努力で、哲郎は恋人の少女からより強い愛情を抱かれるようになった。

 哲郎の優秀さは小さな町全体に知れ渡っており、果ては大臣かとまで噂されている。

 政治家になる難しさを知っている哲郎はさらりと受け流しているが、周囲の期待は否応なしに高まっている。

 近所に人間に声をかけられれば「そんなに簡単ではないですよ」などと無難に応じるが、謙虚な対応をすればするほど大物だなんて言われる始末。もはや手に負えそうもないので、あえて言われるままにしていた。

 確かに同年代の学生に比べれば、哲郎の学力は群を抜いている。何せ、大学を卒業した経験もあるくらいだ。

 以前の人生で、いかがわしい店で働く最愛の恋人を助けようと、必死になって勉強をした結果、ありあまるぐらいの学力を手に入れた。

 加えて社会人としての知識や経験もあるのだから、子供ながらにして大人っぽいと評されるのもある意味で当然だった。

 しかし高校、大学と進むにつれて、どうしても哲郎より優秀な人間は出てくる。何回も人生を犠牲にするつもりで、検事や弁護士になったりしてれば、さらに優秀さをプラスできるのはわかっている。

 問題は今現在、そこまでする必要があるかどうかだ。答えは「いいえ」であり、水町玲子と添い遂げられるのであれば、不必要な学力を求める必要はなかった。

 考え事を止めて、哲郎も楽しい夕食会での話に参加する。あとは適度なところで、帰宅しようと思い始めた時、水町玲子の父親が話しかけてきた。


「哲郎君は、アルバイトとかをしてみるつもりはないかな」

「アルバイト……ですか」

 いきなりの問いかけに相手の真意を掴みきれず、哲郎は曖昧な返事しかできなかった。

 よくよく思い出してみれば、何回かやり直した人生において、アルバイトをした経験はない。幸いにして、勉強に集中できる環境が元々哲郎の周囲に備わっていたためだ。

 母親が交通事故で他界したあとも、父親は男手ひとつで哲郎を進学させてくれている。自分で学費を稼ぎながら、学校へ通うという行為をしなくても済んだのである。

 現在の人生では水町玲子が隣にいてくれるため、無理をして勉強をする必要もない。適度に授業等へ参加して、恋人と一緒のキャンパスライフを送るのが当面の目標になる。

「お父さん、急にどうしたの」

 娘の玲子も初めて聞く話だったらしく、彼氏の哲郎へアルバイトを勧めた理由を尋ねる。

「いや。哲郎君が工場の機械にも詳しかったのを思い出してね。よかったら、ウチで働いてみないかと思ったんだよ」

 心の中で哲郎はなるほどと納得した。水町家が経営する工場も軌道に乗っており、新たな人材を増やせるだけの余裕も得た。

 とはいえ、いきなりの人件費増はあまり好ましくない。そこで、娘の恋人でもある哲郎に白羽の矢が立ったのだ。

 アルバイトなら社員を雇うより安く済むし、恋人の父親の頼みとなれば哲郎も断り辛い。なかなかに考えられた手法だと、自身の置かれた立場を一時忘れて哲郎は感心する。

「もちろん、無理にとは言わない。学業も大切だからね。やりたくないのなら、それでいいんだ」

 工場の社長でもある水町玲子の父親がそこまで言ったところで、場にいる人間の視線が哲郎ひとりに集中する。

「そうですね。頻繁に出勤できるかはわかりませんけど、可能ならやってみたいと思います」

 哲朗が前向きな返事をすると、水町玲子の父親は嬉しそうに顔を輝かせた。そんなに人手不足だったのかと、思わず首を傾げそうになる。

 恋人の少女も訝しげな反応を見せている中、玲子の母親だけが夫の意図を察したように唇の端を歪ませていた。

 実の娘である玲子は母親の微妙なリアクションに気づかなかったみたいで、父親の方だけを見て口を開く。内容は、自分も工場でアルバイトしたいというものだった。

「哲郎君がアルバイトするのなら、私もしたい。いいでしょう、お父さん」

「もちろんだ。今のうちから工場の雰囲気に慣れておいても損はないからな。玲子には経理を担当してもらおう」

 現在は経理担当の人員を雇っているみたいだが、安くはないらしい。ゆくゆくは娘が経理をひとりで担当できれば、さらに余分な出費をしなくても済む。

 きちんと将来を考えているんだと思った時、哲郎の中でとある推測がむくむくと起きだしてきた。

 哲郎に工場でのアルバイトを勧めだ恋人の父親と、それを聞いて意味ありげな微笑を披露した母親。組み合わせて考えるほどに、導き出される結論が限られてくる。

 いかにアルバイトとはいえ、工場で仕事をするのに変わりはない。哲郎は高校生の時点で、水町家に雇われている従業員と知り合う形になる。

 それどころか仕事の内容や、作業の流れも三年あれば充分に把握できる。大学に進むかどうかは別にしても、いずれ勤務するための下地を作るのが可能だった。

 まさかとは思ったものの、今さら相手の真意を確かめるような真似はしない。哲郎自身、どうしても信用金庫で働きたいわけではないからだ。

 大学には行くつもりだったが、卒業後であれば恋人の父親が経営する工場で働くのも悪くはない。哲郎はそんなふうに考えていた。

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