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リセット  作者: 桐条京介
19/96

19

「桜子!?」

 最初に声を上げたのは、水町玲子だった。

 小学生の頃からのおかっぱ頭が、すっかりと変わっていた。

 哲郎は最初誰だか気づかなかったが、当時から親友だった水町玲子にはわかっていた。

「あ、玲子じゃない。またデート? 本当に仲がいいよね」

 話し方も都会ぶってるというか、徐々に垢抜け始めている。

 隣にいる恋人の少女は唖然としていたが、実のところ哲郎はあまり驚いていなかった。

 巻原桜子が、中学生になってから一気に変わるのを知っていたからである。

 中学校卒業時には進学もせずに、アイドルを目指すとかの理由で上京したはずだ。その兆候が、現れ始めている。

 服装も制服ではなく、こちらではあまり見かけないものを着用している。

 すでにずっと先の世界の若者のファッションを知ってる哲郎にすれば、微笑ましいくらいだが、現在に生きる水町玲子の目には衝撃的に映っていた。

 証拠に恋人の少女は、目を丸くして口をポカンと開けている。こんな表情を見るのは、哲郎も初めてだった。

 それだけ親友の姿が、ショッキングなのである。

 しばらく会ってないとは聞いていたが、よもやこんな状態になっているとは、さすがに想像できてなかっただろう。ゆえに、先ほどの表情へ繋がった。

「……どうしたの、それ」

 尋ねたのは哲郎だ。先日までは確かに見慣れた髪型だったのに、わずか数日で服装ともども激変している。

 質問を受けた巻原桜子は得意気に胸を張り、自慢げに口を開いた。

「東京で買ってきたのよ。羨ましいでしょ」

 今も昔も東京には流行の最先端が揃ってると信じられ、若者たちの間で人気だった。

 加えて戦後復興の最中、全国各地から集まってきた働き手により、人口密度も急激に上昇している。

 テレビなどのメディアも登場し、それほど都会ではない哲郎の地元でも、話題の中心に東京があるのは珍しくない。それほどの存在感を放っていた。

 とはいえ、大半の学生は未だに近所を駆け回って遊んでいる。男が夢中になるのは、それこそプロレスや野球ばかりだった。

 誰がどのような服を着ていたかなどに興味はなく、そんなことを考える暇があるなら、仲間たちと野球でもして遊んでいる。

 昔の哲郎も同様であり、こうして恋人を作るなど考えたりもしなかった。

 思えば、本来の人生とはずいぶん違う道を歩いている。自ら望んだ結果ではあるが、なんだか変な気分がする。

 もっとも不快ではなく、これまでできなかった人生の姿に、むしろ満足していた。

「ご両親と、旅行にでも行って来たの?」

 問いかけた水町玲子をキョトンと見つめたあと、さもおかしそうに巻原桜子が笑いだした。

「中学生にもなって、冗談はやめてよ。皆で行って来たの。友達とよ」

 貯めたお小遣いを握り締め、電車の時刻表を調べて、稀にある連休を利用して東京めぐりをする。

 未来なら、さして珍しい話でもないが、この時代では少数派に入る。

 幼い頃の哲郎少年は、東京に行ったことはなかった。だからこそ夢を募らせ、漫画の中の世界が実現してるのではないかとワクワクした。

 初めて上京する頃には大人となり、そうした幻想は抱かなくなっていたが、とにかく人の多さに驚いた。

 日本で最初のマクドナルドもオープンし、ハンバーガーなどのファーストフードが本格的に日本へ導入された。

 珍しさに行列ができ、手軽に食事ができる便利さに、多くの人間が拍手喝采を送った。

 だが本格的に日本が近代化へ向かうのは、今の時代よりもう少し先の話。この時点で、すでに東京へ出向いて情報を仕入れてくるあたり、巻原桜子は同年代と比べても相当にマセていた。

 今にして思えば子供の背伸びでしかないが、当時はずいぶん格好良い印象を抱いたのを、今でもはっきり覚えている。


「友達とって……何かあったら、どうするの?」

 哲郎たちが住んでいる土地から、東京までは気軽に歩いて帰ってこられる距離ではない。水町玲子の心配も、もっともだった。

 けれど巻原桜子は悪びれもせず、親友の少女の心配を笑い飛ばした。

「中学生にもなって、何を言ってるのよ。もう立派な大人じゃない。恋だって、できるのよ」

 どのような思考回路を経て、そうした結論が導き出されたかは不明だが、巻原桜子の顔は本気そのものである。

 冗談を言ってるような雰囲気など微塵もなく、逆に水町玲子が気圧されている。

「で、でも……何かあったら……」

「何かって、何よ。心配しなくても、大丈夫だから」

 おかっぱ頭が、綺麗なショートカットとなり、身を翻した瞬間にふわりと浮いた。

 大人を演出したいだけ。過去の自分を冷静に振り返られるのは、当分先になる。

 この年頃の少年、少女には何を言っても無駄で、強い注意は時として悪い方向へ進ませる。

「なんなら、玲子もデートしてくればいいのよ。あとで、東京の地図でも書いてあげようか?」

 すっかり都会人みたいな口ぶりで、お姉さん的な会話を楽しんでいる。

 その行動こそが子供なのだが、下手にツッコみを入れたら、哲郎が攻撃を受ける。

「わ、私は遠慮しておくわ。まだ、大丈夫よ」

「そう? それなら、私はこれで失礼するわ。二人の邪魔をしても悪いしね」

 令嬢気取りで頭を下げて挨拶した巻原桜子が、まるで「御機嫌よう」とでも言いたげに、哲郎と水町玲子の前から去って行った。

 風のように走り抜け、すぐに小さな背中は見えなくなる。

「……桜子って、学校でもあんな感じなの?」

「いや……髪形を変えたのは、今日初めて知ったよ」

 同じ中学、同じクラスでほぼ一年間、わりと仲良く過ごしてきた。

 相手の性格もある程度把握できていたので、哲郎にとってはあまり驚くべき事態ではない。巻原桜子の性分を考えると、いつかはこうなっていた。

 それが今になっただけの話で、特段うろたえるような問題でもなかった。

「そうなんだ……もう、すっかり大人の女性って感じよね」

 横目で見てきた水町玲子に「どうかな?」と言葉を返す。そのあとで、心配そうな恋人の声がやってきた。

「やっぱり……哲郎君も、大人びた女の子が好みなの?」

 はいかいいえで回答を迫られれば、当然「はい」になる。

 何故なら外見こそ普通の中学生でも、哲郎は基本的に大人なのだ。成熟した女性に興味を覚えるのは、自然の流れだった。

 だからといって、現在の水町玲子へ対する愛情が偽りとは思えない。中学生の心で、確かな恋愛感情を抱いている。

 当時の哲郎少年へ戻ったみたいで、新鮮な気持ちが心を洗ってくれていた。

 とはいえ、ふとしたきっかけで、大人だった頃の対応力や思考力が戻ってくる。

 普通に備わってるのだから当然の話なのだが、外見と比べると相当にアンバランスだ。言葉遣いなどに気を遣うことで、当初はなんとか中学時代の哲郎を演じていた。

 けれどそのうちに、本当に中学生であるような気分になり、やり直しの学生生活を心から楽しんでいる。

 所属する中学校の教室では相変わらず孤立気味だが、授業が終わって外へ出れば、大切な恋人との時間が待っている。

「俺の好みは、水町玲子っていう女の子だよ」

 口にするのも照れ臭かったが、こうした発言で喜ぶ相手だというのは充分に理解していた。

 水町玲子が拒絶しないのであれば、ロマンチストな台詞を囁くのも意外と楽しかった。

「……嬉しい」

 どことなく恥ずかしそうにしながらも、赤面した顔で呟いた水町玲子は、哲郎の手をこれまでで一番強く握ってきた。


 幸いにして水町玲子は、巻原桜子に感化されたりしなかった。

 だが哲郎が所属しているクラスの女子は、別だった。貝塚美智子でさえも、若干の興味を示している。

 もっとも部活が忙しいらしく、熱心というレベルまでは到達していない。ごく一部の人間だけが、巻原桜子に傾倒している。

 あとの時代になって流行した言葉を使えば、いわゆるカリスマになっていた。

 強い憧れを示す少女たちを取り巻きとして連れ歩き、まるで女王様だ。本人もまんざらではない様子で、今の立場を満喫している。

 小学校時代の面影を残しつつも、急速に巻原桜子は変わっていった。

 傍から見てれば危うさしか感じないが、当人たちにリスクを認識してる雰囲気はない。単純に、ファッションなどを楽しんでるだけなのである。

「今度はあそこのお店に行ってみない?」

「それもいいかもね。じゃあ、今度の日曜日に行こう」

 そんな会話が教室内で展開される。教員たちも、女子生徒のこうした行動を認知しており、なんどか注意もしていた。

 大体はろくな効果を発揮せず、無意味な行為に終わる。

 ある種、自然な流れでリーダーになった巻原桜子。その両親による多額の寄付金が原因だった。

 詳細は尋ねていないが、何かしらの事業に成功したらしい。瞬く間にひと財産を築き、娘たちも恩恵に与っている。

 巻原桜子の一家は典型的な女系で、子供は全員女性だった。

 歳が離れた姉もおり、すでに上京をしている。たまに帰ってくるようで、そのたびに影響を受けたりもするのだろう。

 多感な年頃なのだから、先鋭的な情報に憧れるのも、ある意味当然の話だ。巻原桜子が責められるような理由は、何ひとつ存在しない。だからこそ、教師たちも困っている。

 これが男の不良なのであれば、グラウンドにでも連れ出して、一対一で取っ組み合いの喧嘩なんて事態にも発展する。

 この時代の体罰はほぼ公認状態であり、未来みたいに口うるさく文句を言ってくる親はいない。子供が訴えたところで「お前が悪いことをしたからだろう」と一喝されて終わりになる。

 体罰を全面的に肯定するわけではないが、多少ならばやむをえない部分もあるのではないか。それが哲郎の偽らざる感想だ。

 かくいう哲郎自身は、叩かれるほど教師に怒られた経験は皆無だった。黙々と勉強するだけの学校生活を送っていたのだから、注意する点を見つけるのも難しかったはずである。

 むしろ、逆に「もっと遊べ」と言われた覚えがある。

 そうしたいのはやまやまだったが、当時の哲郎が遊べと言われて思いつくのは、漫画雑誌を読むぐらいだった。

 それは過去をやり直している現在でも、さして変わらない。友人付き合いも楽しいが、恋人との関係を優先している。

 多少の寂しさはあるものの、おかげで友人に恋人の少女を奪われずに済んだ。これが代償というのであれば、喜んで受け入れる。

 戦後復興は進んでいても、未だ混沌としてる時代。だがそれゆえに、一発逆転の可能性も多く存在した。

 独自の事業を起こして成功を収める人間もいれば、逆にこれまでの財を失う者も少なくない。良くも悪くも、そんな時代なのである。

「あ、そうだ。ちょっと、いい」

 あまり話す機会もなくなっていた巻原桜子が、珍しく哲郎へ話しかけてきた。

「どうかしたの?」

「聞いてない? 玲子の家……かなり大変みたいよ」

 これから迎える高度成長期に合わせて、徐々に国が変わっていく。成功者に敗北者。時代の荒波は、否応なく哲郎の周囲へも押し寄せた。

 巻原桜子の台詞はまるで大きな渦で、回る目が次第に色を失うような衝撃が哲郎を襲っていた。

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