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リセット  作者: 桐条京介
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「初めまして、水町玲子です」

 中学生活を開始してから、何度目かの日曜日。哲郎はクラスメートを連れて、水町玲子と会っていた。

 本音を言えば二人きりで会いたかったが、そのような発言をすればクラス中から冷やかされるのは必至だった。

 加えて、記憶に残っている孤独な中学生活が発言の邪魔をした。

 新しい友人たちの希望を叶えずに拒否し続けていると、そのうち離れていくんじゃないか。そのような恐怖心が、常に哲郎の周囲に漂っていた。

 結果として平谷康憲の要求どおり、こうして恋人を紹介する場を設けた。

 全員で近くの公園までピクニックするだけの他愛もないものだが、それでも中学生になりたての哲郎たちには新鮮だった。

 保護者の同伴もなく、歩いて住んでいる所から少し離れた場所へ赴く。一種の大冒険みたいなものである。

 メンバーは哲郎の他に水町玲子と平谷康憲。あとは巻原桜子と貝塚美智子だった。

 水町玲子に今日の件を相談した際、特に貝塚美智子と会ってみたいと了承してくれた。

 拒否されなかったことで安堵し、比較的楽しみに哲郎も今日という日を迎えていた。

「それにしても、驚いたな」

 川沿いの砂利道を歩きながら、平谷康憲がそんな台詞を口にする。

 哲郎が水町玲子を紹介したその瞬間から、時間が止まったように身体を硬直させていた。

「梶谷の恋人が、こんなに可愛いとは思わなかった」

 自分の恋人が可愛いと言われて、嫌な思いをする男などいない。哲郎もご多分に漏れず、自尊心をくすぐられている。

 そんなことはないですと謙遜する水町玲子の隣を歩きながら、誇らしげな気分になる。

 小学校の頃から男児の人気は高く、哲郎が水町玲子と仲良くなったと知るやいなや、露骨に嫌いだした人間もいるくらいだった。

 よく遊ぶ友人も含まれており、直接の原因となったかどうか、正確には不明だが縁は切れてしまっている。

「だから、私が可愛いって教えてあげてたじゃない」

 口を挟んできたのは、水町玲子と未だに仲が良い巻原桜子だった。

「でも、想像以上です。驚きました」

 柄にもなく丁寧な言葉を使用しているのは、貝塚美智子だ。初対面の人間に失礼がないよう気遣うあたり、根はしっかりした人間なのかもしれない。哲郎には、このことが一番意外だった。

「本当にそんなことありませんから、それに貝塚さんだって可愛いです。それより、同い年なんですから、もっと気楽に喋ってください」

 貝塚美智子に無理してる様子はなかったが、当人の性格については事前に哲郎が教えていた。

 ゆえに水町玲子も相手をフランクな人間だと知っており、先ほどの台詞へ繋がったのである。

「え、いいの? よかったー。女の子らしくするのも、意外と疲れるんだよねー」

 にっこり笑った貝塚美智子が、そう言ってウインクする。

 普段から男勝りにスポーツなどを楽しんでいる自分を、女性らしくないと自覚はしていたみたいだった。

 もっともそういう点が、他の女子にはない魅力だと、クラス内での貝塚美智子の評判は良かった。

 哲郎自身も好感を抱いていたし、水町玲子がいなければ、恋愛対象として見ていた可能性もある。

 ボーイッシュなのは過去の記憶で知ってはいたが、ここまで砕けた性格だというのは今回初めて知った。

「うふふ。それなら、なおさら無理はしないでください」

 まさに大和撫子といった水町玲子と、可愛いながらも男勝りな貝塚美智子。両者とも、それぞれに甲乙つけ難い魅力がある。

 しかし現在の哲郎は水町玲子の恋人であり、目移りするようなことはなかった。

「梶谷が羨ましいよ」

 女性陣が楽しそうに会話してる中、側に来た平谷康憲は、ふとそんな感想を口にしたのだった。


 皆で遊んだ日以来、水町玲子を含めた面子でよく遊ぶようになった。

 二人きりで過ごしたい時もあったが、たくさんの仲間と過ごすのも魅力的だった。

 あまり好ましくなかった中学時代の思い出が、リアルタイムで望むべきものへ書き換えられていく。哲郎は文字どおり中学生となって、現在の人生を楽しんでいた。

 過去の記憶があるからといって、大人として行動する必要はなかった。この時代の哲郎は、正真正銘の中学生なのである。

 一度目の人生で他人より勉強していた哲郎にとって、中学校の授業もさして苦にならなかった。

 成績は常にトップ。運動神経もそこそこあり、クラスでは多数の仲間に囲まれている。

 次第にクラス以外の注目も集まるようになり、比例するように女性からの視線も増えた。

 告白された回数も一度や二度でなく、男はやはり顔でないのだなと実感した。

 水町玲子との交際も順調そのもので、休日になれば冷やかされながらも、皆の中心で手を繋いだりしていた。

 経験できなかったバラ色の中学生活は色鮮やかで、見る景色すべてが哲郎にとっては驚きだった。

 貝塚美智子や平谷康憲ともさらに仲良くなり、体育祭や学園祭なども同じグループで行動した。

 もちろん巻原桜子も含まれており、哲郎はかけがえのない友人たちを得たと自信を持っていた。

 やがて季節は巡り、哲郎の中学生活一年目も終盤にさしかかる。

 冬が訪れ、次第に雪の気配を感じ始める。哲郎が住んでいる地方では、雪国ほどでななくとも雪が積もる。

 幼い頃は友人と雪合戦などをして喜んだものだが、大人になれば雪解け水を期待する土地柄でない限り、あまりありがたさを感じなくなる。

 日曜日の今日は、当然のごとく中学校は休みだ。いつもなら、友人たちと遊ぶのだが、今日ばかりは水町玲子と二人で過ごそうとした。

 けれど今朝になって水町玲子を訪ねると、すでに出かけてしまったあとだった。

 不在であればどうしようもなく、哲郎はせっかくの休日に暇を持て余していた。

 家にテレビもゲームもなく、読むのを楽しみにしている本もない。休日に家へこもってラジオを聞いてるのも寂しいので、こうしてあてもなく散歩をしている。

 老人じみた趣味と言われればそれまでだが、こうして晩秋の晴れた日に散策するのも、なんともいえない趣があった。

 歩くという行為はそれだけでも運動になるし、いつもは学校で見れない日中の町中も新鮮に感じられる。

 しかし、水町玲子はどこへ行ったのだろう。ふと、交際を続けている同い年の少女のことを考える。

 仲の良い友人の巻原桜子は、今日については何も言ってなかった。つまり二人で遊ぶ予定などは、入れてなかったことになる。

 貝塚美智子も水町玲子とだいぶ仲良くなっていたが、これまで二人だけで遊んだという話を聞いた覚えはなかった。

 首を傾げる哲郎だったが、考えてみれば水町玲子も別の中学校へ通っているのだ。独自の友人ができていても、何ら不思議はないのである。

 きっと同じ中学校の友人たちと、ピクニックにでも行ったのだろう。哲郎は推測ながらも、勝手にそう結論づけた。

「……いつの間に、こんなとこまで来てたんだろ」

 考え事をしながら歩いてるうちに、家からだいぶ離れた土地にまでやってきていた。

 太陽の位置から考えるに、時刻はすでに正午を過ぎている。

 現金なもので、先ほどまでは何ともなかったのに、お昼だとわかった途端に空腹が襲ってきた。

 そこで哲郎は、ズボンのポケットに入っているお小遣いで、昼食にコロッケでも買って食べようと決めた。

 きょろきょろしながら歩いてると、都合よく小さな精肉店を見つける。

 香ばしい匂いが漂ってきてるので、揚げたてのコロッケがあるかもしれない。ウキウキしながら店へ近づいた哲郎だったが、目的を遂げることはできなかった。


 コロッケを買おうと思って目指した商店。そこで信じられない光景を見た。

 なんと恋人であるはずの水町玲子が、哲郎の友人の平谷康憲と二人で並んで商品であるコロッケを購入していたのである。

 偶然に出会ったのでないのは、二人の仲むつまじい様子を見てれば明らかだった。

 しっかりと手を繋いでおり、互いの目を見つめて何事か会話をしては、楽しそうに笑い合う。水町玲子と平谷康憲がかもし出している雰囲気は、まさに恋人同士そのものだった。

 一体何が起きてるのだろう。前方の光景がまるで異次元での出来事のように思え、急速に哲郎の視界が現実感を失っていく。同時に周囲の景色からも彩が消えて、スケッチブックに描かれたような線だけの世界が完成する。

 文字どおり呆然とするしかない哲郎の額に、汗の粒がひとつふたつと浮かんでくる。

 鼓動も急激に速まり、伴う息苦しさにより呼吸困難へ陥る。

 何かの間違いだと何度自分へ言い聞かせても、納得できなかった。

 宝物を扱うように、慎重かつ丁寧な付き合いを続けてきた。決して恋人を傷つけていないと、自信を持って断言できる。

 それなのに水町玲子は、哲郎といる時以上の笑顔を平谷康憲へ向けている。

 足掻いても足掻いても、とてつもない深さの悲しみの海へ溺れる。

 笑えるぐらい両足は揺れ、ショックでその場に尻餅をつく。それが功を奏したのか、商店から立ち去る水町玲子と平谷康憲に見つかることはなかった。

 ひとり取り残される形となった哲郎は、放心状態でしばらく空を見上げていた。

 一体どれいぐらいの時間が経過したのか。ようやく立ち上がった哲郎の足は、未だに体重をまともに支えきれなかった。

 少しでも気を抜けば、すぐにまたその場へ倒れそうになる。心身に負ったショックは相当のレベルだった。

 しかしまだ、浮気現場を目撃したと決まったわけではない。単純に仲良くなったので、友人同士として遊びに来ただけかもしれないのである。

 だがその場合は、両者からひと言あってもよさそうなものだ。平谷康憲はもとより、水町玲子からもそのような話は聞いてなかった。

 急速に不安になった哲郎は、胸が掻き毟られるような不可思議な気分に悶える。

 極度の緊張に晒されているせいで、脈は未だにハイスピードなままだった。

 重い足を引きずるように帰路へついた哲郎が、見慣れた住宅街まで戻ってきた頃には、すでに日が暮れていた。

 両親が心配してるとわかっていたが、このままでは食事もとれそうになかった。

 いつか水町玲子がそうしたように、哲郎は恋人の自宅を訪れた。

 玄関で応対してくれた水町玲子の母親に用件を伝えると、快く応じてくれる。

 中堅の工場を経営している水町家はそれなりに立派で、母親も物腰柔らかな女性だった。

 母親の小百合と、どちらがより女性らしいか。普段の哲郎なら、そんなこを考えていたに違いなかった。

 けれど今夜ばかりはそんな気分になれず、じっと水町家の玄関へ立ち尽くしていた。

 程なくして驚いたような顔つきの水町玲子が、玄関へとやってきた。

「哲郎君……? こんな時間にどうしたの」

「少し……話があるんだ」

 これまたいつかと同じように、哲郎と水町玲子は夜の道路で話をすることになった。

 なかなか本題を切り出せない哲郎を前にしている水町玲子は、どことなく緊張しているみたいだった。

 不必要に継続される沈黙が、二人の間に漂う気まずさを表している。

 黙っていても事態は好転しない。やがて哲郎は、意を決して口を開いた。

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