狼の謌(うた)
山が哭いていた。木々は幹を伐られ、草花は刈り取られ、栄養に満ちた土はコンクリートの下に沈められていく。人間の開発が進められ、山はその姿を変えられていく。賑やかだった動物達は姿を隠し、澄み渡っていた空気は汚れ、川の水は濁ってメダカの棲めない水質へと変化していく…。
山は静かに、しかし大きく哭いていた。
リンは山全体の見通せる開けた場所に腰を下ろしていた。少し前までは、美しい小鳥達の囀りと、小川のせせらぎが聞こえたその場所は、今では鉄機械の山を切り崩す音が乱暴に響くだけだ。
―“ヒト”は…己の事しか考えとらぬ…
声には出さず、リンは冷たい目で鉄機械を見下ろす。リンのそんな視線など露知らず、鉄機械はその無骨な腕を山に振り下ろし、その度に山はリンにしか聞こえない悲鳴を上げる。削り取られる山の体は、無造作に積み上げられてリンの視界の隅に置かれていた。
―私は…護れなかった…
目を閉じ、頭を垂れるリンは、山と“ヒト”と、そして自分自身に対して悲憤していた。リンは、七年前からこの山を守護し続けてきた守り手であり、山はリンの祖先に代々守護されてきた。“ヒト”に荒らされる事無く、昔の姿をそのまま残し、動物達の穏やかな住処として。
リンは顔を上げると、緩慢な動作でその場を離れた。それ以上、“ヒト”が山に対して行う仕打ちを見ているのが嫌になったのだ。
―ユイも、アキも、シンも、皆この山を離れていった…。トシの一派は、“ヒト”と争って殺された…。今、この山に残った我らの種族は、私のみ、か…。
自嘲気味に笑い、まだ“ヒト”の手が伸びていない森の中へと、一頭の老いた狼は姿を消していった。
トラクターやブルドーザーの排気ガスが荒れた断層を覆う。澄み切っていたはずの青空が、灰色の汚い色を含む。
「っげほっ!」
工事現場の一角で咳き込む声がした。まだあどけなさの残る、少年の声だ。周りは大人しかいない中、少年が一人麦わら帽子を頭に、ショベルカーの動きを見つめている。
「そこの僕!ここは入っちゃいけない場所だよ!」
青年が少年に声をかける。少年は騒音で聞こえていないのか、彼に視線を移さずじっとショベルカーの動きを見続けている。別段、作業の邪魔になっているわけではないのだが、やはり気になってしまうので彼は少年に近づいて肩を叩いた。
「ここは立ち入り禁止なんだよ。何処から入ってきたのかわからないけど、早くおうちに帰りなさい」
「父さんの仕事見学なの」
彼の言葉に少年は一言そう返し、やはり視線を変えずそこから立ち去ろうとしない。
「いや、でもね―」
「あぁ、米山君。その子の事は気にしなくていいよ。平内の息子なんだ。平内からほっとく様に言われてる」
いきなり会話に入ってきた建設現場の責任者が、米山にもわかる名前を口にする。
「え?平内さんのですか?あの人、子供なんていたんすか」
「見た目若いからな〜。あいつ、あれでも三十代半ばなんだぞ?」
意外だと言わんばかりに、米山は首を振る。と、彼は小さな異変に気が付いた。
「あれ、その平内さんのお子さんが消えましたけど…」
彼の言ったとおり、先ほどまで目の付くところに居た少年は、彼らの周りにはいない。辺りを見回すが、やはりその姿は見えなかった。
「大丈夫だろ。きっと飽きたから他の所でも見に行ったか、暑くなったから休憩所にでも行ったんだろうよ」
ひらひらと手を振る現場責任者の無責任な言葉に不安と呆れを覚えつつも、米山は少年の事は探さずに自らの仕事へと戻っていった。麦藁帽子が、山の入り口に引っ掛かっているのにも気づかずに。
山の奥は幾分か静かだ。汚い重低音もせず、時折吹く風が気持ち良い。しかし、生き物の呼吸音はまるっきり聞こえない。そこらに生えている木々も生きているのだろうが、何か、躍動めいたものを感じない。静かなのが、不気味で仕方ないぐらいだ。リンはそんな中を一人歩いていた。
―やはり、このままではこの山は死滅してしまう…
リンは湿った土を踏みしめながら、自らの山を歩き回る。太陽の光を木々が遮っている為、昼だというのに薄暗い。昔は心地よかった肉球に伝わる感触が、今はとても不快だ。
―動物のいない山は食物連鎖が消え、死に絶える。どうにかならないものか…
リンは歩みを止めた。そこは、ぽっかりと木々が抜け落ちたような不思議な空間だ。太陽の光が差し込み、幻想を作り出している。柔らかな草の上に横になり、リンは陽光を浴びる。嫌なことばかりを考えてしまう最近の中で、唯一何も考えずにいられる一時だ。土の冷たさと、背中に当たる陽光がなんとも言えない気持ち良さを作る。しかし、季節は夏。それほど長く当たらずに、再び見回りに行こうとしたその時、
「うわぁ…、こんな所あったんだ…」
背後からヒトの声。反射的に振り向くと、そこにはリンが見たことの無い服を纏った小さい“ヒト”が立っていた。リンが子供だった頃の山の空の様な、澄んだ蒼色の服。リンはこれまで、山を傷つける“ヒト”や、時折登りに来る登山客ぐらいしか見たことがなかった。だから、あんなに綺麗な服を見たことがなかった。不覚にも、リンはその服に見とれて姿を隠し損ねた。子供が、リンに気づく。
「君は…ココに住んでるの?」
街中で見られるイヌより二回りは大きいリンの姿を見ても、子供は恐れもせずに声をかけてきた。リンはそれで正気に返る。近づこうとする子供から距離をとるように後ろに跳び、咽喉を唸らす。
―“ヒト”の子供か…。殺さずに追い返すか…
牙を見せ、子供を威嚇する。今までリンの姿を見た人は、これだけで後姿を見せて一目散に麓へと降りていったか、腰を抜かして動けなくなるかのどちらかだった。
だが…、目の前の子供は逃げもせず腰を抜かすでもなく、平然と立っている。口元には、笑みさえ浮かべながら。
「そんなに怒らないでよ。確かに勝手に入ってきちゃった僕が悪いんだけどさ」
子供は足を前に踏み出す。リンは唸り声を荒げ、子供を睨みつけた。今まで見たことのない、自らを恐れない存在への恐怖が、リンの心を包んでいた。
―な、なんなのだ、この子供は!恐怖を知らないのか?
冷や汗さえ浮かべそうな自分を奮い立たせるように、リンは吼えた。山全体に響くかのような、凄まじい吼え声。空気のそのものが揺れ、子供はリンに近づくのをやめた。そして、地面にしゃがみこむと何を思ったのか、指でリンと自分との間に線を描いた。
「わかったよ。僕はこれ以上君には近づかない。だからそんなに怒んないで。ココにさ、もう少しだけ居させてよ」
この線が目印だよ、と子供は笑った。リンは呆れかえる。今ここで自分が押し倒し、首に噛み付けば死ぬというのに、子供は相変わらず話しかけてくるのだ。
―おかしな奴だ…
警戒心は解かずとも、リンは唸るのをやめた。なんだか、この子供に対して唸るのが馬鹿らしくなったのだ。子供は微笑む。
「わかってくれたんだ。あ、自己紹介がまだだったよね。僕の名前はアズマ。東って書いて、アズマだよ」
蒼色が引き立つ、白いハーフパンツが汚れることなど気にせず、アズマは腰をおろした。そして、天を見上げる。薄汚れた蒼空の向こうに積乱雲が遠くに見え、時折風が彼の髪を流す。
―不思議な子供だ…。この子は…敵ではないのか?
腰をおろし、リンはアズマを凝視する。自分を怖がらず、あまつさえ近寄ってこようとした、“ヒト”の子供。山を破壊する“ヒト”は、リンにとっては敵以外の何者でもない。しかし、リンはアズマが敵とは考えられなかった。どこか、アズマの雰囲気が“ヒト”を思わせなかったのだ。
陽が沈み始め、カラスが鳴き始めた。アズマがリンの元に来てから、四時間がたっていた。
「じゃ、僕帰るね」
アズマは立ち上がると大きく伸びをした。あれからずっとリンは、アズマを観察していた。落ち着きなく動き回ってはいたが、自らが定めた境界線を越えることはなかった。初めはただ座って空を見ていたのだが、首が疲れたのか、途中から横になって地面に体を預けていた。
「じゃあね」
もう一度リンに向かって言うと、アズマは頭の後ろで手を組みながら麓への道へと消えていった。
―穏やかな“ヒト”だったな…。そして、自らが決めたことはしっかり守っていた…
リンは一度だけ大きく息を吸い、吐いた。自分の縄張りの最深部で、これほどまで緊張したのは初めてだったのだ。しかし、とリンは胸中で呟く。
―私と“ヒト”はあくまで敵。次に来たら、確実に追い出さなくては…
夕日がリンを照らす。銀に近い灰色の毛並みが、茜色の光を受け美しく輝いていた。
東は道に迷っていた。迷わないようにと目印にしておいた木が、暗くなった為にどれなのか判らなくなってしまったのだ。
「どうしよう…」
同じような木々を前に、東は足を止める。今日は学校の宿題だった親の仕事見学をする為に工事現場である山に来たのだが、見学に飽きて山に入ったのがいけなかった。暗くなるまで、不思議な雰囲気を持った狼と一緒に居たのが災いした。
「…下に降りればいいんだよね…」
自信なさげにそう呟くと、東は当てもなく再び足を踏み出す。靴から伝わる土の感触は、雨の後にも似ていて、時折水っぽい音を立てる。自分が立てる音に身を怯ませながら、東は一歩一歩道とは呼べない道を歩いていった。
どれくらい歩いたのかは、腕時計をしていない東にはわからない。ただ、月が空高くに上がり煌々と山を照らしていた。月と星明りも少量しか届かない山の中で、東はついに座り込んだ。
「…おとうさん…」
木に寄りかかり、膝を抱えた状態で小さく呟く。何度も大声を出して助けを求めたが、反応は一度もなかった。東の咽喉は、声の出し過ぎで既に枯れ始めている。また、彷徨っている途中で転んだのか、露出していた手足にはあちらこちらに傷が出来ていた。満身創痍の中、東はふと視界の端に光を見つけた。
「あっ!」
―…もしかしたら街かもしれない
一抹の希望を胸に、東は体を引きずるように駆け出した。
夜の見回りの最中、リンは悲鳴を耳にした。自分の寝床から四百メートル程下った位置だろうか、はっきりと聞こえたわけではなかった。だが、聞き覚えが無いわけでもない。
―…アズマ、か…?
リンがアズマと別れてから、三時間は過ぎていた。とっくに“ヒト”里に下りたと思っていた“ヒト”の声が聞こえた事に、リンは驚く。
―何があったというのだ、あの子供に…
“ヒト”の事で不安を覚えた事は、今までリンには無かった。だが、今回は言いようも無い不安を覚える。たった一度、それもほんの一時を共にしただけの子供がやけに気になった。
―…行ってみるべきなのだろうか
迷いだらけの中、体は一度だけ聞こえた声の元へと向かっていた。
東は空中にいた。走り寄った先は崖になっており、東はそれに気づかなかった為に足を滑らせたのだ。街明かりだと思った物は、遠く離れたそれだった。崖端に生えていた木の根を落下する寸前に掴み、東は地上との衝突だけは免れていた。が、
「手がッ、滑るッ!」
木の根が雨露を残していたのか、東の手を拒むように少しずつ滑らせていく。
東は下を見た。そして、背筋を凍らせる。月明かりだけで見る崖下は、何も見えない。まるで、暗闇が東を待ち受けている様だ。
「誰かッ!助けてッ!!」
枯れた咽喉で無理矢理助けを呼ぶ。その度に焼けるような痛みが走る。それでも、東は助けを呼び続ける。
「助けて!誰か助けてっ!!」
無情にも、その声は崖に響いて反響する。自分の声が崖に吸い込まれていくのを耳にしながら、声を荒げる。気づかないうちに瞳は涙で溢れ、その雫も崖下へと消えていく。
掴む根が、もう限界を迎えていた。元に戻ろうとしてバネの様にはねかけた、その時。
東の体が急に引き上げられる。引き上げられている腕は何か温かいものにくるまれている様だ。そして、腕は鋭いもので挟まれている。が、強い痛みは感じない。
「えっ?」
放り投げられるようにして、東は崖上に上げられた。死に掛けたことによって治まらない動悸を抑えつつも、東は助けてくれた相手を見た。
一頭の、狼だ。走ってきたのか、舌を出して狼は呼吸を整えている。金色の瞳を東に向け、狼はその場に腰を下ろした。
「君は…、さっきの場所に居たコだよね…?どうして…」
東は呟く。ただじっと自分を見つめてくる狼を、東も見つめ返す。
―不思議なコ…。なんで、助けてくれたんだろ…
木々の間から零れる月明かりが、東と狼を照らす。互いの表情は見えず、呼吸音だけが耳に入る。足が震えてその場から動けない東に対し、狼は呼吸を整えるとすぐに立ち上がり、森の奥へと消えようとした。
「ま、待って!」
姿の見えなくなる寸前に東は狼を呼び止める。右耳だけをピクリと動かし、狼は東の方を振りかえった。何か様でもあるのか、とでも言わんばかりに狼はその瞳を東に向ける。
「あのね、僕、道に迷っちゃったんだ…。帰りたいんだけど帰れないの。道、知ってたら教えてくれないかな…」
藁にもすがる様な思いで、東は狼に問う。言葉が通じているかどうかも定かではない相手の次の行動を、東は静かに待った。
リンは、自分自身の行動に呆れていた。悲鳴を聞いた後、全力疾走で山を下り、崖から転落しかけていたアズマの体を引っ張り上げたのだ。ただ引っ張りあげるだけではなく、アズマの腕を傷つけないように咬む力に注意を払いながら。いつもなら絶対にありえない。“ヒト”を助けるなどといった行為は、リンはした事が無かった。いや、これまではしようとも思わなかった。
―どうしたというのだ、私は…
自分の“ヒト”に対する行動が、信じられなかった。今まで自分が築いてきた“ヒト”に対する警戒心・冷酷心が音を立てて崩れていった気がした。
「道に迷っちゃったんだ…」
そう言ったアズマは、すがる様な目でリンを見つめている。この崖と“ヒト”里は、方角的にはまるっきり逆の方向だ。傷だらけのアズマの足だと二時間はかかるだろう。リンはアズマを観る。涙で濡れ、手足は傷だらけ。蒼色の服も、泥と木の枝にまみれていた。
リンは、決意する。
―ついて来い
目線でそう言った。すると、
「ついて来いって…言ってるの?」
リンは今度こそ本当に驚いた。自分の言いたい事を、瞬時に理解したアズマが“ヒト”に思えなかった。
―本当に…面白い子だ…
ほくそ笑みながらきびすを返す。慌ててアズマも立ち上がって後についてくる。一定の間隔を保ち、リンはアズマの歩幅に合わせて“ヒト”里へと向かう。
一時間ほど歩いただろうか。アズマが休憩を必要としているように見えたので大木の前でリンは止まっていた。
「ねぇ、君ってなんて名前なの?」
大木に寄りかかり、アズマがリンに声をかける。月明かりすら通さない大木の陰に隠れ、アズマの表情はリンには判らない。リンはその声には振り向かず、自分の位置と“ヒト”里の距離を目算する。
―…後、一里も無いか…
無視されたのかと思ったのか、アズマは頬を膨らませる。
「じゃあ、勝手に決めちゃうよ。そうだな〜、何がいいかな〜…」
リンはアズマの能天気さ、否、精神力の強さに感心した。山の中で迷い、崖から転落しかけ、そして、己より体の大きな野生動物と共に行動していながら、表情が死ぬことが無いのだ。
「リンってのはどうかな?」
心臓が止まるかと思った。何も教えたりしていないのに、アズマはリンの名を呼んだのだ。
「『凛々しい』っていう漢字の凛だよ?君を見てると、何だか凄くそんな感じがしたんだ」
大木から離れたアズマの表情が、月明かりによって浮かび上がる。それは、顔一杯の笑みだった。
凛の進む道に従って歩いたその先には、麦藁帽子があった。
「凄い!ホントにちゃんと帰れた!」
麦藁帽子は風に揺れ、その先からは人の声が聞こえる。東は先を進んでいた凛を見る。そして、一歩後ろに下がった。野生とは思えないほど色艶の良い毛が、不自然なまでに逆立っている。
―凛…、何に怒ってるの…
先ほどまで穏やかだった狼は、獣の姿を丸出しにして唸り声まで上げている。
「り、凛…?」
昼間、自分に向かって唸られた時は恐怖など一切感じなかった東だが、今は足がすくむほどの恐怖を獣に感じている。
凛が、東のほうを向いた。
「早く、行け?」
怒りの中に残っている理性を瞳に映し、凛がそう言ったように東は思った。
「わかった。僕、もう帰るね。ただ、最後に、コレ持ってって」
東は自分のTシャツの裾を破ると、今にも噛み付いてきそうな凛の前足に結びつけた。
「コレは、僕と凛が友達の印だよ。無くさないでね」
鋭い牙が目の前にある。噛み付かれたらひとたまりも無いだろう。それでも、東は凛に対する恐怖を必死で押し隠した。
「じゃあね!!」
唸る狼に対してそう一声かけると、東は工事現場の休憩所まで走った。
―…危なかった…
アズマを送り届け、リンは昼間にやってきていた鉄機械の見渡せる場所に来た。アズマと分かれる直前、鉄の臭いを間近に嗅いだせいか、“ヒト”に対する怒りが一気に腹の底から呼び戻された。送り届けるつもりの相手を、リンは危うく噛み殺すところだった。
フンと鼻を鳴らす。別れ際に、アズマがした事を思い出したのだ。
―本当に・・・本当におかしな子供だった
自分の右前足に括りつけられた蒼い布切れに目をやる。泥にまみれてはいるが、あの蒼色は顕在している。自分の好きな色が、手の届かないところにあったものが、今は手元にある。リンは一人微笑んだ。
―アズマ…。お前のような者が“ヒト”ならば、どれだけココは豊かになっていただろうな…
腰を落ち着け、月を仰ぎ見る。黄というよりは白に近い満月…。リンはそれに向かって遠吠えをあげた。
「あっ!」
休憩所の窓に東は駆け寄る。濡れたタオルで汚れた体を拭き、怒る事を後回しにした父親に傷の手当てをしてもらってる最中だった。
「東!じっとしてろって言ったろうが!!」
父親に怒鳴られても、東は窓から離れない。それどころか、空調がきいているにもかかわらず窓を開けたのだ。
「コラ!クーラー入ってるんだから窓は閉めろ!!」
平内は窓に手をかけたが、東はそれを阻止する。
「おい、いい加減に―」
フゥオォォーン
遠吠えだ。山の中腹から遠吠えが聞こえる。平内は窓を閉めるのをやめて東の隣に顔を出す。
フゥオォォーン オォォーン
「凛だ…。」
「何?」
東の呟きに、平内は疑問符を上げる。しかし、東は父親に構わず遠吠えに耳を寄せる。幾度も響く声は山に響き渡り、谷間を反響しているようだ。
「何がそんなに哀しいの、凛…。そんな哀しい歌…歌わないでよ…」
聞く耳に寄れば、遠吠えは哀しみを含んでいるようにも聞こえる。東は遠吠えを聞いて眉をひそめ、吠え声の方角を見る。
「ねぇ、父さん…。この山、死んじゃうのかな?」
唐突に来た息子の質問に、平内は声を詰まらせる。
「そうだな…、どれだけ人間が『環境を守る』とか言っても、それは人間の環境であって山に住む動物達にはいい環境とは言えないかもしれない。だから、動物達は山からいなくなって、結果的には山は死んでしまうかもしれない」
「じゃあ、なんでこうやって人間は山を壊すの?」
平内は言葉を探して少しずつ口にする。
「人間が増えすぎたから。住む場所が足りなくなっているからだよ。誰でも家に住みたいと思うから、家が欲しくなる。でも、家の数が足りない。だから、こうやって山を切り崩して家を建てるのさ」
平内の言葉を聞くと、東は黙って俯いた。
「…人間って自己中なんだね…」
自分が人間であるのが嫌で仕方がないとでも言わんばかりに、東は呟いた。平内は返す。
「そうだな。でも、俺もお前も人間である以上、家を持たない訳にはいかない。そんな中で、どれだけ最小限の自然破壊で済ませるかどうかを考えるんだ。些細なことでも良いから、リサイクルとかやってみたらどうだ」
俯く息子の頭に手をのせ、平内は優しく撫でる。
山全体に護り手の謌が響く。死にかけの山は、数年もしたら完全に死ぬだろう。それでも、護り手は自分の山を離れることは無い。自らの山と運命を共にするのが、彼らの宿命なのだ。
山に謌が響く。大神の謌は木々の間を駆け巡り、哀しみを嘆いていた…。
こちらの作品は投稿させていただく3年前に書き上げた作品です。今読み返せば稚拙そのものではありますが、内容は気に入っていたので投稿させて頂きました。
自然・ヒト。
共存は、永遠の課題だと思います。
伴和紗 拝




