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カゴメ  作者: アイリス
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いつも通り家の門をくぐる。違和感を感じるのに何がおかしいのかわからなかった。いや、視覚で捉え、肌でヒシヒシと感じ取っていたけれど、認めたくなかった。



現実ではなく夢だと信じたかった。



玄関にたどり着き、誰もいない。いつもなら出迎えてくれる使用人や家族。手が空いていないからとか、そんな理由じゃない。まったく人の気配が無いのだ。



これは、現実なの……?




わたしは、目の前にある現実を受け入れられずにいた。否、受け入れたくない、と思っていた。



とりあえず自分の部屋に行く。けれど、現実は甘くはなく。




むしろ辛酸で。





悲しげなこの部屋が語る通り、家族はわたしを捨てた。




わたしの家は歴史のある由緒正しい家柄で、いわゆるお金持ち――だった。



お金があって、家族仲も普通で。



絵に描いたような、理想の家庭。




でも、今の世の中。




のし上がるのも簡単だが、転落するのも呆気ない。



ちょっとした綻びを嗅ぎ付けられ、マスコミに売られ。




そこからは、数秒。瞬きをする間にすべてが変わる。



ネットワークが高度化した今日では、情報の廻りが速い速い。あっという間に、倒産だ。




お父さんが行った横領により会社は傾くと同時に信用も失い、残るのは莫大な借金。



返す宛てのないそれ。



それをどうするのか、帰ってきてから話し合う予定、だった。



私立に通っていたわたしはお金が払えなくなる為、辞めるという選択肢しかなくて。



長い間通っていただけに、もう来ないことを考えると物寂しくなった。




でも、生活していく為にも働かなければならないことはわかっていたから、仕方ない、と割り切って帰ってきた。




そしたら、この状況。



家には、何もない。



家族も、物も。



何もかもが消えていた。




すべて、跡形もなく。




「ははっ……」




わたしは、笑った。




可笑しくて可笑しくて、たまらない。



この状況が。




何故、わたしだけ……?




何故、わたしだけが捨てられた?



わけがわからない。



わたしの家族構成は、厳しくも優しい父、いつも朗らかに笑う母。



その外にお姉ちゃん、お兄ちゃん、弟、そして双子の妹。



真ん中がわたし。




六人きょうだいで、ただ一人。わたしだけが捨てられたという事実。




その現実は、受け入れがたいものであるが、真実であり。変わることのないもの。




どうして、わたしだけっ……?




悲しくて、辛くて。




想いを吐き出すように、涙が溢れた。




泣きじゃくる、自分の声だけが響く部屋。



空っぽの部屋にはよく反響した。




ふと我にかえり、考えるのはこれからのこと。




わたしは明日から、どうやって生きていけばいいのだろう。





家事は自分でする母親から色々と学び、掃除も洗濯も料理もお嬢様という立場ながらも一通りのことはこなせる。




しかし、住むところや金銭面はどうすることもできない。




うーん、と唸りながら考えるわたしの耳が、一つの音を拾う。




カツン、カツン。




規則正しく床を蹴る靴の音。




一定のリズムを刻みながら、それは段々と近寄ってくる。





なにっ……?





一体、誰!?




カツン。




その音は、恐怖に戦慄くわたしを追い詰めるようにゆっくり歩んでいるように思えた。




カツン。




そして、部屋の前で、止まった。





誰がいるのかわからない恐怖。




何をされるのかもわからない。





怖くて、恐ろしくて。




どこかに隠れなければ、と冷静に思う自分がいるのに、体は縫いつけられたように動かない。





それに、よく考えれば家具も何もないこの部屋で、隠れれる場所など皆無だった。




わたしは、扉を睨む。





来るなら、来いと。





絶望はもう味わった。




更なる絶望も、今なら容易く受け入れられるだろうと、諦めが含まれた強がりがわたしを勇気づけた。




ガチャリと、ドアノブが回された。




ゆっくりと木製の扉が開かれる。




わたしは、目をみはった。




驚きと感嘆。




わたしは目の前にいる者を、ひたすら凝視した。




扉を開け放ち、中に入ってきたのは男だった。




普通の男ではない。




不思議で、綺麗な男。




男に綺麗という表現が正しいのか、いまいちわからないが、とにかく、わたしはそう感じた。




艶やかで、鴉のように黒い髪。




髪に隠され気味な瞳も漆黒で、獰猛な獣を連想させる鋭さが垣間見える。



整った顔に配置されるパーツもまた完璧で。



全体的に見て、わたしの印象は鴉だった。




髪がそれに似ていたから、というのもあるし、何より纏っている衣服も漆黒だったからだ。





黒いシャツにズボン。




黒といっても完全にというわけではなく、ストライプ柄。




でもパッと見た感じでは黒にしか見えないため、わたしの印象は鴉になった。





彼は、身構えるわたしに近付いてきた。





「お前が白枦しろはしみちるか」





「そう、ですが……貴方は、誰、ですか……?」




たずねた瞬間、彼は可笑しそうに笑った。




「お前、覚えていないのか?」




「会ったこと、ありましたっけ……?」




首を傾げる。




記憶を掘り起こすも、思い当たる節が無い。



こんなにも目立つ人物に会っていれば、確実に記憶にインプットされるだろう。




強烈に、脳に刻まれるはず。




忘れたくても、忘れられないほどに。




彼は、笑う。




「会ったことは、ある」



そう、告げる。




そして、でも、と言う。




「俺と話したことはない。お前はいつも、不思議そうな顔でこちらを見るだけだった」




彼の透き通るような、涼やかな声が紡ぐ言葉を聞く度に、ますますわからなくなる。




彼と、会ったことがあるのかどうか。





わたしが、不思議そうにしていた?




わたしは、彼を不思議に見ていたことなど、ないはず。そもそもそんな状況は一体どんな場面なんだろうか。




「まだ、わからないのか」




呆れたような声で呟いた。





「一年に一度。春に、と言えばわかるか?ついこの間もあっただろう」




わたしは、その言葉に反応する。




一年に、一度。




確か、三年前から一年に一度だけ、春にとてもとても大きなパーティーが開かれるようになった。




わたしはそれに、参加していた。その、不思議なパーティーに。





普通、社交的役割を持つパーティーで顔を隠したりはしない。それでは、意味がないから。




けれど、それは違った。




みんながみんな、仮面を付けて参加する。



いわゆる、仮面舞踏会。



そんな中でも異質な空気を孕んでいたのは、会場奥にある幕。




真紅のヴェルヴェットで作られた幕はいつも閉じられていて、決して開くことはなかった。




でも、誰かいることだけはわかっていた。




だからわたしは、不思議そうに眺めていただろう。




誰がいるのか、何故、閉ざされたままなのかと。そしてそんな風に考えていたのはわたしだけではなかった。会場に来ていた人々、全員が不思議がっていた。詮索する者はいないけれど。



「まさか、仮面の……?」




彼は妖艶に笑みを作る。




それは、肯定を示していた。




「思い出せたか?」




「は、い……」




脳裏に蘇る景色。




七色に光るクリスタルのシャンデリアの下、煌びやかなドレスに身を包み、ダンスを踊った。



豪奢な仮面で隠れ表情かおの見えない相手と、代わる代わる。




それに何の意味があったのかわたしには分からないが、品定めをされているような、試されているような。




決して、心地よいパーティーとはいえなかった。




不躾ではないが送られてくる数多の視線。



意味ありげで、なさそうで。




曖昧で不確かな人々。




「わたしと会ったことがあるのはわかりました。でも、ここに貴方が来た、その理由はなんですか?」



わたしは、今もっとも気になっていることをたずねた。




「やっと、みつけた。だから、迎えに来た」




それが目的だ、と言う。




そして彼はゆっくりと歩き出し、手を差し出してくる。




「みちる、手を取れ。それが、お前の運命さだめ






傲慢に、尊大に言い放った。




逆らえない何かに引き寄せられて、わたしは徐々に彼へ近付いていく。




妖しく微笑む彼の、赤い唇が弧を描く。




まるで、それでいい、というかのように。




差し出される腕に触れようとして――躊躇する。




今、この手をとってどうなる?





迎えに来たという言葉を鵜呑みにして、易々とついて行き、どんな目に遭うのか。




なんて考え始めたら。




無意識に伸ばす腕が、不自然な位置で止まった。




「みちる」




名前を、呼ばれる。





でも、わたしは動かない。




「みちる」




急かすように呼ばれても、体は反応を示さなかった。



一向に動きを見せないわたしに、苛立っているのだろう。眉間の皺がすごいことになっている。



「言っただろうが、お前の意志は関係ないと。すべて、決まっていることだと」




彼はわたしの腕を強引に引っ張った。





引き寄せられるまま、わたしは彼の腕の中へ収まる。




「は、放してっ」





「放さない。いや、放す必要がない。みちる、お前は俺のものなんだから」




ずいぶんと、勝手なことを言う。




でも、それが冗談のように聞こえなくて怖い。



「わ、わたしは貴方のものになった覚えはないっ!」



離れようと身を捩り、抵抗する。



しかし、そんなもの彼にはきかない。



涼しい顔で、わたしを抱く。



「なった覚えはなくても、そうなんだ」




力任せに抱き込められ、苦しい。




でもそれは、わたしを離さないと言っているみたいで。




わたしを必要としているようで、ほだされそうになる。



強がっていても孤独は悲しいし辛いから。



伸ばされた手を、腕を。




わたしは、とってしまった。



「いい子だ」



満足気な、心地よいテノールが耳をくすぐる。



くいっと顎を持ち上げられた。



「……?」



何をされるのかとじっと眺めていると、彼の顔が近付いてくる。



重なる唇。




「んっ……!?」




その隙間を割って入ってくる舌。何かを押し込まれる。




「んんっ……!!」



固くザラリとした感触が舌に伝わる。



薬だ、と思った時には既に喉を通っていた。そしてすぐに耐えようの無い強烈な眠気がやって来る。意識を失っては駄目だと思うのに逆らえない。



次に気が付くと、そこは真っ暗な場所だった。



横たわっていた体を起こす。



けだるさが残っている。倦怠感に眉をひそめながら、辺りを見回した。




暗くて、何も見えない。




周りは静まり返っていて、世界から音が消えてしまったかのように静寂が満ちている。




座っている場所の感触を確かめると、手触りのよいシーツ。



体を動かせば軋むスプリング。



どうやら、ベッドらしい。



しばらくすると、目が闇に慣れてくる。



ぼんやりと、部屋の全貌が見えてきた。



一瞬、錯覚した。




だって、まんま、だから。




何度目を擦っても。



瞬きをしても、変わらない。



わたしの部屋、だった。




物が無くなる前のわたしの部屋、だった。




配置も、飾りも。




カーテンも壁紙、電気。




すべて、同じ。





だから、錯覚しそうになる。





全部、夢だったのではないかと。





わたしの都合のいいように、解釈してしまいそうだ。




でも、すぐに現実は目の前に突き付けられる。




ガチャと扉の開く音と共に現れたのは、漆黒を備える美しい男だった。意識を失う寸前までそばに居た男で間違いない。




「おはよう、みちる」




極上の笑みをたたえて、わたしに話しかけてくる。





普通に、自然に。あたかもそれが、当然のように。




「……っ」




おはよう、なんて言われても。




素直に返せるはずもない。




「黙りか……?まだ薬の作用が残っているのか?」





そう言いながら、足を踏み入れてくる。





革靴なんて、今は履いていない。





だから、足音なんて響かない。




響かない、はずなのに。



音を立てて、わたしの心に踏み入ってくる。




さらりと頬を撫でる繊細な指。




スラリと長くて、細い。



でも硬くって、しっかりとしている。




「頭は痛くないか?」



優しい声でたずねてくるから、つい、忘れそうになる。薬を飲ませたのは、この男だということを。




「頭は、痛くない……」




「気分は?」




「気分も……ううん、気分は、悪い」




「なぜ?医者を呼ぼうか」




またすりすりと、撫でる。動物にするような愛撫に心地よさを微かに覚えながら、わたしは言う。




「結構です。貴方がいるから、気分が悪いんです。貴方がいなくなれば、解決します」





わたしがそう言うと、キョトンとした顔をした。その表情はあどけなく、幼く見えた。




喧嘩腰に言ってしまったものの、機嫌が悪くなるかな、と危惧すれば。




おかしそうに、楽しそうに笑う。




「気の強い女だな」




そして、手を振り上げる。




殴られる……?




反射的に身を竦める。




だが、手は頭の上に軽くポンっと乗せられただけ。




「殴る、とでも?」




クスクス笑う。




でも、わたしは咄嗟に殴られるかも、と思った。




わたしが小さく頷くと、彼は。




「俺はみちるを傷付けない。大事な大事なカゴメなんだから」





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