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生首少女の心臓

作者: 竹蜻蛉

大学用

 


 トウキョウ西区にある科学センターからの帰り道、途中で花屋に寄って色鮮やかなガーベラの花束を二つ見繕ってもらった。少し匂いを嗅いでみると鼻につんとくる良い香りがした。もう大分前のことになるが、俺が入院していた時に世話になっていた叔母さんが「あなたのお母さんの好きな花だったのよ」と毎週のように花瓶に活けてくれていたのを忘れられない。以来、俺が何かの用事で花を繕うときは、大体ガーベラを持っていく。

 二つの花束を抱えて、中央区にある公園にやってきた。既に午前一時半を回っていた。公園の奥、暗がりの中で一際輝く場所があった。八十年前、このトウキョウ中央区で起きた飛行機墜落事故の被害者のために立てられた慰霊碑だった。周りには沢山のキャンドルが淡い緋色を揺らしている。慰霊碑の前にはいくつもの花束が添えられ、中には手紙が挟まっているものもある。俺は敷き詰められた花の中に、自分の花束を置いて、膝をついて黙祷を捧げた。

 ――まだ俺は、生きています。

 毎年、これだけを両親に告げる。自身の近況や世情など、そういうことは最初の五年くらいで飽きてしまった。ただ、死にぞこないの自分に言い訳するように、自分が生きた年月に嘘をつくように両親に告げる。

 正直に言うと、俺はそろそろ死にたかった。昔こそ自分の若さとやる気に背中を押されてやんちゃをやらかしたものだが、もう百年以上も生きていれば、出来ることも思いつかなくなってくる。哲学っぽく「生きる意味とは?」なんて考え始めると、三日は動けなくなるような鬱に入ってしまう。

 皮膚こそ健康そのものだが、中身は年を重ねるごとに腐っていく。もはや俺の中には枯れ草しか詰まっていなかった。

 外見がどれほど青年らしくあっても、中身は百年生きたじじいそのものなのだ。

 黙祷を終えて腰を上げると、慰霊碑の傍に何かが置いてあるのが見えた。簡単に抱えられるほどの大きさのダンボール箱だ。花束に埋もれている。被害者の家族が置いて行ったのだろうか。

「……ん?」

 小さな声が聞こえた気がした。耳を澄ましてみると、確かに聞こえる。しかし、公園には人っ子一人いない。近くのマンションで誰か言い合いでもしているのかと思ったが、どうやら違うらしい。声のするほうへ耳を傾けてみると、あのダンボールが目に入った。

「……だれかー」

 間違いない。あのダンボール箱だ。あの中に誰かがいる。人が入っているにしては大分小さな箱だった。もしかしたら年端も行かない子どもかもしれない。

「待ってろ、今開けてやるから」

 箱の上に積まれていた花束を退けると、箱の上に「拾ってください」と黒いペンで書かれていた。なんの冗談だ。人を箱詰めにした挙句、慰霊碑の隣に置いていくとは。

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 ガムテープを半分ほど剥がし終えたところで、中から声がかかった。

「なんだ?」

「その……あたしを見ても驚かないでね? ちょっといま変なことになってるかもしれないから」

「変なことってなんだ?」

「なんか身体全身の感覚がなくて、もしかしたらヤバイことになってるかも」

 寒さで感覚が薄れてるのか? だとしたら早く助けなければならない。

「先に救急車を呼ぶか?」

「救急車はいいや。それより早く出してちょうだい」

「分かった」

 ガムテープを剥がし、ダンボール箱を手早く開いた。

 すると、中から少女の頭が出てきた。

艶のある黒髪に長いまつげ、どこもかしこもが線を引いたような綺麗な顔立ちで、周りで揺れるキャンドルの炎が妖しい色に少女の肌を照らしていた。そう、長らく女というものに興味を失っていた俺でさえ、一目見れば美人だと分かるほどの容顔美麗な少女だった。

 のは、いいのだが。

「なによ」

 あまりのことに呆けてしまっていたらしい。少女に睨まれた。

「いや、その、なんだ。全身の感覚がないというのは、そういうことか」

「こういうことよ」

 少女には、首から下が存在しなかった。

 そう、本当に少女の頭だけが出てきたのだ。それでいて失神の一つもしなかったのは百年生きてきた強心臓とも言えるが、少女の首の下から伸びた無数のコードが、彼女の存在を物語っていた。

 彼女は、アンドロイドだったのだ。





 自宅に連れ帰った生首少女は、とにかく喋った。帰り道、人に怪しまれては堪らないと口を塞ぐように言っておいたのだが、防波堤が決壊したかのように少女は身辺を聞いてもいないのにべらべらと喋りだした。

「トゥウェンティーガールズって知らない? え、ほんとに? 結構テレビとかにも出てて有名なアイドルグループなんだけど、あたしそこでアイドルやってたのよ。二十人もいるグループだったからあんまり目立たなかったけど、結構隠れファンとかいたと思うのよね。ミオって知らない? そう、あたしの名前。EM―W30から取ってミオ。安直な名前だけど、あたしは気に入ってる。だってネコちゃんみたいじゃない? そう、ネコと言えば、グループのリーダー勤めてた奴が……」

 大体こんな調子である。俺の部屋の汚さを指摘するところから始まり、どうやってアイドルグループの話に持っていったのか。異次元空間に引きずりこまれてしまったようだった。拾ってきたダンボールの上でべらべらと喋る生首を見ているだけでも、かなり気が滅入ってしまいそうではあるが。

「ていうか、身体はないの? あんた名前は? あとお風呂貸してよ」

「少し黙れ。頭が痛くなってきた……」

 というか、その身体でどう風呂に入るっていうんだ。

 少女はむっとして、不機嫌そうな顔をした。

「仕方ないじゃない。あたしだってこんな状態じゃ、喋ってないと気が狂いそうよ」

「……それもそうか」

 首だけの感覚なんて分からないし分かりたくもないが、さぞかし気持ち悪いことだろう。

「……身体はある、が、脊髄システムを直結させるだけの技術が無い。そのためには一度お前のEMOチップから身体データを確認する必要がある。が、そんな吸出しのプログラムは国家研究機関でない限りは持ち合わせていない」

「うっそ……じゃあ、あたしのラブドールにしたい肉体ランキング三位のボディは?」

「知らん。あと、そんな不名誉な称号を自慢げに語るな」

「不名誉なんかじゃないわよ! 一位だった子なんか泣いて喜んでたわよ!」

「お前たちの世界の価値観はどうなってるんだ……?」

 テレビに出るようなアイドルがラブドールにされて喜ぶ世の中は知りたくなかった。

 少女は視線を落として、落胆した様子を見せた。首だけだからか、実に表情が多彩に見える。

 少女ミオ、型番EM―W30といったか。最近メディア戦略のために製造された、宣伝アンドロイドであることは間違いないだろう。二十年ほど前にアンドロイドの基本人権が認められてから、アンドロイドが職場としているものは多岐にわたる。今や、二十体のアンドロイドでアイドルグループを作り、商業戦略として売り出しているような世の中だ。昔は風営法で、アンドロイドの肉体を使った職業は厳しく取り締まられていた。アイドルは一種の偶像崇拝だ。人類が生み出したものを人類が崇拝する、なんてことは、一昔前なら社会戦争が起きんばかりに反対が出ただろう。

 まあ、目の前の少女も「首だけ」という点を除けば人と間違えることもあるかもしれない。もはやアンドロイドと人間を区別する手段など、ほとんどないのだから。

「あー、じゃあもう、髪の毛と顔だけでいいから洗ってくれない?」

「構わないが、首から色んなコードが飛び出てるんだが、水につけていいのか?」

「いいわけないでしょ。どうにかしてちょうだい」

「切断面が割とグロくて見たくないんだが、何がどうなってこうなった」

「知らないわよ。引きちぎられたんじゃないの」

「引きちぎられた?」

 アンドロイドに対する暴行は、今では正当に裁かれる。

「ほら、あたしって可愛いしスタイルも良かったから、周りから結構嫉妬されてたのよね。歯に衣着せぬタイプの性格してるし、誰かグループのやつにやられたのかも」

「それは無理だ。お前たちアンドロイドは人体や器物に対して一切の危害を加えられないようにプログラムされている。一つの例外もなく、だ」

「じゃあ、人間の誰かがやったんじゃないの」

「……まあ、そうなるだろうな」

 アイドルの首を引きちぎる、なんてことがあっていいのかは分からなかった。

 いくら人権が確保されたからといって、アンドロイドが「モノ」であるという認識まですぐに変えてしまうような影響はなかった。言っても、コレと俺は違う。流石に生首だけで生きてはいけないだろう、と思う。

「言っておくが、お前を殺した犯人探しなんてやらないからな」

「何それ。あたし別にそんなことは気にしてないし。むしろ探して欲しいのはあたしの身体よ。頭だけ捨てるってどういうことよ、こんなに可愛いのに」

 そう自慢げに言うが、

「……ま、破棄される理由なんて星の数ほど思い当たるから、いいんだけどね」

 と、表情に影を作ってぽつりと呟いた。彼女がどういう世界で生きてきたのかは知らないが、強がりが解けた瞬間に見せる表情に、少しだけ同情を誘われた。

「そういうわけで、あんたにはこれからあたしの面倒を見てもらいます」

「警察に連絡して不法破棄として捜査してもらえ。すれば、身体が帰ってくるかもしれないし、こんな煙草くさいところにいなくてもいい」

「いいのいいの。身体が帰ってきても、あいつらはあたしの面倒を見てくれないだろうし、部屋だって多分別の誰かがもう使ってると思うから。だからお願い、どうにかなるまであたしをここに置いておいて」

「置くだけなら構わないが、ここにはアンドロイドを維持させるためのものは何一つないぞ?」

「別にいらないわよ。アンドロイドの永久機関なんて、流体動力くらいしかないんだし」

「……」

 その名を聞いたとき、微弱な電気が走ったように胸が痛んだ。

「お前は、流体動力を使っていたのか?」

「……ぷっ、まさか! あんな高級なものを使ってるやつなんか、リーダーくらいなものよ。知らないの? あれ、百とか二百じゃ済まないくらいの値段がついてるのよ。あたしたちの間じゃ超高級ブランド。流体動力持ちってだけでセンター飾れるくらい」

「……永遠の美を約束されるからか」

「そうよ」

 少女の顔が真面目なものになる。見透かされてしまうような透き通った目が、俺の心臓辺りをじっと見ていた。

「あたしたちにとって、身体と顔は命も同然。それを長く保てるのなら、ただそれだけで価値がある。みんなそれぞれ、色々努力してるっていうのに、流体動力なんかチートもいいところよ。生まれつきの勝者よ」

「……だろうな」

 流体動力。俺が生まれる前から動力自体は存在していた。

 アンドロイドにとってのブランド化、なんてことになったのは割と最近の話だと聞く。昔はそれこそ、アンドロイドに流体動力を使うのは禁止になったり、逆に医学的な面で人間への利用が可能になったりと、様々な変遷を遂げてきた。人体から採取しワクチンによって永久に生き永らえることが出来る擬似皮膚細胞に、半永久的にワクチンを循環させることの出来る機関。それが流体動力と呼ばれるものだった。

「あたしはまだ、この顔と髪の毛があれば生きていける。あんたが手入れをしてくれれば、まだ生きていけるのよ。人間だって同じでしょ? 生きてるものだったらすべからく、生きていたいって願うじゃない」

 そう、アンドロイドの少女が言うのに。

「だからお願い。あたしを綺麗なままでいさせてちょうだい」

 俺は、この偽物の心臓を手放したくて仕方が無かったのだ。



      ■■■



 八十年前、多数の死者を出したトウキョウ中央区飛行機墜落事故は、実際のところ、事故直後は大半の被害者に意識があったとされている。血だらけで真っ赤になった視界の中、俺はフラフラになりながらも両親の姿を探して彷徨っていた記憶がある。

 そして、トウキョウにあるすべての病院が、けが人をそれぞれの病院へと搬送した。そこまでの動きは今でも、テレビでドキュメンタリーが組まれるほど賞賛されるべき迅速な行動であったという。

 では、何が問題だったのか。

 それが、当時医学の中で注目されていたアンドロイド用擬似心臓機関『流体動力』だったのだ。重軽傷者含め一万人以上が病院に搬送されたが、その半数以上が『流体動力』に頼った手術になった。もちろん、技術は確立されていたために失敗などありえなかった。だが、けが人の数が数だったために、急遽、流体動力を利用していたアンドロイドから動力を取り出し、手術のために充てたのだ。これ自体は強制されたものではなく、アンドロイド保持者の判断による寄贈、という形が取られた。ここもまた、歴史の中では賞賛されている部分だった。

 しかし、手術は八割以上が失敗に終わった。原因は、アンドロイドから流用した流体動力にあった。

 流体動力は利用者の身体の動きを完全に記憶していることが判明し、それが適応されていない身体に流し込むと拒否反応を示すとのちに解明されたが、もはや世の中は「何故そうなったのか」などという説明を求める段階になかった。

 結果として墜落事故は多数の死者を出し、俺は両親を失った。

 ほんの一握りの人間が手にすることの出来た、新品の流体動力をこの身に宿して。

 俺の心臓は偽物だった。

 飛行機事故で身体をボロボロにされた俺は、ほかのけが人と同じく病院に運ばれたが、出血多量と複数の骨折で一度はその命を失いかけた。だが、止まりかけた心臓と流体動力を接続する事により、奇跡的に命を繋ぐ事が出来たのだ。

 当時は、それは自分の命を救ってくれたこの心臓に感謝もした。だが、同時にこの機関は俺の両親を殺しもしたのだと気づいたとき、自分の胸の中にあるものが一体なんなのか、分からなくなってしまった。

 ついには、俺と同じく新品の流体動力によって生かされた人が自殺をするという事件も起きた。その気持ちが酷く分かってしまったが故に、当時、俺は何度も死に方を考えた。

 それでもなお、この命を絶たなかったのは、ひとえに申し訳ないからだ。

 この心臓を捨てる事は許されない。生き延びるしかない。その思いだけで、俺はここまで生きていた。

 ――だから、この命を「ブランド」と称するアンドロイドが、俺は理解出来ない。

 この命は、化粧品と変わらないと、奴らは言うのだ。多数の命を奪い、そして俺を生かし続けるこの機関を「永遠の美」などというわけの分からないもののために、奴らは使おうというのだ。

 仕方ないことだ、などとは言いたくはないが、やはり仕方のないことだった。あの飛行機事故を覚えている人間はもう腰も弱った老人くらいしか残っていない。過去の戦争の話を聞かせるかのようにでしか、事故のことは扱われないのだ。

 俺はただ一人、あの事故を体験した若者として、現代に生き続けている。




「コウタロウ、肌もっと優しく洗ってちょうだいって、いつも言ってるでしょ?」

「……」

「ちょっと聞いてるのっていたたたたっ! なんで耳を引っ張るのよ!」

 俺はミオの耳を摘んで、ぶらぶらと宙で揺らした。首の切断部分はゴムテープで巻いて水が入らないようにしてある。髪の毛の重力に従って、くるくると首が回っていた。

「年上ぶるな、腹が立つ」

「だってあたしのほうが年上でしょ? ねえ、コウタロウくんは何歳ですか?」

「百歳」

「し・ね♪」

 と、こんな風に実際の年齢を言っても信じないどころか、よくよく見てみれば俺が少年の様をしていることに気づいてから、やたらとお姉さんぶるようになった。そして、こいつを女のように扱う必要は無いのだと分かったとき、俺は風呂に入るときにタオルさえ巻かなくなったのである。

「ちょ、やめ、変なもん見せんな! あたしの純情が穢れる!」

「なら少し黙れ。お前は喋りすぎだ」

「……へーい」

 ぶすっと唇を尖らして、ミオは目を閉じた。

 ミオの柔肌を、やたらとふわふわしたスポンジ(ミオに買わされた)で叩くように洗いながら、俺は彼女を眺めた。

 こうして見ると、首から下がないからか、まるで人形師の作った造形物のように思う。いや、アンドロイドの肉体とはそも、そういう立ち位置のものなのかもしれないが、やはり人間ではないという事実が目の前にあると、どうも気味の悪い感じはする。

「コウタロウってさぁ、ませすぎじゃない? いくら相手が生首だからって、女の子相手に下半身見せ付けて平気でいられるって、あんたどんなプレイボーイなのよ」

「ませてるも何も、百歳を超えてるって言ってるだろうが」

「随分それ押すけど、なに、流行ってんの?」

「……もういい」

 とは言え、こうも気さくに話せると、なんというか随分と現実味を帯びたもののような気がしてしまうのは、少しばかり慣れすぎたせいだろうか。

 ミオを家に置くようになってから一週間が過ぎようとしていた。ミオは俺が学生だと思っているのか、毎日のように「今日は学校行かないの?」「大丈夫? 悩みがあったら聞くよ?」「あたしが先生に言ってあげようか?」と勘違いに加えてお節介という面倒臭さを固めて搾り出したようなやつになっていた。このところ、学校に行くふりをして家を一日開けたほうが楽なのではないかと思いはじめている。

 ミオが俺に求めているのは二点。

 身体を探す、もしくはスペアでもなんでもいいから、脊髄システムを接続して身体が欲しいということと、髪の毛と肌の手入れだ。

 前者に関しては製造元を訪ねるか、国家資格を持つ研究機関に依頼しなければならない。一見して難しくないように思えるが、何しろ金がかかる。貯蓄がないわけではないが、見知らぬアンドロイドのために家が一軒建つような金を出すのはさすがに渋る。

 後者は特に不自由なく手伝えているが、何しろミオがうるさい。ああしろだの、こうしろだの、マナーにはうるさかった母親でも、ここまでではなかった。

 曰く、

「言ったでしょ、あたしは可愛くなくなったら死ぬの。だからコウタロウも、あたしの肌が少しでも「あれ? ちょっと皺が増えたんじゃない?」って思ったら、全身全霊を持って皺消しに取り掛かってちょうだい。その皺、放っておくと死ぬわよ」

 まったく意味が分からなかった。アイドルとは難儀なものである。

 俺は湯船に浸かるためにミオを手すりに添えつけた台に置き、ゆっくりと湯の中に身を沈めた。少し熱めの湯が肩から腰に渡って染みる。ふう、と大きく息を漏らした。

「アイドルとお風呂に入ってるって、どんな気分?」

 やたら弾んだ声でミオが聞いてきた。

「どうもしない。お前、本当にアイドルか? ただの口うるさい女にしか思えないんだが」

「し、失礼ね! こんなチョー可愛い子を見て、どの口がそんなことを叩けるのかしら」

「顔はな。性格は最悪だ」

「あーそうですか、じゃあもう一緒にお風呂入ってあげない」

「そうか。それはせいせいする。じゃあ明日からお前は洗面台だな」

「……あれ? 本当に残念じゃないの? そんなに強情にならなくてもいいのよ。若きパッションを抑えることも青春の一つではあると思うけど、時には素直にならないと、誰からも相手されなくなっちゃうわよ? 彼女、いないんでしょ?」

「彼女……? あぁ、いないな」

 あまりにも遠い響きに、一瞬ガールフレンドのことだと分からなかった。

「え、嘘……なにその「ああ、そんなものもあったな」みたいな反応。ホモなの? それとも不能?」

「……」

 呆れて声も出なかった。こいつは俗にまみれすぎている。

 改めて自分の身体を見る。鍛えてはいないため、かなり痩せているが、およそ実年齢とはかけ離れた肉体をしていることは間違いない。確かに、今の自分を見て「女に興味がない」風な装いをしていたら、そう疑われるのもおかしくはないか。

 実際、恋愛なんてしている暇はほとんどなかった。

 この百年という時のうち、半分以上を研究に費やした根っからの研究者である俺は、思えば女性と触れ合う場もほとんどなかった。

 そう考えたら、なるほど、目の前の生首であるが美人であるミオに変な気持ちを抱いてもおかしくはないのかもしれない。

「……ないな」

「なんであたしのほうを見ながら言うのよ。なんかむかつくんですけど」

「失敬。お前がアリかナシかじゃなくて、恋愛するか否かって話だ」

「ないの?」

「ない」

 きっぱりと言い張れる。

「俺は、死に場所を探してるんだよ。だから、今更そういうことには興味が沸かない」

「……はぁ?」

 やはり、ミオには冗談に聞こえているようだった。

「自分の命を全うできる、最後の場所があるはずなんだ。……いや、それがどんな場所なのかは知っているんだが、どうもたどり着けそうになくて、何年も、何年も俺は生きてきたんだ。そろそろ死にたいなと思っても、死ねそうにない」

「……本気で言ってるの? やっぱり、何か悩みがあるの?」

「だから言ってるだろ。俺は既に百年生きている。肉体は事故の時から止まったままでも、中身はみんなと同じように腐っていってるんだ」

 ミオはようやく俺の言葉に真実味を感じたのか、今度は茶化してこなかった。

「流体、動力……?」

 今度こそ、ミオは俺の心臓部に確固たる目的を持って目を向けてきた。ただそれは、ミオの言う永遠の美への憧れのものではなく、何か恐ろしいものを見る目だった。

「そう。お前たちが美のブランドとして憧れる、流体動力だ。俺はこれによって生かされ、そして俺の目の前でこれによって多くの人間が死んだ」

「トウキョウ中央区飛行機墜落事故……」

「よく知ってるな」

 アイドルをやっているアンドロイドが、あの事件を知っているとは思わなかった。素直に感心して、少し腰を上げた。

「話に聞いた事があるくらいだけど、あれでアンドロイドへの流体動力の使用が一時期禁止になってたって」

「そうだな。アンドロイドから流体動力が流用出来ないと分かった政府は、アンドロイドが流体動力を使うことの意味を問い始めたんだ。本来、流体動力はアンドロイドの擬似皮膚細胞を長らく維持させるために作られたものだったんだが、そもそも、当時は風営法が厳しく設けられてアンドロイドが肉体を維持するということに対してあまり意味がなくなり始めていた。それ以前は、風俗店や客寄せをはじめとするアンドロイドの肉体や外見を売りにした商売が盛んだったために、流体動力は各業界が喉から手が出るほど欲しがってたみたいだが」

「で、でも、今はもうアンドロイドへの使用は禁止されてない。風営法も改正されたし」

「そのきっかけとなったアンドロイド人権法案、その更にきっかけとなった事件を知ってるか?」

「……知らない」

「別に責めてるわけじゃない。そんな顔をしなくていい。出よう、少し上せてきた」

 ミオを抱えて、風呂場から出る。脱衣所で、先にミオの髪を拭いてやる。前に放りっぱなしにしていたら、髪の毛が痛むだのなんだのでぎゃーすか言われたのを思い出した。水気をしっかり取ったら、自分の身体を適当に拭いて、服を着た。

「その、きっかけとなった出来事って何よ」

 冷蔵庫から冷やしておいたミネラルウォーターを引っ張り出したとき、テーブルの上でドライヤーを待っているミオが聞いてきた。

「元々、アンドロイドには人権なんてものはなかった。EMO回路が発明され、アンドロイドにある程度の人間性が認められたときでさえ、アンドロイドはまだ「モノ」だった。これは、人権法案が通る少し前まで変わらなかった。だけど、流体動力の利用に関することで、ある研究者がアンドロイドの存在を脅かす発言をした」

「……なに?」

「流体動力の実験に、アンドロイドを使うということだ」

「――っ」

 聞いていて気持ちのいい話じゃないだろう。特にアンドロイドの彼女にとっては。だが、話を止めろとも言われなかったので、俺は続きを語る。

「飛行機墜落事故の際の医療現場の話は割と有名だと思うが、流体動力の流用によって多数の死者を出したのが、あの事故最大のミスだった。無論、そのあと流体動力は研究が進められた。だが、色々なことが判明しても、試そうにも試せない。流体動力はモルモット等にはサイズやコストの問題から実験がしにくい一面があったからだ。だから、アンドロイドを使おうという話になった」

「それで、アンドロイドを実験に使ったの?」

 ドライヤーを取って、ミオの髪の毛に当てる。スイッチを入れると、生暖かい風が髪の毛の間を通って、手のひらを撫でた。

「使わなかった、というよりは使えなかった。その時だったんだ、アンドロイドの人権問題が発生したのは。今までアンドロイドは「モノ」であるという認識が意識の下層にあって、決して表層には出てこなかった。でも、そうして実際にアンドロイドを「ヒト」として扱わずに実験台とする思考は、世の中に出た瞬間、下層にあった「モノ」の認識を刺激し始めた。元々、アンドロイドを友達だとか、家族だとか言う要人も多かったからな。むしろ、それがまかり通ると思った研究員のほうが馬鹿だったというわけだ」

「……どんな実験をしようとしていたの? そいつは」

「流体動力は擬似皮膚細胞に一度循環し始めると、それが人間であれアンドロイドであれ、皮膚細胞の動きを記憶してしまう。そうなると、もう他人には流用できなくなる。これをどうにかするためには、動力を取り外したのち、一年以上停止状態で待機させて流動をとめなければならない。……が、そんな年月停止していると、ワクチンが死ぬ。だから、研究員は考えた」

 我ながら、馬鹿馬鹿しい発想だと思う。当時から、アンドロイドを人間として扱ったことなど一度もなかった。だから、きっとそういう人たちの考えなんて、一度も考えたことがなかった。

「擬似皮膚細胞をけが人から採取し、その皮膚細胞を元としてアンドロイドを製造し、そのアンドロイドに流体動力が順応した後に、けが人に移植することで、拒否反応を防ぐ事が出来ないか、というものだ」

 とどのつまり、流用する流体動力を一度、別のアンドロイドで中継しようという考えだった。

「……アンドロイドに、動力を毒見させようってこと?」

「そうだ」

「……最低ね」

「まったくだ」

 櫛を入れながら、さらさらの髪の毛を乾かす。この手が、そんな汚濁にまみれていると、ミオは気づいているだろうか。もしかしたら、察しているかもしれない。

「なあ、アンドロイドが人型である意味って、なんだと思う」

「何よそれ。あたしに存在意義でも聞いてるの?」

「人権法案が議論されていたとき、何よりも比重を置かれた論点はそこだったんだよ。そもそも、ヒトと同じ肉体を持っているアンドロイドは何なのか。俺たち人間は、アレを尊重するべきなのか否か。今一度、それを問うてみようじゃないかと、世論を集った。するとどうだ、世の中には、思っていたよりもアンドロイドを尊重したいという人物が多かったんだ」

 アンドロイドは、世界に進出しすぎた。もはや生活の一部と化したアンドロイドに対して、今さら「ヒト」だの「モノ」だのという論点を持ち出すほうがおかしかったのだ。

 ドライヤーのスイッチを切る。櫛を置くと、ミオはそれに視線を取られながら、自嘲するように言った。

「あたしは、こんな身体だから、人間と一緒なんだよなんて口が裂けても言えないけどさ、みんなと同じように扱って欲しいなって思う」

 そう、ミオは透き通った露のような願いをつぶやいた。

「大体の世界は、そういう風に出来ているはずなんだけどな」

「大体は、ね」

 苦笑する。生首少女は、そうやっていつも強がっていた。

「あぁ、そうそう。あたし、身体見つけちゃったわ」

「見つけた……? どうやって?」

「テレビよテレビ」

 俺が外出中は、暇で暇で仕様がないということでテレビをつけっぱなしにして出ていっていた。しかし、身体を見つけたとはどういうことか。

「あたしの身体で、踊ってたよ、誰かが」

「――」

 一瞬、その姿を想像して吐きそうになった。思った以上にきつい言葉が飛んできた。ミオの表情を伺うと、それはもう、死にそうな顔で笑っていた。

「いや、さすがにそりゃねーよって思ったけどさ、よく考えてみれば当たり前の話じゃん。あたしの頭がいらなくて、身体が欲しいって、そういうことでしょ? 顔と身体は売り物になるけど、あたしのキャラは売り物にならない」

「……いやまて、いくらなんでもそれはおかしい。お前の性格がどれほど悪くても、首を引きちぎって別のヘッドにつけかえるなど、正気の沙汰じゃなければ、コスト面から見ても割に合わないぞ」

「この話の流れで言うのもあれなんだけど、あたしプロデューサーに言ったんだよね」

 ――リーダーの流体動力が欲しいですって。

 それは、ミオの話から聞くに、おかしな話ではなかった。アンドロイドにとって流体動力は永遠の美を獲得するブランド品。それを求める事の何がいけなかったのか。

「コウタロウは知らないと思うけど、流体動力って、結構アンドロイドの中ではタブー視されてるんだよ」

「何故? 憧れの品じゃないのか?」

「それはそうだけどさ、でも、分からない? 流体動力は並みの財産をはたいたくらいじゃ買えないのに欲しがるってさ、それつまり、あたしの言った通り、「リーダーの」が欲しいんだよ」

「……流用か」

「そ。あたしたちはみんな、歴史の知識として飛行機墜落事故を知っている。もちろん、動力の流用が死者を出した事も知っている。でも現代では、その動力がブランド化されている。欲しいよ、欲しいけどさ、それってさ、おかしいことなんだよ」

「どういうことだ?」

「それが、死ぬかもしれないってことを、知ってるんだよ」

 危険思想と呼ばれるアンドロイドの禁忌が存在する事を思い出した。

 それは、人間とアンドロイドが共存するために必須である「力の行使」と「防衛本能」に関するタブーを犯す、アンドロイドの故障の一部と言われている。

「誰かの何かを奪いたいって感情も、もし得てしまったら死ぬかもしれないっていう感情も、そのどちらもがタブーを犯しかねない。卑怯だよね、動力をブランド化したのは人間だっていうのに、欲しがったら危険思想として廃棄されちゃうんだよ」

「それが……お前が処理された原因だっていうのか?」

「多分ね。あたしをスクラップにしなかったのは、あたしにも人権が適応されてるからだと思うけど、まあ、ヘタクソな隠蔽だよね」

「どうしてあんなところに捨てられていたんだ、本当に拾ってくれと言っているみたいじゃないか」

「あれは、変なおばさんがあたしを最初に拾ってくれたんだけど、結局助けてはくれなかったんだよね。まあ、当然っちゃ当然だけど。どんな物好きがこんな生首拾うかって話。それで、箱に「ひろって」って書いてくれて、あの場所に移動させられた」

「そう、か……」

 なんとも言えない気分だった。はじめはこいつに説教してやるつもりで話を始めたのに、カウンターを食らった気分だった。

「でも、コウタロウに拾ってもらえてよかった。なんだかんだでしっかり世話してくれるし。業者なんかにもってかれたら一瞬でポンコツだからね」

 そんな笑えない冗談も交えて、ミオは続ける。

「あーあ、どーしよ」

 それは追い討ちをかけるようにして、笑うのだ。

「どこにも帰れなくなっちゃった」

 だから俺も、冗談交じりに言った。

「新しく見つければいいさ。人と同じように生きたいと願うのであれば、そんな場所のひとつやふたつ、失ったところで痛くはない。こうしてお前は、俺の家でぐうたらしていることだしな」

「何それ。全然面白くない」

 微笑を浮かべるミオは、やはり美しい少女だった。それに釣られて、俺も久々に笑ってみたりする。だが、全然うまくいったような気はしなかった。

「あ、今あたしのこと可愛いなって思ったでしょ」

「顔だけはな」

「顔しかないんだからそれでいいのよ」

 ああ。

 何か思い出した気がする。こういう営みが久しぶりすぎて忘れていたけれど、きっと楽しかったんだろうなと自分の記憶を探り出す。でもやっぱり思い出せない。

 今こうして、ミオと話しているうちは、思い出せなくても大丈夫。

 そう思っていたのに。

 俺はミオの右頬に、黒いほくろのようなものを見つけてしまったのだ。

 


      ■■■



 その日は雨だった。灰色の空から、きついしめりっけのある雲の香りを吸い込み帰路についていた。研究機関に頭部だけのミオを脊髄接続出来ないかどうかを交渉しにいった帰りだった。幸い、ボディパーツはこちらで用意出来るので、思った以上に金はかからなかったが、それでも貯蓄の半分以上は飛んでいきそうな値段だった。かつての同僚と話もしてきた。生首少女の話をすると、お前もぬるくなったな、と笑われてしまった。

 確かにぬるくなったと思う。だが、先日の話を聞いて、アンドロイドも動力に苦しめられているのだと知ったとき、俺の心は少しだけ晴れたような気はする。いや、はじめから誰のせいでもないのだと分かってはいた。ただ、納得出来ない心が、固く結ばれた糸を解くように緩んでいったことだけは間違いなかった。

 自身の財産をはたいてまでミオを助けにいこうと思った理由は二つある。

 一つは、恐れていた事態が起こり始めたからだ。

 アンドロイドが流体動力を求める最大の理由とは、永遠の美という大きな理想の前に、自らの肉体の腐食を防ぐというれっきとした現実がある。擬似皮膚細胞は通常の肉体と違って腐食のスピードが段違いに速い。毎日のように手入れをしていても、皮膚細胞に送られるワクチンがなければ腐食は止まらないのだ。もちろん、それは通常の営みの中でどうにでも出来ることだが、ミオの場合、首から上だけしか存在しないというのが問題だった。

 元々アンドロイドの肉体、つまり上半身下半身を含む全身には動力ほどではないにしろ、細胞の中を行き来する流体が存在している。これは通常、人間で言うところの心臓部の機関によってコントロールされるのだが、ミオにはそれがない。皮膚細胞の劣化を止めるための機関がないために、腐食がとんでもないスピードで始まってしまうのだ。

 数日前、ミオの頬に大きな黒い斑点が出来始めているのを確認した。本人には告げていないが、恐らく烈火のごとく怒り出すに違いない。

 これを、早急にどうにかしてやろうというのが一つ目の理由。

 もう一つは、ただのお節介だった。そう、ただ気まぐれに、あいつのことを助けたくなった、それだけだ。犬を飼っている人の気持ちが少し分かる。あれだけ世話をしていると、少しの愛着くらいは湧くものだ。

 家に帰ると、付けっぱなしにしていたテレビの音が聞こえてきた。傘立てに傘をいれ、濡れた靴を脱いで自宅に上がる。

「ただいま」

「……」

 ミオはいつもの通りテーブルの上でテレビを見ているようだが、集中しているのだろうか、返事の一つもなかった。

「なんだ、そんな面白い番組がやってるのか?」

「……」

「……ミオ?」

 そこで、ようやくミオの様子がおかしいことに気がついた。

「……どうした?」

「……テレビを消して」

 言われた通り、テレビのスイッチを押して消す。正面に立つと、人を殺しそうな形相でこちらを睨んでいた。少し驚いて、足が止まる。

「どうして黙ってたの」

「黙るって、何を――」

「顔のことよっ!」

 キーン、と耳鳴りがした。

 しまった、テレビだ。テレビの反射で見えるくらいには、ミオの顔の腐食は進行していたのだ。今までは隠せてたのに、甘かった。

「言ったよね? あたし、この顔と髪の毛がなくなったら死ぬって、言ったよね?」

 詰め寄られているわけでもないのに、俺は後ずさって逃げるように身体を退けた。そうだ。ミオは常々言っていた。自分に残されたこの顔と髪の毛があるから、自分は生きていけるのだと。

 でも、だからこそ言うわけにはいかなかった。

 この腐食は、新しい身体を得ることである程度回復する。そうなれば、ミオは何も知らないまま、綺麗な姿でいられるのだ。

「落ち着けミオ。お前の言いたい事は分かるが……」

「分かってない。これさ、腐食が始まってから結構経ってるよね?」

「……」

「答えて」

 観念して、俺はテーブルの前に座った。

「一週間前ほどから、腐食の兆候である黒い斑点を見つけた」

「どうして言ってくれなかったの」

「待て。だから俺は、研究機関にお前の頭と身体を接続してもらえるように頼んだ。恐らく、再来週には検査も含めて施術が始まる」

「そんなことは聞いてないわ。どうして言わなかったのって、そう聞いてるの」

 驚いた。身体をせっかく用意したというのに、まるで聞く耳を持たずに荒波のように怒り狂っている。落胆はするが、それに対して俺がどうこう言う資格はない。

 だが、なんだ、その質問にどう答えたらいいのか分からないでいた。

 何故に俺はミオに斑点のことを隠した? その必要はどこにあった? ミオとて分かっていたはずだ。身体なくしてはどんなに手入れを入念にしようが、限界があるということを。アンドロイドの肉体はいずれ腐食するということを知っていたはずだ。隠す必要なんかどこにもなかった。

 強いて言うとすればなんだ?

 そう、俺のわがままだ。ただ気まぐれに、こいつのことを助けたくなった。そのお節介が、この状況を招いている。ただそのことだけは分かった。

「もし、あたしに気を遣ってくれたんだとしたら、それは大きな間違いよ、コウタロウ」

「……何故だか、聞いてもいいか?」

「あたしは、綺麗な身体が欲しいわけじゃないのよ」

「なに……? はじめに言ったことと矛盾しているじゃないか」

「あたしは、綺麗じゃない身体を、他人に見られたくないのよ……」

 泣きそうな声で言って、彼女は俯いた。

「それならまだ間に合う。脊髄を接続して一週間もすれば、腐食は回復する」

「間に合わないわ。だって、コウタロウがもう、見てるじゃない」

「俺、が……?」

 目の前にいる彼女は、初めて会った時と比べると、別人のようだった。白く透き通っていたはずの肌はところどころ虫に食われたように黒く変色しており、額の辺りの腐食は直接髪の毛に影響を与え、黒くなった部分から生えている髪は艶を失い渇いた土のようになっていた。

 もしかしたら俺は、とんでもないことをやらかしてしまったのかもしれない。

 何より、楽観視していた。腐食が進んでも、脊髄の接続に成功すれば回復する。なら、ミオを助けるのは腐食が始まってからでも遅くはないと、むしろ腐食が始まってからどうするべきかと考えるなどと、そんな風に思っていた。

「アンドロイドが人型である意味って、なんだと思う?」

 過去、議会から投げかけられたものと同じ問いが、俺に飛んでくる。

 その時、俺はこう答えた。

「ヒトの、エゴだ」

 もしもアンドロイドが人型であることで問題を起こしたのならば、それはすべて人間の責任になる。何故ならば。

 ――アンドロイドを意味もなく人型にしたのは、人間だからだ。

「人型であることに意味なんかない。ただ人間は、神話で神が自らと同じ形に人間を作ったように、自分たちも人間の下に作られる、同じ形をしたモノが欲しかったんだ。俺たちは、科学の力によってファンタジーを引き起こしていたに過ぎない」

 だから人類は、一度その責任と取らされた。

 アンドロイドに人権を認めるという、危険な法案を通したのだ。これは言わば、神への冒涜にほかならない。本来下にいるべきものが、同じ位置まできたのだから。

「アンドロイドが人型である意味を問われたら、俺は、それを人間の我侭だとしか言えないと思う」

「そうだね、きっと、そうだった」

 俺は頭を下げた。謝罪の言葉は見つからないし、謝っていいことなのかも判断がつかなかった。だから、せめて彼女の顔を見ないように、頭を下げたのだ。

「でも、あたしたちからすれば、それは逆の話」

「逆……?」

 頭を下げたまま、そう聞き返す。

「あたしたちアンドロイドはさ、人間と違って、多分死ぬことはないと思う。でも、人よりもずっと早くに皮膚が腐って、老いもしないのに身体はボロボロになる。最後には骨格と基盤だけになって、それでも動き続ける」

「そう、だな」

「でもそれは、単なるロボットで、アンドロイドじゃない。あんたたち人間がそのカタチで生まれてきたように、あたしたちアンドロイドも誰が意図したことであろうが、このカタチで生まれてきたの。どれだけこの身体に替えがきこうが関係ない。あたしは、生まれたそのカタチのままでいたい。人間だってそうでしょう?」

「……ああ」

 本当に、そう思う。

 生まれてきたカタチのまま、俺だって、死にたかった。

「あたしは腐りたくない。たとえ腐ったとしても、その姿を誰かに見られたくない。嫌だもん。あぁ、こいつは自分たちとは違う生き物なんだなって、そう思われるのが。たとえ首だけになっても、人の顔をしていれば、まだ人と同じでいられる。人型であることには意味なんてないのかもしれない。でも、人型でありたいと願い続けるのは、あたしたちの我侭なのかもしれない。だから、腐って中が見えてしまったら、もうダメ。死ぬしかない」

 でも、それだけは。

「それだけは、賛同しかねる」

 顔を上げて、ミオを見ると酷い顔をしていた。

「どうして」

「もしもどこかで、自分が生きる意味を否定されたとしても、死ねないんだ。お前は考えたことがあるか? この流体動力が、およそ一万人の死体が積み上げられたその上に立っているものだってことを。それを殺せるか? 殺せない、絶対に殺せない!」

 あの慰霊碑に刻まれた名前の数々を見るたびに、この心臓は何故生かされたのか、何故俺だったのかと、何度も何度も問いかけて、それに何の意味もないことを知って、じゃあ俺が生かされた意味はどこにあるんだと考えて、その意味さえもなくて、この命がどれだけ空っぽで重苦しいものなのかと気づいたとき、何度死にたくなったか。

「別のモノだってことは苦しいが、それだけで自分を捨ててしまうのは、あまりにも小さい。俺もお前も我侭だ。自分がこういうカタチをしていることに意味なんかありはしないのに、それを求めて止まない。そんな我侭まで捨ててしまうのは、業が過ぎる……」

「……ごめん。なんか子どもみたいなこと言って」

 子どもみたいなのはお互いさまだった。

 じっと、雨音が破ってくれている静寂に背中を預けるように俺とミオは黙った。

 言ってしまおうか。

 もう、今しかないかもしれない。

 みんなして我侭だった。自分がこうありたいから、こうしたいからという理由だけで何かを蔑ろにする。昔の俺もそうだったし、今も変わらない。人を救うことを考えるばかりにアンドロイドを蔑ろにした俺は、こうしてまた、ツケが回ってきている。

 もうここまできたら、言ってしまっていいんじゃないだろうか。

 息を吸ったら、吐くしかないように、俺はそれを口にした。

「――流体動力が、欲しいか?」

「……え?」

 言って、しまった。ミオはそれまでの会話をすべて忘れてしまったように、呆けた顔で俺を見ていた。

 ずっと考えていたことだった。でも簡単に言い出せることではなかった。

 これはお互いにとって、あまりにも我侭な話だからだ。

 俺は再び息を大きく吸って、同じことを繰り返した。

「流体動力が欲しいかと聞いたんだ」

「ちょ、待って、何を言ってるの?」

「俺の中にある、流体動力が、欲しいかと、そう聞いているんだ」

 ごんっ、と自分の胸を拳で打った。

 言葉の意味が少しずつ浸透していったのか、みるみるうちにミオの表情に鬼が宿る。

「――っざけないでよ! 舐めてんのかよ!」

 もはや怒号と呼ぶに相応しい怒り具合だった。しかし、ミオには俺の胸倉を掴む手もなければ、踏み込む足もない。

「我侭を突き通すとは、そういうことだ」

「……っ! 何それ、自分が正しいことを言ってるとか思ってない?」

「正しい正しくないじゃない。お前がそう望み、俺がそう望むのならば、こうなることは自明の理だ。少なくとも、おかしなことじゃない」

「そもそも、流体動力の移植なんか出来ないって分かってんでしょ!」

「出来る」

 そんなことは、ずっと前から証明されていた。驚愕に言葉をなくしたミオを横目に、当たり前の知識を口にする。

「前にも言っただろ。同じ皮膚細胞を持つ肉体には拒否反応を起こさないのだと」

「同じ皮膚細胞って、そんなの……」

「言ったはずだ、俺の家にはボディがないことはない。顔面から足の先まで総じて、すべて俺の皮膚細胞で作られたボディが存在する。それにお前の今の首を癒着させる形を取って接続すれば、流体動力の拒否反応は起こらないはずだ」

「……待って、待ってよ」

「流体動力の移植手術は本来禁止されているが、俺のものは別だ。俺と、そして移植先の同意があれば流体動力の移植を行えるようになっている。なにせ、動力移植の第一人者は俺だからな。研究の為にほかの誰でもない俺の肉体を差し出すというのなら、相手の同意があれば可能になる。どうだ、何の不安もないだろう」

「…………移植が成功するとは限らないじゃない。実験してないんでしょ?」

「そうだな、だからそれが、俺の我侭だ」

「――っ」

 この命は、決して捨てられない。

  

 八十年前の飛行機事故以来、俺がすべての人生を捧げてきたのは、流体動力の移植手術に関するものだった。だから、長い時間を経てたどり着いた擬似皮膚細胞の移植とアンドロイドを利用した中継手術を発見したとき、俺はすべてを全うしたのだと思った。

 だが、それは世間に受け入れられることはなかった。

 アンドロイドをなんだと思っている。お前たち研究者のモルモットじゃないんだぞ。と、似たような言葉を嫌になるほど投げつけられた。もちろん、アンドロイドをモルモットとして扱うつもりなどなかった。ただ結果として、俺はアンドロイドのことなど微塵も考えていなかっただけだった。

 ただ一度の実験さえも行われず、アンドロイドの人権保護法という、アンドロイドを守る法律だけ俺の行為によって生み出された。あの日、多くの死んだ人々を救いたかった俺の願いは、アンドロイドたちを守った。

 この発言により、俺は研究の第一線から身を退けることとなる。飛行機事件の生きる証人として名を知られていた俺は、一気に非人道者としてのレッテルを貼られ、半ば隠れるようにして、研究の日々から姿を消した。

 本格的に死のうと思ったのはその頃だった。もはやこの命では誰も救えない。単独で数年間研究を続けたが、流体動力を人間に移植することは、中継なくしてはどうやっても不可能だった。擬似皮膚細胞が「人間のカタチ」をしたものの中で脈動していなければ、結局記憶したカタチを維持出来ない。別のものにはどうやっても置き換えられなかったのだ。

 これ以上の研究は意味を成さないと悟ったとき、生きる意味を失った。

 でも死ねなかった。

 せめて、この俺の中にある流体動力。一万人の死体が積み上げられたその上で生き残ったこの動力だけは、殺してはならないと、そう心に誓っていた。

 この心臓で、誰かを救いたい。

 そこが、俺の死に場所だと。

 

「俺は、人を救いたいと、ずっと思っていた。アンドロイドではなくて、人をだ」

 それが、目の前で死んだたくさんの人への手向けだと思っていた。

「でもお前が、人と同じでありたいとそう願い、そうあろうとするならば、俺はこの身体を使ってお前を救ってやりたいと、そう思う」

「……待ってよ、一人で勝手に喋らないでよっ」

「お前ほどではない」

 そんな悲しそうな顔をさせるつもりはなかった。また、何かを蔑ろにしてしまったのかもしれない。でも、それがきっと、我侭を通すということなのだと思う。だから、頭を下げる気は全くなかった。

「……流体動力を移植したら、コウタロウはどうなるの」

「死ぬだろうな、一瞬で」

 分かっていて聞いてきたはずだろうに、ミオの表情は一気に強張った。

「擬似皮膚細胞は健康であっても、俺の中身はスカスカのボロボロだ。手術の負荷に耐える耐えないに関わらず、まず心臓が動かない」

「……あたしには死ぬことは業が過ぎるとか言っておいて、自分は死んでもいいの?」

「ミオ、勘違いするな。お前も言っていただろう、アンドロイドは人よりも早く皮膚が腐るが死なない。だが、人間は皮膚が腐らなくとも、いずれ死ぬ。元々俺は死んでいるのと変わらない身体だ。むしろ、元のカタチに戻るんだよ」

「元の、カタチ……」

「俺は百歳だ。嘘じゃない。でも、お前は俺を自分より年下だと言い張った。お前なら分かるだろう? お前は俺を、百歳の人間とは別のものだと言い張ったんだ」

 ミオは、人型のアンドロイドであるというその意味を自身の容貌に求め、それを死にたいと願うほどに別のものであるという認識を忌避していたように。

 俺だって、百歳のじじいらしくいたかった。

 ミオは言葉を詰まらせ、必死に俺を論破する言い訳を探しているが、ここまでだ。

「もう一度聞こうか。ミオ、お前は流体動力が欲しいか?」

「――」

 

 ――ほんの少しだけ、「いらない」と、その言葉を聞きたかった。


「――欲しいに決まってるじゃない……」

 でもその言葉を聞いたとき、俺は心底安心してしまった。

「あんたが死にたがっているのと同じくらい、あたしは生きたいのよっ! 死にたがってるあんたには分からないでしょうねぇ! あたしはこんなに可愛いの、死ぬのが惜しいの、みんなと同じように愛されて、生きていきたいのよっ!」

 そうだ。俺には分からない。人とは違っている今の俺には分からない。人として生きたいと願っているお前の気持ちが、人でない俺には分からない。でもこいつには分かっている。俺の苦しみが分かっている。自分のカタチでないものになってしまう恐怖をこいつは知っている。

 ああ、申し訳ない。

 こんなに苦しそうな顔をしているミオを前にしているのに、俺は嬉しくてたまらない。

 百年という時を経て、死に場所を見つけられたことが嬉しい。

 自分の人生における唯一の遺産が残せて嬉しい。

 この心臓が、誰かの手に渡ることが嬉しい。

 このすべてのエゴが、あまりにも、人らしい。

「どうして、そこまでして生きたいと願うんだ」

 本当に死ぬわけじゃない。ただ、人型アンドロイドとして死んでしまう。そのことを酷く恐れている少女に、俺はそう聞いた。

「意味が分からない……生きたいって思うことに、理由なんかありはしないのよっ」

「それが、何かを蔑ろにしてもか」

「我侭だから……仕方ないもん……」

 正しい。あまりにも正しすぎて、直視出来ないほどに。

「もし、コウタロウが生きていたなら、あたしはこの選択をしなかったかもしれない。卑怯だよね、あたしなんか首だけしかないのに生きてるっていうのに、コウタロウはそんなに健康そうに見えて死んでるんだもの……っ」

 死んでいる。

 そうだ、生きちゃいない。八十年前のあの日、俺は確かに死んだ。

 でも待ってくれ、そうじゃないんだ。

「人は、死ぬ生き物だから」

 この八十年は、ただこの瞬間の為に生かされた。

「多分、まだ生きてるよ」

 我侭な八十年間を、今なら生きていたと、そう言える気がするから。

 我侭な八十年間を、今なら生きていて良かったと、そう思えるから。

 だから、言わせて欲しい。

 老婆心ながら、若者へ一言。

「人として生きろよ、アンドロイド」

 この女を救えるということが、嬉しい。

 そのことが、あまりにも、人らしい。

「人として死んじゃえよ、このボケ老人……っ」

 初めて知った。

 アンドロイドって泣けるんだな。




 流体動力の移植手術に初成功したのは、およそ八十年以上も前になる。被験者は齢百歳にして青年の身体を持つという奇妙な老人小橋航太郎と、トゥウェンティーガールズという当時のアンドロイドアイドルグループの一人、ミオというアンドロイドだった。経緯は謎であるが、当時から擬似皮膚細胞の適性さえあれば移植手術は可能だと主張した小橋氏の意見に賛同する形で、ミオは頭部以外のすべてが小橋氏の擬似皮膚細胞を基にしたアンドロイドに、EMOチップごと移植をした。つまり、頭部、動力、皮膚がすべて別のところから来ているという異色な手術だったという。

 手術後、動力に任せていた身体のあらゆる部分が死滅し、小橋氏は死亡。これにより、百八十年ほど前に起こったトウキョウ中央区飛行機墜落事故の被害者はすべて死亡したこととなった。小橋氏には中央区にある墜落現場を改装した公園にある慰霊碑ではなく、新たに銅像が作られ、流体動力移植の権威として名を残すこととなった。

 一方、アンドロイドのミオは今でもお茶の間をにぎわすアイドルとして活動中。流体動力を身体に宿している彼女は皮膚細胞が一切劣化しないため、恐らく八十年前と変わらぬ姿であるのだと思う。今年のテレビ出演数も年間トップであり、各メディアから引っ張りだこにされている。小橋氏とのエピソードは頑なに口を閉ざしており、やはり経緯は謎に包まれたままである。

 もう一つ、ミオの忘れてはならない業績がある。流体動力の移植には人体と同じ構造を持った擬似皮膚細胞の流動が記憶されてなければならない。そのため、人間に動力を移植する場合はアンドロイドを経由しなければならない。これは小橋氏が存命であった時代に問題となったアンドロイドの人権問題に深く関わっており、アンドロイドをモルモットとするその思想が危険視され、結果として流体動力の移植は禁止されていた。しかし、ミオの働きによりアンドロイドの同意があれば、擬似皮膚細胞の移植を一時的に行い、動力の流動を記憶させることが可能になった。しかしこれはアンドロイドと人間、どちらにとっても危険を伴うものであり、現代においても成功率は百パーセントではない。それにも関わらず、アンドロイドの協力者多く、これはミオがメディアの中で常に人とアンドロイドの共存ということを強く口にしているためだと思われる。

 これが、流体動力の大体の様相である。

 ノートを閉じると、タイミングよく看護婦さんが入ってきた。僕を安心させようとしているのか、これから大きな手術が行われるというのに、にこにこと笑っていた。

「さ、行こうか?」

「……はい」

 僕はこれから、流体動力の移植手術を受けにいく。



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[一言] 本気で面白い作品だと思いました。 物語の流れが自然で、すべての物事が順に繋がっていき、驚かせるような展開の持っていきかたが秀逸です。 設定的にも無理がなく、読者の頭に入りやすい単語を使用して…
[良い点] 文体の歯切れが良い。比喩も秀逸で読みやすい。書きなれている文章だと思います。ミオとのやり取りも面白いし、なにより甘ったるすぎないところがいいです。 [気になる点] 最後、下から8行目誤字だ…
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