7.戦い済んで夜が明けて
晶の手を引いたまま表に飛び出す、というか一気に飛び降りる。着地と同時に、背後で何かが消え去る感覚がした。振り返ると、そこにはもやなんてもうなかった。平然とそこにあったのは、ごく普通の一戸建ての住宅。晶の家、だった。
結界を作っていたあの人と、彼が作り出していた結界が同時に消えた。そして、サムライアリさんたちが自分の世界に帰っていったのが感じられる。
「ありがとね。助かっちゃった」
私は彼らにもう届かないだろうお礼を言って、振り返った私の目の前に落っこちてきた玩具を拾い上げる。玩具の端っこに貼り付いていた最後の一匹が慌てて駆け込んだのを確認して、私は扉を閉じた。
「閉門。お疲れ様」
玩具の扉と共に『別の世界への入口』も閉ざして、ぐるりと周囲を見回した。入ってきたときとは違う風景に、興味が湧いたから。
ここは多分、晶の家のお庭だと思う。晶の家は玄関が北向きで、入ってきたときは庭を見ることができなかったから。芝生が植わってて、隣の敷地との境にはひまわりとかいろんな草木が綺麗に並んでいて、丁寧に手入れしてあることがよく分かる。南側は駐車場で、お庭に降り注ぐ太陽の光を邪魔することはない。ちょっと防犯がなってないけれど、天気の日に洗濯物干したらすっきり乾くだろうなあ。家の庭は確かに広いけど、晶の家と違って何となくどんよりじめじめしてるから好きじゃないんだ。ちゃんとお日様も当たるのに、この差は何だろう。
携帯を取りだして時間を確認すると、五時半ちょっと前だった。夏は朝が早いから、既に周囲は薄明るくなっている。だからこそ、私が扉を開けることができたんだけど。
小さな玩具に接続したときに、時間が来ていたことは分かってた。ネズミさんたちが、彼らの持つ正確な体内時計で時間を教えてくれていたから。だから私はアリさんを呼び出すことができたし、そのおかげで晶を助けることもできた。
でも、そもそも、晶を危険に巻き込んだのはこの私だから。
だから、もうお別れしよう。しなくちゃいけない、とそう心に決めていた。
「……ほんとにごめん、晶。こんなことになるんだったら、最初から巻き込むべきじゃなかった。分かっていたのになあ」
だから、そう言って頭を下げた。私に、晶の顔を見る資格なんてないだろうし、これからは横を歩く資格もないだろう。そのことをちゃんと言って、今度こそお別れするつもりだ。まったく、本当ならゆうべにはもう別れてたのになあ。ややこしいことになっちゃったよ。
「ほんと、そうだよなあ。……責任は取れよ? 彩星」
ほら、晶もきっとそう思ってる。責任はちゃんと取る……何だかまるで、女の子を妊娠させちゃった男の子のお約束って感じ。いや、私は男じゃないからどうしていいか、よく分からないんだけど。
「うん。責任取って、もう会わない」
だから、自分なりに一番良いと思った『責任の取り方』をやることにした。だのに、晶の返事は大変に困る展開で。
「逆だろ、馬鹿」
「ほえ?」
彼の答えに、私はぽかんとしてしまった。何が逆なんだろう、晶の方から別れたいって言いたいのかなあと頭の中で訳の分からない思考を巡らせる私に、晶は少しだけ頬を赤くしながら、そして視線をちょっとだけ私からそらしながら言葉を続けた。
「責任取って、俺の護衛をしてくれよな。もう何年つき合ってると思ってんだ、今さら別れましたから俺とお前とは関係ありません、なんて通用すると思うか?」
さらに私、ぽかーん。
晶の言葉を私がきちんと理解するのに、多分一分くらい掛かったと思う。それから、理解した言葉の意味にパニックを起こしかけたせいで、返事をするまでさらに一分追加されてしまった。私、この手の予期しない言葉にはかなり弱いのよねえ。敵襲とかならまだいいんだけど。
「え、あとえと、それって」
おかげで、自分の口から出てくる言葉もこんな感じで的を射ていない。もう、見事に頭の中はパニクっていて、自分が何を言いたいんだかも何を言うつもりだったのかもどこかに吹き飛んでしまった。それでも晶の顔から目をそらさないあたりは、我ながら何だかなあ。
と、そこへもう一つ追い打ちを掛けてくれた、晶の台詞。
「んー、正直大して自覚はないんだがな。どうも俺、お前のこと好きみたい」
「え、え、えええええっ!?」
さすがに私は、びっくりして母音オンリーの叫び声をあげることしかできなくなってしまった。頭の中がパニックどころじゃない、真っ白になりそう。
正直に白状しよう。どうせ、心の声なんて晶には聞こえない。
聞いた瞬間、私はまずこの台詞は幻聴だと思った。
だって、晶が私を好きなんてあり得ない、と勝手に思いこんでいたから。晶と私は友達で、友達から先に進むことなんてないだろうと、これも勝手な思いこみ。
それに、晶は私のことをお母さんから聞かされたとかで知っているはずだった。私が何と言われているか、私の家がどんな噂を立てられているか。
そして、私のそばにいることでどんな目に遭うか。いや、これはもう実際に遭ってしまったのだから、話で聞いた以上のはずだ。
「だ、だってだって、まずいよっ! 私『錠前様』だよっ!」
「んなこた知ってる」
あっさり答えられた。ああそうか、晶のお母さん、こっちの生まれだって言ってたもんねえ。そりゃ知ってるわ。……そうじゃなくって。
「私と仲良くしたら、友達できないよっ!」
「うん、いないな」
これまたあっさり返された。確かに、私と仲良くしてくれてるせいで晶には他に友人ができなかった。うん、だからそうじゃなくって。
「寿命縮んじゃうかもしれないよっ!」
「そんなの、生きてみなきゃ分からねえじゃんか」
当たり前だろ、って顔で晶が答えた台詞には、目を丸くするしかなかった。そりゃそうだ。死んでみないと、寿命が縮んだかどうかなんて分からない。そもそも、その人の寿命が元はどれくらいあるのか、本人も知らないよね。……だーかーらー。
「だから、私から離れた方が安全だから!」
「そうか? 今日みたいなこと、もうないと言えるか?」
「な、ないことは……ええと……」
逆に尋ねられて、私は何も言えないで口を閉ざしてしまった。やりとりの途中から、自分でもめちゃくちゃなこと言っているなあというのは分かっていた。何が何でも晶には普通に生きて欲しいからって、自分で自分ちのよからぬ噂を口にするって言うのはおかしいよねえ。私は、自分の家や能力を卑下しているわけじゃないんだもん。ただ、それは私にとって当たり前のことなんだから。
だけど、それでも晶はあきらめてくれなかった。おかげで、私は自分の貧困なボキャブラリーを呪うことになってしまった。何しろ。
「…………どうしよう。断る理由がなくなっちゃった」
私はそんな理由を呟いて、その場にへたり込んでしまった。
だって、何を言っても晶はあきらめてくれないってことが分かっちゃったから。
そして、これ以上私に、晶があきらめるだけのネタが出せないってこともはっきり分かっちゃったから。
もう一つおまけに、私が晶を説得できないと言うことまで分かってしまったのだから。
ぶっちゃけてしまうと、この勝負私の負け、である。そりゃそうだ、説得できない以上、晶は私から離れてくれない。私だって、ほんとは……ほんとは、そばにいたいけど。だけど、それじゃあ晶は危険に巻き込まれるから。
「うん、それなら改めて。危ないことに巻き込んだ責任を取って、俺を守ってくれ、彩星。その代わり、いつも一緒にいるから」
私の悩みも知らず、晶は満面の笑みを浮かべてそんなことを言ってのける。
いつも一緒にいる、そんなこと言われて拒否できるほど私は薄情なつもりはない。だけど、晶をこれ以上危険にさらすことはしたくない。
「…………ど、どうしよう……」
大変に困った。困って、思わず足元にいるかんちゃんたちに視線を送ってしまった。
チチチ。
チーチチチ。
かんちゃんとばくちゃんは私を見上げて、困ったねえと言うように鳴いてくれた。うん、ふたりとも私の気持ち、分かってくれているんだねえ。
「ほら、ネズミ夫妻も俺に同意してくれてんじゃん」
ありがとう、と心の中でお礼を言った私に向けて、晶がそんなことを言ってきた。え、もしかして晶も、ネズミ夫婦が自分の味方だと思ってたりする?
「ええー!? 違うよー、晶じゃなくて私に同意してくれてんだよー。ねえ、かんちゃんばくちゃん?」
晶の勘違いをただすために、夫妻に尋ねてみる。と、ふたりはじっと私を見上げて、それからやれやれという風に人間で言うところの肩をすくめてみせた。それはもしかして、晶の解釈の方が正しいってことなのかな。
「えー、そうなの?」
チィ。
確認のために尋ねたら、ふたり同時に頷いてくれた。そうか、あんたたちは晶に同意してるのか。参った困った、どうしよう。
晶の言い分をまとめるとつまり、晶は私が何を言おうとも私から離れる気なんて毛頭ないし、それをできれば私に受け入れてほしいということらしい。要するに、これまでと一緒ってこと。
って、それじゃあ私の気持ちとは真逆じゃないの。いや、本心には適っていることなのだけど、それは困る。私は晶に、これ以上危険な目に遭って欲しくないだけなんだから。そのためには私と離れるのが一番なのに。
「ほら見ろ。ネズミたちも俺に同意じゃないか」
「えええ……困ったなあ……」
子供みたいに勝ち誇る晶と、対照的に凹んでしまった私。ネズミさんたちは私の気持ちも知らずにじーっと見上げてきてるし。ああ、こんなことなら晶を助けに来なければ良かった、と一瞬だけ思ってしまい、慌てて取り消した。そんなこと、間違っても考えちゃ駄目なんだから。
だって、私が来なかったらきっと、ううん絶対、あいつはじれて晶を飲み込んでしまっていただろうから。そうして、晶の姿を使って私のところに来ていただろう。結局のところ、あいつの目的はどうにかして私の能力を手に入れることだったんだから。いずれにせよ、あいつとはやり合わなくちゃいけなかったんだ。その出だしにおいて、晶が生きているか死んでしまうか、という二択があったということだけ。
と、ふと視線を感じた。顔を上げると、晶が私のことをじーっと覗き込んできている。ああ、すっごく心配そうな顔してる。私のこと、気にしてくれてるんだ。
「何で困るんだよ。俺が頼んでるんだぞ?」
「んー、あのね」
ええい、こうなったら自分の本心をぶちまけるしかないかな。それで晶が翻心してくれる可能性は正直低いんだけど、でも私、晶には嘘をつきたくなかった。今まで私を信じていてくれた彼を騙すのは、金舘彩星のプライドに関わる。
「……あのね。ほんとはね、晶のこと護衛させてくれ、って私も言いたかったの」
それでも、何だか晶の顔を正面から見ていられなくて、私は顔を伏せたままぼそぼそと口を動かす。だって恥ずかしいし、照れくさいし、泣きたくなっちゃうし。
「何だ。そりゃ願ったり叶ったりじゃねーか」
「だけど、それって結局問題解決にはならないでしょ? きっと、これから先も晶にはずっと迷惑掛けることになっちゃうから。それで、やっぱり別れた方がいいよね、って思って……」
あまり言葉で言うのは得意じゃない。かといって手紙やメールも苦手で、どうしても用件だけを記した簡単なものになってしまうのだけど。
でも、ここでちゃんと言わないといけない。自分の思っていることは、言葉じゃなくちゃ伝えられないから。私はただ、『扉』を開けられるという能力しか持ち合わせていない。晶の好きな漫画や小説やゲームにあるようなテレパシーなんて便利なもの、持っていないんだから。
「けど、昨日一応別れろって言われたけど襲われたぞ。今後も同じことが起きないって、お前断言できるか?」
だから、晶からこんな風に言われたら反論できない。確かに同じことが起きるかどうかなんて、私には分からない。分からなくて反論できないなら、相手の言い分を受け入れるしかなくなってしまう。本当なら、私もその方がいいんだけど。
でも、晶は襲われて、私が助けに来たのは事実で。多分、私を狙っているどこかの誰かには、私を引っ張り出すには晶を狙えってことがばれてしまっている。そうでなければ、直接に私や私の家を狙ってくるだろうから。
もっとも、私をおびき出すための餌がそもそも晶である必然性もないのだけれど……何で悪党っていうのは、目的の相手に近しい人ばっかり狙うんだろう。私が、晶以外の人を狙われても出て行かないような冷血漢だとか思われているんだろうか。それは大変に心外だ。私はそこまで冷たい人間じゃない、と思いたい。
「……参ったなあ。もう、どうなっても知らないよ?」
そこまで考えて、考えがいまいちまとまらなかったから私は、あえてそんな風に言ってみた。私と友人関係を辞めないなら、これからも晶には多分不幸が降りかかる。その原因は大概において私にあって、晶が私から離れれば少なくとも頻度は低くなるはずなんだから。
「何言ってんだ。どうもならないようにお前がいるんだろ?」
だのに、晶はそうやって笑ってみせる。笑ってる割にその耳が赤くなっているのは、もしかしなくても自分の台詞で恥ずかしくなっているからなんだろうけれど。
「つぁー、こっぱずかしい台詞言わせるなよなー」
「何よ、晶が勝手に言ったんじゃない」
ほら、自白した。晶が照れくさくないように、私は素っ気なく返事してみる。……してみたつもりなんだけど、何だか顔が温かい。もしかして私まで赤面しちゃったりしてるのかな。うん、まあ好意を持っている相手に頼られるのは悪い気はしない。少なくとも特殊能力の点においてのみだけど、私は晶より強いというかちゃんと戦える力があるんだから。
「そらそうだけどな。って彩星、お前顔赤いぞ」
「しょ、晶だって赤いよ」
やはり私、赤面していたようだ。互いに互いの顔色を指摘したせいか、思わず見つめ合ってしまう。どうしよう、視線を外すことができない。晶も同じ気持ちなのか、しばらくの間私と晶は相手の顔をじーっと見ていた。無言のまま、何も考えられずに。
数十秒だか数分だか。そのくらいの時間が経ってから、晶がふっと視線をそらした。それから、照れくさそうに鼻の頭をこりこり掻きつつ口を開く。
「……あー。で、でよ、彩星」
「な、何?」
言葉を返そうとしたけれど、ほんの数文字の台詞が上手く出てこない。これってあれだ、付き合い始めのカップル同士が照れまくってる図。うわあ、友人づきあい長いのに何だろう、この初々しさ。って自分で言ってどうする。
で、この状況をぶちこわしてくれたのは、晶が続けて口にした一言だった。
「そろそろ帰らないと、うちのおかんが気付くかもしれないぞ。おかん、六時過ぎには目ぇ覚めるから」
「……あ」
それはさすがにまずい。晶のお母さんは私のことを良く思ってない。いくら晶を助けに来たからってこんなところ見られたら……私が非難されるのは別に構わないけれど、晶がきっと大変だろう。せっかく二人の関係が、少なくとも今まで通りのままで良いってことになったのに、第三者の介入でこじれたらえらいことになる。
「うぁ、やばっ。か、帰るねっ」
慌てて裏の塀を乗り越え、駐車場に出る。私を追いかけてくるかんちゃんたちを確認して、塀の向こうの晶に振り返って手を振った。
「そ、それじゃまた、学校でねー」
「おー、またなー」
にこにこ笑いながら手を振り返してくる晶に大きく頷いてみせて、その後はもう振り返らなかった。夜明けの街中を駆け抜けながら、何となく私はすっきりした気分になっている。いや、すっきりというよりこれは。
「……徹夜かあ。違う意味で参ったな、もう」
恋に焦がれた浮かれ娘プラス寝てない故のハイテンション、という奴だろう。このまま今日学校行ったら、ただでさえ浮いているのに余計に浮いちゃいそうだなあ。どうしようか、ねえかんちゃん、ばくちゃん?