3.鍵を欲するもの
四畳半の、何もない和室の中央に私は座っていた。正座して、背筋を伸ばし目を閉じている。帰宅したときに着替えたので、今私が来ているのは藍で染められたシンプルな浴衣。長すぎて乾かし切れなかった髪にはシャンプーの匂いが少しだけ残ってる。そのうち、この髪は切ってしまおうかな、と思っているのだけど。ショートカットにしたら、晶はなんて言ってくれるだろう。
「……何言ってんだか。晶とは離れるって決めたじゃん、私」
頭を振ったら、ぱらぱらと音がした。髪から散らばった水滴が、畳に落ちた音だろう。そんな音が聞こえてしまうくらい、金舘の家の中はしんと静まりかえっている。そりゃあ、私ともう一人しかいないんだから静かだよね。
私の膝に、部屋の隅から走ってきた何かがちょこんと乗っかった。目を開くとそこには、黒くて小さな可愛らしいネズミ。私が『扉』から呼び出した、二匹のうちの一匹だ。もう一匹は……言うまでもないだろうけれど、晶のところ。何かあったら困るから、とつけておいたのが本当に役立つなんて。
ネズミはチチチ、と小さく鳴いた。オスなので彼、の報告は、晶が私と同類の誰かに襲われた、というもの。金舘の一族はそこそこあちこちに分家があるらしく、その全貌は私も把握し切れてない。だから、中には暴走したりする馬鹿もいる。
「……そっか。ありがとう、かんちゃん」
報告を聞き終えた私は、かんちゃんと自分で呼んでいるネズミさんにお礼を言った。ふっと顔を上げると、まだ濡れている髪の先からしずくが一つ、ぽたりと膝の上に落ちる。そこだけ紺の色が濃くなって、丸く穴が開いたよう。私の胸の中と一緒、晶が抜けた穴みたい。
「もっと早く離れてればよかったね。ごめん、晶」
金舘の本家には、『鍵』の能力を持っているのは私しかいない。そうして不完全な能力を持っている分家の人たちの中には、何が楽しいのか本家の私を狙ってくる奴がいるそうだ。『錠前様』がやりたいなら、いつでも代わってあげるのに。
今まで話にしか聞いたことはなかったのだけど、最近になってその話が急に気になってきた。だから私は、少しでも晶を危険から遠ざけたくて晶と離れようとした。晶の好きな本やテレビでは、こういう時って狙う相手の周囲の人間を狙ってくるのがセオリーらしいから。その矢先にこんなことが起きるなんて、ほんと私って馬鹿だなあ。
膝から飛び降りるかんちゃんには目もくれずに立ち上がり、浴衣の帯を解く。外出するにはさすがに、下着も着けてない浴衣姿ではいろいろ問題があるから。一度全部脱いでしまってから下着を順番につけていく。これは、私にとっては外に出て行くための儀式という感覚だ。
そうして下着の上から着用するのは、この数ヶ月ですっかり着慣れた高校の制服。ブラウスのボタンを一つ一つ丁寧にはめ、スカートのホックをきちんと留める。最後にブローチを襟元に止めて、儀式は完了。
ぱちりと携帯電話を開き、時刻を確認する。現在、十二時三十九分。見事に真夜中で、私の時間である朝までにはまだ四時間以上ある。困ったけれど、そんなことを言っている場合じゃない。
「どこの誰か知らないけど、第三者の一般人に手を出すなんて許さないよ。明け方まで持ち込めば、私の勝ちなんだからね」
私の個室に唯一置かれているのは、壁際の小さな座卓。その上に置かれた、折りたたみの携帯電話と同じくらい……厚みはそれより少しある小さな箱をポケットに放り込んで、私は部屋を出た。
玄関で上がり框に腰を掛け、これも愛用の……というか、これ以外には和装用の草履やら何やらしか持っていないから必然的に愛用になるんだけど……スニーカーを履き込む。しっかりとひもを結わえ、立ち上がって軽く爪先を地面に叩きつけて調子を見た。うん、晶と一緒にじっくり選んだだけあって足にぴったりなじんでる。
「これでよし、っと」
口に出して確認する。と、いつの間にか背後に生えていた気配がぴくりと動いた。
「お出かけですか、錠前様」
「そうよ」
背後の気配から降りかかった声に、私は振り返らない。さっきからそこにいるのは分かっていたし、私にとってはあまり会話の必要性を感じない相手だったし。声を掛けられたので、とりあえず肩越しに声のした方向へと視線を向けただけで答える。
私の背後にいるのは、中年のおばさん。着物の上から割烹着を着けており、まとめた髪が僅かにほつれてこれまでの年月と苦労を浮かび上がらせている。ただ、その両目に感情が浮かび上がっていないのが奇妙と言えば奇妙だった。そりゃまあ、この家に来てから二十年だったか、ほとんど下働き同然の扱いを受けていればそうもなるだろう。だけど、同情する気はこれっぽっちもない。
「お役目として、一般人を巻き込んだ責任は取らなくちゃいけないからね」
「承知いたしました。行ってらっしゃいませ、お早いお帰りを」
「……あのさ」
あくまで感情のないまま、義務的に言葉を放ちながらおばさんが頭を下げる。ものすごくむかついて、私は振り返った。ぎりと歯を噛みしめ、おばさんを睨み付ける。
ああ、今の私、きっとすごく不細工な顔してるんだろうなあ。こんな顔、晶には絶対に見せたくない。見せたくないから、この人にだけ見せてやる。
「何でしょうか。錠前様」
「一度くらい、名前で呼んでよ」
いつも私のことを、私が嫌がる呼び方で呼ぶおばさん。私は頑張って、怒りを抑えつつ口を開く。一度で良いから叶えて欲しい、ほんの些細な願い……なのに、おばさんは深々と頭を垂れ、私に顔を見せないようにして一言で返答する。
「それはできかねます」
んもう、あったまきた。そういう機械的な言葉って私、大嫌いなのよね。それでも、多分無抵抗であろう人様を直接ぶん殴るのはさすがにためらわれたから、私は玄関の壁を力一杯殴りつけた。がんという鈍い音にも、おばさんがたじろぐことはなかったけれど。かえって私の手が痛いだけだった。
それと、ぶん殴ることをためらった理由がもう一つ。
「何でよ。あんた、私の母親でしょう」
ははおや、という単語に力を入れて発言してみる。それでも『おばさん』は顔色一つ変えない。人形のように、という比喩がこれほど似合う人も珍しいだろう。お父さんが死ぬ前から、私はこの人をおばさんとしか呼んでいない。相手が名前で呼んでくれないから、私も母とは呼ばない。ただそれだけ。
「わたくしは、先代様に選ばれて錠前様に腹を貸しただけの女でございます。名を呼ぶなどという無礼を犯すつもりはございません」
こんな理由をつけて、自分が腹を痛めて産んだ子供の名前も呼ばないわ勝手にひれ伏してるわ、なおばさんの相手をしている暇はなかった。急いだ方がいい。
「ふん。名前で呼んだら私の身内だってばれて、みんなから嫌がられるのが目に見えてるからでしょ……全部私に押しつけてさ」
痛いのを承知で、もう一度壁をがつんと殴った。それから私はおばさんに背を向けて乱暴に扉を開き、家を出て行く。足もとを追いかけてくるかんちゃんの気配だけを拾いながら、そのまま早足で歩いて行った。誰にも聞こえないように、心の中と口の中だけで呟きながら。
「私のことを知っても……錠前様じゃなくて名前で呼んでくれたのは、晶だけなんだ。だから、私は晶を守る」
それは、晶が転校してきてすぐの頃。
給食の時間、仲の良い友人と机を向かい合わせて食べるクラスメートが多い中、普段私は一人で昼食を取っていた。だけど、ここ数日は違った。
「なあ彩星。お前、じょーまえさまっていうのか?」
私の真向かいに座っている晶がもぐもぐと肉じゃがを食べつつそう尋ねてきたとき、私はああ、来るときが来たな、と観念した。それまでも私のことを知らない者が仲良くしてくれようとしたことは何度かある。けれど、この地に伝わる『錠前様』の話を聞いた途端、誰も彼もが私と距離を置くようになっていった。彼女に近しい者は、表だって虐めを受けることはないものの町中から冷ややかな目で見られるからだ。この土地では誰もが幼い頃に聞かされる話。真実の伝承として誰もが潜在意識に強く刻み込んでいる『事実』なのである。
「……誰から聞いたの?」
急に声を低くしてしまった私にきょとんとしながら、晶は牛乳を一気に半分ほど飲み干す。口の中のモノを綺麗に飲み込んでから、出された質問に答えてくれた。
「母ちゃん。元々この辺で育ったんだってさ」
「ふーん、そっか。じゃあ、隠してもしょうがないね」
晶のお母さんがこのあたりの出身だってことを、私はこのとき初めて知った。向こうも隠すつもりはなかったのだろうから、それについて文句を言うつもりはない。私の素性を説明する手間も省けたし。
「私、そういうやつだから近づくな、って最初に言ったっしょ」
一夜漬けの大根を一枚だけ白飯に乗せてから、私は晶を見つめてたしなめるように言い聞かせた。直後に口に入れた漬け物が、子供向けにしては微妙に辛かったことが今でも印象に残っている。いやまあ、あまりマイルド過ぎる漬け物ってご飯に合うかなあ、とは思うんだけど。
「うん、言ったな」
一方、晶は漬け物をどさどさと全部白飯に盛りつけた。一気にそれらを口の中に掻き込む……って、あんなに食べたら辛くないのかなあ。その勢いに、一瞬自分の言いたいことを忘れ、ぽかんと晶を見つめてしまう。
ほんの数秒ほど真っ白になった頭を振り、私は気を取り直して言葉を続けた。
「……じゃあ何で、今ここで一緒に給食食べてんの?」
「お前は嫌か?」
即座に返ってきた言葉。それまでひとりぼっちで食事を取っていた私には初めての、お昼を一緒に食べてくれる友だち。だけど、それはつまり、晶を他のクラスメートから引き離すという行為に他ならない。子供というモノは、ちょっとした理由で仲間はずれにするものである。それが自分たちが生まれたときからの風習に基づくモノであるならば、なおさら。
「私は嫌じゃないけどさ、あんたはどうなのよ。ほら周り見なさいよ、あんたまで仲間はずれとかされちゃうよ?」
そうと分かっているにもかかわらず、他人の前で晶と平気で会話を交わす自分も痛いなあ、と私は心の中でだけ呟く。けれど、今ここで晶との関係を絶てば少なくとも、晶が私の友達だからと仲間はずれにされることはあり得ない。それが分かっているからこそ私は、今この場でこの話題を出したのだった。
皆の前で、鷹乃晶は金舘彩星の友人ではないと示すために。
けれど、その思惑は外れてしまった。
「んー、何か知らないけど、嫌なんだよな。母ちゃんさ、彩星のこと知りもしないで悪口ばっかり言うし。今だって、一人でお昼ぽつーんとしてて寂しそうだったから」
晶は周囲の目を知ってか知らずか、そんな風に言ってのけた。ひょいと手を伸ばし、私の肉じゃがからジャガイモを強奪する。まあ幸い、今日の盛りつけは量が多くて困っていたから助かったのだけど。その代わり私は、ちょっと大げさに溜息をついてみせる。さすがにこんなところでかんしゃくを起こして、ただでさえ冷たい視線の温度をさらに下げるつもりはなかったしね。
「あんた、馬鹿でしょ」
「かもな」
「自覚あんの」
「そりゃ、少しくらいは」
「…………はあ」
あるのかよ、と今ならツッコミ入れてしまいそうだなあ。
そんな感想はともかくとして、ジャガイモを口に頬張る晶と、牛乳を飲みながらの私の会話は少ない言葉のやりとりで続いていく。周囲の児童たちの視線は私たちに集中してるし、その中に担任教師のものが混じっていることにも気付いていた。外部から来た教師ですら、錠前様を恐れる周囲に汚染されるかのように同じ意識を持つようになってしまう、この土地。
もっとも、昔は火事と葬式と化け物関係以外は関わらないようにしてきた周囲も、現在ではそこそこ変化している。普通に買い物はできるし、学校には通えるし、家には電気もガスも水道もちゃんと通っている。先代こと私の父親は、私に錠前様の任務を継がせた後はどこぞで能力を生かしているらしく、ちゃんと月々お金が振り込まれてくる。そうでないとこの現代、人間生きてはいけない。
「ま、表だって嫌がらせはしてこないか」
「何が?」
ぼそっと呟いた独り言を、晶が聞きとがめて尋ねてくる。ちょっとむっとしながら、白飯をかつかつと胃袋に掻き込みつつ周囲に視線を走らせてみせた。あはは、みんな慌てて視線そらしてるよ。先生まで。
「周囲の連中。私だって村八分気味だけど、別に買い物とかは自由にできるしね。死なれちゃ困るからだろうけどさ」
ごくん。
一息に米を飲み込み、それからわざと不機嫌そうに晶を睨み付けてみる。睨まれた晶の方は、何故自分がそんな目で見られなければならないのかさっぱり分かっていない顔だ。これはもう、その身に事情を叩き込んでやるしかないだろう。ちょっと手間と時間が掛かりそうだなあ、と私は内心で溜息をついた。
「少なくとも、私に深入りするな。言ったからね?」
自分では精一杯きついなあと思える目と口調で、念を押した。それに対する返答は、あまりにも脳天気な晶の台詞で。
「おう、分かった。ところでデザートのみかん、食わないならくれよ」
「分かってないし」
……本当に分かるんだろうか、ともう一つ溜息をついてしまった。目の前で楽しそうに、二つめのみかんをむき始める友達を見つめながら。
結局、私の努力が思いっきり無駄に終わってしまったのは言うまでもない。
高校生になった今もなお、晶は私のそばにいてくれた。その代わり、他の友人というものを手に入れることができずに過ごしている。中学に上がったときにはせっかく友人ができそうになったのに、私のことが話題に上がってしまったとかで晶のそばから人が引いていった。高校も、遠くの学校を選べば良かったのにわざわざ地元の高校を選んだために、中学と同じことが繰り返されたのだ。土地に縛られてる私と違って遠くの高校を受けられるんだから、そうすれば良かったのに。
彩星がひとりぼっちなのを見ていられない、と晶は高校を選んだ理由をそう言った。地元を離れられない彩星のそばにいるのだ、と入試結果発表の場で胸を張ってみせた晶の姿は、今でも覚えている。
嬉しくない、といえば嘘になる。やっとできたたった一人の友達が、私を気に掛けてそばにいてくれてるんだから。
「……好意を持ってもらってる、なんてのは私の自惚れなんだけどね」
人気のない夜中の道路をすたすたと、かなりの早足で歩いていく。足下をちょろちょろ動き回るかんちゃんを踏まずに済んでいるのは、彼が私の動きを見きって上手く避けているからだろう。もう少し離れて歩けばいいのになあ。
「それでも、晶は私が守る。私が助ける。それでもって……」
そこまで口にしたところで足を止める。到着した場所は、一軒の家。古い家が多い中でこの近辺だけは最近立てられたものが多く、この家もその中の一軒だ。
既に室内の明かりは消え、住人が眠りについていることを示している。門灯がついているのは、防犯対策だろうか。まあそれだけなら、ただの深夜の一軒家だ。
『ただ』ではない部分が、私の目にははっきりと見える。二階の南側……こちらから見ると奥にある一室だけが黒いもやに覆われ、外からその部分を確認することが難しいという不思議な状況になっているのだ。
門に掲げられた表札は『鷹乃』。もちろん、晶の自宅だ。住所だけは知っているけれど、実際に訪問したことはない。こうやって外から見上げるのだって、今回でやっと二度目だ。一度目は初めて私の能力を見られたあの日。玄関まで私が送ってきた、というか晶に引っ張って来られた。あれから……四年だか五年だかになる。
「私から離れてもらう。それが晶にとって、一番良いことだと思ったからなのに……何でこんなことになるんだか」
もやを睨み付ける私の胸ポケットで、微かに携帯電話が震えた。む、と自分のささやかな胸元を睨み付けながら、即座に小さな機械を引きずり出して耳に当てる。いいよ、胸が大きいと胸ポケットに物を入れるの大変だもん。
『こんばんは。彩星くん』
「あんたね。晶にちょっかい出したのは」
知らない声がなれなれしく呼びかけてくる。私はそんなに気の長い方じゃないから、露骨に不機嫌な声を電話の向こうに叩き込んでやった。だけど、電話の向こうの声はその程度じゃあ怯まない。のほほんとマイペースな言葉をこちらに流し出してくる。
『ああ、そんなに心配しなくていいよ。彼は丁重に保護させてもらっているからね』
「保護じゃなくって返しなさい。あんたが用があるのは私なんでしょ?」
『つれないねえ、錠前様』
私のことを錠前様と呼ぶのは、晶以外の全員。実の母親ですら、金舘彩星の名で呼んではくれない。そして、私は自分が錠前様と呼ばれるのが嫌いだ。
ただでさえ苛立っているのに、嫌いなその呼び方をされたら頭に来る。おまけに私の名前を知ってるくせに錠前様呼ばわりってことは、目的も大体絞られてくる。
電話の相手が憎たらしくて、ぎりと軽く唇を噛みしめながら拳を震わせる。必死に自分の感情を抑えて、無理矢理言葉を絞り出す。掠れてしまっているのはきっと、喉がからからだから。
「……やっぱり、私の鍵の能力が目当てか。こんなの、どこがいいんだか」
『ふふ。君にとってははた迷惑でもね、僕たちにとってはたまらない魅力があるんだよ……便利な出入り口だしね』
私の声に怒りがこもっていることくらい電話の向こうの相手にも分かったはずなのだけど、彼……であると推測されるその口調にまったく変化はない。そのせいで、かえって私は苛立ってしまっている。。
だけど、今聞き取れた彼の台詞から、私は相手の正体に当たりを付けた。
「あんた、『向こう側』の人間?」
少しばかり声が上ずる。私の声の変化に、相手はどうやら私がうろたえたことを知ったらしく、ククッと喉を鳴らして笑う声が聞こえた。あーむかつく、絶対叩きのめすと思ってたら、相手からの言葉が耳に入った。
『おっと、話はここまでだ。後は、直接会ってから』
「あ、こら! 晶は!」
いけないと思い、つい晶の名前を叫んでしまった私に、相手は楽しげな口調で言葉を続ける。こういうタイプ、私は一番嫌いだ。自分が優位に立っていると知ると尊大な態度を取り、逆の立場に立ったらきっと卑屈になるだろうこういうやつ。
『安心して良いよ。君がおとなしく来てくれれば、彼に危害は加えない……彼も大人しくしてくれれば、だけどね』
相手の言葉がとぎれると同時に、晶の部屋を包み込んでいるもやに変化が生じた。その一部がゆらりと帯状にまとまり、私の足下へと伸びてきたのだ。それはおぼろげなまま階段を形作り、ゆらゆらと蠢く。
そうか、登ってこいってことね。あんたのテリトリーへ。
『さあ、どうぞ。入ってこられた後は、道なりに進めば僕のところにたどり着くはずだよ。お出迎えくらいは用意してあるけれどね』
その言葉を残し、ぷつんと回線が切れた。むっとしつつ携帯電話を元のポケットに戻し、すうはあと大きく深呼吸。そうして私は、階段の上につながっている晶の部屋の窓を見上げた。あー、できればこんな形でなくて訪問したかったなあ。まず無理な注文だけど。それ以上に、家に呼ぶってのが無理か。あんなかび臭い家に晶を入れたくないし、おばさんにも会わせたくないし。あー、こう言うときだけ家がうっとうしいなあ。
いろいろごちゃごちゃ考えてしまっている私をよそに、チチ、とかんちゃんが小さく鳴いた。多分、私に注意してくれたんだろう。止まっていちゃ駄目だよ、と。
それをきっかけに、意識を現実に戻して私は心を決める。どっちみち、私が先に進んで行かなくちゃ話は始まらない。晶のところにもたどり着けない。
「ありがとう。お招きいただき光栄、ですわ」
ゆっくりと、右足を階段に掛ける。左、右と一歩ずつ段を踏みしめながら、私は何故か笑っている。楽しさから来る笑みでもなく、悲しさに付随する笑みでもなく、それは。
「ええそりゃもう、まとめてぶっ飛ばしたくなっちゃうくらい」
女を舐めるなという、宣戦布告だった。