2話 王子と王女
予には生まれた時から何故か記憶があった。それは前世の記憶。どうやら予の前世は人という種族だったらしい。だが、受け継いだのは前世の個ではなく記憶のみ。多少影響はあるだろうが、予は予であり、人ではない。予は蟲だ。
予がこの世界に生まれ落ちて初めて見たのは女だった。その姿は人に似通っており、予の記憶から判断すると大変美しい分類に入る。そんな女が予を抱き上げ、優しく語りかけてくる。
聞けばこの女、自らを予に殺して欲しいという。
……理解できない。
「何故に予が貴様に手を下さねばならぬ。」
予がそう言うと、その女の顔はみるみる曇っていった。
「残念ながら最後の王子は不適切と判断する。」
横にいた甲殻に身を包んだ者がそう言った。
予を判断する?
その弱さでか?
実に面白い冗談だ。
更に面白いことに、こやつ、予に斧を向けてきた。
「いやーーー!!!!」
女の悲鳴と斧が予に振り下ろされたのは同時。
だが、遅い。その程度の速さで予に挑もうとは片腹痛いわ。
予は迫る斧を避け、一瞬にしてこやつの胸に飛び込み、心臓に腕を突き刺す。
「予に牙を向くとは愚かな奴だ。」
確実に心臓を潰した。予を敵に回して生き残れるとは思わぬことだな。
予はその愚か者の腕を引きちぎり、喰うてみる。
「不味いな。」
弱き者の肉などこんなものか。
人の記憶ではこれはやってはならぬことらしいが、予は蟲である。蟲は肉を喰らえば喰らう程、強くなる種族。それが強きものの肉なら尚更だ。しかし、残念ながらこの者の肉は予が喰らうには値しない。
こやつへの興味も薄れたので周りを見てみると、先ほどまで予を抱き上げていた女が泣いているのを見つけた。
これは明らかに前世の記憶が原因なのだろうが、予には美しき女が涙を流していることが許せないようだ。
「何故に泣いている?」
聞いても答えは返ってこない。
さて、どうしたものか。
「ベルゼブル。」
それは予の母上からの言葉。
「それがあなたの名です。」
ベルゼブル、蟲の王の名。
「それが予の名か。悪くない。」
予は女を抱き上げる。この女は休ませた方が良かろう。
その前にもちろん、血やら他の液体は全て体から振り落としておいた。
「あなたには、そこの三人を近衛兵として与えます。好きにお使いなさい。」
母上の目線から察するに、予に与えるという近衛兵は予の前で頭を垂れる二人と今、予が抱き上げている女一人のことだろう。
「予を休まる場所まで案内せよ。」
この女を早く休めてやりたい。まったく、前世の記憶などという厄介なもののせいで予はおかしくなってしまったようだ。
「御意。」
頭を上げた二人は女だった。その内の一人は明らかに怯えており、一人からは狂信的なものを感じた。
狂信的な者は立ち上がると予を案内すべく、歩き出した。怯えている者は予が視線を外してからやっと立ち上がり、予の後ろをついてきた。
「こちらでございます。」
案内に従い洞窟を進んでいくと、扉のある場所に辿り着いた。
途中、遭った者共は例外なく予に頭を垂れた。その者共と予に与えられた近衛兵を比べると、予の近衛兵は特別、人に近しい容姿をしている。唯一、人と違うのは頭に触角があることぐらいだろう。
そして、予の容姿は明らかに人ではない。どちらかというと、頭を垂れる者共に似通っている。体の色も浅黒く、所々に甲殻もあるし蠍のような尻尾もある。人というよりも虫に近い。
予が手を離せないのを悟った一人が扉を開ける。扉の向こうは豪華な部屋になっていた。記憶にはもっと豪華な部屋もあるが、"科学"の無い世の中でここまでの豪華さは見事としか言いようがない。
予が抱える女をベッドに寝かせる。
「ベルゼブル様、いけません。ここはあなた様のお眠りになる場所。私ごときが眠って良い場所ではございません。」
ベッドに寝かされた女が慌てて起き上がった。
「よい。今は眠っていろ。」
「しかし……」
予が言っても無理やり起きようとする女。
「予が良いと言っているのだ。」
少しだけ威圧する。それで女は大人しくなった。
「ベルゼブル様、私達が名乗るのを許して頂けませんか?」
狂信的な方の女が言う。確かに名前があった方が便利なのは確かだ。
「そうだな、予にお主等の名を聞かせろ。」
「ありがとうございます。
私の名前はモニカと言います。
御用の際はいつでもお呼びください。」
モニカと名乗ったのは狂信的な女。容姿は大変美しい。特に黄色い髪と、大きな胸が特徴的である。
「私はカリンと言います。
そして、そちらで眠っているのがキリカです。」
カリンと言う女は予に恐怖を抱いているようだ。カリンは銀色の髪にモニカと同程度の体型の持ち主で、やはり大変美しい。
そして今眠っているキリカは黒髪にスレンダーな体型の美人。スレンダーな割には胸もあるようで、相対的には大きく見える。
……このような分析をしてしまうのは前世の記憶のせいか。
予は特に性欲や肉欲は感じていない。
強者との戦闘欲は大いにあるのだがな。
本当ならば、すぐにでも外におもむき、強者を探し、その肉を喰らいたいところだ。しかし、眠っているキリカを放っておく訳にもいくまい。
本当に、前世の記憶とは難儀なものだな。
「ベルゼブル様、先に御食事になさいますか?」
予は空腹を感じている。
「用意しろ。」
「「御意。」」
さて、果たして予を満足させるような馳走は出てくるか。
「……ん」
馳走を待つ間にキリカが目を覚ました。
「ベルゼブル様!?」
「なんだ。」
顔色も良くなっている。これならもう心配せずとも良かろう。
「あのあのあのあの」
ひどく動揺するキリカ。顔も赤く息も荒い。
しかし、キリカが何か言う前に扉が開かれモニカとカリンが現れてしまう。
「キリカ、起きたならこちらに来て手伝いなさい!!」
「はい!!」
予のベッドから抜け出し、二人のもとへ向かうキリカ。体も問題ないようだ。
「こちらが御食事になります。」
しばらくして予のもとに出されたのは豪華な料理の数々。
「うむ、美味いな。」
だが不味い。味は素晴らしいのだが、素材が悪い。素材の肉が弱過ぎる。
「残りは主等で分けよ。」
一口ずつ喰うて予は立ち上がった。
「それとキリカ、主は服を着替えた方が良い。」
キリカは先ほどから雌の匂いをさせている。特に気になる訳ではないが、奴自身が気持ち悪いだろう。
「…………はい。」
「予は外で待っている。モニカ、主はついて予の案内をせよ。」
予がここにいてはキリカも気まずかろう。
「御意。」
そして予とモニカはこの城を見て回ることとなった。