ガス人間の『いとしのエリー』と、2人の思い出
私は最近、彼女と『ガス人間(Netflix)』を見た。
作中では、サザンオールスターズの『いとしのエリー』が重要なものとして描かれていた。
彼女は、いとしのエリーの2番を毎日歌っている。
◇
彼女は忘れっぽい。
だから、悲しみや不幸に対して耐性がある。
そうした忘却の加護があるからこそ、彼女は辛く悲しい事があったとしても、今日を生きている。
彼女はガス人間を見て、儚い幸せや人の想いを目に焼き付けた。
そして、その儚さや想いは、彼女と私が手を繋ぎ、息を切らしながら、小さな幸せを追いかけている日々と重なってしまった。
彼女は、これを執筆している私の後ろで、いまも、いとしのエリーを口ずさんでいる。
彼女と私は15年間もの月日を過ごしてきた。
2人でモンスターハンターを買って、彼女が強い敵を1人で倒したときには、小さなお祝いとして、スーパーのお寿司を買いに行った。
付き合い始めたばかりだったから、手を繋ぐのが恥ずかしくて、「いま夏だから、手繋ぐと汗ばむの嫌だね。」なんて言いながら、恥ずかしさを隠す言い訳を探した。
私は境界知能の彼女が、工夫して強い敵を倒そうと努力したことと、その努力が実ったことがすごく嬉しくて、お寿司を食べているときも、「すごいよ!マジですごい!」とずっと言っていた。
彼女は、サーモンに乗った玉ねぎを食べながら、「そんなにかな?」と言って困惑している。
レースのカーテンも、扇風機の風で揺れていた。
彼女は忘れっぽい。
私と過ごした夏休みや、2人が見てきた景色を日常生活で思い出すことは、ほとんどない。
でも。
風景を思い出せなくとも、「あのときは楽しかった」「幸せだった」といった感情は振り返ることはできる。
ガス人間のある人と同じように。
自分でその景色を思い出せなくても、あの日々で感じたものは、確かに心に残っているから。
私がいなくなったとき。
彼女は、いとしのエリーを聴くだろう。
きっと、2番を聴いた彼女は涙を流す。
2番のはじまりには、私と彼女が生きていた『愛しい時間』が、確かに残っているからだ。




