あの、ただお淑やかにしていただけなのですが……?
私、エレインは非常に淑やかな侯爵令嬢だ。
少なくとも表向きはそうだ。
腐っても侯爵令嬢。
外面だけは強固な仮面を接着剤でくっつけられたかのように、『侯爵令嬢』として完璧なものを取り繕い続けてきた。
お陰で社交界での私の評価は大変耳障りの良い言葉ばかり。
これは事実だ。
私の思い上がりではないしナルシシズムに磨きがかかっている訳でもない。
さて、そんな私だが、実は王太子オズワルド殿下の婚約者候補の一人でもある。
婚約者候補は毎月、王太子との二人きりのお茶会が定期的に開催される。
私とオズワルド殿下は同い年であるので、私達が通っている王立学園でも顔を合わせる機会はある。
よって今更二人きりになって緊張するような私では――
――あった。
そう、私は現在進行中で進んでいるこのお茶会ですらバリバリに緊張している。
何故なら、何が何でも王太子殿下の婚約者の座を掴まなければならないから。
理由は大したものではない。
オズワルド殿下に恋をしているとかそういう話でもない。
単に、家の都合。家族の総意。
王族との繋がりを必死で得ようとする理由などそれで充分だ。
私は侯爵令嬢フェイスで王宮の優雅なお茶会を楽しんでいるふりをしながらオズワルド殿下と話をする。
ただでさえ今は家のプレッシャー以外の問題を抱えている。私の心臓はいつ飛び出してもおかしくはなかった。
「今日もいい天気ですわね」
「ああ、そうだな」
オズワルド殿下はそんな私の気も知らず涼しげな顔をしている。
「最近はどうだ? 学園での生活などは」
「そうですね。友人達と楽しい時間を過ごしておりますわ」
「楽しい時間、ね」
オズワルド殿下が私の心を見透かすように目を細める。
「どうやら近頃、貴女が他の婚約者候補を虐めているという噂が流れているそうだが?」
(ひ、ヒィィィイイッ)
突然振られた話題に私は震えあがる。
手が震え始めたので非常に緩慢な動きで持っているカップをテーブルに戻した。
それでも顔だけはいつも通りの淑やかさを貼り付けて耐える。
「ああ、そのような噂もございますわね。……もしや殿下はあの噂を信じていらっしゃるのですか」
「……さあ? どうだろうな」
(そこは言葉だけでも否定してください……!)
何故か愉快そうにくつくつと笑うオズワルド殿下が恨めしくて、思わず私は睨みそうになってしまうのだった。
あの噂。
それはオズワルド殿下の婚約者候補の一人であるグレンダ伯爵令嬢を私が虐めているというものだ。
勿論私は何もしていない。十中八九、私を婚約者候補の座から落とそうとするグレンダ様の企てだろう。
ただ、この噂のせいで私は毎日のように周囲からチラチラとみられるようになったし、何よりもし大勢がこの噂を信じているのだとすれば、王太子の婚約者として私が選ばれるかどうかにも左右されてしまう。
故に死活問題。
とはいえ私自ら火を消して回ろうとしても逆に必死過ぎて怪しまれかねない。
そんなこんなで途方に暮れていた……そんな折の出来事だった。
「酷いわ、エレイン様! 毎日のように私を甚振って!」
ある日の放課後。
大勢が行き交うエントランス前でグレンダ様は私の名前を呼びながらワッと泣き出した。
どうやら噂の広まり方を見て、私を蹴落とす好機と捉えたのだろう。
お陰で私とグレンダ様に多くの視線が集まった。
私は内心で心臓と情緒が暴れ狂い、今すぐにでも頭を抱えたい衝動を何とか留めて、彼女を静かに見据えた。
あくまで『侯爵令嬢』としての振る舞いを保ったまま、動揺していない風に見せかけて。
「あら、グレンダ様。甚振ったとは、具体的にどのようなお話です? 私、一切心当たりがございませんが」
「毎日のように私を裏庭に呼び出して、暴行や暴言を繰り返したではありませんか!」
「あら、それが事実だとすれば上位貴族の風上にも置けませんわね。……ところで、そのお話が正しいのだとすれば、何故グレンダ様は毎回素直に裏庭まで向かったのですか?」
「そ、それは……っ、だって、エレイン様は侯爵令嬢で、私は伯爵令嬢です! 命令されれば従うほかありませんわ!」
「であれば、その前にオズワルド殿下にでもご相談すればよかったのではありませんか? 一度目ならまだしも二度目以降は何をされるかわかるのでしょうから」
そんな感じで。
とにかく粛々と、淡々と、出来る限りグレンダ様を論破していった。
その最中で、私は野次馬の生徒達の声に気付く。
「まあ、普通にあのエレイン嬢がグレンダ嬢を虐めるメリットってないよな」
「そもそもエレイン様が誰かを虐めるとか、考えられませんわ」
「どちらかといえばグレンダ様の日々の行いの方が目に余りますし……」
「まあ、今最も婚約者として有力なご令嬢へ悪評をでっち上げたってところだろうな」
そんな言葉ばかり耳に届く。
……なるほど。どうやら私は必死に弁明せずとも、はなから何も失ってはいなかったらしい。
内面はどうあれ、外面だけは常に平然さを取り繕っていたのも大きかったのだと思う。
淑女として振る舞った結果、私が恐れるような事は何も始まらず、寧ろグレンダ様がただただ自滅するだけという結果で、この騒ぎは幕を閉じたのだった。
さて、騒ぎの後初めての王宮でのお茶会。
オズワルド殿下は普段と変わらない素振りでお茶を飲んでいる。
私はというと、内心はすっかり上機嫌だった。
最も恐れていた悪評が偽りである事も証明できたし、婚約者候補としての地位は継続されている。
そんな時だった。
「エレイン」
「はい」
「君との婚約が決まった」
いつもの雑談と変わらない声音で殿下がそんな事を言った。
「……はい?」
「君との婚約が決まった」
時が止まったかと思った。
しかし私は侯爵令嬢。
動じないふりを懸命に続ける。
「……そうですか。思ったよりも早かったですわね」
「理由は聞かないのか?」
「ええ、わかり切っていた事ですもの」
殿下が口元まで持ち上げたカップの裏――吹き出すような笑いが聞こえたような気がした。
「私が、君を婚約者にと陛下に言ったんだ」
「そうなのですか?」
一体何故。
そう過った疑問は口にせずとも殿下が答えてくれた。
「君を見ていると飽きないからな」
「私はしがない侯爵令嬢ですよ」
「まず侯爵令嬢にしがないという言葉は合わない。それを抜きにしても……付き合いが長いからこそわかる、心の機微や動揺……それを隠しきれていると思っている姿などが、大変面白くてね」
まるで私の内面を言い当てられたかのような言葉に私は息を詰まらせる。
「…………一体何のお話でしょうか?」
「何の話だろうな?」
オズワルド殿下はいつもと変わらない、腹の底が見えない笑みを浮かべた。
「まぁ……君に惹かれているという事だ」
そんな彼の小さすぎる呟きは、残念ながら、内心で動揺しまくっている私の耳には届かなかったのだった。




