推しとの接近(2)
「あーーーーーーーーーーーーーー、終わった…………」
愛佳はベッドの上であおむけに倒れて手の甲で目を覆っていた。ベッドの下にはスマホが転がっていて、今までそれは愛佳の宝物が詰まった小さな機械だったけど、今は呪わしい機械にしか見えない。
いや。……っていうか、自分がちゃんと消しておかないからいけなかったんだけど!
今日、玲人と一緒に駅まで下校した。駅について玲人は愛佳に、なんとラインの交換を申し出てくれたのだ。びっくりした。はっきり言って予想外の展開だった。今まで教室での様子を見るに、玲人からラインを交換したクラスメイト及び在校生は居ない。みんな、寄ってたかって玲人のラインを聞きたがっていた。廊下に群がる女子の中には教室内での玲人の写真を撮る者も居た。愛佳は彼らと一緒にならないよう、ラインはおろか、スマホも玲人に向けたことはない。それが一転、玲人からスマホを差し出してきたのだ。
シルバーの何の飾りも着いていないスマホカバーに覆われたスマホを出されて、愛佳は挙動不審になった。そして慌ててしまって、見せてしまったのだ。……玲人の、とびっきりの笑顔が映った『FTF』時代の玲人の写真がロック画面になっているスマホの画面を。
驚いてた。玲人は驚いてた。そして、あ、やっぱり、って言う顔をしてた。そうだよね、どう考えても『FTF』がターゲットとする女子高生で、ミリオンセラーを連発している『FTF』を知らないわけがなかったんだよね。愛佳の設定に、そもそも無理があったんだ。
『ごめん、本当はファンだったの。でも玲人くんの意思を尊重する。絶対にまとわりつかないし、ミーハーな行動はとらない。だから一緒に『普通の高校生らしく』高校生活満喫して欲しい』
愛佳に言えたことはそんな懺悔だけだった。玲人は、いいんだよ、と笑ってくれたけど、害がないと思ってくれた相手が実はファンでした、っていうオチは、玲人を二重に裏切ったことになるだろう。
(明日から、どんな顔で会えばいいの……)
推しの願いを叶えられないファンなんて、存在価値はない。愛佳はひたすら暗く落ち込んだ。
ところが翌日登校すると、隣の席から玲人がおはよう、と声をかけてくれた。てっきり軽蔑されたのかと思ったのに……、と挨拶に対して呆然と何も返せないで居ると、昨日のことなら気にしてないよ、とやさしい微笑みを浮かべて言ってくれた。
「え……。でも私、玲人くんを騙してたようなもんだし……」
おどおどと玲人に懺悔すると、玲人はそんなこと、ちっさいことじゃんか、と笑ってくれた。
「それより、高橋さんが僕の意見を尊重しようと一生懸命やってくれた、ってことが嬉しいよ。普通はさ……、……まあ、皆みたいに、どうしてもなっちゃうもんだと思ってたからさ」
そもそも芸能科のある学校を出たこと自体で、玲人はある程度好奇の目にさらされることを覚悟していたらしい。それでも『普通の高校生』を選びたかったんだ、と玲人は言った。
「僕らの職業って、24時間365日監視されてるようなものじゃない。そう言うのにだんだん疲れて来ちゃって、結局駄目だ―ってなった自分が生きていける場所って言ったら、もう『普通の』場所以外ないと思ったんだよ。だって、『芸能人だから』って猶予してもらえるのだって、芸能科に居る間だけだからね。だから、いま騒がれちゃってるのは、今まで『別天地』に居たしっぺ返しみたいなもん」
あはは、と玲人は笑った。
「だから、高橋さんが僕のことを知っていることを気にする必要はないんだよ。むしろ、応援してくれてて、ありがとう。それなのに引退してしまってごめん、って言わなきゃいけない」
玲人が謝る必要なんてない。人生は、歩むその人のためのものだ。自分が選んでいい筈の道で、それを誰かに咎められる理由は何処にもない。
「そんなことないよ。私は玲人くんが思い描く時間を、思い描くままに歩んでくれる姿が一番うれしいの。だから『FTF』に居ようと居まいと、それは関係ない。私は『暁玲人』くんのファンだから」
愛佳がそう言うと、玲人は目を丸くして、それからにこお、と笑った。
「はは……っ、あはは。『FTF』に居て欲しかった、とか、ここで放り出すなんて、とか、さんざん言われてきたから、高橋さんの考え方は少し不思議だな。もしかして、ファンの人の中には、そうやって考えてくれてた人も居たのかな……」
玲人が少し遠い目をした。今まで背負ってきたもの。沢山の期待と愛情。それらを捨ててでも、自分の道を歩みたいと思った玲人は素敵だと思う。
「居たんだよ、きっと……。玲人くんが会わなかっただけで、私みたいに考えてる子だって、少なくないと思うよ。だから、ごめんなんて言わなくてもいいんだよ」
もう一度、大事なことだから言った。今度は玲人も頷いてくれる。
「そうかな。そうだと良いな」
遠い空を見つめる先に、誰が居るんだろう。出来れば、その人も、玲人に向かって笑いかけてると良いなと願った……。
*
文化祭は盛況だった。愛佳たちのクラスの執事喫茶も玲人がエスコート役をするとあって、校内は勿論、外部訪問者のお客たちからも人気だった。勿論玲人一人が執事役をやるわけじゃないけど、教室内で黒の執事服を隙なく着こなして給仕する玲人の姿を写真に収めている人は少なくなかった。
玲人は以前愛佳に向けた言葉通り、今までの準備も、そして今日の給仕も楽しんでいるようだった。それにしても、執事服を着た玲人は尊みの極みだ。
(はーーーーーー!!! 玲人くんの執事服姿とか、反対意見は言ったものの、やっぱり尊みの極みだわ!!! この案が採用されたことで、私の寿命は十年延びた!! 視力も上がったに違いない!! だって玲人くんがこの世の物とも思えない程、美しく見えるもん!!!)
ファンクラブの会報にもアイドル雑誌にもかっこいいスーツ姿の五人は載っていたが、誌面と実物では、明らかに後者の方が愛佳の脳に圧倒的尊みを突き付けてくる。(当たり前だ。実物に勝るものなんてないんだから)きらきらのステージ衣装なんてなくても玲人はその輝かんばかりのオーラで教室内を照らし、クラスの出し物を彩っていた。
「暁くん、これ三番テーブル」
「はーい」
キッチンコーナーからクッキーと紅茶を渡されてサーブする執事服の玲人は本当に麗しい。教室の外には長い入室待ち行列ができ、入室したお客さんはみんな玲人に見惚れたり、その所作の美しさにため息を吐いたり、それから写真もバシャバシャ撮っている。それらのことに全然嫌な顔をしないで画面の向こうで浮かべていたのとおんなじ笑顔を振りまいている玲人は、愛佳から見ると少しサービスに徹しすぎと思えたくらいだった。玲人が楽しんでいるなら良いけど、芸能人だった習慣が出ているのだったら、折角普通の高校に転入した意味がない。愛佳は玲人が汗を拭きにキッチンコーナーの裏に隠れた時に声をかけた。
「玲人くん、サービスしすぎじゃない? 疲れてない?」
愛佳の心配に、玲人は笑顔を向けた。
「ううん、全然。凄く楽しいよ。なんか子供の頃に妹とままごとやったのを思い出しちゃった」
あはは、と笑う玲人の笑顔に嘘がなかったので、愛佳は少し安心した。
「あんま、無理しないでね。折角うちに転入した甲斐がないよ?」
気を使って言ってみると、玲人も落ち着いて微笑んでくれた。
「ありがと。でもほんとに楽しいんだ。やっぱり転入してきてよかった。今までとは違う体験をしてる感じがしてワクワクしてるよ」
そうならいいんだ。愛佳は玲人が無理していないことを確認すると、廊下の列整理に戻った。その様子を玲人が汗を拭きながら見つめていた。




