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推しとの接近(1)


それからというもの、愛佳は徹底的に玲人に対して無関心を決め込んだ。最推しの希望を叶えるべく、頑張った。

二学期が始まって、一連の学力テストが終わった一週間が経った時に訪れた最初の関門は、教科書の共有。玲人は緊急転入だったため、教材の全てが揃っていなかった。故に愛佳は玲人と机をぴったりと合わせて授業を受けることになり、己の心拍数の最高値が日々更新されて行っている様子を可視化されなくて良かったと思った。今日も古文の授業で先生の話を聞きながら教科書を机と机の真ん中に置いて覗き込んでいる。玲人がボソッと、やっぱり授業進んでるね、と愛佳に話し掛けてきた。

「そうかな」

愛佳はその後に、玲人くんの学校では何処まで進んでたの? と続きそうになる口をむぐっと塞いだ。

「教科書、もうちょっとそっちに寄せる?」

「ん? ああ、ありがとう」

そう言ってクラスメイトに対して何も疑わない笑顔を向ける玲人の輝く姿にくらくらしながらも、ああ、この人本当に普通の高校生になりたかったんだな、と思った。こんな笑顔を他の女子が見たら、即、ライン交換しよう、の流れではないか。

きっと、そうやって友達になっているクラスメイトもいるだろうとは思う。でも愛佳は心を入れ替えたのだ。あくまでも玲人の学校生活の防波堤でありたかった。彼のたぐいまれなるルックスと、元々備わっている華やかなオーラで友達を惹きつけてしまうのはやむを得ない。しかし過剰に降りかかる憧れ故の視線からは遠ざけたかった。愛佳がそうしないことで、視線の矢のひとつは確実にへし折ることが出来る。

「えー、であるからして、紫式部は……」

先生の話が続く中、愛佳はノートをとる作業の合間にちらと横を盗み見た。

教科書に目を落とす玲人のまつげのなんと長いことか。しかしそんな様子に見惚れないよう、愛佳は黒板とノートの上へ視線を動かした。先生の板書を書きとっておかないと、玲人が何か助けを求めた時に力になってあげられない。愛佳は肘が触れそうなくらい近くに居る推しの気配を感じないように努めて、授業に集中した。


「教科書追ってて、先生の板書、書ききれてないと思うから」

下校時刻になって、愛佳は今日の授業で取ったノートをそう言って玲人に貸した。

「ありがとう。実は凄く助かる」

ホッとしたような笑みは、転校してきてから今まで見せたことのない安心した笑みだった。やっぱりみんなに騒がれてるのが気になってるんだなって分かるのは、愛佳が玲人をずっと見てきたファンだからだろうか。

「高橋さんはさ」

渡された愛佳のノートを見ながら玲人が言葉を発した。推しに名前を呼ばれるなんて、夏休みまでの愛佳は想像もしていなかった。やわらかくて耳なじみのいい声が愛佳の鼓膜をくすぐって、全身の血流がマッハの勢いで駆け巡った。ぶわっと汗腺が開いた気がする。

「僕のことを知らないんだよね?」

……おそらく、いま玲人は、愛佳を信用していいかどうか、考えているのだろう。だったら愛佳は、玲人の味方で居られるように、玲人の学校生活を守る意味で返事をしなければいけない。

「……転校生の、暁玲人くんでしょ」

愛佳がひと言ひと言慎重にそう答えると、玲人はひとつ瞬きをして、それから……ふわっと安心したように微笑んだ。

(あーーーーーーーーー!!! 玲人くんのこの笑顔を向けてもらえる日が訪れるなんて、私は明日死ぬのかな!?!? 出来れば今の笑みは脳内HDDからアウトプットして、8K画像で私の棺に入れて欲しい!!!)

内心、滂沱の勢いで、信じても居ない神様にサンクスマイゴッド、と祈りを捧げてしまいそうだった。

この笑顔を守りたい。玲人の願いを叶えてあげたい。

今までは玲人に願いや希望があったって、それを叶えてあげる術はなかった。でもひょんなことから転がり込んだこの状況で、愛佳はそれが出来るチャンスを貰った。だとしたら、愛佳が推しの為に尽くすことは、ファンとしては当然の行為ではないか?

「そっか。変なこと聞いてごめんね。じゃあ、暫く勉強でお世話にならせてほしいな。頑張ってこの学校の進みに追いつくようにするから」

「うん。そんなこと、何時でも言って」

愛佳の言葉に玲人がありがとう、と応える。そんな個人的なやり取りに、『推しからの!!! 頼み事!!!』と、人生の最大目標が出来た。絶対に愛佳が玲人を推してることがばれないようにしないと。愛佳はその日、玲人と一緒に校門をくぐった。



文化祭が来月に控える中、今日はクラスで文化祭の出し物の選定だ。体育祭は運動の得手不得手で生徒の受け止め方が異なるが、文化祭はお祭りなので、基本的にみんな乗り気だ。このクラスメイトたちとどんな思い出を作ろうかと、皆で知恵を出し合って考える。

「あのう」

ひとりの女子が挙手をして立ち上がる。文化祭委員が意見を求めると、その女子は笑顔でこう言った。

「折角暁くんが居るんだから、彼をリーダーにして執事喫茶とかだと盛り上がりそうだし、お客さんもたくさん来てくれると思います」

女子の発言に、クラス中が色めきだった。未だに休み時間には玲人の顔を見ようと、主に女子が廊下に鈴なりになっている状態だ。それを思えば、彼を祭り上げるだけで集客効果はばっちりだろう。その考えはクラス中に共有されたらしく、いいね! とか、じゃあ他の執事も厳選して、なんて言葉が飛び交う。そんな中、玲人は恐縮した様子で笑っていたが、愛佳には玲人が考えていることが分かってしまった。

……玲人は『FTF』のリーダーに推薦されたときも遠慮していた。みんなでリーダーの気持ちを持ってやっていけば良いじゃないか、という思想の持ち主だった。自分一人だけが目立つのではなく、皆で輝きたい、そういう思考の持ち主だった。だからこそ、愛佳はそんな玲人を敬愛し、推しとして崇め奉ることを厭わなかった。玲人は人格者だ。それ故、入ったばかりのこのクラスでは波風立てないようにみんなの意見に反対しないだろう。それが玲人の『普通の高校生になりたい』という希望に適っていなくてもだ。そう思ったら、愛佳は自然と挙手していた。

「はい、高橋さん」

文化祭委員が愛佳を挿し、愛佳は椅子から立ち上がった。

「……暁くんを一人祭り上げるのはどうかなと思います。もっと……、皆で盛り上げることが大事だと思います」

愛佳の心臓は、ドッキンバックンと鳴っていた。クラスの八割が賛成しているような状況で、反対意見を言うのは勇気が要った。でも、玲人がこのままお祭りに祭り上げられてしまうのは見過ごせなかったのだ。

玲人をリーダーとする執事喫茶で盛り上がっていたクラスメイトたちがしん、として愛佳を見た。いたたまれなくて俯いたが、クラスにカッコつけと後ろ指をさされても、玲人の願いを守りたかった。

「あの」

すいっと、愛佳の隣の席の玲人が挙手した。

「僕、いいですよ。文化祭って思い出に残るものでしょう? 僕で良ければ、皆の力になりたいです」

(ああ、玲人くんはやっぱり素敵だ……。自分の自由を犠牲にしてまでもクラスに貢献しようだなんて……。もしかして『FTF』でも、そうやってみんなを引っ張ってたのかな……。それだとしたら、凄く疲れただろうな……。それなのに五年も嫌な顔一つせずに、私たちに夢を見させてくれた玲人くんは、やっぱり凄いよ……。せめて高校ここでは、そういうことと無縁になればいいのに……)

愛佳はそう思ったが、それでも着席する間際に玲人が愛佳を見て微笑んでくれたから、愛佳の気持ちは伝わった……、のかもしれない。

結局出し物はそのまま執事喫茶に決まった。ホームルームが終わり、教室がざわめく中、玲人は隣の愛佳に声をかけてくれた。

「高橋さん、僕のことを考えてくれてありがとう」

「ううん……。暁くんが構わないんだったらいいんだけど、……本当に良かったの?」

万に一つでも玲人が無理をしているのだったら、それは『普通の高校生』を楽しめていないことになる。今なら、もう一度話し合いの場を持つことだって可能かもしれない。そう思って確認すると、本当にいいんだよ、と玲人が楽しそうに微笑んだ。

「僕、前の学校のままだったら、準備に時間のかかる文化祭なんて体験できなかったからさ。だから、みんなと文化祭の準備が出来るのが、凄く嬉しいんだ」

そうか。玲人が楽しんでいるのならもう何も言わない。愛佳も笑って、そうなんだね、と応えた。

「高橋さんはやさしいよね。授業の遅れの事気にしてくれたり、僕一人が目立つみたいになることを気にしてくれたり」

でも、疑いのない純粋なまなざしで目を見られると、ちょっと心臓に針がぶすっと刺さったみたいに痛い。愛佳は力なく、ううん、そんなことないよ、と言って俯くしかなかった。愛佳の罪悪感を払しょくするように玲人が愛佳の顔を覗き込んで言った。

「僕、席が高橋さんの隣で良かったな。高橋さんと友達になれて良かったよ」

間近で見る推しの顔は爆裂的にきれいで美しくて世の中の全てを浄化するような微笑みだった。バクン! と心臓が拍動を打って、そのまま体中を疾走する。ぶわあーっと顔が赤くなったのを自覚した。ほっぺたがめちゃくちゃ熱い。

「あ、近かった?」

ごめんね、距離感分からなくて。

照れてそういう玲人は、でも愛佳の顔を覗き込んだまま、こう言った。

――「今日、一緒に駅まで帰らない?」


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