映画館は御用心 5
雫と駿の両方が谷底に叩き落されます。
この先を聞くのが怖かった。
それと同時に、このままじっとしていれば駿と美玲の今の関係がわかる。
ドアを開けるか、それとも彼女たちの会話を聞くか…迷っていると、知世子がの声が聞こえてきた。
ーもう動けない。
覚悟を決めた。
「言わない、言わない。もしかして、キスとかしちゃったりして?」
ドクンと雫の心臓が打つ。
足がガクガク震え始めた。
美玲は「さあ、雫。しっかり聞くのよ」とばかりに艶っぽい声で語り出した。
「実はこの前、部室で駿と2人になった時ね…こうやって私を引き寄せて…腰をぐっとね。それで唇を強引に押し付けてきて…」
「キャー!まんまドラマじゃん!」
「絶対に誰にも言わないでよ。安則にもよ。『俺が無理矢理したんだから、知られたら試合に出られなくなる』って凄く気にしてるから」
「言わないよ。安くんにも迷惑かかるし。でも良かったね。ラブラブじゃん。駿くんって美玲にべた惚れなんだぁ。私も安くんとキスしたいなぁ」
「来月の湊高校との対外試合が終わったら、つき合ってること発表してくれるって」
「良いねぇー。そっかぁー。キスされたんだ」
扉の向こうで凍り付く雫を鏡越しに見て、片方の口角を上げる。
勝ち誇った顔をしながら、「駿が待ってるから行こう」と言って、知世子とともに化粧室から出て行った。
バタンと入り口のドアが閉まった音が聞こえても動けない。
心臓がドクンドクンして、呼吸が荒くなっている。
つき合ってるだけじゃなく、キスまでした。
それも駿のほうから抱き寄せて唇を奪った、ということを聞かされて、目の前が真っ暗になった。
ーそっかぁ。わたしの初恋は叶わなかったんだ。長かったな…。
雫は駿から「つき合おう」と言われたことがない。
ましてや、唇を奪われそうになったこともない。
ーわたしのこと好きだったら、とっくにキスしてくれてるよね。
そう考えると緊張して固まっていた全身から、ふっと力が抜けた。
ーあ、先輩待たせてたんだ。
洗面台の鏡に映る自分の顔が、今にも泣き出しそうな情けない面に見える。
ーヘンな顔。
人気の映画だけあって、グッズ売り場にはたくさんの人が集まっている。
その客たちから少し離れた所で壁にもたれて大介が手を振っていた。
「ごめんなさい。遅くなって…」
大介の元に駆け寄ると、安心したのか目頭が熱くなる。
「ん?何かあった?」
肩を震わす雫の状態を察して、誰にもその顔を見せないように自分の胸に抱き寄せた。
雫は顔を彼の腕と胸とで包まれながら歩き出す。
他人から見れば「仲良しカップルが身を寄せ合って歩く様子」にしか見えない。
その光景を目を見開いて駿が見ていた。
声をかける根性は持ち合わせていなかった。
駿の中で一切の音が消えた。
後ろでは美玲と知世子、安則がそれぞれお揃いのキーホルダーを通学カバンに付けようと話しながら、楽しそうに選んでいる。
既に雫たちは見えなくなっているが、駿はいつまでも2人が歩いて行った方向を見ていた。
「ねえ、駿。これどう?プレゼントさせて」
甘ったるい声で、ピンクとブルーのネコのキーホルダーを彼の目の前にぶら下げて見せる。
それは2つのキーホルダーを並べると、2匹のネコがチューをしている格好になる対のものだった。
「ごめん。いらない」
消え入りそうな声で拒絶すると、安則に「悪い。メッチャ頭が痛いから先に帰るわ」とだけ告げて、帰路に就いたのだった。
どうやって帰って来たのか記憶がない。
気が付けば、自分のベッドに大の字になって寝転んでいた。
ーずっと好きだった。何なら幼稚園の頃にはもう好きになってた。雫もオレのことが好きだと思ってた。
その瞬間、はたと「好きだ」と1度も伝えていなかったことに気付いた。
「雫は可愛いから」
それは何度も、何十回も何百回も言い続けている。
でも、1度も「好き」と言った記憶はない。
ーなんで?なんで言わなかった?
ずっと一緒に育ってきたから当然、恋人同士になるなら自分と雫だし、そのまま結婚するものだと疑いもしなかったからだ。
ーオレがバカだったんだ。先輩に取られた。
大介と抱き合う雫の姿が頭に焼き付いている。
ーあれから先輩とキス…。
そう頭に過ったとき、「キスをした相手を雫は嫌いになる」という魔法を思い出した。
一瞬、光が差したが、「いやだ!雫がオレ以外のヤツとキスするなんて!」と打ち消した。
目から熱いものが流れる。
ー雫の心が先輩にいってしまった。
止めどなく流れる涙を拭うこともせず、肩を震わせて泣く。
その間も、ピロン、ピロンとスマホの通知音が鳴り続ける。
”頭痛いって聞いたけど、大丈夫?”
”キーホルダー買ったから、一緒につけようね”
”また、デートしようね”
”明日、学校で!”
”部活終わったら、駅まで一緒に帰ろ”
発信者は全て「美玲」。
駿はそれを確かめる気にもならなかった。
「先輩。今日はありがとうございました。すみません。せっかく誘ってもらったのに、最後、嫌な思いさせちゃいましたね」
すっかり泣き止んだ雫は、桜木駅の改札出口で別れる前に大介に詫びた。
「気にしなくていいよ。あんなこと、本人の口から聞いたらキツイよな」
化粧室で耳にした美玲と知世子の会話を、キスの部分だけ省いて大介に伝えたのだった。
少し目の周りが赤くなっている雫の頭を優しく撫でる。
「やっぱり、俺とつき合うことにしないか?お互い win-win だろ?」
気持ちが楽になるように微笑んで、更に頭をゆっくり撫でる。
「甘えてもいいですか?」
「もちろん。俺もあの大学に合格するまでは、彼女がいたほうが都合が良いし。何より親が静かになってくれるからね」
「そうでしたね」
「こんなことを頼めるのは、雫しかいないから、『恋人役』を引き受けてくれたら助かるんだ」
大介の事情ーー何があっても、大学合格まではバレてはいけない秘密ーーを知る雫は、彼が卒業するまで、という期間限定の恋人になることを了承した。
あと半年ほどではあるが、それだけの月日で駿への想いも薄れるかもしれない。
少なくとも、美玲と並んでいる姿を見ても心が痛まなくなれば救われる。
「明日から、出来るだけ一緒に帰ろう。『あの2人はつき合ってる』って噂を現実にすれば、雫への風当たり?嫌がらせは減ると思うから」
「ありがとうございます。わたしも先輩の力になれるよう、しっかり『恋人』を演じますね」
こうして雫はすこしずつ駿から距離を取ることを決めたのだった。
「じゃあ、俺は予備校に行くよ」
「頑張ってくださいね。今日は、誘ってくれてありがとうございました」
いつも通り手を振って別れた。
日常を保とうとする2人の距離はどんどん開いていきます。




