08.使者?どう見ても、ただのウザいバカじゃねえか!
「幽鬼さん、幽鬼さん……」
眠っていた俺の耳元で、どこか懐かしくて優しい声がささやいた。
誰かが、そっと俺の名前を呼んでいる。
うっすらと目を開けると、視界に飛び込んできたのは——極度に歪んだ“顔”。
血の滴る牙、飛び出しかけた両目。まるで吸血鬼のようなその異様な面に、俺は瞬時に絶叫した。
「うわっ!お化けぇぇぇぇっ!!」
本能的に拳を振り上げ、目の前の化け物に叩きつける!すると——
「ぎゃあああああっ!いったぁぁい!鼻が!鼻がああああっ!!」
え?この声……アメリィ??
慌ててベッドから起き上がり、枕元のライトをパチンと点ける。
そこには、アメリィと体格も服装もそっくりな少女が床に転がって、鬼の面を被ったまま悶えていた。
——いや、間違いない。このバカ、アメリィだ!
「うぅ……いたたた……」
彼女は面を外し、真っ赤になった鼻を押さえながら、今にも泣きそうな顔で俺を睨んでいる。さっきの一発、思いっきり効いたっぽい。
「わ、悪い……つい……」
「ついってなに!?突然殴るなんてひどすぎます〜!鼻が死んじゃいます〜!」
「いや、だって……鬼の面で脅かしてきたのはそっちだろ?完全に自業自得じゃん……」
「うるさーい!とにかくアンタが悪いですのっ!」
完全に逆ギレモードに入ったアメリィは、ぷくっと頬を膨らませる。
……まあ、そういうとこが可愛くもあるんだけど、正直こういう理不尽なタイプは苦手だ。
「……まあ、それを置いとく。こっちの世界に来て一日が経ったけど、調子はどうですか?」
「んー……まあ、複雑って感じ?何よりこの身体が全然慣れないんだよ。胸が重くて動きづらいし……戦闘もまだしてないから、なんとも言えないけどさ」
「男として何十年も生きてきて、急に女の子になったんですから、そりゃ違和感ありますよね〜でも大丈夫、そのうち慣れますよ!」
「……はあ。で、わざわざ部屋に来てまで言いたかったのが、それ?」
俺はアメリィを見つめながら、天井のメインライトを点けた。
「え?あ、違う違う!それはついでに聞いておこうと思っただけで、本題は別にあるんですから!」
アメリィは急に真剣な表情になって、ふわりと俺の目の前まで浮かび上がった。
——いやいやいや、お前幽霊じゃないから、真夜中に宙に浮くな!マジで怖いから!
しかも顔近い!近いって!キスでもする気か!?元から暑いのに、俺たちの長い髪が絡み合って、もうムシムシしてしょうがないっての!
「で、で?その“本題”って何なんだよ……?」
「うむ、その本題とは……」
急に空気がピリついた。まるでこの“本題”が、今後の俺の人生を左右するような……そんな重みさえ感じる。
なんだ……就職先か?結婚相手か?それとも、俺の命運に関わるような重大な使命?
息を呑む俺に、彼女の顔がどんどん接近してくる。
おいおいおい!本当に近いって!これ百合ルートのフラグか!?人間と使者の禁断の恋愛、まさか始まる!?
「その本題ってのは……このお面、どう思います?怖いですか?宴会に付けてったら、悪魔とかビビりますかな~?」
……は?
脳内が真っ白になった……お面?いやいやいや、そんなことで夜中に叩き起こされたのかよ!?
思考が一瞬でフリーズして、脳内に「エラー」の表示が浮かび上がる。何かが崩れた音がした。理性の糸がプツンと切れる感覚。
足元がぐらりと揺れ、身体の力が抜けて——
ドサッ。
「え?ちょ、ちょっと、大丈夫ですか!幽鬼さん!?」
「大丈夫……なわけあるかーーーっ!!バカかお前は!!」
俺はガバッと起き上がり、頭にカッとなって彼女の頭に一発お見舞いする!
「いったーーい!!」
彼女の目には痛みで涙が滲んでいて、そこでようやく俺は――あ、ちょっと手加減しなかったかもって思った。
「わ、わるい……大丈夫か?」
「なんでまた殴りますのよ!人間界の暗殺者ってみんなこんなに暴力的なのですか!?」
「だってさ、そんなくだらないことで俺の睡眠邪魔してきたのお前だろ!?こっちは明日学校あるんだぞ!」
「わ、私はただ……このお面どうかなって聞きたかっただけなのに……まさかまたいきなり殴られるなんて……人間が使者を殴るとか、もう天理もへったくれもありませんわね!」
天理……?いや、お前、人間からすれば“神”みたいな存在だとか言ってなかったか?自分で“天理”名乗ってるやつが「天理もない」とか、ツッコミ待ちかよ。
「わかったよ、ごめんってば。お面、よくできてたよ。ほら、さっき俺、ちゃんと驚いたじゃん?」
「ふんっ。今回は許してやりますけど、次やったらこの宇宙を滅ぼしますからな!」
「えっ、そんな力あんの……?」
そう言った瞬間、アメリィがバッと立ち上がり、やたら誇らしげな顔で叫んだ。
「当たり前でしょ!?私は宇宙の生命法則を司る使者なのですよ!?この世界が混沌に包まれ、善悪が逆転し、時空が歪み始めたとき……私の役目はそれをリセットすること。星一つどころか、宇宙ごとぶっ壊して、また最初からやり直しますのよ!」
ドヤ顔で胸を張る彼女。うん、なんかもう、ツッコミが追いつかない。
「どうです?すごいでしょ?本気出したら、あんたなんて一瞬で塵になるんですから!」
……この子、マジでそんなに強いのか?
うーん、もし言ってることが本当なら確かにすごいけど、どう見てもこいつ……いや、“こいつみたいな使者”、完全に漫画とかラノベのアホキャラじゃんか。
「はいはい、すごいすごい。俺はもう寝ます。明日学校なんで。おやすみー」
「おいっ!もっとリアクション取れよ!私、れっきとした使者なんですからな!?無視とか失礼にもほどがあるでしょ!?おーーい!!」
「うっせーな、このバカ!!」
耳元でガミガミとうるさいアメリィに、ついまた拳が出てしまった——
「いったああああ!!」
「あっ……ご、ごめん……またやっちゃった……」
「うう……いたたた……くそっ、よくも殴りましたなぁ!今度はこっちの番よ、覚悟しなさいっ!」
アメリィは勢いよく立ち上がると、突然俺に飛びかかってきた。
そして――ためらいもなく俺の身体に噛みついた!
ちょ、なにやってんのか!?お前、犬かよ!?
「いっ、いったぁ!?お前、まさか人に噛みつくなんて……!?」
慌ててアメリィを突き放したけど、今度はすぐさま二度目の突撃!
「噛みつきはね、れっきとした攻撃手段なのですよ!さあ、次はここですよーっ!!」
えっ?
——いったーーーっ!!
「うわあっ、ちょっ、お前!おっぱい噛むなぁぁぁっ!!」
「ふふ~ん、女のおっぱいはデリケートなんですからね?特にここなんか、ちょっと噛んだだけでダメージ大なんですから~!がぶがぶがぶーっ!」
「やめろぉぉぉぉ!お前は変態かーーっ!!」
そんな感じで、俺はアメリィと一晩中、なんとも言えないバカバカしい“戦い”を繰り広げたのだった……