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闘神ヤニカス戦記  作者: 店や喫茶
ロイヤル編 第一章
9/18

防人

 

 上空から眺める景色。


 細かなところは知らないが、遠くに見えるコンロン大陸。そして、大地の亀裂の模様。何も変わらず。


 時間にしておよそ、下り20年。登り10年だっただろうか。計、30年もの歳月を費やして、ただ舞い戻って来ただけというわけか。


 沸々(ふつふつ)と怒りが()いてくる。


 年月に対するストレス。それは多少はある。ただ、悠久の時を生きることとなるその身は、その防衛本能がためか、時間経過の心労を無視できた。


 具体的に言えば、意識しなければ時間経過のストレスを感じないのだ。

 強く意識しなければ、痛みすら感じないこの体質のなせる技か。


 これは、次第に分かってきた(おの)が能力の一つであった。(ちなみに、元所持品ズたちが感じる体感時間は闘神の近くにいる場合、ある程度同じである。)


 今、もう一度、亀裂を下れと言われたら、その下りに感じる時間は瞬く間。一瞬であろう。


 ただし、鈍感になるわけではない。(おの)()にどれほどの時間が流れているか、それは分かる。

 喜怒哀楽。また、飽きといったナイーブな感情らが消えるという訳でもない。ただ、終わってみれば、10年なんてあっという間だった。そんな具合である。


 石の上で()()()の時をじっと過ごせと言われても不可能ではない。あっという間に終わるのだから。


 この説明は難しいのだが、何か意識と感覚、(この場合の感覚とは、時間の経過の感覚。)それが別個に分けられるような、その感覚をあえて言葉にするなら、世界を俯瞰的(ふかんてき)に早送りで眺めるが如く。といった感じである。


 当然、思考の改変や、欠如がみられる訳でもない。つまり、生命としての尊厳。その核が失われたという感覚は一切なかった。


 ちなみにであるが、闘神はこの間、たばこを吸い損ねるなどという愚かなミスは犯していない。

 移動しながらも、不思議と何事もなく、普段通りにたばこは吸えた。そして体感時間があっという間なので、たばこの復活時間に()れるということもなかった。


 これはこれで一つの手なのかもしれない。


 吸い終わった(そば)から、それが、復活しているのだ。原理などもはや分からないが。実質的にたばこの無限吸いができるのだ。


 そう思う闘神ではあったが、時の流れを早く感じる状態というのはいわば特殊な状態であり、日常生活を送る中でそれは障害にしかならないだろうとも同時に思うのであった。


 意図的に、たばこが復活するまでの体感時間を早める。それは結構だが、日常を失ってしまう。


 目的が一つに定まり、そこへめがけて一直線に行動しているが為に生まれるミラクル。


 たばこの為に日常を捨てるわけにはいかない。生活の中で吸うからこそ、たばこは美味いのだ。


 本末転倒。


 そう結論づけた。


 ただ、この登り10年で吸ったたばこの本数はたった、5本である。その5本を味わっているうちに地上に到達したのだ。もし、たばこを吸わなければ、もっと、その体感時間は短かったであろう。それは間違いない。


 1本の復活時間が20時間。


 10年あれば、9000回たばこを吸える計算なのだが、5本しか、吸っていない、これを損失だと(とら)えるかどうかは、人それぞれであるが、彼は別にそうだとは思っていない。これだけは述べておこう。

 彼には、普段があればいいのだ。




 また、このたばこの復活時間であるが、変わらなかった。


 それぞれが20時間で復活。


 二本目のたばこを獲得しても、その時間は縮まらない。


 二本目を獲て、なんとなくわかったことだが、どうやら、この先全てのたばこを集めても、この復活時間は変化しないようである。


 しょうがないと諦めるしかない。


 ただ、一つだけ楽しみがあった。


 ほんのわずかにだが、たばこの味が良くなったのだ。


 復活したてのたばこの味が、わずかにだが、しかし、確実に良くなったのだった。


 考えるに、全てのたばこがそろう時、その味というのは、新箱を開けた時に吸う一本目のそれと同じやもしれない。


 期待に胸が弾む。




 賞味期限。


 普通たばこというのは、開けたその時がピークの味である。その後、その味は時間と共に落ちていき、まあ、それがうまいと思う時もあるのだが、新箱の一本目が特別なのは、愛煙家たちの総意であろう。


 そして、闘神が持つこのたばこなのだが、なんとその具合が適応されていた。


 つまり、復活直後のそれが一番うまい。以降、時間経過により、その味は落ちてゆく。


 一度、たばこが復活してから、50時間程我慢した後、吸ってみたのだが、50時間待ったそれは、それなりに味が落ちていた。

 これはつまり、場合によっては湿気ったたばこを吸う時も訪れるのやもしれない。そんな話であった。


 いつの間にか、たばこの保管係となっていたタキシード君は、味の劣化は自分のせいじゃない!と抗議していたが、まあ、タキシード君のせいでもないだろう。これは、このたばこの仕様だ。


 たばこはあくまでも、たばこ。それでしかない。


 その仕様は現実仕様。


 力もなければ、利益もない。至って普通の嗜好品(しこうひん)である。


 強いて、特異な点を挙げるとすれば、永久不滅であること、そして、まだ一度も試していないが、私の物となったこの2本のたばこは、私以外の誰も触れられない。


 (おの)ずとそれが分かる。だから、危機など起きもしない。


 しかし、まったく芸が細かい。


 常に最高品質が維持される不思議なたばこであればいいものの、移ろいゆく時と共に味も変わるたばことは......(おつ)?なのだろうか。


 ただ、いついかなる時も最高品質が維持される(けが)れなきたばこ。これもこれで気味が悪いというか、人工的な気色悪さがある。

 愛したものだからこそ、その性質が普段のそれであって欲しいと望んでしまうのか。


 そう思うとなんだか願い下げだ。今の仕様で満足である。




 あと、もう一つ、満足な点があった。


 このたばこは当たりの箱である。


 当たりの箱というのは、たばこは箱ごとによって、味の当たりはずれがあるというものだ。


 私が愛してやまないこのピース・ロイヤルにも当然、その差がある。


 滅多になかったが、マズい箱にあたってしまったこともあった。高品質なバージニア葉。そこからさらに厳選した葉を選び抜いた一品と(うた)われているにもかかわらずである。


 しかし、逆に言えば、なんだこれは!と驚いてしまうくらい美味い箱にも巡り合う。そんなこともあるのだ。


 もちろん、その日の体調によってたばこの味というのは大幅に変わるのだが、当たりのそれは、それを度返しでうまい。


 そして、私の所持品であるこのたばこだが、どうやら、当たりの箱だ。


 だからこそ、全てのたばこがそろった時の味が一層、待ち遠しい。


 味が立つ。コクがある。そんな言葉で終わらせていいものではないのだが、ただ、今は、思い出に浸った言葉しか出ない。







 話が()れた。


 今、闘神の内に湧き上がる怒り。それは、時間を(ろう)したが為の怒りではなかった。怒りのきっかけとして、時間の浪費があったことには違いないのだが、この憤り、それは裏切られたという思いであった。


 その対象が何処(どこ)にいるわけでもない。


 しかし、この大地の神秘をつかみ損ねた。それが(くや)しく、そして腹立たしかった。




 ただ、その景色の中にも、彼の心を落ち着かせるものがあった。


 それは、大地の亀裂の(ふち)にポツンと一軒、立っている小屋であった。


 もしかすれば、あの男だろうか。


 そう思うと、怒りが(まぎ)れた。




 しかし、この時。闘神はまだこの世界が300年後の世界であるとは知らない。




 300年。


 果てなき世界にとってそれは、一つの大きな区切りである。なぜならば、文明社会で暮らす生命の一般的な寿命が300年だからだ。


 もちろん世界を見渡せば、寿命の差など大小様々存在する。また、魔物や、力を高める者たち、その庇護にある者たちなどは、そういった寿命の概念が薄い。


 強き者ますます伸びよ。


 そんな世界である。


 ただし、これは、以後も何度か言及することになるが、不死なる者はいない。いるとすれば、今は闘神だけである。


 いかなる高度な文明も、いかに強大な力を有する者たちも、いつか、どこかでその身に死が訪れる。それが、いかなる形か分からねど。


 ただ、その絶対的な死の概念を乗り越える。その可能性に満ちた希望が、神々の降臨であった。


 つまり、人々は、誰かが、もしくは(おのれ)が世界の中心にたどり着き、神のその扉が世界に開かれることを渇望(かつぼう)しているのである。


 神々が世界に訪れた場合、世界はいかに変わるか。それは預言者たちの腕により、様々に預言されてきた。


 神々の権能、それを明かすことはできねど、彼ら彼女らの預言に共通する事項。それは、不死到来の預言であった。


 故に、星読みが狂ったあの日の事件は、大いなる希望と怖れが世界に満ちたのであったが、それももはや、300年前のことである。


「間もなく、世界の中心に到達するものが現れるだろう。」


 悠久の時が流れるこの世界において、この間もなくとは、いかほどの尺度であろうか。


 世界に流れた0.0000000001%程の時間(1兆分の1)だったとしても、信じられない程に果てしない歳月となるのだから。


 それは限りなく無限に等しい。そう言ってもいいだろう。




 事件当初、人々は今にもその神々の世界が訪れ、即座に我々は救われるものだとばかり思っていた。


 うたかたの夢でしかなかった。


 裏切られたのである。


 ただし、一つ。彼らの心を震わせたものがあった。


 これは、そうやたらと訪れる事象ではないのだが、各地に新たな星読みが誕生した時、それは起こった。




 新たな星読み、その誕生の瞬間。必ず読まれるかの預言。


「世界の中心に誰ぞたどり着く。その功績をもって、神々、降臨せし。万物よそれに備えよ。覇者よ神を目指せ。神たる席はたった十席。森羅万象その可能性あり。」


 古来から変わらぬこの文言の内、「神たる席はたった十席」これが、「神たる席、残るは九席」に変わっていたのである。




 神が、この世界に一柱、降り立った。


 多くの者に様々な衝撃をもたらしたこの変化。


 神。その権能がいかなるものか、それを知る者はいない。けれども、世界に降り立ったその神こそが世界の中心を見つけるのではないか。人々がそう思うのは当然であった。


 ただ、これはいわば、その神次第で全てが決まることを暗に認めた考えである。重大事項は神の気まぐれ任せ。覇者たちからすれば、歯痒(はがゆ)い思いであろう。


 しかし、星読みは「間もなく」そう言い切っている。


 それは、決定事項として、間もなく誰かが世界の中心を(あば)くのか、それとも、世界の仕組みとして自ずと誰かの目の前にそれが現れるのだろうか。いや、その者が世界の中心のそのそばにいることだって考えられる。


 もちろん星読みの読みも、狂うこと無きにしも非ずである。

 ただし、当時の事件は世界各地で同時に観測されたのだ、狂いなど万に一つもない。そう思いたいのが、心というものであった。




 邪推すれば、いくらでもできた。そのうちの一つは、やはり、神などまだこの世界に訪れてもいないのではないかという主張である。


 神の席が十から九に減った。これは、何かしらの異常事態が起こったのであって、神の一柱がこの世界に降り立ったことの証明にはならない。例えば、あまりにも世界の中心が見つからないものだから、その席が一つ消失してしまったのではないか、もしかすると、神の席が全て無くなった時、この世界は丸ごと消滅するのではなかろうか!という不安にも繋がっていた。

 現に、いかなる預言者も今、現時点で神がこの世界にいるかどうかに対しては口をつぐんでいたのであった。人々の不安は仕方がない。

 ただ、世界が消滅するという不安は預言の(いちじる)しい曲解(きょっかい)である。星読みは間もなく、神々の時代が訪れるのだと言ったのだから。




 しかし、なぜ、何があって、神たる席が一席、減ったのだろうか。

 やはりそれが神がこの世界に降臨したことを意味するのならば、それはそれで不可解な事であった。まだ誰も世界の中心にたどり着いていないのだから。


 もしや、何らかの手立てがあったのか。そして、それを見つければ、中心に至らずとも神になれるというのだろうか。


 思惑(おもわく)は様々。


 特に覇者の心中は穏やかではなかった。




 ただ、闘神を観測した地域。それは別である。


 かの者の行いは、まさしく神の所業。邪推を取っ払えば、かの者こそ神であった。


 そしてそれは、常天連邦にしても同じである。


 それは異星人が地球に訪れる際、月を吹き飛ばしながら現れる。そんな所業であった。


 歴史にもしもはないが、ただ、もし!あの時までに新たなる星読みが常天連邦に誕生していたならば、彼らはその変化した預言の重大事項に即座に気付き、かの者が神であると認めたであろう。認められたであろう。それが許されたであろう!


 殺気だっていた。そして、事態の手綱(たづな)を握ろうとしてしまった。


 全てはこの言葉に尽きる。


 恐らく訪れる世界の大変革。それに身構える彼らからすれば、まさか、神が既にこの果てなき大地に降り立っていようとは思えなかった。


 そして、闘神に対する初期の対応は、国家存亡をかけた最大の警戒。ゆとりある思考を持つにはいささか難しい状態。例え、一瞬でもかの者の姿に神を想ったところで、その思考と真剣に向かい合う。そんな余裕などなかった。




 けれども、常天連邦は、余裕を全て失っていたわけではない。その中枢はかの者と対話を望む。そう言った声が多々あった。いや、実際のところ、その意見が大多数であったといってもいい。


 彼が、間もなく世界の中心に至る、そのものなのではないかという可能性もあった。


 しかし、そういった考えが導く結論は、あの時、現実逃避のそれでしかなく、彼らにとっての理性は事態をどう処理するか、それを高度に考えることであり、妄想など許さなかった。


 対話が可能ならば、後は、いかなるタイミングで接触を図るかどうか。それだけ。いや、願わくば、何事もなくただ去って欲しい!


 しかし、ロイヤルが奪われた。


 そこに話し合いなど、もはやいらなかった。




 ただ、もし、常天連邦が、新たなる星読みを介し、神がこの世界に一柱、降臨した事態を想定できていたのならば、全く歴史は変わっていたことだろう。


 それは、たとえ、闘神の目的がロイヤルだと分かっていたとしてもである。


 闘神が常天の御所に降り立った時、その時、闘神を待ち構えていた光景は、(ひざまず)き、(こうべ)()れる常天の英雄たちであっただろう。


 そして、ロイヤルが闘神の元に返還されるのだ。


 彼らにとって、ロイヤルは、国家の象徴である。だからこそ、神の為に、その象徴を守り切り、正当な持ち主の元へ、正当な手順を踏まえて献上される。このことに最大の意義を見出すことができたはずだった。


 儀式である。


 それにより、彼らのロイヤルに対する幻想は保たれる、いや、より強固なものとなっただろう。


 この場合、常天連邦にもたらされた利益というものは他にあっただろうか。


 少なくとも闘神が彼らに直接与えた利益はないだろう。


 庇護のスキル。これを彼が獲得していたのだったならば、闘神は常天連邦を足掛かりに勢力を伸ばす。そんな道が考えられた。


 失われた選択肢。見ることの叶わぬ未来である。


 間接的利益であれば、いくつかあげられる。闘神が気に掛ける国家の一つとして、また、そこから派生するであろう国家の格の増強。加えて、他の神の権能。そう言った情報も得られたかもしれない。あとは、様々、交渉次第であるが、結局は闘神が常天連邦のその態度を気に入るか否かによって大きく明暗が分かれることとなっただろう。




 闘神との対話。それは、その戦闘中であっても、試みるチャンスは常にあった。その時々で、相対すこの男が、もしや神なのではなかろうか。そう思うこともできなくはなかった。


 しかし、(あお)りの言葉に踊らされた彼らは、よほどの強烈な理性を働かせなければ、一段、下った立場に降りれなかった。


 また、世界の天井の破壊。この意味に対する人々の姿勢を述べなければ、かの者と相対する者たちの心情を推し量るのは難しいだろう。




 世界の天井。この世界における不壊(ふえ)の象徴たるものの一つ。


 しかし、これは当たり前のことだが、世界にルールというものは記されていない。それは、この果てなき世界においても同じである。


 つまり、世界の天井が破壊不可能であるという決まりはどこにも記されていないのだ。


 その破壊は理論的には不可能である。高度な文明を誇る国家であればこそ、この事を深く理解している。ただ、それはあくまでも「今現在の理論において」という枕詞(まくらことば)が常につく。


 完成された理論も、別の理論。または、より大きな理論の元では、その意味が変容する可能性があるのだ。


 加えて、国家のレベルが未知の値まで上昇すれば、不可知なる力により理論を超え、その破壊が可能となることだって考えられる。

 滅亡事態のその時に国家の格が発揮する不可思議なまでの力。我々の想像を超えた力が、それを貫く、そんなことも否定できやしないのだ。


 全ての愚かさは、滅亡事態にその可能性を見てしまった為だからと言ってもいいだろう。




 何人(なんぴと)が不可能を保証できようか。




 そりゃ理論がそれを保証するというのは簡単な話である。しかし、理論の世界、計算の世界というのは、公理という設定を定めた世界。つまりは、約束事の上に成り立つ、ゲームなのだ。


 世界に約束事などどこにもない。ましてや、真も偽もないのだ。


 実験の観測結果、それは重要だが、そこにはいつだってブレイクスルーの可能性が満ちている。




 理知として、いつも持っておかなければならないわずかな余白。


 それを賢者の愚考とも切り捨てることもできるが、ただ注意して欲しいのは、この感覚は地球のそれとはいささか異なる。

 なぜならば、この世界は地球と違い、不可知なる法則に満ちた世界なのだから、(なお)のこと理論にすがる訳にはいかないのだ。




 まあ、こういった思考はどこかで折り合いをつけねばならないものなのだが。しかし、まさか、その答えが、かの者が神であるから。という理不尽なものだと誰が思えよう。


 加えて、彼らにとって、神というのは、絶対的な未知なる存在ではない。


 目指すことが許された存在。力を積み上げたその果てにあるだろう姿。その果てとの距離がどれ程離れているかはわからねど、手が届かない不可侵の領域などとは考えていなかった。


 未知に対する耐性があったともいえよう。それ故に、考えてはいけない領域を考えようと試みてしまった。


 馬鹿になれなかったのである。




 今、この300年経った時でも、常天連邦はかの者が何者であったかという結論を出すに至れていない。未だ、新たな星読みの誕生が彼らに訪れていないからである。


 その新たな星読みが常天に誕生したのは、闘神がこの地を完全に去った後、その40年後であったということだけは、述べておこう。







 闘神が向かった先の小屋、それは、年月の経過を感じさせた。


 人はいるのだろうか。


 (すた)れた大地に(さび)れた小屋。ただ、生活の跡というのはしっかりとあった。


 扉の前に立つ。少しの緊張があった。


 どうしたものか......ノックをして、住人が出て来たところで、それが、あの男であったらば、私は何を話すのか。


 ふとそう思うと、話すことなど何もないのではないかと思ってしまったのだったが、そうしているうちに、扉が内側から開いた。


 小屋の中から住人が出て来たのである。


 両者、しばし固まる。


 時が流れた。


 その男は老人であった。


 あの時の男だろうか。いや、何かが違う。


 あの男に似ているが、あの男ではなかった。


「どちらさんかね、こんな辺鄙(へんぴ)なところまで、わざわざわしに何か用かね。」


 老人が淡々(たんたん)と問う。


「いや、少し立ち寄っただけだ。」


「そうかい。ここいらは何もないだろう。もうすぐ夜が来る。寄ってきなさい。大したもてなしなんかできないがね、この大地よりはうちの方が豊かだ。」


 たどたどしく語る老人の言葉に(うなが)されるまま、小屋の中に招かれた。


 その中は、彼の趣味だろうか、大小の珍妙な品々が、様々、仰々(ぎょうぎょう)しく飾られていた。


 ある種の美徳があった。それくらいしか、ここでは楽しむものがないのだろうか。


 その中でふと、目に()まるものがあった。


 一枚の紙に()られた写真。色あせたそれには、私の顔がそのまま映っていた。


 もはや、両者の心の内は、承知の上に成り立っていた。


 テーブルをはさんで置かれた2つの椅子。その一つに座る。


 台所に立つ老人は、ヤカンに手を添えて、陶器(とうき)に茶を入れていた。


 その手の震えは、注がれる水流の揺れで十分わかるものだった。


 こぼれたお茶を布巾(ふきん)でふく。そして、茶を入れた二つの陶器を両手で運び、一つを私に差し出しながら彼もまた椅子に座った。


 しばらく、沈黙が続く。


 湯呑(ゆのみ)は既にその役割を果たしていた。


「私の記憶が正しければ、ここに居るべき人は、違う人なのだが」


 ふと、言葉が漏れる。


「わしは、その息子だ」


「死んだのか?」


「当の昔におっちんだよ」


「どうして」


「どうしてってお前さん、寿命だよ。それ以外にあるかい」


 違和感。


 たった30年であの男に寿命など訪れるものなのだろうか。そんなに歳はいっていないように思えたのだが......


 老人が、続けて語る。


「馬鹿だよ、父さんも。再三、国から戻れと言われたのに意地でここに居続けたんだから。執着なんか捨てちまえばいいのに。代わりに国を捨てちまった。何が、常天の意地だ。馬鹿馬鹿しい。初めは1年。そう言って、いつの間にか5年。10年経って母さんが泣きついて、100年経ってくたばちまった。そんでもって、今で300年目さ。」


「300年?」


 意味が分からなかった。


「亀裂に飛び込んだ男に恋焦がれてから300年だよ、もう。」


 即座に、スマホを取り出す。


 神歴302年231日14時10分21秒


 真っ先に思い浮かんだのは、家族の顔であった。


 300年。


 30年ならまだしも、300年では、もう家族は生きていない。


 父と母、そして、弟の顔があった。


 未練があるかどうかいえば無い。


 それは、不和の為ではない。


 仲は良かった。それは間違いがなかった。


 ただ、それぞれが、それぞれのキャリアを歩んでいた。そこに、互いの干渉があったわけでもない。

 各々のその道で各々が成功を収めていた。そう言えるだろう。そういった場合、心理的距離は近くても、物理的距離というのは、遠くなるものだ。忙しさと、国際的な移動。年に一度、会うと言った機会を設けることもこだわらなかった。


 互いに互いの生活がある。それを皆が分かっていた。


 私がこの地に来たのも、いわば、日本から、ドイツに活動拠点を移す。そんな感覚があった......


 ダメだ。


 冷静に頭を整理しようとしたが、無理だった。いかなる言葉を()(つくろ)おうとも、逃れられなかった。普通と異なる我が家のあり方を想って、(はげ)まそうとも、(むな)しかった。


 後悔。それが今、訪れていた。




 まて、向こうの時間軸が、停止している可能性もある。ここは未知にあふれた世界なのだから、再会の可能性もあるのだ。


 するとどうだ、向こうが、浦島太郎になって、こちらにやってこないといけないな。果たして、それは可能か。


 愚かな時が流れていた。


 無理だ。


 それはなんとなくだが、分かった。


 彼の力の根源から湧いてくる結論。そう言ったものが、彼の思いを()(ころ)していた。


 何を考えても、できる気がしなかった。




 ふと、冷笑が漏れてしまった。それは己に対してである。


「何がおかしい!」


 落ち度はこちらにあった。


 老人のその(いきどお)りはもっともだった。


 失態である。しかし、目の前の男は、即座に、その憤りを改めるのだった。


「いや、すまない。知りもしないお方に対して、ずいぶんと失礼に声を荒げてしまった。容赦しておくれ。もうわしも、先が短いんだ。父さんのこととなると、わしは、ずいぶん弱いんだ。皆が、父さんを馬鹿にするものだから......馬鹿にしていいのは、俺だけなんだ!」


 (にら)む老人の(まなこ)には先ほどまで(うかが)えなかった、情熱が満ちていた。


 飛沫(ひまつ)が飛ぶ。


「なぜ、俺が、ここにいると思う?人生を無駄にして」


 手に取った湯呑(ゆのみ)が空なことを忘れ、老人はそれを飲んだ。


「正直なところ、それは俺にもわからない。頭で考えりゃいいってもんじゃない!」


 叩きつけるように湯呑が置かれた。




 老人は彼の言葉を待っていた。




 その言葉を返すように、闘神が取り出したのは、たばこであった。


 火をつける。


 灰皿は、湯呑である。


 落とした灰は、湯呑に積もらなかった。それは溶けて消えていった。


 煙が小屋に満ちる。




「いま、世間はどうなっているんだ」


 それを聞いた老人は鼻先で笑った。


「知らんよ、世間のことなんて」


 溜息(ためいき)


 しかし、唐突(とうとつ)に、こぶしがテーブルに叩きつけられた。


 そこには刺すような(まなこ)があった。


「だが、これでどうだい。俺が、今、世間は狂ってしまった!そう言っていたら、あんたはどう思う」


 そうであるのだろう。


 常天が今、どうであるか。そこまでは完全言語理解でわかるものではない。しかし、それは、その(まなこ)に宿る力強さで十分だった。


 闘神は今、老人の眼に、あの時の男の影を見ていた。


「いつだって狂ってるさ」


 闘神が答える。


「そうかい。あんたはその立場かい。」


 老人にとって、いや、親子二代にとって、待ち焦がれたあの戦いの続きが、今始まった。


 先手は、老人である。


「じゃあ、ときにあんたは、国家の精神の支柱が(けが)されたことをどう思うかね。そんなものに頼っているのがいけないんだというのかい?そんなものなくったて、生きていけるというのかい?生きるというのは、そんな野蛮(やばん)なものなのかね!」


 ああそうだ、そんなもの要らない。と彼が答えれば、だったらあんたは野蛮な人間だ!と言って終わる。これが老人の勝利だった。




 目の前のこの男は、あの時、あの戦いで被害を出しはしなかった。誰も殺しはしなかった。もっと言ってしまえば、国家の滅亡を阻止したともいえる。


 ロイヤルが、ただ、彼のものであった。それだけが、彼と我々との間にあった不幸なのだ。


 だから、それが、遊びではなかった限り、彼には何らかの思いが、それも真摯(しんし)な思想があるはずなのだ。


 そこに弱みがある。


 あの戦いが慈悲(じひ)だったとしても、慈悲の背後にある思いが、急所なのだ。

 国家を(あお)った、あの一言一言も、何らかの思惑(おもわく)があったのだ。まるで、こちらの精神を試すかのような!

 ならば、尚更(なおさら)。彼の精神は野蛮のそれなどではないのだ。


 対等な立場での勝負。思想というのは、力持たぬ弱者が強者を負かす、限られた手数の一つである。


 そして恐らく、目の前の男に宿るその精神は、野蛮の(そし)りを受けることに耐えられないに違いない。

 そこを無理に耐えようとすると、利己的な思想に走るしかないのだ。男が、常天に対して仕掛けたそれは、まさに利己の行為でしかないのだから。そして、その利己が、男の墓穴を掘るのだ!


 また、もし、利己に走らず、()(つくろ)って、独善的な思想を述べるならば、バッサリ切り捨ててやる。


 言い訳だ!


 そう言って、己の行いを正当化するが為に(つくろ)った言葉、その言葉の見苦しさを(さら)してやる!


 勝ち筋。


 老人には、この戦いの勝ちが見えていた。非は明らかに向こうにあるのだ。負けるはずがない。


 目の前のこの強盗が、貧しくないこと、そして、理性を重んじていること。この二つがそろわねば、この勝負は成立しないのだが、おそらく、その条件はどちらもクリアしている。


 けれども、それは野蛮(やばん)であるというのが、闘神にとって、いかなる意味を持つか、それによって、まったく変わる話だった。


「野蛮か......そうだな。むしろだ、最後にはそれしか残らないと思っているよ。精神や思想ってやつは、あっけなく死ぬんだ。秩序の為の道具。せいぜいそれくらいの意味しかないと思うよ。一時期それが、異様に覇を唱えようと、その寿命は早い。そもそも生きちゃいないんだから」


 突如、切り込んだ来た老人。


 しかし、その回答は、闘神にとって容易(たやす)かった。


 野蛮か、野蛮でないかの二項対立で勝負を挑もうとした老人であったが、闘神が、その野蛮さを、そもそも肯定的に(あつか)ったが為に前提が、議論が狂った。


 そして、むしろ思想は脆弱(ぜいじゃく)だと指摘、反撃してきたのだ。


 その反撃の(ため)に揺らいでしまった老人は、即席のありふれた答えでそれを(かわ)そうとする。


「なんだと!死から解放されたのが思想じゃないか!思想は死なない!永久に生き続ける!だから尊いんじゃないか!」


「そんなもの幻想だね。(まぼろし)だよ。しかし、その幻想ってやつの厄介なところは、肉体を殺してしまうってところさ。つまり、(まぼろし)を見たいが為に命を燃やしちまうんだ。」


 きっぱりと暴力的な言葉が老体に叩きつけられる。


 老人が無駄にした人生を突きつけるような辛辣(しんらつ)さがあった。


 しかし、そんな事、分かっていた。かつて父に投げた言葉がそのまま自分に返って来た。それだけなのだから。


 保守と言えば聞こえはいいが、行き遅れたプライド、過去の愛国精神というやつにしがみつき、国を去り、生活を投げ、人生を捨てた、その愚かさ。


 父は、(はじ)であった。


 しかし、(にく)み切れなかった。


 何度、説得を試みたか。


 それは、父が亡くなる時まで続いた。


 国家から離れたが為に引き継がれなかった一族のスキル。そのスキルで父は、かの者が、未だ、亀裂の底を下っている。その事を興奮しながらこちらに語るのだ。


「いつまで、奴は降りていくのだ!なんということなんだ!そこに一体、何が有るのだ!」


 それはまるで、(あこが)れであった。


 そして、残された無人の小屋。


 父の(あと)()いだ理由など考えたくない。


 矛盾に満ちた激しい感情が落ち着く場所がここにしかなかった。


 それだけである。




 国家は無関心を貫いた。


 かの者に敵意などなかったのだから、危うきに近寄らずで良いのである。


 一方で、こちらに関心を寄せる者たち。それは当然いた。今や少ないが......




 しかし、いったい、彼らに私の何が分かる!!!父の何が分かるというのだ!!!


 訪れる者、かつての愛国を語る者たちは誰も父に寄り添わなかった。言葉をかけるだけである。


 そして、目の前の強盗の言葉なども、百も承知だった!思想は死ぬ!死んださ!ああ!死んじまったさ!常天は次の幻想に乗り換えたんだ!ロイヤルを想う心など、もはや変革(へんかく)の為の道具でしかない!そこにあった重みの一切をはぎ取って、別のもんに移しちまいやがったんだ!


 だからこそ、父の愚かさを(つむ)いだのかもしれない。この小屋が、唯一残された、ロイヤルに対する歴史の(いかり)なのだから。


 守らなければならなかった。


 そして、この時を待っていた!


「幻想が肉体を殺しちまうだって!?それがなんだというんだ!!殺されたっていいさ!!!それが、生き様なんだ!!!!」


 馬鹿にするようならば、殺してやる。


 しかし、彼の目は、部外者のその目ではなかった。


 こちらが(ひる)んでしまうかのような眼差しがそこにあった。


「生き様か。それはそれで美しが、生きるというのは実に野蛮な行為だ。私はそう思うね。だから、その汚さを認めなければ、どこかで破綻(はたん)するんだ。君は、それが認められるかい?嫌だというのならば、次から次へと新たな幻想を生み出して生きなきゃならない。その(いびつ)さに向かい合えるかい」


「じゃ、あんたは、社会が野蛮であれと、そんな社会を認めるというのか!理想のない社会を!」


「認めやしないよ。しかし、いつでも、野蛮(やばん)な肉体というところに立ち返るべきなんだ。腹が減ったら、家に帰る。それと同じだよ。思想に振り回されて、帰る場所を見失っちゃだめだ。」


 急に、悲しさがこみ上げた。


 目の前の男にかつての自分がいたからだ。


 父に帰ってきて欲しかった。ただ、それだけだったのだ。


「ふざけるな!帰る場所がある人間ってのは!帰れる人間ってのは!強い人間なんだ!己の野蛮さを認められる人間ってのもまた強い人間なんだ!でも、弱者は違う!幻想がなければ立ち行かない。そんな人間なんだ!それを切り捨てろと言うのかい!?思想に(おぼ)れるなと言いたいのかい!?それは強者の論理だ!」


「強者もなにもない。あるのは現実だけじゃないか。大いなる物語を人生に見るのは結構。だが、それはいつかどこかで食われてしまうもんだ。」


 彼の目は真っすぐだった。同情の色もない。その時、老人は、彼の中に、実はかつての自分がいないことに気が付いてしまった。


 現実を語る彼を殺してやりたかった。


 彼と議論がしたかった。


「僕は、生存の有無の話をしているんじゃない!思想の有無を問うているんだ!どうなんだ!人生に思想は必要か、どうか!答えてくれ!」


 彼を(あわ)れめばよかったものを、老人は彼に憐れまれたいと思ってしまった。


 彼の目が、老人の全てを理解した目であったからだ。


 その目を否定したかった。彼が私の全てを理解していると思いたくなかった。だから、彼に(あわ)れんで欲しかったのだ。それならば、私は彼を(さげす)むことができるのだから。


 しかし、彼の眼差しは一向に同情の色を見せなかった。老人のその痛烈な思いすら、ただ理解していた目があった。


「しかし、圧倒的な現実に弱いのが思想の欠点じゃないか。生きるためにすがっていたそれを諦めなきゃならない瞬間が訪れる。」


 老人のその問いに彼は答えもしなかった。


 そして、老人の()まった想いがついに爆発した。


「そんなこと分かってるよ!あんただって、あんただって!本当は分かってるんだろ!あんたは、俺と同類だ!だから、分かってるんだ、俺たち常天が何を失ったか!それがいかに大切なものだったか!それが分かっているから今ここにいるんだ!そうだろう!その矛盾があるから俺と議論できないんだ!俺とお前は同じ穴の(むじな)だからな!結論なんて俺と一緒なんだ!あんたも、俺のように思想ってやつの幻想に(おぼ)れたいんだろ!でも馬鹿になれないから溺れられないんだ!深く考えてしまう!そうすればそうするほど、思想が無価値になってしまうんだ!いかにそれが脆弱(ぜいじゃく)かが分かってしまうんだ!だから現実にすがることにしたんだ君は!勝てないからな!現実には!だから、思想に(とら)われたフリをする僕の気持ちが分かるんだろ!?なあ!?だったら、いい加減にしろよ!!ふざけるな!!!同情だそれは!!!なら、尚更(なおさら)だ!!!出ていけ!!あんたの家とやらに帰れ!ここは、お前の家じゃないんだ!!!」




 憎しみの視線が交差した。




 これ以上は何もなかった。


 全てが終わったのである。




 役目を終えた一軒の小屋。


 そこに残された老人は、くしゃくしゃの顔をその手で(おお)う。


 すさんだ大地に慟哭(どうこく)が響き渡った。


 そこに、かの者はいなかった。







 ここは、桃色の空間。


 そこにポツンと、白い神殿が浮かぶ。


 そこは、世界の中心。


 どこにあるのか、誰も知れず。


 その神殿のとある床。一つの空箱が、無造作に放られている。




 誰もいない。




 その空箱。


 (すなわ)ちそれは、ピース・ロイヤル、そのたばこの箱である。


 なぜそこに、それがあるのか。そして、なぜ、世界の各地にたばこが散ったのか。


 その答えは、単純なものである。


 実に大雑把(おおざっぱ)な、それは、一見複雑怪奇だが、しかし、至ってシンプルな世界にある法則。それが彼の元を訪れただけである。


 それは、彼の書斎(しょさい)に現れた石板にしても、その部屋の空間の未知にしてもである。


 あの時の現象の全てには、何者の介入もない。


 上位者の仕業(しわざ)でもなければ、明かしてしまえば、上位者が彼の上にいることもない。


 世界があるだけである。




 ただ、これだけは言及しておこう。


 その法則が彼に訪れたのは、訪れたなりの理由がある。そして、それは(つい)に彼だけにしか訪れなかった。


 ただ今は、そこには言及しない。




 今は、彼の所持品、元所持品に関することだけを述べておこう。


 まず、なぜ、彼の所持品にたばこと、ジッポライター、そして、スーツセット、最後に、スマホが選ばれたかであるが、至極単純である。


 彼の元に未知が訪れたその瞬間。彼が身に着けていた物たち。それが所持品として選ばれた。それだけである。


 少々無理をして、その法則を述べるならば、因縁(いんねん)(それは物理的にも精神的にも)のような関わりが彼と所持品たちの間にあったのだ。


 ただ、この因縁(いんねん)もウェットな(つな)がりというよりかは、いささかドライな、淡泊(たんぱく)な繋がりである。


 例えば、ジャケットの内側にしまい込んで忘れてしまっていたジッポライターも、もし、彼が身に着けていなければ、彼の所持品に選ばれた、その可能性は極めて低い。


 もしかすれば、何らかの形で、彼と(えん)(つむ)いだ可能性も無きにしも非ずだが、どのようなものとなったかは、わからない。




 そして、タキシード君は石板にスーツセットと表記されていたが、この表記も、言わせてもらえば大雑把(おおざっぱ)。簡易的な表記である。


 実際、その時、彼が着ていた服は、ジャケットセットである。彼が老人と相対した時の服装。亀裂から地上に飛び出るときにタキシード君が変身したその服装である。




 スーツセットとは、いわば、彼の服に対する概念の表記でしかない。


 つまり、「スーツセット」と表記されなければ、「服」または、「(ころも)」であっても良かった。


 ただ、その時彼が身に着けていた服が、彼にとっての準正装。そんな意識があったから、それが反映されたのだ。


 そもそもだが、あの時石板に書かれた文字は、日本語であったし、数字も10進法であった。


 つまり、石板の表記は、彼の意識の基準に照らし合わせて表記されたものであって、もし彼が、それと異なる言語、異なる概念を持っていたのならば、それに合わせて、石板の表記は変化したのだ。


 そして、彼の身に着けていた物が所持品となったと言ったが、例えば、彼が踏んでいた床、座っていた椅子(いす)、ポケットの中にあったレシートのゴミやガム。使い古されたペン。そういったものは当たり前かのように所持品とはならなかった。


 これは、彼の無意識による取捨選択があったと(とら)えていい。


 身に着けていた物の中で、彼の所持の概念と一致するそれらしか石板には選ばれていない。


 こんな具合であった。




 では、なぜ、19本のたばこがこの世界に散ってしまったのか。


 闘神の所持品なのにも関わらず!




 転移時、闘神と離れていた。彼が、それを(つか)んでいなかった。


 ただ、それだけである。




 そして、あの惨事(さんじ)


 宙に浮かんだその箱に、触れた手が、それを(はた)いたかの(ごと)く。


 そして、飛散したその中身。


 手で触れた箱は、机に落ちた。


 彼の身に宿り出した闘神のその力が、触れた箱の転移のエネルギーを(はた)いてしまったが為である。


 それ以上の理由はない。


 では、なぜその箱が、世界の中心にあるのか。


 それは、あの時の書斎の空間が、世界の中心の、いわばその仮初(かりそ)めの姿であったからである。


 ただ、これだけは、注意して欲しい。その空間はいわば、仮初であって、世界の中心、その場所ではない。


 世界の中心と関わりのある空間。苦しいが、この表現が適切であろう。


 つまりは、まだ、彼は世界の中心にたどり着いていない。


 そして、そこと関わりある空間に残されてしまったからこそ、今、その箱は世界の中心に放置されているのだ。


 ただ、それだけである。




 19本の散ったたばこたち。


 これも言うまでもないだろう。それら、たばこたちの転移を彼が邪魔しなかった、つまり、それらに彼が触れなかったから、それらは自然と果てなき大地に、それぞれ転移したのである。


 闘神の所持品は、その事実だけで、各々(おのおの)、転移の力を発揮したのだ。




 また、彼が選択しなかった元所持品たち。


 タキシード君は、彼が身に着けていた服が元であったし、スマホ君はズボンのポケットに、ジッポライターちゃんはジャケットの内ポケットに。


 つまり、彼とごくごく近しい距離にいたが為に、闘神のエネルギーと世界の未知の力とに強く、そして不可解に繋がった。それだけだ。


 (たな)から牡丹餅(ぼたもち)。言ってしまえば、そんな塩梅(あんばい)である。


 ちなみに、もし彼が、彼らを所持品として選んでいた場合、どうなったかであるが、ただ何の変哲もない、しかし、永久不滅のそれになるだけである。







 闘神がこの果てなき大地に降り立ってから、およそ300年。


 これは、以後も各地で見られた現象。それも今、紹介しておこう。




 小動物たちの国。


 これが、各地に誕生した。


 その理由。それは闘神が通ったその各地に、スキル「フォロワー観戦」を所持する者がいたからである。


 彼ら小動物はか弱い。故に、身の丈を知る。


 だからこそ、闘神の力のすさまじさを一目で知るのだ。


 持つ者が、スキルで彼をチェックするのは当然である。


 そして、そのスキルは、進化する。フォローした者の偉業に比して。




 闘神を始めて観測した、あの大草原には、今、小動物たちの大国が築かれていた。


 初めて闘神をスキルでチェックした者のスキルがまず、スキル「古参」に進化。


 闘神のとんでもない偉業により以後も()け上がるその進化は、とめどなかった。


 スキル古参。


 ひとまず、この効果をいくつか述べておこう。


 それは、フォローした者の業績を視聴した、スキル所持者とその仲間たちの寿命と力が、その業績の分だけ伸びるというものであった。


 彼を追いたい!そんな気持ちが、彼らの生存力を高める。そんな具合なのだ。


 ただ、注意が必要なのは、この業績に比して与えられる力というのは微々たるものである。


 正直なところ、おまけのような、そんな機能である。


 しかし!闘神のその業績はそれを覆すほどの大偉業!


 ガラスの天井の撃破から始まり、(それも2度も!そして、その天の上を悠々(ゆうゆう)と移動!)


 そして、大国を軽くいなし、(それも無傷で被害も出さず!国家の滅亡事態すら抑え込んで!加えて、天上天下唯我独尊......)


 おまけに、果てなき大地のその地下を、どこまでも急降下!


 誰が、真似できようか!もはや、真似とか、それが可能かとか、そんな次元の話ではない。




 彼らは、かの者が、神であるとは誰からも教えられていない。しかし、もはや神の御業(みわざ)という他はなかった。


 闘神の業績。それは、今あげたものだけではない。


 闘神の一挙手一投足。その全ての頭に


「神が、初めて」


 という言葉がつくのだ。


 つまり、小動物たちは、その意味を理解していないが、


「神が、初めて食事をした業績」


「神が初めて、踏んだ大地の業績」


「神が初めて・・・業績」




 もはや、なんでもありであった。


 果ては、その大地の空気を吸い込んだだけで、効果があるのだ。


 つまり、闘神のその生存の全てが、スキル古参に照らせば業績であり、笑ってしまう程、彼らに力を与えたのである。


「神が、初めて」という言葉が付けられるのであれば何事も業績となる。それは、膨大な数の業績。細分化してしまえば、そこに「初めて」という意味を新たに見出してしまえば、その業績の数は無限に等しかった。


 ただ、さすがに「神が」という言葉から始まる業績の程度が小さいとその分だけスキルの効果は弱まるのだが。それでも、どんなに小さな偉業も無視できない力を生み出すのだ。


 それは、スキルがパンクしてしまう程であった。


 豪雨の如くたまる業績の数々。故に、ホースの口を広げるよりも、その水を()めるための、タンク、ダムを作ることが先である。


 そして、いま、そのダムはとんでもない規模にまで成長している。


 そんなダムから、彼らは、日々、力を摂取しているのである。


 また、スキル古参には、再視聴、複数回視聴、同時視聴、プライベート視聴といった様々な楽しみ方で、別個に力を得るそんな機能もある。


 加えて、スキル古参を持つ者を中心として、その仲間たちも、それと類似したスキルを数々獲得する。これは、スキル古参の効果の一つ「布教」が為であった。


 もはや氾濫(はんらん)である。


 しかし、それほど、神と遭遇(そうぐう)するというのがとんでもないことなのである。


 ただし、このスキルは小動物たちにしか意味がなければ、その視聴もできない。そして、スキルフォロワー観戦を持つ小動物は彼らの中でも珍しい存在である。


 つまり、この現象はこの世界の全体からしてみれば、極めてありえない次元の幸運。そして、それを(つか)んだからこそ、許された祝福なのだ。




 ただ、これは述べておく。


 彼らの中から神に至る者は現れない。


 そのスキルがどれ程の力をもたらそうとも、結局、彼らは弱者なのだ。


 その事を彼らは分かっているから、身の丈を知るのだ。




 そんな彼らだが、大草原に誕生した国家のその名は、ヤニヤニ共和国。




 その国家、たばこ吸いの天国である。非喫煙者は誰一人としていない。




 これは、ヤニヤニ共和国に至る前、その初期。


 まだ、たばこを生産する体制も作り方も分からなかった彼らは、ある者は草を(くわ)え、またある者は無理やりそれに火をつけて、闘神の真似事をするのであった。


 誰が一番、(いき)にたばこを吸えるか。その真似ができるか。それが当時、彼らの中で熾烈(しれつ)な争いごととなっていた。




 いや、一つ訂正する。


 真似事というのは、いささか彼らに失礼であったかもしれない。


 彼らは至って大真面目であった。


 かの者の、その強さの所以(ゆえん)を知りたくて、かの者の真似をするのであった。


 そして、だいたい、そういった熱中事は極まれば力をかたどるのだ。


 初め、それは、「あいつの吸い方、めっちゃ渋くね?」


 と皆に思われていた者に現れた変化。


 スキル「オラは食わねど一服、キメる」


 その者が突如、獲得したスキル。


 その効果は恐ろしい程、優れていた。


 それは、一服すれば、減った腹もたちまち満ちる。


 つまり、食わなくとも大丈夫。生きていける!そんなスキルであった。


 そして、彼らにとって、一服というのは極めてあいまいな言葉であった。


 本物のたばこではなくとも、口に(くわ)えたそれが、彼らにとってのたばこなのであれば、スキルの条件が満ちるのである。


 これは、小動物という弱者の立場、そして、闘神の大偉業の恩恵を彼らが受けているが為に生まれたスキルである。


 そして、それを皆が獲得した。


 小動物たちが国家を成立させることができたのは、このスキルがあった為である。だから、民は皆、喫煙者なのだ。




 スキル古参。


 この上に位置するスキルがある。それはスキル「最古参」である。


 ここに至ると、また様々な効果があるのだが、今、述べたいのは、その効果の一つ、ファンサイトである。


 それは同じ人物をフォローしている者たち。その者たちと繋がることができる力である。


 彼らのハブとなるファンサイトを作成できるのだが、この能力の凄まじいところは、そのファン同士がどんなに離れていようが、繋がれる。そして、過去のアーカイブをサイトにアップロード(もちろん編集も!)できた。


 つまり、ガラスの天井が初めて破壊された、その時の映像を新規さんが視聴。そして、その大偉業の分だけ、(ただし鮮度が落ちるので、生中継の時ほどではないが)力を得ることができるのである。


 そして、そのスキル最古参が進化すると、スキル「応援団」となる。


 この時どうなるか、ファンコミュニティの機能にオフ会が加わるのである。


 つまり!ファン同士の距離がどんなに離れていようとも!空間を移動して!会うことができるのだ!


 これは、超大国以上の次元でないとできぬ技である。




 そして、そのスキルの進化の果てに待ち受けるもの......


 その名は「タニマチ」


 つまり、力士の後ろに構える後援者である。


 ファンの矜持(きょうじ)の最高峰。厄介ごとは全部、俺に任せて行ってこい。




 その効果であるが、それは、力士の威圧を借りること。


 つまり、彼らにとって、力士とは闘神。


 闘神の威圧を借りることがそのスキルの効果の一つである。


 敵対者を闘神の幻影が威圧するのだ。


 それは、その威圧の主。つまり闘神の存在を、その敵対者が倒せなければ、スキル「タニマチ」とそれに追従する仲間たちへの攻撃、被害。その類の危機が、一切防がれる。そんな効果を持つ。


 倒せるわけがない。


 つまりは、無敵である。




 加えて、タニマチ、そしてその仲間たちの、その寿命も当然無きに等しいものとなる。


 いわば、庇護のスキルの逆バージョン。


 庇護するスキル。そう言えよう。


 庇護されるのではなく、庇護しにいくのである。その最終形態のスキル。


 恩恵は全て、力士の力に左右される。




 ちなみに、庇護系のスキル。これは、瀕死の事項と切れぬ縁だと以前述べたが、この場合、瀕死のそれはタニマチにも必要な事項であった。


 そして、この瀕死の事項であるが、実のところ、彼らは、タニマチに至る為に必要な瀕死の事項を既にクリアしている。


 彼らが、闘神と一瞬でも近い距離にいた。これで十分である。


 それだけでも、彼らにとっては、圧倒的な生命の危機、瀕死の状態なのだ。




 ただ、このタニマチにおける瀕死の事項のクリア条件はかなり厳しい詳細が追加である。


「その瀕死がフォローする人物によりもたらされた瀕死であったこと。そして、それが全てにおいて悪意でないこと。かつ、無為なるものであること。」


 瀕死の回数が定められていない代わりに、以上のきつい条件があるのであった。


 運に運を重ね掛けしても満たせぬ次元の条件である。


 もはや、対象が闘神だからこそ、成り立つ話だった。




 スキルの効果をもう一つ上げよう。


 タニマチとその仲間たちは、力士が呼べば、どこでもすぐに、その場に現れることができる。そして、呼ばれた上で、力士に満足してもらえると、その満足のぶんだけ、彼ら全体の力が大きく上がる。そんな効果である。


 しかし、そのスキル。至るにはその壁、高すぎる。




 瀕死の事項も高い壁の一つなのだが、他のその壁をいくつかを明かそう。


 まず一つ目だが、タニマチのスキルを得るためには、力士に対して、何かしらの援助を行わなければならない。それも、(ひそ)かな援助ではなく、堂々とした、力士がそれと分かる援助である。加えて、その援助が望まれた援助でなければいけない。


 お!やるじゃないか。


 そう深く思ってもらわねば、クリアできないのだ。


 果たして、闘神の心に認められる。そんな援助ができるのだろうか......一体彼は何を必要とするのだろう。


 次の条件もとんでもない。


「力士の保有資産。その100億倍の資産の保有がなければいけない」


 もし、闘神が一万円札を手にすれば、それがたった一枚の紙切れであっても、彼らは100兆円の資産を保有しなければならないのだ。


 それも、しっかりと価値の為替がある。


 力士が保有している資産の基準で100億倍の資産を保有しなければならないのだ。


 彼らにとっての通貨。どんぐり。


 大草原の特殊な草の根に実るどんぐり状の食物。そんなもの全く価値がないのである。


 ただ、これに関しては、ほんの少しだけ希望があった。




 闘神が現在保有する資産は0である。


 まず、タキシード君たちは闘神の所持品ではない。元所持品である。


 そして、彼のたばこだが、これは闘神しか扱えず、そして、常天連邦に収められていた時とは違い、剛体でもなければ、魅惑が香ることもない。つまり、価値など算出できない。


 資産に値しないのだ。


 これには、彼らも助かったことだろう。


 しかし、もし、今後、闘神が金銭を得てしまったら。話は別である。


 その力。資産を築くこと容易である。


 例えば、彼が何かしらの恩をどこかで売ってしまったとしよう。


 彼が、その恩の受け取りを拒否しても、助けられたその人たちは何をするか分からない。


 例えば、彼の為に、資産口座が開かれて、そこに金銭が振り込まれれば、彼らは終わる。




 まあ、そんな不幸がなければ、希望はあるのだ。


 その理由の一つがタキシード君にある。


 彼は、異物の侵入を絶対に許さない。


 それがどんなに価値のある物だとしても、決して、その侵入を許さない。ポケットは開かれないのだ。


 なぜか。潔癖症というのもあるのだが、ライバルを増やしたくないからである。




 何を言っているのか分からないだろうが、タキシード君には、主人が得たその何かしらの品に新たな意識が宿る。その危惧(きぐ)があった。




 ・・・そんな事は、ない。




 しかし、その可能性をほんの少しでも考えたくないのである。


 タキシード君は元所持品の中でも序列最下位。


 そんな中で、主人が得たお気に入りの品。それに万が一でも意識が宿ってしまったその時は終わりなのだ。


 しかも、その時、その品は元所持品ではなく、正式な所持品の座を得ることだろう。


 意識が宿らなくとも許せない!!!


 そんなタキシード君であった。


 そして、こんな調子のタキシード君だが、その主人も主人で、問題であった。


 彼はいわゆる手ぶら族である。


 タキシード君がそのポケットを開かないとなれば、品物など持たないだろう。


 まして、バッグを買うなど、タキシード君にしても、闘神にしても、その選択肢を拒否する。


 指輪、アクセサリー、そういった類も身に着けない。


 オシャレは好むが、今や、タキシード君がその全てを担うので全く必要がなかった。


 ただ、もし、次元収納の指輪といった物があれば、話は違うのだが......


 しかし、その時は、タキシード君が実力行使に出るだろう。


 ありとあらゆる手を使って。




 また、スマホ君やジッポーちゃんが闘神に協力することで、彼が資産を保有する可能性も考えられるのだが、それは無理であった。


 まず、ジッポーちゃんだが、いずれその力が伸び、次元収納に類するスキルを獲得することだろうが、その収納は特殊で、収納された品物はその形をとるのだが、彼女が保有するその品物の全ては、炎の身が宿る。


 つまり、品物の形をした炎。たとえ、食べ物を保管しようと、それは炎の食べ物になってしまう。もはや、ジッポーちゃん専用の所持品。彼女しかそれを味わうことができない。だから、無理なのだ。


 次にスマホ君だが、彼は、普通に次元収納のスキルを今も持っている。


 ただ、彼は働かない。労働を拒否する。話は終わりだ。




 まあ、闘神がスマホ君に対して、何らかのゲームで勝利すれば、何か願いを聞いてくれるスマホ君がいるかもしれないが......ゲームに勝てればの話である。


 加えて、彼にはタキシード君との友情もある。彼の気持ちを無碍(むげ)にする訳にはいかない。


 そして、これはスマホ君にしても、ジッポーちゃんにしても同じなのだったが、主人が他の所有品を持つこと、それに対して、彼らもタキシード君と同じ、一抹(いちまつ)の不安を抱える者たちなのだ。


 彼らは、闘神の元所持品なのだが、その気持ちは昔と変わらず主人の所持品である。だからよそ者などお断りなのだ。




 となれば、闘神は以後、何も持ち歩けないのか!お金すら!


 家無し、金なし、スキルなし。


 これでは、いずれヒモ男となり果てることだろう。


 なにか、便利な、保管庫があれば......それも、都合のいい時に現れる、身に着けなくていい、そんなうまい話......




 おっと、これは、もしや、彼らヤニヤニ共和国にとって、思わぬ幸運なのではないだろうか?


 タニマチに至るそのチャンス。


 第一の条件「何かしらの援助」をクリアする。それにピッタリの事案である。


 金欠の危機にすかさず現れることができたら、彼らは、永遠のカバン持ちになれる......


 彼らがそれに気付けるかは知らないが。




 ちなみに、スキル古参の「布教」についてだが、これが成功すると、そのメンバーは一つの共同体となる。


 リーダーのスキルが「古参」の場合は、そのメンバーのスキルが「古参勢」


 スキルが進化してゆき「応援団」に達すると「団員」


 そして、「タニマチ」に至ると「後援会」である。


 ただ、その名称は各地域で様々な色が見られる。これと決まった名称に定まる訳ではない。


 だから、地域ごとに、何らかの特色をだして、○○応援団、○○の会、○○の為に○○を守る後援会、○○○○ファンクラブ......などといった事態が勃発(ぼっぱつ)する可能性もある。




 また、このフォロワー系のスキルだが、最低限のマナーというのもある。


 パブリックとプライベート。


 つまり、闘神が他人に見られても別に構わぬ。そう思う事項、それ以外の映像は、視聴も録画もできない。録画されたとしても、削除対象である。つまり、スターの恥は一切さらされないのだ。


 その基準は彼の無意識がそれを快と思うか否かである。


 記録してもいいことリスト。


 それを間接的に読み取り、判断するのがフォロワー系スキル持ちの仕事の一つである。


 常に安全設計。


 例えば、タキシード君のやらかし、お尻事件はそもそも、記録していいことリストに入っていないので、記録されていない。


 この繊細(せんさい)な設計が、スキルの進化にまた大きく関わってくるのだが、高度なフォロワー系スキル持ちのそばには、いつも、カメラマン、ディレクター、編集局長、構成作家、音響、照明などのチームがいるものである。


 彼らには、それぞれの重要な役割があり、コンプライアンスと視聴率の為に日夜努力し、どこまで、攻めるか、攻められるか、それを研究するのである。そして、その努力も彼らの力となる。


 例えば、別に見せてもいい、そう思う日常のその光景も、その全てを記録されちゃあ、さすがに不快だ。


 適度な具合。それが求められるのだ。


 ちなみにBPO。放送倫理委員会の役目を受け持つは、人格なき、世界の法則である。


 ダメなものは、理由もなく却下される。どこがダメなのかも、何を視聴しようとしたからダメなのかもわからない。そのNGの前後シーンを見て、考察して、ああだこうだ手探りで進むしかない。


 また、これは当然であるが、NGシーンで起こった出来事を業績として反映させることはできない。つまり彼らの力にはならない。


 そして、これにはペナルティーもある。やりすぎた場合は、よくて免停(めんてい)、最悪、免許取り消し、スキル降格処分が下される。


 これには、破天荒が売りのヤニヤニTVも(かな)わなかった。


 やはり王道は、ヤニヤニ共和国のリーダーが運営するYNK放送局。「ゆいが様」「なかなかにそれ」「キマってますよ」放送局である。彼らの売りは、MADムービーの作成であった。


 彼らの映像化能力を少し紹介すると、フォローした人物に関する事象まで、その映像化が可能である。

 つまり、あの常天での戦いの背後にあったもの、その星読みたちの言葉、人々のその姿などといったものを映像にすることができる。

 これは、スキルのレベルと彼らチームの努力によって、大きく左右されるものなのだが、その映像の受けがいいと、これまた、彼らの力が増すので、その努力は必要だった。







 スキルの進化条件。


 果てなき大地には、こういった、スキルの進化条件を予測する者たちがいる。彼らは、知恵と力を寄せ合ってその条件を導き出すのである。


 そして、ヤニヤニ共和国にも、もちろんそれを担う者たちがいる。


 彼らは、その進化を目指す。


 それは、利益の為ではない。情熱が為である。




 もう二度と会うことはないだろう。


 誰もがそう思いながら見送った、あの日の空、あの日の姿、あの日の想い。


 それを一気に(ひるがえ)す!その一手があった!


 スキルが「応援団」へと進化したその時が、我らがチャンス!


 可能性は低いが、唯我様がいるその場所に、彼のフォロワーが居合わせる。そんな奇跡があるのなら!そこへ渡ることができるのだ!


 オフ会を開くことで!


 現地へ飛べる!




 つまりは、押しかけである。




 しかし、彼らは、そんなに愚かではない。


 彼らが目指すはスキル「タニマチ」


 それは、力をくれた、唯我様の為に、我らができる精一杯の貢献(こうけん)


 その究極の姿勢が為である!


 何ができるかまだ分かっていないが・・・


 些細(ささい)なことでもいいのだ。唯我様が(わずら)わしいと思った何事かを処理できれば、それで満足なのだ!


 故に、唯我様の負担になるなど言語道断!それに望まれなければタニマチには至れないのだ。




 彼らの気持ちは一心であった。


 もう一度。会いたい。


 純粋なのだ。彼らは。




 果たして、その気持ちは実るのであろうか。それは運次第といったところか......


 この果てなき大地において、特に闘神との再会。それを望める者がいかに恵まれているか。


 彼らはそのチャンスを偶然、(つか)んだだけ。それを果たさねば(そし)りを受けても当然である。


 もう二度と彼と巡り会えない。その運命にある者もいるのだから。


 闘神が初めて、この世界で出会った男。


 羊飼いがその一人である。







 それは晩年のことであった。


 羊たちをその道の友に譲り、犬達と別れ、ロバは......逃げた。




 人生が終わる。そんな予感が忍び寄る時の中で、男が思うことはただ一つであった。


 唯我と名乗ったあの気高き男は、やはり、神なのだろうか。




 かの者と別れて、数日後、天が光った。


 後日、星読みの異常が各地で起こったことを知る。


 あの男の仕業に違いない!


 激しい興奮があった。


 しかし、それを誰かに言うこともなかった。


 そして、旅を続けた。


 私も、私で何かをやり遂げたい!しかし、その想いの一方で、何もできないだろうことが、身に染みて分かっていた。


 彼は、冒険家にあこがれていた。しかし、その才には恵まれなかった。


 彼の旅路(たびじ)


 それは既に誰かが通った旅路であった。


 か弱きその身が、生涯移動できる範囲というのは限られている。


 限界寿命移動距離。というやつである。


 その者の残りの寿命と行使可能な力の全てを移動に(つい)やした場合。到達できる距離。

 この際、その移動に立ちはだかる障害は無視する。


 それをこの果てなき世界では「限界寿命移動距離」と呼ぶ。


 いわば、その者が、その一生でたどり着ける地。その範囲の限界を残酷に表した言葉である。


 生まれは選べない。


 この言葉は男にとって、強烈であった。


 力なき男。けれども、夢は大きかった。


 しかし、男が生まれたその大地は、手垢(てあか)にまみれた大地であった。


 残った未知など何もない。


 ランダムに世界を飛び回り。その最後に故郷へ戻る。


 そんな事ができる冒険家の格というものを知った時は希望が持てた。


 しかし、それは叶わぬ夢であった。どんな賢人も私にその才を見出(みいだ)さなかった。


 何の因果か......何の因果なのか......何の因果なのだろうか!


「私は、ついに、ついに!未知と遭遇したのだ!!!」


 彼と会えた。




 けれども、それがなんだというのだ。


 嬉しかった、私の誇りだ。しかし、それ以上の意味などない。




 そして、最後に残った一念。


 あの男は、何者か。


 その答えは容易に想像できた。しかし、それは冷静に考えれば考える程、大それたものであった。


 その答えを確かめるために、何をすればいいか。それは、なんとなくだが、頭にあった。


 その意味はないかもしれないが、やってみるだけの価値があるのではないだろうか。しかし、無意味に違いない・・・


 そんな問答が、それを実行する為の活力を奪っていた。


 年々老いさらばえる肉体と、日々増すその想いとの狭間でもがく時間が伸びていく。


 今や、一日中、そのことについて考えている。


 死期が近いのだろうか。


 そう思っていた時である。


 その地に新たなる星読みが誕生した。


 それは、老人の求めるその答えをまさに導いた歌だった。


 神の席が九席!一席足りず!


 あの男だ!あの男だ!やはり、やはり!あの男はっ!神であったのだっ!!!!!




 瞬間。男は決意する。自分がやるべき、やらなければならない!しかし、価値はないかもしれない!けれども!それでも!見つけなければならない!たどり着かなければならない場所を見た!!!


「あの男は、あの日、あの時、あの場所でこの世界に降り立ったに違いない!」


 あの時の会話、その内容、そして、あの者の反応!常識を知らぬかのような発言!!!


 特段、注目すべきところ、それは!あの男は言語理解、そのスキルにまつわる常識をまるで知らなかった!

 こちらが、そのスキルを持っていないことを想定した(しゃべ)り!それだ!それなのだ!あの男は、たどたどしく、懸命に!こちらの言語を話していた!


 ありえない!絶対にありえない!


 即座に相手の言語の体系を理解して、発語できるものか!!!そんな事ができるならスキルの常識も知っているはずなんだ!!!


 私が、初めて話した人間だったのだ!そうだ、そうに違いない!だからその常識を知らなかったのだ!


 つまりだ、あの時、あの大草原のどこかで、あの男が、神が、そのどこかに降り立ったのだ......!!!




 長年浮かんでは、考え、その最後には、そんな馬鹿な話があるか?と()いて捨ててきた間抜けなそれらが、今、全て繋がった。


 その肯定に()けるだけの材料が今そろったのだ。




 あれは神だ!!!




 そして、()けだした。


 家を飛び出し、はだしで町を駆ける。


 その距離は、遠い。


 はるか、はるか先である。


 しかし、距離など問題ではなかった。


 星読みの合唱を背に、駆けるその足は、駿馬(しゅんめ)の如く!みずみずしく!嗚呼(ああ)、そして、羊飼いのその姿は(つい)に若かりし、黄金時代のその姿となっていた。


 青年が大地を駆ける。


 いま、その大地は、無垢(むく)(さら)していた。


 その柔肌(やわはだ)を踏みつける。


 その時、その大地は、彼だけの、彼の、彼しかいない。未知の大地だった。


 少年は無敵であった。




 そこがどこにあるか、近づくにつれて、その場所が自然と鮮明に浮かんでくる。


 分かる。分かるのだ、合っている、私は合っているのだ!




 昼と夜とが幾度(いくど)も流れた。しかし、一度たりとも、休むことはない。


 ただ、全力で()けてゆく




 そして、ついに、その場所にたどり着いたのであった。




 大草原のその場所は、何故か、そこだけ草が生えていなかった。


 大地のひび割れが、クレーターが、そこにあった。




 その中心に向かって、歩いてゆく。


 その足取りは、しっかりと土を踏む。しかし、そこには震えがあった。


 そして、その中心に、男は、ついに、たどり着いたのだった。





 刹那(せつな)。光景が見えた。


 神が、神が、この果てなき大地に降り立った!


 その瞬間が、男の前に現れたのである。


 それは、後ろ姿であったが、あの男に間違いがなかった。


 そして、それと同時に、その瞬間の意味が男には分かった。


 それは、彼が、(れっ)きとした冒険家になった瞬間でもあった。




 男の体が、崩れてゆく。


 力の全てを使い切ったのである。


 ただ、最後の仕事が残っていた。


 それは、冒険家がその生涯の終わりに残すことができる印。


 男の場合、それは、漆黒(しっこく)石碑(せきひ)であった。


 その石は、まるでシルクのような材質である。


 しかし、石なのだ。




 その後、その石に触れた者。その者たちは、一様にその瞬間の光景を目撃する。


 男が、見た、その姿である。


 ただ、その意味だけは、今は男だけしか知り得ない。


 そこに見えた者が何者なのか、誰なのか、それを真に知る者は未だ、彼だけ。


 これは、彼だけのものなのだ。




 その石碑(せきひ)には、ある言葉と名前が刻まれている。


『この日を境に我らは絶対的な拠り所を見出すことを許されたのだ。そして、その日を私は目撃した。』

 ―冒険家 カールツ・クラッセ・ジャンバルジャック―


 その言葉に添えて、石碑には、ある時刻と(こよみ)が秒単位で刻まれている。


 それは、闘神のスマホのその画面のそれと全く同じものであった。




 その死の間際、遠くの景色に、なにか、文明の影を男は見た気がした。


 それは、小動物たちの国である。


 いずれ、彼らがこの石碑を見つけるだろう。




 ああ......私にも役目というものがあったのだ......


 それを最後に、男は、満ち足りて、死んでいった。




 ―満ち足りて死んだ者は、永遠に眠る。起こされることもない。―







 その者は作家のひとりであった。


 男が、地球において、残した足跡(そくせき)。彼が地球に居た形跡(けいせき)


 それは、いくつかの作品。それだけである。


 しかし、その出来は満足に満ちたものだった。


 そして、ある時、彼は、物書きとしての仕事を終わらせたのだった。


 ペンを置いてきたのだ。


 そこに未練はない。


 そして、それが、それこそが、彼がこの世界に降り立つことのできた、理由の一つであった。




 彼の人生は続く。




 闘神ヤニカス戦記―ロイヤル編―


 第一章 常天連邦 ―完―


 つづく


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