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闘神ヤニカス戦記  作者: 店や喫茶
ロイヤル編 第一章
5/18

神、降臨

 一筋の紅が天をかける。


 50万キロ下の地上からもその姿がはっきりとうかがえた。


 紅の輝きが、空に一筋の線を描きながら、いま、(なめ)らかに移動しているのである。







 ちょうど20時間ほど前のことであった。


 朝方、空が青色に染まりだした頃、上空のある一点が、突如、猛烈(もうれつ)に輝いた。


 異常な光に誰もが顔をあげた。


 幸い、それを引き起こした現象と地上との距離が離れていたために、被害はなかった。

 ただし、それを観測した各国の警戒レベルは一様に3段階、引き上げられた。


 空で何が起こったかを観測してしまったからである。




 それは、望遠レンズを通して映し出された光景。


 空の異常を察知したと同時に各国の天文機関、または陸地観測機関が、その一点の捕捉(ほそく)に動く。


 この果てなき大地を限界まで観測するために、各々の国家が精力を注ぎ開発した望遠観測器をその異常に向けたが、


 そこには、天のガラスが見事に破壊される様が映されていた。




 ありえない事態だった。




 天のガラスこと、世界の天井は、不壊(ふえ)の象徴。


 それは常識であり、法則であろうと思われていた。


 何者にも壊せぬ存在。




 この果てなき大地の決まり事であった。


 もし、それを壊すエネルギー源を用意できても、そのエネルギー源自体が自壊してしまうために用意不可能、故に破壊不能。

 そんなパラドクスが立てられる程にありえぬ出来事であった。




 歴史ある国家ほど、この世界の天井を研究しているものである。


 ゆえに、(おの)が文明をいくら研鑽(けんさん)しようとも、そこには届かないことを身に染みて理解していた、つもりだった。




 しかし、実際にそれは起こり得た。


 考えられる可能性。


 それは世界の天井を破壊した者の、その格が異常であることだった。







 この世界における力のありようは様々である。


 魔力やスキル、レベルの上昇。そしてそれだけではなく気や念力、呪力もあれば、技や覇力もある。

 加えて、一見、力とは無縁な人文、科学に(たずさ)わる者でさえも、他と等しく力があるのだ。


 力というのは、生命のあり様、世界のあり様だけ多様に形成が可能であった。




 そして、不可思議な力や奇縁(きえん)を与える、数多(あまた)の宝や秘境もある。


 また、国や文明といった力も(あなど)ることはできない。


 物理主義と不可知主義とが混ざり合い発展していくその力は、いつまでも国家を個人の庇護者(ひごしゃ)たらしめるのだった。




 当然、国家を上回る個人なる者は存在する。


 だからと言って、国家が個人に(おび)え、すくむ訳でもないのだ。


 巨大な力を持つ個人に対して、国家もまた、その対抗手段を持つ。


 ゆえに、数多(あまた)もの、歴史ある国家がその運営を成功させているのは至って普通のことであった。




 そして、それらの力を個人が、国家が、求める中で、その果てに獲得するのが「格」であった。




 格


 それは何も個人だけのものではない。


 一つの共同体、そして国家が獲得する格もある。


 そして、その格の取得がある種、おのおのが歩む道の到達点。加えて、次なる次元の出発点となっていた。







 その上で、各地の勢力は、世界の天井を破壊したかの者の力を、何らかの小手先のもの、奇異なるもの、または文明の総力といった話の尺度(しゃくど)では考えなかった。




 あれは、そういったものを圧倒的にひれ伏してしまう程のクラスであると。


 もはや力の系統がどうとか言うのは問題外で、


 ただ純粋に、その格が高すぎるのだという一言に()きるしかなく、


 再現不能。かつ対処不能であると。




 これが、かの者を観測した全ての国家が出した結論で、しかし、その結論に(いた)るしか手がないものだった。




 問題は、その力がこちらに向くか否かである。




 空が青く染まり、その光に(さえぎ)られ、かの者の姿はすでに地上からは観測できなくなっていた。




 世界の上とやらはどうなっているのだろうか。


 果たして存在するのだろうか。


 ただ無限に天のガラスが、その上に続いている可能性も考えられる。




 そしてそれが分かったのは、その日の夜であった。




 赤く染まった空を闇夜が(おお)いだす頃、各国のその優秀な望遠観測器に、かの者が映しだされた。




 かの者は空に座る。そして何やらごみを(なが)めていた。




 世界の天井のその上には空間が存在するのだと判明した瞬間だった。


 幸運だったのは、その観測地点に星が輝いていないことであった。


 かの者との間を(さえぎ)るのは透明なガラスの天井だけだった。




 そこから5時間ほど。




 そのゴミらしきものが消えた。


 かの者の表情というのはわからなかったが、その髪は今朝とは違い漆黒(しっこく)に染まっていた。


 しかし、突如その髪が(くれない)に輝く。




 いったいこれから何が起こるのか。




 それを見守る誰もが固唾(かたず)をのんだのだが、次にかの者がとった行動はただ、一服。


 たばこを吸うそれだった。




 大気が存在する! 世界の天井のその上には大気が存在するのだ!


 その5分。学者だけが異様に興奮したのだった。




 一方で、国家というのは、非常事態に(そな)えるか、それとも、かの者と交信を試みるか、ただ何もしないか、といった決断に(せま)られていた。




 非常事態に備えるならば、国家の明かりを全て消してはどうだ。そうすれば向こうは、他の国家の明かりを目指すだろう。


 いや! 不自然に消しては逆に目立つ。もしそうするならば、夜が訪れる前に行動すべきであった。


 と(さわ)ぐ国。




 かの者との交信を考える者どもは、巨大な光源で信号を送ってみるというのが一番の手なのではないかと、考え巡らす。


 そして、怖い者知らずの馬鹿たちが、それを行ってしまうのだが、幸いにもかの者は全く下を見ることはなかったため、その信号は、無意味に終わった。




 もし、闘神がその時じっと下をのぞいていれば、あちこちの地上から、チカチカと不自然に点滅する光が見えたことであろう。


 そしてその光は闘神の完全言語理解をもって、翻訳(ほんやく)されるのだ。


 それに反応したかどうかはわからない。しかし、その中に、


「お前の、その、たばこ、我々、知ってる」


 というメッセージがいくつかあったので、(あやま)れば、その国は終わるところであったかもしれない。







 各国の望遠観測器に映し出された光景。


 かの者の、その顔。


 それは、それを観測した地域の特級情報となるのだが、それと同時に観測された、かの者のたばこ、これは以前から準特級情報に指定されていたものであった。




 純白のたばこ。


「そこには金の文字で「Royal」そして、金色の線が一本。最後に金鳥が金の枝を(くわ)えた絵が刻印されている」




 このたばこを手にした国家は黄金の繁栄が約束される。




 そのために、ここからはるかに離れた、それも気の遠くなるほど離れた場所にて、このたばこを求め、盛んに争いが起こっている。


 そんな伝説がこの地域に伝わっており、そしてそれが、事実であったので、悠遠(ゆうえん)の諸外国政策として、この情報は、この一帯の地域で、準特級情報に指定されていたのである。




 民間には異国伝説として異邦人(いほうじん)から。


 国家お抱えの機密を読む星読みからは、かのたばこがこの世界の重大な事項を決定する未来があるという預言がために。


 そして、そのたばこというのが、まさに闘神の吸うたばこと見目形が一致していたのだった。




 瞬く間に情報の階級が特級へと引き上げられた。




 ちなみにではあるが、かのロイヤルと(うた)われるそのたばこをその目にしたものは、この闘神を観測する者の中に一人としていない。


 ただ、その絵姿だけは各地に伝わっていた。


 そのために、その特徴を彼らは把握(はあく)できた。それだけのことだった。


 もちろんだが、かの者が吸うロイヤルが、ただのレプリカである可能性だってあったのだったが、あれほどの者が、レプリカを口にするとは思わない者の方が多かったのも事実である。










 そして、一服を終えた、かの者が動きだす。


 それはあっという間の時間であった。




 空に紅の光が一筋、描かれた。


 およそ時速10万km


 即座に算出されたその速度は、各国をおののかせた。


 しかし、かの者がこちらへ向かっていないと分かると、とたんに安堵(あんど)する。


 その一方で、かの者の進行方向にあたった国々は即座に非常事態を宣言するしかなかった。


 国家(こっか)凋落(ちょうらく)を想定した最後のタイムに突入したのである。


 しかし、杞憂(きゆう)であった。




 その紅の一筋は、初め、一定のスピードを保っていたが、しばらくして、紅の衝撃波が観測された。




 それと同時に、かの者のスピードが格段に増し、


 あっという間に、時速、100万kmを記録。




 そして、観測の限界に達したのだった。




 遠方の空に輝く星々がかの者を(さえぎ)ったのである。




 その姿を(うかが)うことも拡大することも、事態を覚悟することも、もはや意味は無かった。


 この地は難を逃れたのだった。







 かの者が去り、残ったもの。




 いや、この果てなき大地に、等しく訪れたもの。




 それは、ある一つの預言であった。




 その時、世界各地の星読みが、その気が狂うかのごとく、口をそろえて、こう預言したのだった。




「間もなく世界の中心に到達するものが現れるだろう。神々の時代に備えるのだ」




 それは、この世界にあまねく起こった星読みの異常で、


 各地の星読みが、一斉にそれを宣言したのだった。




 闘神を観測した地域のみがその預言の意味を深く理解する。


 しかし、闘神の存在を知ることのない場所は、その突然の出来事に驚き(あわ)てるしかなかった・・・










 はるか、はるか昔から全ての星読みに読まれ続ける預言がある。


 この世界の普遍(ふへん)の預言。




「世界の中心に誰ぞたどり着く。その功績をもって、神々、降臨せし。万物よそれに備えよ。覇者よ神を目指せ。神たる席はたった十席。森羅万象その可能性あり」




 闘神が引き起こした星読みの異常は、この預言にまつわるもの、それを更新するものだった。




 無限に広がるこの世界。


 世界の中心に誰ぞたどり着く。




 しかし、あまりの、あまりの、悠久(ゆうきゅう)の、時の経過に、数多(あまた)の強者が散った。


 誰もそこへたどり着けず。


 栄枯(えいこ)盛衰(せいすい)を味わいつくしたその歴史がまだかまだかと渇望(かつぼう)するも、


 その時、未だ、訪れず。


 (すた)れた迷信とあざける者も数多(あまた)いた。


 老いと寿命とに(うら)み泣く者も数多(あまた)いた。


 いつから、この世界はあるのだろうか。


 だが、誰がそれを知っていようか。


 この世界の広さもわからぬのだから。


 しかし、今、我らはここに生きる。


 過去の無念に立ちながら。


 その日をしかと待ちながら。


 あざける者も口先だけだ。


 その日がくれば、とたんにひれ()す。


 その日が今日かもしれぬのだから。




 そして、この日、この時、歴史が動く。




 間もなく到着。




 世界の歓喜。




 覇者はただただ、眈々(たんたん)と、世界を(にら)む。闘志を持って。




 そしてその日から100日が経過した。







 天の上。そこに(こう)(はつ)の男が立つ。


 目下のガラス越しに見えるは、巨大な大陸。


 それは周囲を海に囲まれた大陸だった。




 神歴0年102日7時43分54秒




 あれから100日。()(がら)が示す方角へ移動し続けてきたのだったが、ずいぶんと時間がかかったものだった。


 頻繁(ひんぱん)にそのスピードを上げ、なるべく早い到着を試みるも、一向にたどり着かない。


 そのせいで、ノイローゼになりそうなほどであった。


 どこまで行っても世界は続く。


 加えて、方角はわかっても、その距離が分からないから、無闇にスピードを上げる訳にもいかなかった。


 (ゆえ)に、この大陸を通り越して、しばらく(のち)に気が付き、引き返した経緯がある。




 あの時は嬉しかった。


 吸い殻の進行方向が180度、真後ろを差したのだから。


 まだその先に失われしたばこがあるという確証はなかったが、


 そして、その確証のなさがノイローゼの元凶であったことは、確かだったが、


 しかし、


 それでも、その変化だけでも、純粋に喜ぶことができたのだった。




 100日間の移動が報われた気がしたものだった。







 100日。その移動の途中。


 寝食休憩はいらなかったものである。


 疲れもしなかったのだった。


 ()れる精神があった一方で、体の(しん)から()き続ける心地よさ、不調を知らぬ快調具合が身に満ちて、これには笑ってしまったほどだった。




 しかしその一方で、楽しみがなかった。


 たばこも20時間に一本である。




 途中、このガラスを突き破り、下方に見える国々を観光しようかとも思ったが、一刻も早く、失われしたばこを見つけたく、あきらめたものだった。




 また、これは良かったのか、悪かったのか・・・その判断は難しいのだが、


 この期間。スマホ君に散々おちょくられたのだった。




 退屈な時間を(まぎ)らわせてくれるとばかりに、その画面に映画やドラマ、本に娯楽、動画や教養など、さまざま映しだしてくれていたスマホ君。


 しかし、そのスマホ君は、ドラマチックなシーンや大事なシーンを、勝手にカット、編集し、変な映像を差し込む、そんなおふざけに熱を上げていたのだった。


 たとえば、純情な青春ドラマが、突如、サスペンスものに変わった。かと思えば、いきなりアート作品に切り替わる。そんな形である。




 見事な腕前のときもあれば、思い出したくもない最悪な瞬間もあった。


 なかでもホラーやグロテスクといったジャンルだけは本当にやめて欲しい。


 安心してみることができない。


 ただ、音楽を流している時間だけはとてもよかった。


 その時間だけは一曲一曲しっかりと流れることが多く、たとえ途中、スマホ君の編集があっても、その腕を見せつけるかのように、編曲、ミックスと(あざ)やかにキメめていたものだった。




 そして、ごくたまにだが、映像の方でも初めから終わりまでちゃんと視聴できる時があったのだった。


 そう言った場合、その作品はスマホ君のお気に入りというか、世に大いに評価されてしかるべき偉大な作品のセレクションというものだったが、その時は実に有意義な時間であったことは言うまでもない。


 中には明らかに地球の作品とは思えないものもあったのだが、まあ、いいだろう。


 恐らくは、この世界の作品だ。大変勉強になる。


 やはり、この世界は無限に広がっているという常識があるのだろう。


 そして、人々は世界の中心へと想いをはせる。


 しかし、あの作品はよくできていた。この世界の文学も(あなど)れないものだ。




 そして、この100日間の、たばこ事情だが、超高速飛行中、それでもたばこは普通に吸えたのだった。


 ガラスの天井の、その上にも大気はあり、そして、飛行中、その風のあおりもあったはずなのだが、まったく問題はなかったのである。


 ジッポーちゃんが頑張って、いつも通りに火をつけてくれていたからでもあり、加えて、火のついたたばこも、なぜか全く風の影響を受けてはいなかったのだった。


 副流煙すらいつものごとく滞留(たいりゅう)していたほどである。




 満足だった。







 そんな100日間の想いにふける闘神だったが、


 ただ、一つ、付け加えておきたいことがある。


 それは、たばこの件に関してである。


 闘神が風のあおりを受けず、ストレスフリーで、たばこを吸えたのは、タキシード君のおかげでもある。


 闘神の吸うたばこは特別で、その火種はいかなる環境でも、消えることはなく、普通に一服できるものなのだが、しかし、移動の最中、タキシード君が闘神に対し、防風モードを展開していなければ、その一服は、強風の中で吸うたばこであったはずである。


 強風の渦中(かちゅう)にて、吸うたばこ。


 それは、全ての味わいが半減してしまう、そんなたばこであるに等しいものである。


 しかし、それを防いだタキシード君が、その(こう)を主張することはなかった。


 それが彼の美学、カッコつけだからだ。


 だけれども、このカッコつけが始まった原因はジッポーちゃんにあった。




 主人にデレデレするジッポーちゃん。


 それがタキシード君の(しゃく)(さわ)った。


 いや、それに対抗心を燃やしたともいえる。


 そして、そのジッポーちゃんへの反発がタキシード君をクールなる美学の道へ進ませたのだった。




 許せない!

 近頃あのジッポーの野郎、炎を擬人化(ぎじんか)させて美少女を作り出す(すべ)を編みだしやがって。おかげで主人はてんてこ()いに首ったけ。だらしないったらありゃしない!

 一服する訳でもないのにカチカチ、カチカチ、ライター出しやがって、冗談じゃない!


 だったら何だい? わいも擬人化してやろうかい?


 糸でもこねくり回して......


 いや、それは、邪道だ! プライドなんてあったもんじゃない!

 くそ! 一体、なんだって、こんな奴にこんなことで対抗しなきゃなんないんだ! あああ!! ちくしょう!




 そんなタキシード君であったのだった。


 しかし、だからと言って、タキシード君が、ジッポーちゃんの住処(すみか)となっている(おのれ)の服のポケットの内側を、仕返しのために、居心地の悪い環境に変えてやる。といった、姑息(こそく)な手に出ることは、ないのだった。


 あくまでも、(にく)いが仲間。


 それ故のもどかしさと苛立(いらだ)ちもまた感じるタキシード君であった。




 そして、そのポケットの内側は、ジッポーちゃんにしてもスマホ君にしても最高級の内装仕立てであった。


 実のところ、タキシード君のポケットはちょっとした異空間で、パラダイス仕様なのだが、そこまで実用的ではないため、主人には話していなかった。


 まあ、それには別の理由もあって、どちらかというとその理由があったから話さなかったのだが、それについては、今はいいだろう。










 闘神の眼下に大陸が広がる。


 はるか彼方(かなた)の昔から、コンロン大陸と呼ばれてきたその大陸は、今、一つの国家により治められていた。


 その国家の名は常天(じょうてん)連邦(れんぽう)


 60の自治を持つ州が一つの権威の元に集まり、(たい)をなす大陸国家である。




 海に囲まれた大陸の横幅(よこはば)は、約35万キロ。

 (たて)(はば)もおおむねそれと等しい。


 本来はいびつな四角であったこの大陸は国家の政策により、現在、円を描くような姿、形をとっていた。


 つまり、直径35万キロの円の形をした大陸が、眼下に広がっているのである。




 これは参考であるが、地球の赤道をぐるりと回ると、約4万キロ。

 また、土星の()を入れた直径が約38万キロである。(注:望遠鏡で観測できる、一般的な環の幅)




 それほど巨大な大陸を一様に見渡せたのは、ここが高度50万キロの景色であるからだった。


 巨大な大陸。それでも、ガラスの天井から(なが)めると、その視界を埋め尽くすにはもの足りない。


 海に囲まれた目的の大陸と、その海とをはさんでまた別の巨大な大陸が3つほど、彼方まで続いているのが見て取れた。


 


 


 

 これは途方もないはるか昔。


 この地に滞在したある仙人が、腹立ちまぎれに割った大地の向こうから、海が流れ、今のコンロン大陸の、その姿が作られたのだった。


 それまでは、この大陸は地続きの大陸で、コンロンの地と呼ばれていただけであった。




 私の求めるものはここにはない。いったいどこにあるというのだ。


 


 これは、その当時から伝わる伝説に記された、仙人が言ったとされる言葉である。


 普通、そういった太古の歴史は、長い年月の先に失われるものなのだが、この世界の常として、物書き、または歴史家といった格を(にな)う者たちがその喪失(そうしつ)を、許すことはない。


 彼らは、いくつかの制約はあれど、その当時の歴史や、(おの)が書き物を個別の形で、永久に残すことが許される。




 ある物書きが残した、石碑(せきひ)悠久(ゆうきゅう)の時の流れの中で幾度(いくど)となく災害に打ち(くだ)かれ、しかし、その度に(よみがえ)る。


 コンロン大陸の片隅(かたすみ)鎮座(ちんざ)するその石碑(せきひ)のひとつ。


 そこに浮かび上がる文字には、こう記されている。


 


 その姿はうら若き美女とも、老人、または青年、幼子とも伝わる。私が見た時はただの物乞いであった。かれは一体何者で、何を探すのだろうか。意味不明なことばかりつぶやき、誰も相手にしない。

 -記す者 ハイトルク・バンカー-




 永久(とわ)に記すこと、それを許された者に皆が聞く。


 いたずらに作り話を残すことはできるのか? だったら、俺の伝説でも書いておくれ。


 しかし、その答えは一様に決まっている。


 悪いがそれはできないね、私の格が落ちてしまう。純粋な言葉しか世には残せないのだよ。







 コンロン大陸を治める、常天(じょうてん)連邦(れんぽう)の、その上空。


 それは夜が明けて、8時間ほどのことであった。


 突如、天が、強烈に、かがやいた。




 世界の天井が割れたのである。




 何人(なんぴと)も、そんなことが起こるとは、思わず、あっけにとられるしかなかった。







 果たして、この事態をコンロン大陸の人々は、予測できたであろうか?


 述べておくが、ここ、コンロン大陸は100日前の事件、つまり、世界の天井が初めて(くだ)かれた、その地点より、およそ50億km離れている。


 そして、天のガラスの破壊が観測できたのは、数十秒ほどのことであった。


 故に、100日前の事件を彼らは知らなかった。これに対し、無理もないとも言える。




 けれども、地球と海王星との距離が最大約47億kmである。


 そして、常天連邦は100日前の事件を観測する技術、人材を備えていたのもまた事実であった。


 (ゆえ)に、もし、国家の性質が外向きのものであれば、全てを観測し、事態に備えることができていたかもしれなかった。


 しかし、常天連邦はそのような国家ではなかった。


 外向きの政策をとらないことが、国家の不可知なる力の発展につながっていたからである。


 これは、この世界の不可知なる法則に対する向き合い方のひとつである。




 例えば、国家の地形的な外郭(がいかく)を、つまり、コンロン大陸の地形を円状に整え、そこで、固定しているというのも、国家の不可知なる力を発展させるもので、


 特に、コンロン大陸のその範囲を超えた侵出(しんしゅつ)を我らは一切しないという、制約。それがもたらす不可知なる力というのは、大きいものであった。


 だから、遠方を見通すことのできる技術、人材を備えていても、100日前の事件を観測できなかったその訳は、なにも彼らに怠慢(たいまん)があった訳ではなく、ある種の彼らの選択と集中があったから、そうなった。


 つまり、遠方の異常を見逃す、そのリスクを取って、国家の独自の発展を選んだ、彼らなりの答えであると言えた。




 そして、そのおかげか、コンロン大陸の、その周囲の大陸。


 そこには、多数の国家が乱立している。


 それが許されているのだ。


 また、コンロン大陸の周囲にはないが、方々の海中にも国家はあった。




 ちなみにだが、常天連邦の民は、コンロン大陸を内域と呼び、その外を外域と、そう呼称(こしょう)している。


 これは、その呼び名に、差別的な視点があるといった訳ではない。


 実際に、内域と外域の貿易や交流は盛んである。


 ただし、もし、未知の遠方から侵略者が現れた場合、そういった外域の諸国が緩衝(かんしょう)地帯(ちたい)となる。




 どんなに小さな国家でも国家として格がある限り、その底力は(あなど)れない。

 それを利用し、外域の国々が侵略に対抗、(ねば)る中で、常天連邦が支援、援護する形であった。


 良く言えば、親と子のような庇護の関係である。


 そして、この関係は、常天連邦が保有する国家の格。つまり、国家の不可知なる力にも大きく影響するものであった。




 もちろん、これらの戦略的な関係は、外域の諸国にとっても暗黙の了解である。


 守ってくれる親が、そばにいるという訳である。


 しかし、外域からすれば、この常天の人間というはどこか鼻につく。高慢ちきでエリートを気取った思想家に見えるのだった。




 そんな関係にある内外の人々であるが、今、この時ばかりは、皆が同じ立場に立たされていた。




 蒼天(そうてん)がひび割れる。


 まばゆい光線が人々の目をくらませた。




 そして、紅の光がゆっくりと、


 しかし、実際の速度は異常、


 それがコンロン大陸に降りていったのであった。







 およそ30分。


 ガラスの天井を破壊した闘神は、頭から落ちていく。


 足元の大気を蹴り上げ、急下降する形だった。


 そして、途中、くるりと一回転。


 天に頭を、地に足を、


 その姿勢にて、堂々と、大陸を見下(みお)ろしながら、


 悠々(ゆうゆう)と、しかし桁外(けたはず)れの落下速度を保つ形で、


 久方(ひさかた)ぶりの大地へと、ふわりと降り立った。










 もちろんその一連の光景は、各国がつぶさに観測するものだった。




 初め、天から何か宝なるものが飛来したのではと、色めくも、直ぐさまそれを撤回(てっかい)


 世界の天井を割りし者が、こちらへと降りて来る。


 それは、異常に異常の輪をかけた事態だった。




 各国の望遠レンズを通して、見えたその光景。


 もちろん、常天連邦も、しかと、その光景を観測していた。


 それは、紅にまばゆく光る男の、ゆったりと、しかし、威厳に満ちた姿だった。


 その細部、着衣に至るすべてが、天を割った衝撃を全く感じさせない。


 加えて、その急下降で起こるはずの風のあおりを受けていないかのような振る舞い。


 そこだけ切り取れば、(ちゅう)に浮きとどまっているかに見えた。


 紅の髪の毛、その一本さえ、風のために暴れてはいないのだ。







 それは、タキシード君の見事なる腕前のおかげである。


 その腕は、日々向上。


 そして現在、そのフォームはタキシード君の真骨頂(しんこっちょう)! すなわち、


「正装タキシードセット」


 であった。


 加えて、カフスや、ボタンは最高級仕様。


 胸元には端正(たんせい)なブローチ。


 さらに! 主人の左腕には一流職人の美と技巧が極められたかのような腕時計を!


(この腕時計に関しては、時間に対してプライドをもつスマホ君からの抗議があったため、タキシード君は地球由来の12進数の時計を嫌々、採用するしかなかった、その事情というのをここで述べて置く。

 この世界の基本的な一日は、30時間である。ゆえに、時計の進数が12進数というのは、もちろんだが、この世界には全然あわない。

 そしてそれに耐えられるタキシード君ではなかったため、この時計は、いま、動いていなかった。

 その上で、この腕時計は、ねじまき式の、手巻き時計である。

 これは、タキシード君が(たくら)むところで、それはなにかというと、いずれ、この時計の存在に気付いた闘神が

「あれ? この時計動いてないじゃん、というか12進数だし......」

 となった時、実はスマホ君が......と泣きつく、そこまで考えられている、そんな(たくら)みであった。

 ちなみに、ただ針の止まった時計をチョイスしなかったのは、壊れた時計と言われるのを気にしたためである。それがタキシード君のプライドを(ひど)く害すものだったのだ。

 だから、ねじまき式時計だったのである。

 ねじまき時計ならばねじを回さなければ動かない。つまり「壊れた時計じゃない!」

 という、そんな言い訳がたつのだ。

 めんどくさいものだが、これを思いついた時のタキシード君は、結構、あんどしたものである)




 それらが闘神の髪色に合わせて、おしゃれに(いろど)られていた。


 この瞬間はいわば、タキシード君にとって、大いなる初舞台!


 ただ、闘神にしても、そのタキシード君にしても、こちらが望遠レンズ越しに(のぞ)かれているなどとはゆめゆめ思っていないものだった。




 派手に割った天井は注目されるだろう。

 それは仕方なし。

 それ以外は、誰もこちらに気が付かないだろう。


 と、高をくくっていたのである。







 地面の模様がはっきりと見えてくる。


 その景色の中に見えた広場にあたりをつけて、ゆっくりと闘神は、着地した。




 既に、その髪は漆黒(しっこく)へと切り替わっている。


 そして、タキシード君の(よそお)いも、その漆黒(しっこく)へと似合うように少々手直しされていた。


 けれども相変わらず、正装タキシードセットである。


 もちろん(ちょう)ネクタイつきの、正装のそれである。




 数人が、空から飛来したこちらを(なが)めていた。


 ただ、ほとんどの人は、こちらを見向きもしなかった。


 そして、こちらを眺めていた、その数人もすぐに興味を失ったようで、生活の中へと戻っていった。







 ここでは、空から人が下りるというのはよくあることなのだろうか。

 あの羊飼いは大層驚いていたのだが。







 闘神が降りたった国家。


 常天(じょうてん)連邦(れんぽう)


 そこは、きわめて近未来的な国家であった。




 ゆとりのある街並み。


 人工物と自然とがうまく調和していた。


 そして、方々に、おしゃれな店や施設が並ぶ。


 そんな広場に降り立ったのであった。




 金銭の用意のない闘神にはそんな施設に立ち入ることがはばかられた。


 それでもベンチは無料である。


 そのひじ掛け付のベンチに座る闘神だった。




 たばこはまだ復活していない。


 あと3時間ほどで戻ってくることだろう。


 吸い殻は今、真上の天井に放置されている。


 その訳は、ガラス越しでもたばこは戻って来るのか? という検証のためであったが、実際のところは、タキシード君のせいである。







 頑なに吸い殻をしまおうとしない。タキシード君。


 汚物だそうだ。


 たしかにそれには、同意するところだった。


 そこで、ジッポーちゃんが私の上蓋(うわぶた)の開いたスペースに詰めて運ぶ? と提案してくれたのだが、それをタキシード君は拒絶。


 どんなものに入れようとも、ごみはゴミ。私は主人が、ごみを持ち運ぶことを許容しない! とぬかすタキシード君だった。


 お前がその身にしまい込みたくないだけだろうと、言いそうになったものだったが、捨てた(うら)みが再燃するといけないので、これを飲み込むのしかなかった。


 かといって、()(がら)を手に持ちつつ移動するというのも、ちょっと嫌というか面倒で、カッコ悪いものである。


 これにはタキシード君もうなずいていた。


 見栄えに関してうるさいタキシード君である。


 それで結局、今日(こんにち)に至るまで、吸い終わる度にその吸い殻をその場で捨ててきたものである。


 が、しかし、


 17時間前はさすがに違った。吸い殻が示す方角が変わったのだ。


 それゆえ、そのときは、ずっと吸い殻を手に持ち続けながら、その地を探したのだった。


 そして吸い殻がまったく動かなくなったこの地を完全に発見したのである。


 


 その最中、タキシード君は、終始、見栄えが悪い、どうのこうのとわめいていたが、無視した。


 そして、今であるが、検証のために吸い殻を置いてきたのは少し失敗であったと考えるものだった。


 どうにも今すぐ吸い殻が示す方角というのを知りたくなってしまうからである。


 けれども一方で、ガラスの天井から降りるとき、吸い殻を片手に降下するのもなんともださいと思うものである。


 そう言うメリハリには私も少々気を使うというか、うるさいたちなのだが、それに加えて、タキシード君の用意してくれた(よそお)いが実に素晴らしかったので、よりそれを思ってしまったのだった。だから、吸い殻を置いてきたのは、私のせいである。


 結局はタキシード君とは同じ穴のムジナなのかもしれない。




 そんなことを考える闘神だったが、ふと、左腕に目がいった。


 それは、タキシード君が用意した見事な腕時計だった。




 それにしてもこの時計は実にいい時計だ。

 しかし、なぜか時が止まっているのだが。


 まあ、いいか。


 スマホ君がいれば時間はわかる。おしゃれとして一級品であれば十分。

 それに考えてみると、時間が止まっているのも(おつ)か。

 悠久(ゆうきゅう)の時を生きることとなるのだろうから、流れる去るものよりも、変わり続けぬものの方が大事になるのかもしれない。


 そうだな。


 時間など気にせずいこう。


 待ちきれぬ思いはあれど、失うようなものはないのだから。




 とりあえずのゴールが見えた安堵感(あんどかん)。それに酔いしれる闘神だった。




 少々の不安はあるものの、それはその時考えればいい。何らかの手掛かりというのはあるのだろうから。という、思いがそこにあった。


 その思いは、この広場の空間が、心地の良いものだったからわいたのか、それともタキシード君の腕時計のおかげだったのかは、甲乙(こうおつ)つけがたいものであるが、ただ、そんなこの時間が途端になんとも愛しく思えてくる闘神だった。




 それにしても、この世界の文明はゆたかで発展している。

 この地域が特別なのかもしれないが、都市の構造を見ても、一つ一つが丁寧に計画されたものと思われる。

 加えて、規格の統一により、個性というのが失われているという訳でもない。

 個々の建物のデザインは見事な域で完成されているし、じょじょに読めてきた看板の表記などを見てもその文化の(はば)が見て取れる。そしてそのすべてが目新しいものばかりかというと、そんなことはない。歴史の重みも感じられる。


 技術の方もすばらしいようだ。

 どうやら情報社会であるのだろう。空間に投影されたスクリーンを操っているようであった。

 情報神との関連が一瞬頭をよぎったが、違うだろう。皆、腕に特徴的な機械をつけている。

 それがスマホの代わりという訳だ。


 そして、やはりというか、車は空を飛んでいた。


 その推進力はわからないが、魔法などがある世界である。活用できるエネルギーというのは地球とはわけが違うのだろう。




 そう考えると、個々が異常な力を持つであろう世界にてよく、ここまで文明、文化の秩序を成り立たせたものだと思う闘神だったが、はたとその賞賛(しょうさん)を思いとどめる。




 この世界が無限に広がることを仮定して、そのどこ、かしこにも文明文化を(きず)く者がいるのならば、どんなに発展した文明も、世界の頂点であることを誇れない。


 つまり、いずこかにある大文明の影に(おび)え、ただ矮小(わいしょう)な身と己を評価するしかないのだ。


 彼らは、自身が観測できないその向こうから、こちらをつぶさに観測している大国の影をいつまでも思わずにはいられない。




 するとなんだい。




 俺もこうしているうちに、監視されているのかもしれないな。二度も天井をぶち壊したんだから。







 周囲を見渡す。


 特になんてことのない日常の光景があった。


 老若男女、何の(かたよ)りもみられない。


 和気あいあいとした親子が目の前を横切る。


 こちらを一切見ないという不自然も、鋭い視線といったものもない。




 私は、今、この場に溶け込んでいた。




 向こうにいる女学生たちがこちらを見て、あの人かっこよくない? と小さく騒いでいるほど(ゆる)んだ日常である。




「だとしたら、あっぱれだ。やるじゃないか」




 笑みがこぼれる。そして、そのどこかをジッとにらむ。




「どれ、散歩でもしてみるか」




 わざと言葉を口にする。


 なんだ、あいつ。


 と、こちらを見る者はいれど、それに以上にこれといった反応はなかった。




 そして、ベンチから腰をあげ、適当に街中をぶらぶらと散策すること2時間がたった。




 そんな彼の後を付いてくる影というのは一切なかった。


 というより、そんなもの全く気にしていなかった闘神だった。


 どうでもいいからである。




 闘神にはこの世界で自身に定めたルールがある。言葉にするのならば、それはこうである。




 やられたらそれまでのこと。


 まあ、文句は言わせてもらう。ふざけるな。




 それは、「圧倒的な力なのだろう? だったらその誠意ってやつを見せてみろよ。この力が、仮初(かりそめ)で、弱いってんなら、そもそも生きる価値も、それにポイントを費やした意味もないわ。くそったれ」という、愚痴のような不良精神が作り出した、ルールだった。


 だから、これから何が起ころうと、大して、気にもとめないでいいやという彼だった。




 別に闘神の天上天下唯我独尊という説明が無敵を意味する保障はない。


 もちろん彼もそれについては重々承知である。


 だから勘違いをしているわけでもなかった。


 ただそれは、面白い、面白くない。それだけのための意地のようなもので、これが闘神の人となりの、そのひとつである。







 もうしばらく時間が経ち、いま、闘神は入り組んだ路地に入り込むところだった。


 少々人込みにまぎれていたので、何か気休めにと人気(ひとけ)のないところへ行きたかったのである。


 そこは、ただの何の変哲(へんてつ)もない裏路地。


 人気(にんき)がないのか、それとも穴場なのか活気のない店舗がいくつか立ち並んでいた。




 そこを散策していると、その路地の奥まったところに(さび)れた(つら)(がま)えの二階建ての家が見えた。


 鈴の音がする。


 その音は、何故かこちらを呼んでいるような、そんな音色であった。


 次第に、その音色が、その意味が分かって来る。




 なんだ、客引きか。しかし、ずいぶんと面白いことをするもんだな。




 それは、闘神の完全言語理解が解釈した鈴の音色。


「星読みの(さび)れた館へようこそ。ちょっと占ってみないかい? お代はいらないよ。餞別(せんべつ)をおくれよ。あとはご随意(ずいい)に」




 これが初めて、闘神が星読みとまみえた瞬間であった。




 星読みは預言者の格の一つである。


 つまるところ、立派なその道の第一人者と言える。


 当然、星読みのさらに上の格持ちもいるのだが、格持ち自体、この世界では尊敬されるに値する地位である。


 そして、この星読みの格であるが、星読みは星読みでしか体得できない特殊な言語があった。


 それは、全ての事物を言語のために用いることができるというものである。


 例えば、鈴の音色一つにしても、雑踏(ざっとう)の足音にしても、コツコツと机をたたく音にしても、ただ道端に転がる石であっても、それを介し、言語として他者と会話ができるのだった。




 これには、その星読みの特殊言語を聞き取るための言語理解系スキルが必須(ひっす)であるが、一般的な教養を学べば普通手に入る言語理解系スキル。これがあれば、星読みの言葉を理解するのは十分と言えた。


 しかし、高度な占いを聞くためには、それに合わせて、高度な言語理解系スキルを用意しなければならないというのもまたある話だった。




 そして、星読みの占いはえてしてその特殊言語を用いて行われ、しゃべるということは滅多になかった。


 ゆえに、100日前の事件は世界に衝撃を与えた。


 物言わぬ星読みが、それも(のど)がつぶれた星読みまで、声高々に「間もなく世界の中心に到達するものが現れるだろう。神々の時代に備えるのだ」と叫んだのだから。




 そして、このような、重大預言となると、星読みは丸一日、その言葉を繰り返し言い続ける。


 それが、星読みの慣習、いや、拒絶することのできぬ仕事というものだった。


 このために、100日前の事件は各地の星読みの寿命を大幅に縮めるまでに至った。


 それほど体力のいる事態だったのだ。


 声高々にそれを叫んだ星読み達は、一斉に外へと()けだし、人々の前で、それを歌い出した。


 悲喜(ひき)こもごも。様々な声色で。


 まるでこの世界の歴史を一幕、演じるかのように。


 そしてついには倒れた。




 その最中、そして、それからというもの、世界はお祭り騒ぎであった。


 ついにその時が来るのだと、神々の時代が訪れるだと、狂喜(きょうき)乱舞(らんぶ)したのである。


 ゆえに、ここ常天連邦においても、今だその興奮は、覚めあらぬものであったはずである。


 そのため、ただ日常が繰り広げられている、今、というのは実はおかしい話だった。







 丸一日読まれる予言。


 これはもう一つの事例がある。それは、星読み見習いが、星読みの格を得たとたん、その者に訪れる、一種の通過儀礼。


「世界の中心に誰ぞたどり着く。その功績をもって、神々、降臨せし。万物よそれに備えよ。覇者よ神を目指せ。神たる席はたった十席。森羅万象その可能性あり」


 これを丸一日、新たに星読みとなった者は、読み続けるのであった。


 そして、それは声に出して読まれるものではなく、星読みの特殊言語によって読まれるものとなる。




 大体は物音を鳴らすところから始まり、そして、次第に壮大となってゆき、まるで歌のように聞かせるに至る。そんな預言であった。


 そして、なかでもこういった預言の際、その預言はどんどんと、空間を伝播(でんぱ)してゆくものだった。


 つまり、はるか100キロ先の人の声が、その時ばかりは聞こえてきてしまうようなものである。


 ゆえに、星読み生まれ出づる時、その地は一昼夜、お祭り(さわ)ぎとかす。


 それを聞く各々(おのおの)が、自身の鳴らす音、聞こえる音、そして、目にする事物。その一つ一つを、星読みの(うた)う歌として聞いてしまうからだ。


 ただ、歩いただけでその靴音(くつおと)が音楽へと変わる。


 くしゃみすらも星読みのリズムに乗り出して聞こえてしまう。


 大地の草木が待ってましたとばかりに(おど)ってみえる。


 そして、周囲の音と、ものものとが、次第に一つに同調してゆき、最後の数時間は、その一帯の皆々が一斉に(かな)でる楽曲となってしまうのだ。


 もちろんその音楽の歌詞は先の預言である。




 そして、今日(こんにち)、その星読みの通過儀礼である預言の歌詞は、それまでの内容に加えて、100日前の預言が加わるものとなったのであった。




 その音楽は、今までよりも興奮に満ちたものとなるであろう。


 今後、新たな星読みが生まれるたびに、各地がその変化に驚き、喜び、酔いしれるからである。


 その時がついに来るのだと思いながら。


 そして、その時読まれる神の席数は、十席から九席に減っている。










 無料ならば入ってみよう。一文無しにおあつらえ向きの舞台じゃないか。




 そんな調子で、星読みの館へ、私は入って行った。




 扉がきしむ。


 (さび)れた内装。


 だれもいない。




 二階へおいで。と鈴が()く。




 階段を上がると、そこに、ただ一人。


 顔の上半分を、(むらさき)のベールで(おお)った、(うるわ)しの女性が、椅子(いす)に、座っていた。




 細い口元にさした(べに)と小さな(ほお)


 その下には首筋とわずかな胸元が望めた。


 すらりと()びた生足は、そろえられ、


 そして、ももの大部分を大胆(だいたん)にちらつかせていた。そこには()えられた、しおらしい手があった。




 彼女の細やかな白い素肌(すはだ)が見えたのは、その部分だけであったが、それだけで、彼女の魅力のすべてが(あば)かれてしまうかのような......しかし、それだけは決してないのだ、全てはさらされないのだ。


 それは、


 私と彼女とのその間に、透明(とうめい)な一枚のガラスが、()ばす手を(へだ)てるかのようにあるようで、


 そして、そのガラスに顔を()()けて彼女をまじまじ(のぞ)こうものなら、向こうからはそのガラス越しに、


 へばり付いた、(みにく)いこちらの顔を、(なが)める。


 眺めてしまう。


 それだから、こちらは意地(いじ)でも、彼女を凝視(ぎょうし)するなど、


 そんな(おろ)かさなど、


 (さら)せなかった。




 釣り針に一度引っかかってしまったその欲望は釣られまいと逃げるほどに痛む。


 私は、彼女の顔をどうしても(のぞ)いてみたかった。




 その(よそお)いは、淡い紫色のドレスであった。


 (おど)り子のようなその衣装は、隠すところは余る布で(おお)われて、見せるところは大胆(だいたん)に、そして、危うい。


 ()われた、長髪の、(つや)やかな黒。次に、首から、ふくらむ胸元にかけて。そして、その小さな両耳に、また、手足の首と、その細い腰に、宝飾(ほうしょく)がちりばめられていた。


 その小さいながらも輝き、(おど)る、宝石たちが、彼女の言葉を、きらりと伝える。




 最後の輝き。


 その輝きには、これが最後。この預言をもって、私の輝かしい生は()きますのよ。という意味に(あふ)れていた。




 それは闘神の完全言語理解でなければ(とら)えられぬであったろう言葉であった。




 (はな)やかでなければならないはずの輝きは、どこか(さび)しさをたたえていた。


 悲しみに暮れることが許されているからこそ、踊ることのできる軽快なステップというのがある。

 けれども彼女のそれは見事に欲望を刺激する、そんな(いや)しさがあった。




 容易に表現できるようなものではない。ただ、言えるのは、この(さび)れた部屋で、私と相対(あいたい)してくれている、目の前の、この女性の、この最後の時間は、いわば仮初(かりそ)めの姿。


 彼女が最も輝き、そして喜びに満ちていた、人生の時の時のその姿であった。


 


 思わず差し込んだ痛烈(つうれつ)な感情を、こらえたが(ため)に生まれた、あてどない(いきどお)り。それがただただ、(むな)しくて、情けなかった。


 


 鈴が鳴る


「なにを知りたいのですか」


 とても柔らかな音が渡る。それは、(あわ)れまれたかのような響きであった。


 彼女を(にら)む。


 屈辱(くつじょく)


 (おのれ)の心を分かられた。そんな(くや)しさが満ちてしまった。


「世界の中心は、どこにある」




 この時、闘神は全く意識していなかったが、その言葉は純粋に日本語だった。


 そして、仕返しにと放った無理難題は、ただ、微笑(ほほえみ)で受け止められるのだった。




 それでも目は背けない。


 例え、幼稚(ようち)な心が(つまび)らかにされようと、意地は無傷。


 ただ、真っすぐ見つめ返したその視線の先に、ベール越しの彼女のその目が見えてしまった。


 わずかな悲しみがそこにあった。


 そして、こちらが、その悲しみに気付いたことに、彼女はまた優しく、微笑みを返すのであった。




 すると、突如(とつじょ)! 目の前に大地の、世界の、その景色が現れた。


 それは、今いる部屋のその屋根の上から(なが)めたであろう景色だった。


 しかし、周囲にあるはずの、建物たちは、ことごとく、今はない。




 そこは見渡す限りの大地だった。


 どこまでも、向こうへと続いている。




 そして、異常が起こる。


 その景色がぐるっと360度、その(はし)々(ばし)から、ぐぐぐと、起き上がり、内側に曲がり出したのである。


 (はし)から、端から大地がせりあがる。


 まるで、巨大なお(わん)の底から世界を眺めるかのような光景。まだまだ、その景色は内へ内へと曲がってゆく。




 ああ、これが、星読みが世界を見るときのそれなのか。




 内側に曲がるその景色は、本来見えるはずのない、遠くの景色。


 例えば山の向こう側まで、小さいながらも見て取ることができた。


 空間を曲げているのだ、遠くの景色となればなるほど、その視線は上へ上へと向いて行く。


 お(わん)の底から見る景色、世界の果ては、そのお椀の(ふち)になるのだろうか?


 けれども、その世界が内へ内へまるまる(たび)に、果ての景色が起きてく(たび)に、その(ふち)の先から次々と、新たな世界が、景色が、現れてゆく。


 終わりがない。


 そして遠くの景色はもはや、何が有るのかわからない。ただ、世界はどこまでも続くのだと言わんばかりであった。




 世界が内へ内へ、そして、閉じるように、丸まっていく。


 今や、その景色は、まるで丸い風船の、その内側から、空気の出入り口を(なが)めるかのような光景。




 世界が球状に丸まってゆく。


 もうすぐ、閉じる。




 そして、それは、その最後の一穴がまさに今、閉じようとした、その時であった。




 突如、そのわずかな穴に何かが見えた。




 神殿。


 そう言っていいだろう。桃色の空間の中にポツンと浮かぶ白い神殿。




 世界の中心




 それが何処(どこ)にあるのか、世界の果てにあるのだと言う言葉はただ星読みに愚かさを(さら)すだけであった。




 この星読みが見るその景色。

 それは、いついかなる時と場所であっても、(たが)わず、最後にはそれが見えるものであった。


 これは星読みにとっての常識。


 世界の果てに世界の中心があるわけではない。中心とは、中心たるところにあるのだ。


 この(さと)りを得なければ、星読みは星読みたりえることがないのだった。




 さっと、景色が元に戻る。対面に座る彼女は微笑(ほほえ)んでいる。


「お座りになっていいのよ」


 微笑(ほほえみ)はただ、そう語っていた。




 それまで、ずっと立っていた闘神だった。




 目の前のひじ掛け椅子(いす)に腰をおろす。




 なるほど、これはやられた。先の光景を問いただすことなど出来ようはずもない。語り得ぬものを見せられて、いったい何を語れよう。

 ただ分かった。それだけだ。

 何が解決されたわけでもない。




 その時はちょうど、たばこが復活したときであった。




 いい時に復活したものだ。


「失礼」


 タキシードの内ポケットから、たばこを取り出す。そして、火をつけようとしたとき、彼女の顔が目に入る。




 星読みのその顔は、驚愕(きょうがく)に満ちていた。


 ベールに隠れてはいるが、その様が手に取るように分かった。




 突如、それまで、聞こえていた、わずかな音という音、雑音、自然音らが一切、途絶えた。




 手にしたたばこが、ポトリと床に落ちた。




 無音から伝わった、星読みのその言葉は闘神にとって衝撃的な事実であった。




 このピース・ロイヤルが、失われし、たばこたちが、この世界でどういう扱いを受けているのか、受けてきたのか、なにがあったのか、星読みのその無音の言葉から事態を完全に(さっ)してしまったのだ。




 ふざけんじゃねえ




 瞬く間に髪が(くれない)へと輝く。しかし、それは長く続かなかった。


 彼女がいたからである。

 悲しく、微笑むその口元は、この先々に訪れるであろう彼の心労を(いた)わっていた。




 私は、ここまでのようね


 時が訪れる。


 彼女の体が、砂に変わってゆく。


 そうなることは、出会ったときから分かっていた。


 しかし、それを目にすると、あの時の感覚というのが、再度、(よみがえ)る。


 そして、それに対して、生まれる(いきどお)りもまた同じだった。


 ふと、彼女のベールが落ちた。


 それは一瞬で、そして、その一瞬で彼女のすべては(ちり)と化した。


 その全ては、見えなかった。


 ベールの右端が落ち、(なな)めに(あら)わになった、その顔は、息を()む美しさ、それしかいえない。

 たった一瞬の出来事であったからだ。







 けれども、その顔は、彼女のものではないとだけは、自然と分かった。


 であれば、誰なのだろうか。







 その口元はいたずらに、けれども消え入るように笑っていた。


 その笑みだけは、彼女のものであることは確かだった。


 そして、こう語りかけていた。


「残念ね、もう少し時間が許してくれたのなら、一曲、相手してもらいたかったところよ。いい男ね、あなた」




 後には何も残っていなかった。布の一切れも落ちていない。


 音という音は(すで)に、元の通りに戻っていた。


 (ひら)けた窓から晴天がのぞく。


 老いの寂れ、もはや、そういったものしかこの部屋には残っていやしない。


 思い出は全部持っていってしまったようだった。




「まったく、(はげ)まされちまったよ。ガキだな俺は」

 溜息(ためいき)が漏れる。


 しかし、それはどことなく活力がこもっていた。




 床に落ちた、たばこを(ひろ)い上げる。


 そして、火をつけ、煙をふかす。


 ただよう煙は無風の部屋に滞留(たいりゅう)していく。


 その煙はどことなく、(はかな)く、そして悩ましげに、(おど)っていた。










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