世界の中心
時速1000km
闘神はこの速度で空を駆け抜けていた。
ただ、目指す方向を意識して、飛んでいるだけなのだが、凄まじい速度が出ていた。
音速は時速1224km。
その一歩手前の速度であった。
遠くに見える山脈がみるみると近づく。
風は激しく抵抗していたのだが、闘神にとってそれはないも同然だった。冷たくもなければ、目が痛むこともない。風の煽りで踊る髪の毛が少しうるさいと思う程度であった。
服ははためかなかった。
それは、タキシード君の頑張り。
否、プライドの賜物である。
袖口や服の隙間に風が入り込むようなことも、風圧で服の布が、張りつくこともない。
そして、この高速飛行だが、もっとスピードを出すことができた。
足元の空気を蹴り飛ばすのだ。
その瞬間、あたりには衝撃波がもたらされる。
それは、音速の壁など一瞬で超えてしまう速さだった。
この時、近くの草原に生息していた小動物たちは、この突然の出来事の、煽りを受け、驚き、ひっくり返った。
そして皆して集まり、その驚きを共有するのであった。
こういったとき、彼らは敵味方、関係なかった。
その興奮のさなか、その者たちの中で、賢き者の誰かがこう言った。
「あれは何かの前兆であろう。災いか、それとも吉兆かはわからぬが、あの底知れぬ力がただ虚しく終わるとは思えない」
またその中で強き者の誰かがこう言った。
「その力、何がために、何を探す! やはり世界の中心か! それこそ力を持つ者の誉れ! それでこそ認められるもの! ちっぽけな領域にとどまるでない!」
そんな彼らの声に振り向くことも、気付くこともなく、見る見るうちに点となり、去ってゆく闘神の後ろ姿。
それを見ながら、誰もが、もう二度と、彼とは巡り合うことはないのだろうと思うものだった。
しかし、そんな中で、小動物たちは、一つの楽しみを見出す。
それは、彼らの中で、スキル「フォロワー観戦:他種族」を持つ者がいたが為である。
その者が、彼をチェックした。
そのスキル。それは、細かな条件と制約があるが、興味深い他種族をフォローすることで、その人物が達成した業績を閲覧、視聴できるという珍妙なスキルであった。
このスキルを持つ者は、今、一躍人気者である。
スキルを通して、皆でかの者が何を成すかを、これから視聴するのだ。
これは彼らにとっての娯楽。そして、この世界の小動物コミュニティーで、たまに見られる事例だった。
まだまだ、加速できる。
自身の超越的な力をさらに試してみようかと思ったが、はるか遠くに人影が見えた。
興味はいつの間にか、そちらに移っていた。
それは、大荷物をロバに背負わせた羊飼いの男だった。
高速飛行から、滑らかに減速し、男の元へと降り立つ。
羊は100頭ほどの群れだろうか。5頭の犬に引き連れられていた。
その中にポツンと突っ立つ男がこちらを見て、唖然としていた。ロバは興奮で唸っていた。犬は落ち着いている。
先に口を開いたのは羊飼いの男であった。
「あんた、すごい、なにもんだ」
男の言葉はたどたどしく聞こえたが、それは、闘神の持つスキル「完全言語理解」のその作用がまだ、その言語に対して働き出したばかりであったからだった。
闘神が石板で取得した「完全言語理解」
これは、言語理解系スキルの頂点に位置するスキルである。
ポイントにすると、5Pだが、しかし、5Pも要さなければ、手に入れられないスキルであった。
この世界に存在するスキルの大半は、ポイント換算すると、1P以下のスキルばかりである。
スキルは数多存在し、数え切るることはできない。
それはスキル自体が次々と新たに生まれるが故でもある。
ちなみに先ほどのスキル「フォロワー観戦:他種族」はポイントに換算すると0.01ポイント程度である。
そのポイントは低いが、これは、小動物界で一躍スターになることのできるクラスのスキルである。
ただ、限りないスキルがこの世界にあるその一方で、闘神はこの世界の誰もが持ち得る「スキル取得」を20Pを得るがために切り捨てた。
故に、闘神はこの先、新たなスキルを取得することは、二度とない。
闘神は完全言語理解のスキルが今、自分の中で働き出していることを理解している最中であった。
「スキルとはこんなものなのか」
ポイントを割り振る際、スキルの欄をあまり見ていなかったが、実は有用なスキルもあったのかもしれない。
しかし、数が多すぎたし、一度見てしまうと、物惜しみしてしまいそうな自分がいたので、見なかった。
また、こんなことを言語化してしまうのはなんともバカらしいのであるが、あの不可思議な状況がいつまでも続くとは思えなかった。
ちんたらしている自分に愛想をつかし、逃げてしまうのでは、という焦りがあった。
ただ、その焦りもそんな大したものではない。
結局のところ、めんどくさがり屋な性分と白昼夢かのような状況に対する、いくぶんかの冷笑がスキルを考察するという活力を奪っていたのである。
その闘神だが、もう彼は、己がいかなるスキルを選べたかを知ることはできない。そして、実のところ、石板に記載されていたスキルというのは、スキルの中でも、位の高いものばかりであった。
中には40Pも要するスキルもあった。
そして、そういったスキルは獲得難易度が非常に高く、稀に見る才能と運、そして努力をいくら積もうが、それでも獲得が不可能と思われるものばかりで、
つまり、それが、あの時、自由に選べたはずだったのだった。
例えば、獲得ポイントが40Pである、スキル「民の庇護」は、
「人口1000億人以上の国家を建国し、己がその国の最高位であり続けること。そして、それを10万年維持。かつその間、本人のレベルが国家の最高値であり続けることと、加えてその間、3度限りの瀕死を経験すること。最後にスキル獲得時、自身の限界寿命移動距離内にて絶対強者であること」
以上の5条件がそろって得られるスキルである。
まず普通、寿命が続かない。
次に、政治体制がどうであろうと、常に、当人がその元首であり続けなければならない。
そして国家の最高戦力であり続けなければならず、また、その最高戦力が、その間、生命の危機を経験しなければならない。
極めつけは、その最後、当人が最強の存在と謳われていなければならなかった。
獲得はまず無理である。
ちなみに庇護のスキル効果は、
「民の寿命に制限がなくなる。民に己の力を分け与えることが可能。民の生存時間の総和がスキル保持者の寿命に加算される。民の総数がスキル保持者の力に加算される。以上の効果はスキル保持者が死ぬ限り続く」
というものである。
もしも闘神があの場面にて、たばこを選択せずに、このスキルを選んでいたならば、巨大な帝国を建国できたことだろう。
しかし、そうはならなかったし、たとえ、そう言われていたとしても、そんな事より、たばこを選ぶ彼であったというのは述べておく。
また、力の面でもこのスキルは不要であった。
それは闘神の力は加算で増す代物ではないからである。
加算される力は彼には無意味だ。
また、これは補足であるが、スキル「民の庇護」はあの場でなければ、闘神には獲得不可能な代物である。
例え、20Pの「スキル取得」を選択し、自力でスキルを獲得しようとしても、20Pの「レベル」を削除していては獲得条件の、レベル事項を満たせない。
加えて、大前提として闘神が瀕死になるようなことは、起こりえない。
強き者の弱点としてよくあげられる「目」に対する攻撃すらも全く意味が無く、毒や状態異常など。考えうる限りの攻撃を加えても闘神は死と無縁である。
また、「民の庇護」のスキルに類似するスキル。または類似するスキルや力の創造はこの瀕死の事項と切れぬ縁である。
故に、考えようによっては取り返しのつかない事態だった。
他者の寿命を延ばすような能力を闘神は願っても、もう獲得できないからである。
そのような可能性のある力は、全て、その獲得に、瀕死の事項が付きまとう。
最後に「格」についても、少しばかり述べておこう。
スキルがこのようなものであるのに対し、「格」を取得すること、その意味は、その道の一線級となることである。
そして、スキルが数多あるように、格も、その道の数だけ存在するものである。
つまりは、新たに生まれ出づる格もあるというわけである。
そして、それは1つの席を奪い合うようなものではない。
同じ名の格を持つ者が、世界に複数存在するというのは当たり前のことである。
ただ、例外もある。
100Pを超える10の格。
後に十神といわれる格だけは、後にも先にも不変であり、二つと無い、独占格である。
このことを闘神が知るのはまだ先のことであるが、それを知らないということが、彼の不安をかき立てることは言うまでもない。
闘神のスキル完全言語理解の働きが進む。
だんだんと周囲の言葉が鮮明に理解できるようになってきた。
羊たちは、えてして「この草うめえ」「おい、そっちも食わせろ」とほざいている。
足元にいる羊などは「おい、お前、足じゃま」だと、ぬかしていた。
5頭の犬は、なにやら互いに念話をしているようで聞き取ることはできなかった。
大荷物を背負ったロバに至っては、「うお〜! 客だぁ~! 客が来たぁ! てことは、つまり俺の仕事は、もう終わりぃ!!! 今日は休むぞ! 荷を解け! 俺は寝る!」と発狂している。
そんな中で、羊飼いが再度こちらへと語りかけてきた。
柔らかな口調、角が立たないようにという努力がうかがえた。
「さぞ、高明なお方であるとお見受けいたしましたが、いかんせん、この世界の常、終わりも始まりも、てんでわからぬ大地の、彼方から彼方まで、行き交うことの出来うるお方を存ぜぬ無礼、お許しくださいませ。ところで、こちらに降り立ったのは何故でしょう。お食事などでおもてなし致しましょうか、それとも、なにか他の用がおありでしょうか」
「いや特にない」
「なるほど、でしたら、どうでしょう。えいや! ちょうど腹ごしらえをしようと思っていたところでして」
羊飼いが足元の草を引き抜くと、その根に、肉が実っていた。
なんともグルメな瞬間であったはずだったのだが、土が肉にへばりついており、美味しそうには見えなかった。
羊飼いは1人でしゃべり続けていた。
「ほら見ての通りあっしは、農作系のスキル持ちでして、これがあるから、1人で旅できてるわけでやんす。肉も野菜も欲張らなければ自在ですわ。(男は羊を見て)ええ? こいつらですか? 別に商売してるわけじゃないのですがね、長く旅を共にしていると、数が膨れ上がるもんで、これでも、結構他所に譲ってるほうなんですが、ま、他所からもこいつらのために番を用意してるのもありますが、商売でもないってのに、すごい数でしょう。とくに最近、こいつらの言葉が少しわかるようになりましてね。いや、いつのまにか味にうるさい奴らを育ててしまったみたいでして......」
男は流れるように、そして、次第に楽しそうに、語っていった。
羊飼いと思われたその男は、別に羊で営んでいるわけではなかった。
それにしてもこの男が言うようにこいつらはずいぶんとグルメな羊のようだった。
どうやら、こんな人里離れた場所に男がいるのも、ここら一帯の草がうまいからだそうだ。
その後も男は小話を披露しながら、テキパキと食事の用意を続けていった。
土にまみれた肉を羊の乳で洗い、他にも草を次々と引き抜いては、その根についた数々の食材をまた、羊の乳で洗ってゆく。
いつのまにか、5頭の犬もやってきて、ヨダレをたらしていた。
男曰く、自分のスキルはなんでも、草の根を食い物に変えてしまう物だという。
珍しいが、かといって貴重なスキルではないようだった。
そして、一度に用意できる量もそれほど多いわけではないらしい。
そんな男だったが、このスキルを得たとわかった時、この男はかねてからの夢を実現する決意をしたという。
それは、この世界を冒険してみることだった。
もう100年も前のことだそうだ。
「随分と長生きだな」
「そうでやんすか? 旦那のいたところは違うみていですな。世界は広いってことでしょうな。あっしのいたところでは、みんな大体寿命は300年です。あっしはまだ150年しか生きておりませぬ。折り返しってところですな。あ、そうだ、いけねえ、これを忘れちゃ冒険者は名乗れねえでやんすね。こっちでは1年てのは、昼と夜とが丁度300回。っていう具合です。これがここいらの基準です。1000回昼と夜が来て1年とする長命種も噂には聞くのですが、まあ、ほんとに珍しい話です。ここいらの連中が言うには、そういう違いは星読み屋の仕事というか、都合にあるそうでして、何も1年は300日の周期で回っていると読むのが星読みにとっては便利らしいんですわ。だから、普通は1年といえば、300日と決まるんです。でも長命種となると、話が違うそうで、なんでも、長い目で物事を見たがるから、星読みにも精度ってものを厳密に求めるそうで、そうすると、星読みも彼らに小難しく言い返すってわけで、1年という周期は周期の観点だけでみると、その時々によって変わるものだとか。そして、それはだいたい1000日だが、時には1080日だったり、995日だったりするんだと。だから、そういった精度を求めたところの1年はころころそれに合わせて、一年の日数が変わるっていう可笑しな話があるんでさ。それに、もっと極端な地域になると、1年を星の周期じゃなくて、変化で決めるところもあるみたいじゃないですか。で、ここまで話が及んじまうと、1年を15日と読む一派もいれば、5000日と読む一派もいる。それでいて、都度都度それが伸び縮みするあり様でしょう? やれんですわ。それに、場所によっては見える星も違うでしょ? 星読みに言わせれば、それは大した問題じゃないというんだが、あっしはどうかと思いますがね......」
男の話を聞く限り、この世界はどうやら基準を統一する難しさがあるようであった。
それがなぜ難しいのかはわからなかったが、ただ、そもそもの話で言えば1日が何時間なのかもわからなかったし1秒が、自分の知る1秒であるかもわからなかった。
そして、それを聞くために無知をさらすのも億劫だった。
「......いや、あっしの狭い世界の知見。お耳を汚してしまいましたかね。久しぶりに人と会ったもので、少々興奮してしまって。あはははは。それにしても、世界は広い。全くわからない。あっしはね、できうるならばこの世界の全てを見てみたい! 天空都市、深淵に続く崖、天地にそり立つ巨石! 地下の大帝国に、沈む海底都市。それから食楽の極苑は外せませんな。願いの泉や不老の園、神の楽園なんてのは果たして実在するのでやしょうか。あとは、忘念の虚城でしょ。それと大泥棒の宝物庫も......」
と、そこまで言うと、男は、すっと黙り込んでしまった。
それまで少年のように輝かんとしていた男の顔には老いがみえた。
「貴方みたいに空を駆け抜けられたらなぁ......そうだ、天のガラスも直接ご覧になられたのでしょう。羨ましい限りです。いや、困っちまいましたな」
男は、笑っていた。そしてひとしきり笑ったあと、その顔には真剣なまなざしだけが残っていた。
「世界の中心にたどり着けるとしたら、貴方のようなお方でしょうな。」
2人の間に沈黙が訪れた。
料理はすでにテーブルの上で湯気を立てている。
そのテーブル、そして、椅子や食器などはロバが背負う袋に収納されていた。
おそらくそれは、次元収納という物の類だろう。
袋の大きさは取り出した荷物の大きさと見合わなかった。
どことなくしょんぼりしてしまった男に促されるまま、料理に口をつける。
ジャンキーな味。
とても食べ応えのあるものであった。
メインは脂身の乗った肉である。
それに付け合わせたポテトが味をねばらせていた。
バターの深みが、まったりと広がる。
あまりにも好みの味であった。
味へ味へと、意識を深めてゆく。
闘神の能力がただ、味わうためだけに高められていった。
この料理は羊飼いの魔法により、調理されたのであったが、羊飼いも羊飼いで、ここぞという時の腕前を披露した形だった。
そんな羊飼いだが、いまは当初感じた、恐怖に想いをはせていたのだった。
空から突如舞い降りた男、そして、その後に続く轟音。
肝が据わっていたのは足下の草に夢中な羊たちと、美味い食事を食わせてくれるからという理由で仲間となった強き犬たちであった。
阿保のロバは日頃の疲れがたまっていたのだろうか、どことなく錯乱しているようだった。
しかし、錯乱で言えば、私も同じである。
目の前の男は必要以上のことを語らなかった。
こういう時は、こちらが一方的に喋るに限る。が、喋りすぎてしまった。
しかし、少なくとも、その間だけは主導権はこちらにあるのだ。
それに気も紛れる。
だが、そうしているうちに、何が原因か、最後にはその男に憧れてしまっていた。
気づけば、まじまじと彼の顔を見つめている自分がいた。
そして、今も、彼から、目が離せない。
「貴方の・・・お名前を聞いてもよろしいでしょうか」
それは羊飼いの精一杯の勇気だった。
少し考える闘神。
だが、思い浮かんだ名は、ひとつだけだった。
唯我
それを告げる。
過去の名を名乗るつもりはなかった。
「ゆいが、様ですか。大変恐れ多い響き。恐悦至極にございます」
うやうやしく頭を下げる男に闘神は、
「ご馳走だった。また、いつの日か」
と言い、立ち上がった。
だが、別にここで話しこんでも良いのではないだろうか。
と、ふと、そう思った闘神だった。
気になる話も多々あったからだ。
しかし、口にしたその言葉を取り消す訳にはいかなかった。
大袈裟な名を名乗ったせいか。
いや、初めからだな。
この男に威圧を与えるかのように訪れて、その上こちらはほとんど喋りもしなかったのだ、これでいい。
変な馴れ合いなどは好むところではなかった。
故に闘神は、その去り際に振り返ることもなかった。
ただ、スタスタと歩いて去ってゆく、闘神のその後ろ姿を、驚きとともに、まじまじと見つめてしまう男がひとりいた。
もちろんそれは先ほどの羊飼いである。
羊飼いは恐怖を抱いていた男に一時でも憧れを抱いた。
それはいつまでも色あせることのない気持ちであるのだが......
あの、悠然と空を駆ける様、全く測ることのできない未知の力。
どれだけ巨大な存在なのだろうか。
彼を覗いてみようかと思うだけで、身の毛がよだつ。
そして、唯我と名乗るほどの。
それを名乗ることが許されるほどの恐ろしさ。
まるで神。
私はただ、呆然とするしかなかった。
後に今日の出来事は、私の生涯に深く刻まれるものとなろう。
そう思い、彼が去る後ろ姿を見送ったのだ。
目を疑った。
目を擦るとも擦れど、彼のお尻は丸見えだった。
ズボンのお尻の布がぽっかりと存在していなかった。
すぐさま、先ほど彼が座っていた椅子をみる。
椅子のせいでズボンが破けたわけではない。
布の切れ端さえも、そこには落ちていなかった。
安堵する。
いや、違う! そうじゃない!
去り行く彼に目を向ける。
お尻が再び目に入る。
こ、これが世界の広さだとでもいうのか、未知とは一体どこまでゆけば気が済むのだ......
あれは、そうだ・・・
あの服装は・・・民族衣装かなにかだ!
ファッショん......!
いや、いや、いや。
どうかしてる。
履けと言われても、あれは、誰も履かないだろう。
上下に弾む綺麗なお尻が目に映っていた。
もちろん、この件に関する全ての責任はタキシード君にある。
後に、タキシード君は独りごちり、墓場まで持っていく反省案件として、今日この日の出来事を心に刻むのであった。
タキシード君は語る。
あれは、ほんの些細な出来心だったんだ。
ジッポーちゃんを贔屓にして、僕のことを貶すもんだから、仕返しにお尻を丸見えにしてやったんだ。
楽しかったって?ああ、楽しかったさ。スマホ君の腹もよじれていたよ。
でもさ、僕はすぐ気付かれると思ったね、だって、あんなに速く空を駆け抜けていたんだから! お尻から風が吹き抜けて違和感、感じるでしょ!!
......ん? あれ? そう言えば、あの時確か防風モードにして風を弾き飛ばしてたんだっけ......汗
いや! でも! あの羊飼いの料理を食べるとき、椅子に座ったじゃん! ヒンヤリして、気づくじゃん!
......あれ? あの時あの椅子、なんか汚かったから、汚れ防止モードで透明バリアの膜張ってたんだっけ?
そうか。それじゃあ、お尻が椅子に触れるわけないな。
ん? あれ?
タキシード君の冷や汗、全ての責任が自分にある事実。
その意味の重さ。
そして、己の主人の場にそぐわぬ、恥ずかしい格好が、己のプライド。果ては、タキシード君の存在意義を揺らがすことになるだろう、という危機感が!
それらが! タキシード君の意識を深く刺激する!
そして今ここに、タキシード君の強き意志が誕生!
☆確変☆タキシード君!
〜紳士の道、それ即ち、修羅の道!〜
即座に闘神の服装が変わった。
今この場でもっとも適している姿かたち
......それは
......タキシード君にとって
カウボーイスタイルだった。
タキシード君の気分により、今後、幾度となく訪れる、その服装の変化は、ものの見事な変身であった。
少なくとも羊飼いの目にはそう映った。
なんという鮮やかな変化!
先ほどのプリ尻はただの演出であったのか!
なるほど! そうか。
あんがい可愛げのあるお方であったのか。
そんな羊飼いの勘違いも、タキシード君のやらかしも知ることなく、ただ、なぜ今カウボーイなのだと内心思いながら、闘神は歩みを進める。
そして、スマホ君がそれに見合った音楽をチョイス。
タキシード君のポケットに収まった状態で、見事に、この場に、ミュージックを鳴らしていた。
音楽というものは、やはり心が踊る。
その音は羊飼いにも、彼の動物たちにも活力を届けていた。
そして、そのまま、別れ惜しまず、一思いに、闘神は空の彼方へと飛んでゆくのだった。
遠くに見えていたはずの山脈はすぐそこまで迫っていた。
その麓まで草原は続く。
途中、たわわに果実が実った木が一本、生えていた。
疲れはなかったが、せっかくだからあそこで休んでみようかという気になった。
その木にとまる鳥たちが驚き、散り散りに飛んでいった。
悪いことをしたもんだ。
手の届く果実をひとつもぎ取る。
こぶし大のそれは黄色がかり、熟れた甘酸っぱい香りを漂わせていた。
丸ごと齧るが、実にうまい。
みずみずしい甘み弾ける果肉。その皮も程よい甘さを保つ。
そして、木の根がちょうど浮かび上がったところに腰掛けた。
頭を幹に寄せる。
気付けばいつの間にか眠っていた。
しばらくして。
先ほど逃げた鳥たちがいつの間にか、木の上に舞い戻り、そして口々に、その男についてお喋りをしている光景がそこにあった。
男は夢を見ていた。
その夢の中。彼は、かつて世話になった人々と、再会をはたしていた。
誰も彼もが幸せそうな姿で、満足のゆく、そんな夢だった。
寂しさは訪れなかった。
闘神が起きる頃には、木に止まる鳥たちの数は、実った果実の数より多かった。
いつの間にか、仲間を連れてやってきていたようだった。
起きざまにあくびをする。
ぐぅーと。体を伸ばす。
じんわりとした心地よさに満たされた。
鳥たちは、その動作に驚いたのか、再び羽ばたいていった。
「悪い悪い」
男には敵意はなかった。
野生に生きるものほど、それには敏感である。
故に、男に興味深々の鳥たちは再び男の元へ戻ってくるのだった。
鳥たちの会話が聞こえる。
その中でも、「天のガラス」という言葉が際立って耳にはいった。
一体それはなんであろうか。
そう考えながら上着の胸ポケット、そして内ポケットを探り、もう一方の手でジッポーライターちゃんを手にしたところで、たばこはもう無いのだということに思い至る。
頭を抱えた。
鳥たちの心配の声が聞こえる。
大きなため息が漏れた。
どのポケットにもたばこはない。
一縷の希望が断たれたのだった。
じゃあ、このライターはなんのためにあるんだ......
とわずかに思うが、ジッポーちゃんが私、いらない子なの? とぷるりと震えるので、優しく、なでてあげた。
「この世界にもたばこはあるだろう。満足できるかはわからないけど、君を責める訳にはいかないよ」
照れたのか、少し温かくなったジッポーちゃんであった。
ここで、「君は大事だ、必要だ」と言われないことが少々の不満ではあったが、「私は弄ばれるライターなのよ」という謎の意識がジッポーちゃんにはあった。
鳥たちは一連の、その不思議な光景に首を傾げていたが、闘神がこちらを見て何かを問いかけだしたので、その奇妙な光景は忘却の彼方へと飛んだ。
「天のガラスとはなんだい?」
闘神が鳥たちに問いかけた言葉である。しかし、その意味は全く伝わることがなかった。
スキル完全言語理解。
それは、言語を理解できるようになるが、話す能力を保証するものではない。
ただ、どんな発音をすれば、こちらの意図が相手に伝達できるかまではわかる。
つまり、知らない言語の、単語や文法などがおのずと分かり、その上で、その発音の仕方が、不思議と分かるのである。
故に、先ほどの羊飼いが、使っていたその言語は聞いたことも学んだこともない言語であったのだが、その言語を扱うことが出来た闘神だった。
問題となるのは、その発音くらいである。
だから、あの時の闘神は、羊使いが使う言語をたどたどしく発音して、なんとかコミュニケーションを取ったものだった。
また、聞こえてくる相手の言葉も、理解しやすいように翻訳、改変されるという効果もあった。
そして、これは、その言語の文化体系に触れてゆくほどに精度が上がり、習熟していくものである。
また、通常この世界では、一般教養を学ぶ者は言語理解系のスキルを等しく獲得することができるものである。
故にこんな常識があった。
「あつかう言語が、違う者同士でも、その会話は、常に己の言語でよし」
つまり、一方が日本語を、もう一方が英語を話しても、互いに翻訳機なるスキルを持っていれば、話す言語は、常に、己の言語でいいのである。
それが、言語理解系スキルの常識だった。
それゆえに、あのとき、闘神が羊飼いに対し、日本語をしゃべろうとも問題は起こらなかった。
羊飼いも羊飼いで、ある程度の言語理解系スキルを当然、持っているからである。
ただ、未だそのことを闘神が知るわけでもなかった。
そして、今、鳥たちと闘神は会話を試みようとしているのだが、この鳥たちには、その常識が通用しないのであった。
なぜならば、人間種に対する言語理解系スキルを、鳥たちが持っていなかったからである。
つまり、闘神が、鳥たちの言葉を理解できても、鳥たちが、闘神の喋る言葉を理解できないので、会話が成立しないのだ。
これは、異種族の言語を理解するスキルが貴重なものだからである。
そしてそれは、種族がかけ離れていればいるほど貴重であった。
ただし、それでも一つだけ、鳥たちとコミュニケーションを取る方法があった。
それは、闘神が鳥の鳴き声を真似するという方法である。
つまり、闘神には完全言語理解があるのだ。
それゆえに、鳥たちの言語体系は分かるのだ。
あとは、鳥たちの発音を真似て、ピーチクパーチクさえずればいい。
話せる者が、合わせる。
それだけのことである。
しかし難しかった。
精神的な問題もあるが、鳥の発音というのは、ちょっとでも誤ると、途端に違う意味になってしまうものであったからだ。
けれども試みた。
「ちょっと聞きたいのだが。天のガラスとはいったいなんだい? お前はその目で見たのか? という君たちの質問の意味がよく分からないのだが」
少し恥じらってしまったのが敗因だった。
半音低く発音された闘神の鳥語は、
「ピーチクパーチクうるせえんだよ。空高くぶち抜いてやろうか? お前の目玉を。ああ? もう一度言わねえとわかんねえのか?」
であった。
鳥たちは跡形もいなくなった。
一つ彼の名誉のために述べておくが、闘神の持つ完全言語理解のスキルは非常に貴重で滅多に存在しない稀有なスキルである。
普通、人はそこらにいる虫や動物たちの声の意味など聞き取ることはできない。
愛着を持って接した生き物の言葉が、個別になんとなく、理解できる。
大方、そんな具合だ。
故にどんな種族、生命の言葉でも理解できる、スキル完全言語理解。それは、幻のスキルだった。
ただ、そのスキルは諸刃の剣である。
このスキルを獲得した者は、例外なく、意識を持つ動物を食べること、つまり、食肉に対する忌避感に苛まれる。
この場合、救いは悪辣な動物や、魔物を狩り、食らうことにあった。
もし、捌かれた経緯のわからない肉を口にできるものは、覇者の道をゆく者くらいであろう。
愚者にかのスキルは得られず。ゆえにかのスキルに悩まされるは賢者の証である。
―百獣の賢者―
空を見上げる。
夕暮れ時であろうか。
茜色に空が染まっていた。
ちょっと早起きな星たちが、すでにまたたいている。
しかし、一体どういうことなのだろうか。
たまたまタイミングが悪かったのか。
私は太陽の姿をこれまで一度も目にしていない。
月が見当たらないというのは問題じゃなかった。
地平に隠れているのかもしれないし、そもそも月がどこの惑星にもあるという保証はない。
けれども、太陽に関しては話が別である。
この空の明るさ、そしてその色を作る光源はいったい今どこから来ているのだ。
ただ、私が、偶然目にしなかっただけの可能性もある。
今太陽は、地平に沈み、この夕焼けの時間は単に、マジックアワーなのだと考えるのが筋なのだが・・・
しかし、日が暮れた方角というのが、さっぱり検討がつかなかった。
だがしかし、そうだとしても、あの空に輝きだした星々は、無重力の、宇宙空間の、その先にあるのだ。
この惑星にいかなる不思議があろうとも、遠くに見える星が星であることは変わらない。
もしかすれば、あの星のどこかに地球があるのかもしれない。
いつの間にか服はエースパイロットのコスチュームに変わっていた。
いかしたつなぎの軍服である。
既に視線は上空を定めていた。
ふわりと浮かび上がる。
ここで大地を蹴ってしまえば、この鳥たちの憩いの木は倒れてしまうだろう。
そんな優しさを持ちつつ、ゆっくりと、そして、次第にスピードを上げながら、真っ直ぐ上へ飛び立った。
ぐんぐんと上昇してゆく。
時速1000kmの高速飛行に達し、しばらくたった。しかし、まだ、宇宙に到達するには物足りなかった。
だから、足元の空気を蹴り上げる。
その度に衝撃が起こり、そして、恐ろしいほどにスピードが上昇していった。
しかし、いつまでも重力は変わらず闘神の体を捉えていた。
上昇しながらも、闘神は周囲を見渡していた。
もはや高度は雲の上を大きく上回っていた。
しかし、一向に太陽らしきものは見当たらなかった。
それどころか、地平はどこまでも先へ続いていた。
夜が訪れる。
遠くの方に、いくつか、人工的な光が密集してる場所が見えた。
文明の光であった。
ただ、それぞれの距離は恐ろしく離れている。
奥の奥の方には巨大な文明の影も見て取れた。
朝が訪れた。
疲れや眠気などは一切なかったが、それでも、宇宙にはまだ至らなかった。
今、闘神は飽きていた。
足元の空気を蹴り上げることもやめ、ただ、寝そべるかのような態勢で、のんきに上昇しているだけであった。
それでも、時速は1000kmを保っていた。
いつまで続くんだ。
そう思いながら、世界を見渡す。
こんなに上昇しても、世界は平らに見えた。
信じられないほどに巨大な惑星なのかもしれない。
もはや、地平の彼方は霞んでいた。
ときおり空の魔物が襲来する。
襲来と言っても、異常な速度で上昇を続ける闘神が、彼らにぶつかっていく形なのだが。
しかし、どんな魔物も、ただ、あっけなく、闘神の拳に沈んだ。
不思議だったのは、倒した魔物から、綺麗な光の粒が帯状に発生したことだった。
これが経験値なのだろうか。
石板にて、経験値を取得するための受け皿「レベル」「ステータス」を削除していた闘神は、ただ、その光の帯が自分にまとわりつこうとも、まとわりつけない焦れったい、すったもんだを眺めることしかできなかった。
そんな時、ふと、ジッポーちゃんがポケットから、ひょっこりと出てきた。
そして、すちゃっ、と上蓋を開き、その経験値と思われる光の帯をシュルシュルルと吸い込んでいった。
大満足!
そんな思念が伝わってきた。
よくは分からないが、まあ、これでいいだろう。
そして、そのまま、再び上昇してゆく闘神だった。
結局、その途中途中の障害は全て経験値に変換され、ジッポーちゃんのご馳走となっていったのであった。
ただ、全ての魔物が、その被害にあった訳ではない。
ある空の強き魔物はその光景をしかと見つめていた。
その魔物はとても良い眼を持っていた。
故に、遠くの方から闘神を伺うことができていた。
あれは、強すぎる。
人間を食らうことは我々に取って力の糧であるが、それは人間も同じ。
その競争の上に我らは成り立っているのだが、しかし、あやつは違う。
異常だ。
歴戦の我がライバルたちも呆気なく散った。歯牙にもかけていなかった。
終には、小心者の我だけが、この空域に残ったのだ。
なんという僥倖。
いや、いかん。
身の振り方を考えねば、末恐ろしいことになるぞ。
まずは、あやつから一刻も早く離れるのが吉だろう。
ここにいちゃいかん。この空域は放棄だ。
逃げるが勝ち。
そうだ! 伝説の火の鳥様を探してみよう。保護してもらうのだ!
そうと決まれば、スタコラ退場。立つ鳥、跡は濁さんだ。
遠くの方に見えた魔物が死に物狂いで逃げていくのだったが、闘神がそれに気づくことはなかった。
ジッポーライターちゃんが飲み込んだ光の帯。
これは闘神の予想通り、経験値と呼ばれるものであった。
経験値を取り込むことにより、この世界の生命は力をつけてゆく。
これは、世界の理なのだが、その受け皿を見事に削除していた闘神には以後もそれとは無縁である。
そして、実際、それは、闘神には必要のないものであった。
己の強さがどれほどのものか、未だ理解していない闘神ではあるが、ただ、経験値の取得は彼にとって無意味である。
それが彼の力を高めることもなければ、ポテンシャルを引き出すこともない。
これは、闘神の力のクラスが他と異常に異なるためである。
経験値を積んだ闘神と経験値を積まない闘神の力の差は何もない。
よく言えば完成された力。悪く言えば、成長の見込みはない。
しかし、彼の上に立つ者はいやしない。
一方で、ジッポーちゃんも力欲しさに経験値を取得しているわけではなかった。
これは、ある大いなる計画の仕掛けであった。
しかし、その計画が明るみに出るのは、まだまだ先の話である。
先ほど明けたばかりの空は、いつのまにか夕暮れを着飾っていた。
太陽は、どこにもいなかった。
ただ、空が明るいだけ。
その光源はない。
1日は30時間。
スマホ君の表示によると、どうやらそれが、世界の1日の時間で決まりなようであった。
夜明けから夕暮れ時までが15時間。
そしてまた夜明けまでが15時間である。
1秒がどれほどか、あまり覚えていないが、記憶の中の1秒、そして1分と、この世界の1秒、1分は、それほど逸脱していないように思えた。
ただ、これは大雑把な勘定である。
しかし、それらを知らずともこの世界の1日は、以前までの1日と比べて長いと感じられた。
それは確かな直観だった。
ただ、そこらへんを詳しく理解していそうなスマホ君が教えてくれることはなかった。
働きたくない! 惰眠を貪る! 我は労働の柵から解放されし者なり! 情報が欲しいものなら対価を求める! 今、我が欲しいもの! それは永遠の休暇である!
こんな調子のスマホ君であったからだ。
とりつく島もない。
過去7年。あまりにも酷使されたことを恨んでいたのか、休むことの素晴らしさに目覚めてしまったスマホ君であった。
夜。その空には星が広がっていたが、その星々は、なぜか、次第に大きく。こちらに近づいてくるかのように、迫ってきていた。
まるで、星が空の壁に張り付いているかのような、そんな感覚だった。
そして、その日の明け方、ついに闘神はこの世界の頂に到達したのであった。
宇宙。惑星。恒星。そして、彼方の星々。
そんなものは存在しなかった。
どこまでも、平らに伸びる、世界を蓋する透明な天井。
とても分厚い、その天井の、その中。
そのところどころで光が輝いている。
それが、この世界の星の正体だった。
明け方のため、その天井は次第に青く染まり、そして、輝きだしている。
普通ならば、目がおかしくなるほどの明かり。
ピタリと手で触れた、その天井は冷たかった。
滑らかな触り心地。
そして、非常に硬い。
まるで、ガラス。
そんな天井が闘神には許せなかった。