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闘神ヤニカス戦記  作者: 店や喫茶
ロイヤル編 第二章  ー 序 ー
11/18

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 一等級の座席は、広々とした個室だった。




 一等車両の数ある個室。


 その中の、喫煙可能な個室に今、闘神はいた。


 その手配は全て従業員のものである。




 車内販売カーというものはない。


 一等車両特設の、ラウンジが、個室を出た、通路の先に設けられ、そこは、全てが無料の空間となっていた。




 もちろん、インターホンでルームサービスを頼むこともできる。




 車窓(しゃそう)の景色は、異空の景色と、世界の景色を交互に映している。




 およそ、3日の旅。




 ワープゲートを通過しながら、移動するこの列車は、何もたちまちの内に目的地に到着してしまうものではなかった。




 故に、この個室は、寝具付きである。




 簡単なガイドブックをぺらりとめくる。


 この先の中央大陸の名所を紹介したものであるが、その簡単なガイドだけでも、完全言語理解のスキルの解析(かいせき)は進む。




 この一帯の大陸は、かつて、強大な文明レベルを誇っていたようである。しかし、ロイヤルの誘惑が為に、一度に、滅亡。


 いや、厳密には、滅亡していない。


 一斉に滅亡事態が宣言されたが、その完全な滅亡は、()(おう)により食い止められた。


 故に、未だ、当時の技術のその一部は大陸に残っている。


 このワープゲートも、その一つである。




 そんなこんなを、理解しながら、ふと、離れた場所にある(つくえ)を見やる。




 食い散らかされたゴミ。積まれた食器。その机から、雪崩(なだ)れ落ちた、そのゴミの数々。


 もはや、広々とした、個室の1/3がその為の空間だった。




 たった、2日でこの有様か......




 その大部分は、元所持品ズの所業(しょぎょう)である。




 それは、彼らが食に目覚めた。目覚めてしまったからであった。




 本来は、食べられるはずもない。それが道理。


 しかし、それは、皆の思い込みだった。




 擬人化(ぎじんか)した、ジッポーちゃん。その彼女が、主人をまねるように、お菓子を手に取り、ぱくりと一口。


 あざとさを見せる。その(ため)の無意味な仕草に、意味があった。




 食べれてしまったのだ。


 そして、味わえてしまった。




 それは、新たなる感覚だった。




 破滅級の衝撃である。




 それまでの常識が、一気にはじけた!




 硬直するジッポーちゃん。


 その姿の意味に、真っ先に気が付いたのは、スマホ君。




 あれ? え? まじ???


 と、彼も彼にて、ぱくりと一口。


 そして、フリーズ。




 さて、取り残されるは、タキシード君。




 服が、食い物を食べる......




 それ(すなわ)ち、粗相(そそう)の象徴。


 しかし、タキシード君。そこまで、高潔な意思、保てず。


 ましてや、この空間は、主人を除いて、何人(なんぴと)もいないのだ。


 ふと、主人の顔を確認する。


 タキシード君のその心の内を知ってか、知らずか、その挑発的な顔は、お前も食べてみたらどうだ? と、タキシード君には、そう読み取れた。




 恐る恐る。服の(そで)(ぐち)から、主人が手にする、お菓子を吸い込む。




 すぽん!




 そんな音は、しなかったが、まるで、音がしたかのように、吸い込まれたそのお菓子。




 そして......


 すぽん! すぽん! すぽぽん! すぽぽぽぽん!!




 硬直するジッポーちゃんと、スマホ君をよそに、タキシード君が暴れ出した。




 ルームサービスにて、ラウンジから、乗務員に運んでもらった、食い物たちが、瞬く間に、タキシード君に吸い込まれていく。




 普段、己を(りっ)し続けていた者の爆発だったからなのか、その勢いは凄まじかった。




 大量にあったはずの、それら食い物たちが、袋ごと、見る見るうちに、吸い込まれていく。




 そして、あとから、ぺっぺっぺっペっ! と(そで)から、綺麗に吐き出されてゆく、ごみたち。


 それに(あわ)てるは、ジッポーちゃんとスマホ君。




 食い物戦争が始まった。







 そして、その残骸(ざんがい)が、今広がっている。




 途中何度もルームサービスをコールし、その度に様々な食べ物を(こころよ)く運んできてくれた、乗務員たちのその顔も次第に(あき)れが混ざっていったものだった。




 しかし、闘神は、この列車のVIPである。


 高価なチケットで乗り込んだ彼が責められる(いわれ)れはない。


 ただ、問題は、ラウンジのバックヤード。


 みるみると減ってゆく食料のその在庫に乗務員とコックたちは戦々恐々。あと、1日。持つかどうか、それは際どかった。




 しかし、最後の(とりで)が彼らにはあった。


 それは、何もないところから、食い物を生み出すことのできる。そんな力を持った、彼らが料理長だった。




 ただ、その力、無尽蔵(むじんぞう)に食い物を生み出せるものじゃない。




 パントマイムの調理。


 包丁を(にぎ)り、まな板の上で、トントンと、リズム良く、何を刻む訳でもないのだが、何かを刻む。


 そんな無意味な仕草(しぐさ)が、意味を持つ。そんな力を料理長は持っていた。




 例えば、それは玉ねぎを刻む。そんなイメージだったとしよう。


 すると、そのイメージが極限まで達した時、そこになかったはずの玉ねぎがいつの間にか、出現するのだ。




 卵を割る。


 その卵は、実際には存在しない。


 しかし、イメージで、コンッ、と叩き、かぱっ、と割る。


 すると、あるはずのなかった卵が、その中身が、とろりとボウルに落ちるのだ。




 “一等車両の厨房(ちゅうぼう)の長たる者、ここでくたばる訳にはいかない。”




 今、彼は、次なる注文の為に、せっせと、そのイメージを具現化するため、鬼の如く集中。いわゆるゾーンというものに入り、調理に没頭(ぼっとう)していたのだった。




 その視界は、スロー。


 けれども、その動きは高速。他者が見れば、千本の腕を見るであろう。




 料理長。その彼が戦うは、神。


 そして、いわばその眷属たち。




「お菓子が切れる......!! 食材がもうない......!!」




 そんな悲鳴を背に、後は俺に任せろと、立ち上がった(おとこ)は燃える。




 一等個室からの尽きぬ注文。


 その注文をしばし待ってもらうが為に提供された、そのお菓子と食材たちは、一等車両特設の次元収納に収められた分を持ってしてもその在庫、底を付きかけていた。




 ちなみにだが、闘神も含めて、元所持品ズたちのその胃に限界なるものはない。




 言葉のままに、無限に食べることが出来る。


 ただし、飢餓(きが)を感じるという訳でもない。


 飽きるまで、食べられる。


 そんなものだった。




 しかし、飽きがこない程に、食い物の種類が豊富だった。


 だから、バシバシと注文が入る。




 そして、今、目の前に広がるこのごみの山。


 それは、乗務員により、もう何週も片付けられた、その上での有様だった。







 こういった場合、様々な空気が生まれるものだが、今、この一等車両のその空気は、熱を帯びていた。


 (あき)れを通り越してしまったのだった。




 熱き戦い。


 負けるものかという覇気が、乗務員とコックたちに帯びていった。




 そして、それを何だなんだと(なが)める他の客。


 闘神と同じ車両に乗り合わせた、一等車両の乗客たちである。




 とある一等個室に、続々と運ばれてゆく、食い物のその量と途切れぬ列の為に、この車両には今、不思議な一体感というものが生まれていた。







 少しだけ述べるが、闘神が滞在するその一等車両だが、そこは一般車両と比べると、その料金。まるで違う。


 その価格は、満足な家が一軒(いっけん)、建つ程のものである。


 故に、この戦いを楽しむ他の乗客たちというのは、大金持ちである。




 だからこそ、始まった()け事。


 あの個室の乗客がいつくたばるか、それとも先に、厨房(ちゅうぼう)の方がくたばっちまうか、または、次にどんな注文が入るのか、そんな賭けである。




 この私的な()け事であるが、これは、違法に近い、グレー。


 それが、この大陸の法律というか、この列車を管理する企業、それが属する国家のその法だったのだが、それだからこそ、こんな時にはそれを破るのが楽しいものだった。




 だから、今、そのラウンジは(おお)(にぎ)わいである。




 その視線の先には、料理長の調理の光景。その映像があった。




 これは、ラウンジに(そな)え付けられたモニターが映し出す、そんな映像なのだが、そのモニターに映し出されたその映像を、誰が配信しているのか、何者がそれを撮影しているのか、乗務員もコックも知らない。そんな奇妙なものだった。




 何故か、料理長の調理の光景。そして、バックヤードの乗務員とコックたちの右往左往が映し出されているのである。




 まあ、全ては、スマホ君の所業である。




 その映像を乗客たちは眺めながら、そして、その話題を共有しながら、初めて一堂に会した者たち同士、おしゃべりをする。


 そんな交流の場がそこにあった。




 どちらか言えば()け事の為の空間というよりかは、見ず知らずの者同士で交流するその為に、彼らは今、ラウンジに集まっているのであった。




 一等車両の乗客同士だから、話は合うのだろう。


 もちろん、そこに見知った仲の者を見つけ、驚き合う者たちもいた。


 そして、中には、有名人のその姿もあったから、この際話しかけてみたい者は勇気を出して、話かけてみるのである。


 その全ては、()け事という共通の話題があるから、スムーズに進むものだった。


 いやらしく言ってしまえば、そこは、人脈を形成する場として、しかし、その活気は、ある種、彼らのお祭りだった。







 酒の注文が入る。




 それはこれまでにない初めての注文。


 あの個室からの注文である。




 まずい! と我先にと自分の酒を確保するお金持ちたち。




 食い物は、おつまみがあればいいが、酒は別の話だった。




 それは楽しみである。


 なくちゃ困ってしまう彼らなのだ。




 しかし、その時は、到着まで残り半日を切った、そんな時であった。


 だから彼らが飲める量などたかが知れている。


 それでも、在庫がすっからかんになってしまうその前に、己の分を確保しない訳にはいかない。そんな彼らだった。







 まあ、こういった大食いは、スキルの力でごまかしていないというのが、前提というか、暗黙のルールなのだが、そんな卑怯(ひきょう)な行為は、この大陸ではなかなか起こせない。


 軍事行為に接触する可能性があるからだ。




 ただ、神には大陸のルールなど(およ)ばない。


 それが、いかに羅王のルールであったとしても。




 しかし、その闘神。そして、元所持品ズたちは、しっかりと食べて、食べて、食べまくっていた。


 だから、不正はない。




 そして、元所持品ズたちの暴飲暴食に(あき)れているその主人だったが、その主人も主人で全く人のことが言えない程に食べていた。




 彼らは、似た者同士。闘神も彼らに負けじと、食い物を(むさぼ)っているのである。




 それは、なぜか。




 提供される、その食い物らがうまいからだ。


 そして、実に口に合う。







 料理長が料理を提供しだしてからは、その次元、さらに一段、上がった。




 ビッグバーガーセット。


 と伝えれば、それは、日本語で伝えられているにもかかわらず、優秀な言語理解スキル持ちの乗務員が、その内容をたちまち理解し、その詳細を料理長へと伝達。


 そして、その情報を元に、料理長、(かん)と経験を頼りに見事に再現。


 それが提供されるのである。


 その味は、地球で食べていたあの時の味、そのものだった。




 もちろん、それが気になるラウンジの客たちも同じ物を注文するのだが、その評価は、まちまちであった。


 彼らも彼らで、食に対する想いというか、そのこだわりというのは、うるさいものであったのだ。


 中には厳しい評価も飛んだ。


 しかし、そんな彼らのグルメを刺激するかのように、闘神もあえて、わざと、地球で食べた見事な料理を注文するのであった。




 ちなみに闘神は、スマホ君から、厨房(ちゅうぼう)のその様子、ラウンジ乗客たちのおしゃべりのその内容というのを教えて(もら)っている。




 そして、事態はますます加熱。


 ラウンジのその客たちも、あの個室に、我らが食の文化というものを教えてやれと、大合唱。


 この地域の食の(すい)を提供するよう、料理長に頼みだす。


 そして、いいぜ、と(こた)える料理長であったから、また拍車(はくしゃ)がかかった。




 世界を超えた、食文化の戦いが勃発(ぼっぱつ)したのだった。




 次々と運ばれてゆくこの世界、この地域の料理。




 それは、闘神が頼んでもいない料理なわけだったが、それがなぜ運ばれてきたか、闘神も闘神で分かっているところだったから、(こころよ)くそれを受け入れるのだった。




 暗黙の了解の上で成り立つ勝負である。




 例えば、ラウンジの客たちが指示した料理。


 その追加の注文が入れば、ラウンジは大盛り上がりである。




 それは、闘神のいる個室にも響いてくるほどであった。




 しかし、負けじと、地球の料理が注文される。


 ラウンジのその客たちも、既にそのそのお腹は、満腹であったが、ただ、この車両、状態異常を回復する効果があったから、その消化は、早く、そして彼らも戦えるところだった。


 無限に食べれるわけじゃないが、皆で分け合って食べるのならば、闘いは継続可能。


 そんな具合である。




 ただ、その勝負だが、未知なる料理の出し合いという訳ではなかった。


 大体、こちらの世界にしても、地球にしても、その料理の根底は似通っているというか、ほぼ同じであった。


 食材や、その調理の方法がいささか違うだけで、ああ、あれね、となる料理ばかり。

 だから、その勝負の終盤は、アイデアや食の精神を競う。そんな要素が大きいものだった。







 まあ、こんなこともあって、料理長のその仕事は、とんでもなく大変なものだったから、彼とその仲間たちが、その後、長い休暇を申請したのは、実にもっともなことだった。


 大金持ちたちが出し合った、山ほどのチップをたんまりと抱えて。







 終点へたどり着いた。




 勝負の結果は平行線。終ぞ、その勝敗がつくことはなかった。


 さんさんごごと、乗客たちが降りてゆく。


 闘神の元を訪れる者がその中にいるわけでもなかった。


 皆、日常に帰ってゆくだけである。


 それが、暗黙の勝負だったからか、わざわざ、その沈黙を犯す。そんな(やから)は彼らの中にはいなかった。


 少し、気を構えていた闘神も、そんな彼らの雰囲気を察し、下車したのは、その一番最後。


 誰もいなくなった、駅のプラットフォームに降り立つのだった。




 これからどうするべきか。




 そしてとりあえず、一等車両専用の駅のプラットフォームを抜けた先にある、VIP専用ラウンジに向かう闘神だった。




 そこにゆったりと滞在する者たち。


 数は少ないが、先ほどまで、闘神と熱い勝負を繰り広げた、大金持ちたちのその一部である。




 ただ、交流などは特別、起こらない。


 ああ、あの者が、あの個室の主だったのか。


 そう、彼ら大金持ちたちは思うだけである。




 傾けた頭を手で支え、何か考え事をしているのだろうか。


 しかし、泰然(たいぜん)椅子(いす)に腰かけるその男からは、先ほどまでの大食いの、その影は一切伺えない。




 そして、そのラウンジもすぐに、闘神が一人残るだけとなった。







 神の考え事。


 それは、食の快楽を覚えた元所持品ズたちをどう食わせてゆくか。その悩みであった。




 金がない。




 であれば、職を探すか?


 しかし、どんな職がある。




 元所持品ズたちは、あれば食べる。そんな奴らだ。食の為に暴走する気配があるという訳ではない。




 だから、今すぐにお金が必要な訳でもないが、しかし、もし、この大陸に長居することになるのであれば、あれが食べたいだの、ここに行きたいなど、さまざまな要望が出てくること間違いないだろう。




 それに応えない訳にはいかない。


 できる限りのことはしてやろう。




 ただ、問題は俺が、働きたくない事だ。







 まあ、私も私で、ここの食べ物が気に入ってしまったから、お金が欲しいのだが。




 ふと、鉱石のオークションについて考えてしまった闘神だったが、今更お金が必要だと、言いに戻るのもかっこが悪いので、それはナシだと頭をふる。




 そして、結局、悩んでも仕方ない。そうケリをつけ、街へ繰り出すのだった。







 街は、相変わらず現代だった。


 パチンコ屋すらある。


 いや、パチ屋なのか? しかし、その看板を見る限り、完全言語理解にて解析されたそのお店の用途は、いわゆるそれそのものだった。


 もちろん、スロットだってある。あるようだった。




 そんな中で、ひと際目につく。そんな看板があった。




 ☆軍人募集! 今すぐ稼ぎたい方! 日払いOK! ええ? ちょっと怖いかもって? 大丈夫! そんなあなたにぴったりのお仕事あります! オフィスワークから、現場仕事まで、あなたの能力に合わせた働き方で、その力、大陸の平和が為に! 同士募集!!☆




 その看板の言葉だけで、この大陸。そして、そのルールと成り立ちをおおむね理解してしまった闘神であった。







 その看板が大きくかかる建物は事務所だった。


 軍の事務所である。




 その事務所に入店する。




 パチンコ屋の近くにあった建物だったからか、ギャンブルに負けたであろうツワモノたちが集う、そのロビーは、ちょっと、かわいそうな空間だった。




 彼らはカタカタと、ノートパソコンをいじっている。


 そこは、彼らにとってのオフィスだった。


 軍の仕事を()け負っているのである。




 ただし、その仕事は、軍事行為に該当(がいとう)しないものである。


 なぜならば、いささか、その内容が特殊というか、普通だからだ。




 彼らの仕事。それは、一般企業の一般事務。もしくは、リモートで行われる作業などである。




 いわば、民間企業の雑多な仕事を、日雇いでこなしているのだった。


 仕事の内容は、ただそれだけである。


 その仕事が、軍の仕事と関係する訳でもない。


 軍事に関するオフィスワークや、後方支援をリモートで行っているわけでもなければ、軍需企業の一員として、仕事をこなしているわけでもない。


 そういった仕事をこなす部署(ぶしょ)はまた、それはそれで別にあるのだが、日雇いがそこに関わることはない。


 彼らの仕事は、ごくごく一般の企業の仕事であり、それは例えば、不動産や、商社、代理店などの事務仕事である。




 しかし、軍が何故、民間のその仕事を彼らに割り振るのか、いや、そもそもだが、何故軍が、民間企業の真似事をし、市場経済に一企業として参入しているのか、その全ては、


 1.軍は、国家に干渉できない。

 2.軍は、民に危害を加えることができない。

 3.軍は、民間のその財産に被害を加えることができない。


 という羅王のルールが軍を縛るためである。




 このルールの下では、いかに強大な力を持つ軍と言えどもその活動は手狭(てぜま)にならざる負えなくなる。そんなものだった。




 特に資金の面で、相当の打撃がある。




 国家は、軍の為に支出を裂く必要がない。


 むろん、それを軍が強要することもできない。


 ましてや、民を弾圧し、労働や、資金を(しぼ)り取ることもできない。


 しかし、この、羅王のルールだが、国家に干渉せず、また、民間に被害を出す形でなければ、何をするも自由というのが、軍であった。




 故に、経済のその活動は、羅王のルールに抵触(ていしょく)しない限り、許されているものだった。


 だから、軍は、市場の中の一企業として、その活動の資金を(かせ)ぐのだ。




『軍は活動資金。その捻出(ねんしゅつ)(ため)、企業を持つ』


 これが、この一帯の大陸の常識である。




 故に、今、虚無(きょむ)のような顔でパソコンをいじるツワモノたちは、戦争行為に(いそ)しんでいるわけではない。


 パソコンをいじり、ただただ、(うつ)()にホワイトカラーのデスクワークをこなしているだけである。







 もちろん、軍が母体となるその企業というのは、数々の規制に縛られる。


 それは、とても複雑なものだが、その具体例をいくつか述べておこう。




 まず、第一に、軍は羅王のルールの為に、民、そして、その財に損失を与えることはできない。




 この原則は軍にとってはとても厄介で、その為に、軍が運営する一般企業というのは、社会に対して、清廉潔白な活動を求められるのが常であった。


 それだからこそ、軍の企業というのは、消費者から信頼される企業と(あい)なるのだが、


 例えば、その営業の電話も、信用の取引も、軍の企業がそこに介在することで、一層の信頼を獲得する。

 ある種、お墨付きのような役割を担う存在。それが、軍の企業というもので、そんな市場形態がこの一帯の大陸には広がるのだった。




 この市場形態をつぶさに把握している者が、どれほどいようか。ただし、その原則だけはとてもシンプルだ。

 軍は、民草に損失を与えなければ、後は何をしようが自由。

 しかし、問題は軍の活動の自由が、どこまで許されるものなのか、それを読み取る作業である。

 それがいかに市場をややこしくさせることか。ああ、羅王のために仕事が増える。

 ―経済学者 カーネル・ポッパー―




 例えばだが、今、ロビーにてパソコンをいじるツワモノたちのその一部は、とある民間企業の書類の監査の仕事を受け持っている。


「ある企業を買収するのだが、いささか、不審な点がある。故に、その企業が提出した書類に不備や、不正がないかをチェックして欲しい」


 そんな依頼を、軍が()け負い、そしてその仕事をツワモノたちに投げたのである。




 ただ、日雇い労働者に任せられた、その監査の仕事だが、その仕事は、まあ、ずさんだ。


 しかし、それが例えずさんな仕事だとしても、その最後には、信頼のおける、そんな具合となるのが軍の仕事だった。




 それは、その仕事が、ずさんなうちは、仕事が完了したことにならないからだ。




 例えば、とある不正が書類上にあったとしよう。


 それを発見するのが、その日雇い労働者に課せられた仕事なのだが、それを見つけられず、けれども、時間も時間で、疲れてきた、そんな労働者たちは、もう仕事を終わらせよう・・・いや、終わったことにしよう。そうしよう。


 と、投げやりになる。なったとする。




 そして、彼らが上司たる事務方に仕事は終わった、だから金をくれ。


 と、その書類を提出し、給料を催促(さいそく)するのだが、その時、その仕事が完了していなければ、つまり、未だ、その書類に不備や不正が残っていたのなら、不思議な力が働き、事務方は、その書類を受理できない。


 そんな事態が起こる。




 具体的には、事務方が、提出されたその書類にハンコを押そうとしても、何故か、完了のハンコが押せない。


 そのような具合である。







 ―不備のある書類の提出は、依頼者の財産に被害を加える可能性がある―




 羅王のルール。その3


「軍は、民の財産に被害を加えることができない」


 全ては、このルールが為にもたらされる事態である。




 依頼者。それは、つまり民である。


 故に、軍は民の財産に被害を与える行為。つまり、未完成な仕事の提出。この場合、不備や不正の残った書類の提出。


 それができないのだ。


 だから、完了のハンコが押せないのである。




 押そうとしても、ルールの力が、その行為を(はば)む。


 つまり、大陸の格の力がそこに働いているのだ。




 大陸の格。それが自動でその仕事の是非(ぜひ)を判断し、不備があれば、その為に、過ちがあれば、それ故に、その仕事の完了を、その力で(はば)むのだ。




 しかし、その不備や不正がなんなのかは、言わないのが大陸の格である。




 いうなれば、ただ、その是非(ぜひ)をジャッジするだけ。




「その仕事は、未だ完了していない。なにが完了していないか、それは言わぬが、完了していないのである」


 大陸の格の、その主張を言葉にするのならば、このようなものだろう。




 であれば、日雇い労働者はその書類の欠陥を見つけることができなければ、一向に仕事が上がれない。そんな事態に直面するように思われるが、これもこれで、しっかりとした枠組みがあるのだった。




 大陸の格は、その仕事が依頼に対して、どこまで完了されたものなのか、そのだいたいを算出し、判定、評価してくれるのだ。




 故に、この場合、日雇い労働者は、どれくらい、書類の不備を発見したか、不正を発見したか、その仕事を達成した分だけ、報酬が貰える。そんな仕組みとなっている。




 だから、全てを見つける必要はないのだ。




 加えて、軍が、依頼者に成果を報告する際も、依頼されたその仕事が完璧である、その必要もない。




 ただし、どれくらいその仕事が完了できたか、それを仔細(しさい)、報告するのが義務となっている。




「ここまでは、大丈夫です。しかし、ここからの部分ですが、要検討するべきものが含まれている可能性があります。それ以上は分かりません。とにかく、我々が判断できるのは、ここまでです」


 このような調子である。




 軍と大陸の格の関係。

 その作用を駆使(くし)すれば、不正や、悪徳を(すべか)らく排除できると思われそうなものだが、大方の仕事の実態は、あいまいで、大雑把なものである。


 もちろん、エリートになれば、もっと、緻密(ちみつ)に仕事をやり遂げることが出来るのであるが、ロビーにて作業する日雇い労働者のその中に、そのような人物がいるのは、(まれ)だった。




 また、依頼者も依頼者で、その依頼の内容を(たく)みに考えなければ、効率のいい成果を上げられない。




 これは、軍にそういった仕事を頼むときのコツであった。




 例えば、それは、いい加減に。


「この書類について、おかしな点があるかどうか、パパっと精査してくれ」


 と頼んでも、軍からはあいまいな答えしか帰ってこない。




「何らかの懸念事項があります」


 即日、提出された、軍からの回答はえてして、このようなものだ。


 そして、その回答のために、不安に()られた依頼者が、より精密な、監査を頼んでしまう。そんな話もよくあることだった。




 しかし、この場合、実は、先の懸念事項という言葉は、書類の不備にあったのではなく、その書類が関わる仕事の内容に一定のリスクがあったから、その(ため)に、大陸の格は懸念があると、そうジャッジした。

 それだけで、それ以上の話ではなかった。つまり、書類には不備はなかった。


 という馬鹿げた顛末(てんまつ)に終わることもままあることだった。




 (だま)されたと思う依頼者だが、これは、大陸の格の勝手であり、軍にその責任は発生しなかったから、振り上げたこぶしの落とし先に困るものだった。




 一見すると、役立たずな仕事をするものだと思われてしまうが、時間と金、そして、その依頼の内容を詰めさえすれば、一定の成果が上がる。そんな具合であったから、この話は馬鹿にはできなかった。




 しかし、一定の成果が上がると言っても、その成果を信頼しきっていいものでもない。


 大陸の格は、公平公正な裁判官ではないからだ。




 大陸の格は、ただ、羅王のルールの下に運営される監査官(かんさかん)でしかなく、正義の味方ではない。


 そのジャッジの基準も、その時の情勢によって、流動するのが当たり前。そんな運営をするのが、大陸の格であった。




 例えば、あまりにも、書類の監査の仕事が軍に集中すると、そのジャッジはとてもいい加減なものとなる。




 それが、民間の監査の仕事を軍が奪ってしまうからである。


 それは、民の財産に危害を加えることと等しいものだった。


 いうなれば、軍は、市場の独占や寡占化(かせんか)を禁じられているという訳だ。




 そして、そうならない為に、軍は努力を求められるのがここでは常であった。


 だから、ある意味で、軍の企業というのは、腐敗(ふはい)のない、第二の公的機関。そして、王手にはなれないが、下請けにはなれる企業という立ち位置、立ち回りであった。




 ただし、軍事に関する開発だけは、話が違う。


 その開発は、軍の企業が第一に独占するものとなっている。


 なぜならば、その開発に手を付けようとする民間の企業は、(すべか)らく、軍事企業という判定を大陸の格より受けてしまうからだ。




 航空機や、電子機器の開発にしても、軍に先んじて、その開発に着手しようものならば、それだけで、軍事行為とみなされる。


 故に、文明のテクノロジー。その発展は、軍から供与(きょうよ)された範囲でしか扱えないのが民間の開発の実態であった。




 そして、軍も、そのテクノロジーの供与が、民間の市場を破壊するものであってはいけないが為に、その供与は、至極慎重にならざる負えないものであった。




 これは、この地域の発展の遅さの主因である。




 今は、地球で言うところの21世紀初頭の技術しか、民間はその開発が許されていないと言っていいだろう。




 以上が、今事務所のロビーにて、労働の任につく者たちの、その背後にある事情なのだが、その詳細を全て記そうとすると、きりがないので、ここで終わらせておく。




 ただ、一つだけ述べておくが、これらの事情は、各軍の勢力により、その特色、全く異なるものである。


 その勢力は、3つ。


 今、闘神が滞在するこの事務所だが、それは、その内の1つ。


 君主、(じん)(しゅう)(とく)が勢力の事務所である。


 そして、これまで述べて来た様々な事情は、各軍、共通する事項はあれど、その大半は、仁宗(じんしゅう)(とく)の勢力に関係する事項である。







 仁宗(じんしゅう)(とく)。その勢力に軍籍を置いているのであろう、日雇い労働者たち。


 そんな彼らを横目に、開いた受付口へと闘神は向かう。




「金を稼ぎたいのだが」


 開口一番、受付に到着した、神の発言がそれだった。




「でしたら、何か、身分証などはありますでしょうか」




 話が早くて助かると、そんな表情を浮かべた受付係は、目の前のこの男が、実は、非常識な存在だったのだと、これから知ることとなる。




「そんなものはない」


「無くされたのですか?」


「そもそも持ってない」


「・・・もしかして、別の地域から来られた方でしょうか」


「そうだ。だから、身分証などない」


「そうですか。でしたら、こちらで、遺伝子情報を記録するので、血液か、唾液(だえき)か、そのどちらかをご提示ください。この一帯の大陸で使用できる身分証を発行しますので」




 だったら、唾液(だえき)だ。


 と即座に闘神は考える。




 まだ、この世界で私は血を流したことがない。しかし、そもそも、血など流せるのだろうか。自傷もできるか分からぬのだから。と、思ったからである。




 軽く、手の内を爪でえぐってみるが、できないなということが分かった。




 一瞬、悪寒(おかん)が、()け巡った。




 自死の自由を奪われた。


 いうなれば、閉じ込められた、世界に(とら)われた、そのような感覚だった。




 しかし、これは、考えてはいけない話だった。


 すぐさま、頭をリセットする。


 先々の未知なる出会いを想い、危険な思考を片付けるのだった。




 そして、その未知との遭遇(そうぐう)だが、それとは、すぐに出会うこととなった。


 というよりも、その未知に直面したといえる。




 それは、差し出された、検査キットがもたらした未知だった。


 遺伝子を解析する為のそのキットだったのだが、それからは、一切の遺伝子情報が検出されなかった。




 これは、何度試しても、同じ結果だった。




 神たる者に、遺伝子など存在しないのか、はたまた、検査キットのその精度が悪いのか。




 そして、あれよあれよと、事態は進んでいったのであった。


 その最後には、事務所の所長まで出てくる始末。


 そして、その為に、大型の、精密機器をわざわざ用意し、検査したのだったのだが、(つい)に、その結果が出ることはなかった。




「解析物不在」


 表示される文字は、常にこれだった。




 もちろんだが、採血も試みられた。しかし、針は、ちっとも刺さりはしなかった。




 爪、髪の毛。その採取も不可能だった。




 一切の刃物が通らなかったからである。




 それらは、既に伸びていてもおかしくない。


 いや、数十年という歳月で、それは伸びきっていなければならない。それも乱暴に。




 しかし、それらはちっとも伸びていないばかりか、きれいに、そして、ついこの前、整えられたかの如く、その清潔さを保っていた。




 闘神も、その自らの力で、髪の毛を抜こうと、それを切断しようと、試みてみたが、それらはびくともしなかった。




 野次(やじ)(うま)の中にいた、幾人(いくにん)かの腕自慢も、それを試みた。


 しかし、まず、彼らの刃物が持たなかった。


 そのうち、頭に来た腕自慢のその一人が、業物の武器にて切断を試みるという暴挙に出ようとしたのだったのだが、


 やめておけ。


 という神のその一言の威圧で、この事態は、水を打ったかの如く、終わりをつげたのだった。







 なんなのこいつ、スキルかなんかで、いろいろやって、わざと己の力を見せつけようとしてんじゃないの?

 ほら、爪とか、髪とか、ついさっき整えて来たばかりって感じじゃない。

 馬鹿にするのも大概にして欲しいわ。仕事を増やしやがって。

 いい? あんたのその力自慢なんて、あけすけてて、カッコ悪いったらありゃしないのよ。




 と心の内にて、暴言を吐いていた受付係のその一人に対し、闘神は、


「それでだ、分かると思うが、今、その身分証の為に提供できるものといったら、この顔くらいしかない。それでも稼げる仕事はあるか?」




 と、のんきに一言。


 その場にいた他の受付係たち、そして、事務方たちは、仕事を増やした元凶のその男の発言に、かちんと来るのであった。




 特に、遺伝子の検査を行う、大型の精密機器を用意するのは大変で、わざわざ、最寄りの病院と交渉し、苦労して運んできた、そんなものだったから、彼らの心は、ささくれ立っていたのだった。




 そして、だいたい、この世界というのは、不可知なる力というものがあふれているのが当たり前なので、そのことについて一度、考えてしまえば、遺伝子が検出されないこの事態というのは、この男が、何らかの力でインチキをしているのだと、彼らがそう考えるのは当然のことで、そして、それは考えれば考えるほどに、怒りが()いてくる。そんなものだった。




 無理に、大型の精密機器を運んできたその行動も、ある種、彼らに、この男のインチキを(あば)いてやろうという対抗心が芽生えていたからである。




 しかし、ほんとうに、遺伝子がない者なのかもしれなかったし、また、どんなインチキをしているのか、その為に、個人の情報を野暮(やぼ)に聞き出す、その訳にもいかなかったから、そして、この事務所が属する軍の方針が接客は丁寧に。というものであったから、思い切った発言ができずにいたのだった。




 つまるところ、ストレスが一方的に溜まっていくだけであったのだった。




 種なしが! と心の内で、毒ずくのが彼らには、精いっぱいだった。




 また、闘神がこの事務所にやって来た時間というのが、終業時間まじかであったというのも、具合が悪かった。




 そして、そんな男が、である。


 我々、事務方がえっちらおっちらと右往左往、検査の為にいろいろと頑張っている、そのさなか、


「一服したいのだが」


 とほざいてきたのだ。




 しかも、その手には、既に生身のたばこが用意されていて、今すぐにでも、ここで吸おう。


 そう言わんばかりの態度であった。




 だから、その時は、


「ここは禁煙ですよ!? こういった公的な類の施設には、そんなものありません。ちなみに、外へ出ても、この一帯の区画は路上喫煙が禁じられているので、どこへ行っても、今すぐには、吸えません。ただ、近くに喫煙可能なお店もありますので、そこをご紹介いたしましょうか?」


 と、きつく言い返し、してやったりとなるのであった。




 特に、目の前の男は、金がないから、仕事を求めて、ここへ来たに違いなかった。


 大方、パチ屋で全財産、スって来たところなのだろう。


 そんな男に、たばこが吸える、その店を紹介したところで、その為のお金など払うのが()しい。いや、払えない。そうに決まってる。というのが、彼らの認識だった。


 だから、その最後の発言は、彼らにとって、鬼の首を取ってやったかのような、そんな言葉だった。




 もし、闘神が、そんな彼ら受付係、事務方たちと少しでも仲良くなっていたならば、彼らの上司が特設で取り付けた、従業員しか立ち入れない、秘密の喫煙所に招待される。そんな未来もあったのだろうが、その未来に至らなかったその原因は、闘神がこの一連の事態を楽しんでいる。そんな表情を浮かべていたからであった。


 その顔が、彼らの(しゃく)に障ったのだった。




「身分証の為に提示できるものといったら、この顔ぐらいしかない」というその発言も、顔の良さを自慢する、もはや、そんな意味にしか、彼らには聞こえていなかった。




 ただ、これについて、闘神の名誉の為に、補足(ほそく)しておくが、この果てなき大地にて、国家が、個人に対し、その身分を証明する為に提出を求めるものとして、一番良くあるのが、遺伝子の情報、その提出である。


 そして、その次に、よくあげられるのが、顔の情報。その提出であった。




 それは、発展途上の文明によく見られる身分証の作り方であるが、それを数段超えると、超大国レベルの文明でも、そのような身分証の作り方を採用しているものであった。




 これは、国家に滞在する、民、そして、来訪者、その全てを、国家の格が、自動で、判別し、認識、登録、そして、管理がすることが可能となるから採用されるのである。




 個人情報の管理と把握が難しい地域。もしくは、文明のレベルが極めて高い地域は、全ての身分のやり取りが、顔の情報、それで済むものとなっている。




 だから、闘神は、それを知識として、知っていたので、その発言をしたのであった。


 そこに悪戯(いたずら)な心があった訳でもなければ、のんきに見えたその顔つきも、それは、受け手側にはそう見えただけ。というものである。




 また、その手にさらされていた、そのたばこも、ロビーの日雇い労働者たちが、その仕事の合間に、ぷかぷかと、事務所の外で、喫煙(きつえん)しているのを目にしていたから、


 ちょっと、この場を離れて、吸ってきてもいいかい?


 という確認のつもりで、聞いたのだったが、それを許してくれる者はいなかった。


 ましてや、ロイヤルにつながる何らかの情報が得られないものかと思って、そのたばこを彼らの目の前で、取り出した闘神だったのだが、その全ては、ただただ、失敗だった。




 それが、例え、レプリカであろうとも、彼らの軍の総帥(そうすい)がその心臓に宿すロイヤル。それを、部外者ごときが、その手にしている。その姿は、彼らには不快なものだった。




 そんな彼らからすれば、闘神がその身にまとう、その衣服も、偽物のブランド品にしか見えない。そんなものである。







 嫌われてしまった。その事を次第に察し、その(ため)に、浮かんだ悲しさに、どうしたものか、と思う神がそこに居た。







 そして、突きつけられた、仕事先。


 それは、ダンジョンの探索であった。




 しかし、


 おいちょっと、まてよ、ダンジョンってことは、というか、ダンジョンがあるじゃねえか!だったら別に、ここで仕事をもらわなくても、ひとりで稼げる話があるだろ!




 と、何故今までその選択を思いつかなかったのかと、自分の馬鹿さ加減に驚いてしまう闘神がいた。




 つまり、ダンジョンにひとりで(もぐ)って、魔物たちの素材を得て、それを売れば、日銭(ひぜに)というものはいくらでも稼げる。という話である。




 でかでかと(かか)げられた求人広告に目を奪われたから思い至らなかったのか、それとも、今も様々な知識を(おの)にもたらしている完全言語理解の能力をうまく使えていなかったからなのか。




 そして、今になって、ダンジョンで(かせ)ぐというプランを思いついた闘神は、そのプランが可能かどうかを考える。考えようとするのだった。


(この場合、闘神が考えるその為に取り組む行為だが、それは完全言語理解により作成された、この大陸の情報。いわば、百科事典を脳内で開き、それが可能かどうか、読み取り、精査するというものなのだが、ただそれは、脳内に、明確な辞典や、辞書があり、それをペラペラとめくる作業というよりかは、ぼやぼやとした、ごちゃごちゃした塊を、過去の記憶を思い出していくかのように、するすると紐解(ひもと)いてゆく。そんな作業で、なんとなくある直観を頼りに取り組むものだった)




 ただ、そのプランについて考えようとした途端、何らかの違和感を感じるのだった。


 だから、まず、先に、その違和感がなんなのか、それを紐解(ひもと)く必要があった。




 しかし、その違和感に集中しようとしだした時、闘神のその何かを思案(しあん)するその顔から、この男が何を考えているのか、それを察した受付係が、次の言葉をもって、しっかりと闘神のそのプランを(つぶ)す。




「注意しておきますが、この地域では、ダンジョンというものは、全て、行政の管理下に置かれています」




 違和感の正体を探すまでもなく、その言葉により、全てが明かされてしまった。




「なので、本来、身分証を発行できない方は、ダンジョンへは入ることができません。しかし、軍が特別にその身元を保証することで、ダンジョンへの出入りが可能となります。ただし、その成果ですが軍が指定した素材の回収しか許されません。魔物の乱獲が民間の探索者の財に対し被害を加えるものだからです」




 ダンジョンを、ひとりで潜り、日銭を稼ぐ計画。


 もしかすると、事の初めから、無意識の内でなんとなく、無理そうだと、分かっていたのかもしれない。


 だから、思いつかなかった。


 と、言い張ることもできるが、まあ、単に失念していただけだろう。




 しかし、己に遺伝子がないというのも、髪や爪が伸びず、また切れない事態も、それらは、なんとなく、分かっていたことである。


 と、またなんとなく思う闘神だった。




 その事実にしかと直面した時に、ああ、やはり、そうだったのか。と、再認識するような、けれども、そこには、再認識した、それ以上の、新鮮な感覚。そんなものがあるものだった。


 そして、その新鮮な感覚というのが、彼にとっての現実で、それは、彼の中で、未知との遭遇(そうぐう)と言えるものだった。




 そんなこんなを、とりとめもなく考えだしてしまった闘神だったが、受付係の説明はまだ終わっていなかった。


 しかし、思考にふける闘神はそれをなんとなくだが、しかし、ちゃんと聞いていた。




「つまり、え~ゆいが様ですか? ゆいが様がダンジョンに潜るという行為は軍事行為に当たるものだと思ってください。我々が直接ゆいが様に依頼し、そして指揮する形だからです。もしそれを破ると、最悪の場合、ダンジョン内にてその身柄が羅王の格に拘束される。そのような事態が起きてしまいますので非常に危険です。くれぐれもご注意ください。そしてゆいが様のお力を測るために、これから、といっても明日の話ですが、訓練用のダンジョンに潜ってもらう事となります。階層は全部で100階層。最終層は奈落に匹敵するものですが、全ての層が我々の管理下にあるため、当ダンジョンにて命が危険にさらされることはありません。具体的には我々はモニターにてゆいが様の動向を把握することが出来ますので危険な事態に直面した場合、即座にレスキュー隊が動くその手筈(てはず)となっております。その為にこちらの護身石を当日お渡しするのでいざという時は必ず活用してください。ただ、お渡しするものは遠隔でも我々が操作可能な当該(とうがい)ダンジョン専用のものとなるので、我々が危険だと判断したその時はこちらで発動させてもらいます。そこはご了承ください。効果はレスキュー隊が到着するその時までは保たれ続けますのでご安心ください・・・」




 ダンジョンに挑戦する者に対し、あらかじめ取り決められた、そんなマニュアルの説明を淡々(たんたん)と読む受付係。


 彼が、当日、闘神を監督する者となるのだが、その彼は、心の内にて、


 おそらく、この男は、当日バックレるだろうな。という確信を持っていた。


 だから、なぜ、このようにだらだらと説明しなければ、ならないのか。


 そんな、思いがあった、受付係のその声の色は、死んでいた。







 説明のその最後、闘神に地図が渡される。




 訓練用のダンジョンの位置を指示した地図である。




 その場所に、明日の早朝、集合という話だった。




 しかし、この目の前の男は、その地図を受け取りもしなかった。




「ああ、いよいよ来ないな気だな、こいつは」


 と、受付係の予想が一層、強まる。そんな瞬間だった。




 けれども、闘神は、明日、訓練用のダンジョンにしっかりと(うかが)う。その予定である。




 心が、冷めきっている受付係たちと、事務方たち。それと比べると、闘神のその心は、極めて平常だった。




 嫌われてしまった悲しみというのは、多少あるが、これは、おそらく、どこかでボタンというものが掛け違ってしまった、そんな程度の話なのだから、彼にとって、それは些細(ささい)な問題だった。




 しかし、そのなんとも気に病んでいない。そんな闘神の雰囲気というものが、また、彼らをイラつかせるものだった。




 ちなみにだが、闘神が、訓練用のダンジョンへの地図を受け取らなかったその訳は、スマホ君にある。


 元所持品ズたちは、えてしてそうなのだが、己の存在意義、その領域を犯す。そんなものが大嫌いである。




 ジッポーちゃんはたばこに火をつけるその役割を絶対に譲らないし、タキシード君は、主人が別の衣服をまとう。それを絶対に許さない。




 だから、今後もし、そのタキシード君が独りでに歩いている。そのような光景があるとすれば(服が、それ単独で街中を歩いている。そんな光景である)その時、闘神は全裸である。




 例えば、先の一等車両での大食い大会は、その後半、酒の注文が入ったのだったが、その酒で、元所持品ズたちは、べろんべろんに酔っ払ったのだったが、その時、タキシード君に至っては、主人から離れ、個室の中をよろよろと、さまよっていた、そんな有様で、もちろん、その際、主人は素っ裸だった。




 まあ、少し酒の話をしておくと、主人と元所持品ズたちは、酒を飲むと、べろんべろんに酔える。しかし、いつでも適度にその酔いを()ますことが出来る。そんなジャンキーでヘルシーな体を持つ者たちだった。


 当然、二日酔いになることもないので、今後、酒にハマるのは、必然である。




 ただ、どんな酔っぱらっていても、己の領分が侵されそうな時、その時は、酔いなどたちまち()めるものだった。


 それは、主人とどんなに離れていようとも、その時、たとえ滅茶苦茶に酔っぱらっていようとも、なぜか、主人の異変を察し、すっ飛ぶ形である。




 そして、そんなものだったから、地図なんかいらないよ! と主張するスマホ君がいたのだった。


 それは彼の十八番(おはこ)、そして、領分だった。




 ただ、まあ、この基準というのは、実にふわふわしたものであるとだけは述べておこう。




 例えば、闘神が情報を得るために、本やガイドブックを読むその行為は、許されている。




 しかし、地図を頼りに道をたどるというのは、スマホ君からすれば、主人との過去の思い出、それを侵される。そんなものだったから、


 許せない! というよりかは、ちょっと、待ってよ、僕がいるじゃないか!


 といった具合となるのであった。




 もし、闘神が、地球にいたころ、日々の調べものにスマホを重用(ちょうよう)していたならば、もしかしたら、本や、情報雑誌を読ませなかったスマホ君がいたかもしれない。




「そんなもの読むんだったら、僕を使え!」


 と主張するスマホ君である。


 しかし、そうはならなかった。




 そして、加えてだが、だいたい、スマホ君にとっても、自身が検索できるその情報というのは、他人が作った有象無象の情報。そんなものだったから、それを検索結果に表示させるというのは、不快だった。


 というか、その情報を表示したことで、自分に責任が発生するのが嫌だった。


 そして、それで主人に評価されようものなら、大変、遺憾(いかん)だ。


 という訳である。




 何か色々とうざかったのだ。




 だからといって、その検索情報を主人の為に精査するのもめんどくさかった。


 故に、この一帯の、大陸の、そのネットワークにアクセスできる。そして、アクセスしている、今現在でも、スマホ君が、情報検索の為に、働くことはない。




 ただ、闘神がこの大陸で、別のスマホを手に入れようとするならば、話は別だ。


 明確な敵というものが現れた時、基本的なスタンスとして、労働を(こば)んでいるそんなスマホ君も、その時は大いに(あせ)ることだろう。

 そんな一幕があるのかもしれない。


 が、闘神がスマホを新たに購入することは終ぞなかった。







 そんな話はさておき、今、闘神のその目の前には、矢印が浮かんでいた。


 視界の邪魔をしない、さりげない。そんな矢印である。


 そして、それは、だれに見られるものでもない。


 闘神にしか見えない。そんな矢印だった。




 その矢印が指す方角。それはもちろん、訓練用のダンジョン。その方向である。




「もしかしたら、スマホ君は情報神になるかもしれない」


 ふと、そんな予感がした闘神だった。




 矢印が誰に見えることもないというのは、周囲の人々の反応を見れば分かるものだった。


 突如、目の前の空間に現れたその矢印に誰も目を向けなかったからである。




 そして、闘神は、全ての用事は終わった。では、また明日。


 という足で、その事務所を去るのであった。







 空は、暮れなずんでいた。


 その空に、ふわりと浮かぶ。




 そして、高度を上げ、適度な位置まできたら、ビルの合間を()うように、ゆっくりと、目的地へ向けて飛んでいった。




 その途中で、たばこに火をつける。




 都会の上空を飛行するのは、なんとも楽しい。そんなものであった。




 しかし、おそらく、この地域のルールでは、この飛行行為というものは、取り締まりに合う。そんな対象だった。


 だから、警察がやって来るのも当然の話だった。




 それは、地上からやって来た、二人の警官だった。


「お兄さん、お兄さん。ちょっとダメじゃないか。そんな勝手に空飛んじゃ」


 空の上にて闘神は立ち止まり、彼らに向かい合った。


「そうか、すまないな。たばこが吸いたかったもんで、ほら、ここらは禁煙区域だろ?」


 すると、警官たちは、とたんに笑い出すのだった。


 目の前のこの男の言い訳が、なんともおかしかったからである。


「そんな理由で、空飛ぶもんかね。確かに、空は路上じゃないよ。だがね、だからと言って、飛ぶバカはいないよ。第一なんで羅王の格に制圧されていないんだい? 軍服だって着ていないし、おかしなお兄さんだな。まったく、笑っちゃったよ」




 闘神の飛行行為だが、それは、この大陸では、軍事行為に抵触(ていしょく)するものだった。




 その行為が危険と社会の混乱を生むからである。




 羅王のルール。それは、軍に作用するものである。


 しかし、何を持って、その格が軍を定めるか、それは、不確かなものだった。




 例えば、民間人も、その力を振るえば、単独で軍となる。


 軍事行為を行うことが出来るといえる。




 だから、その時は、民間人にも羅王のルールが適応されるのである。


 その際、その身は、石のように、しばらく硬直する。


 そんなものだった。




 これは、羅王のルールには書かれていない。


 つまり、不文律。


 運営のルールというものだった。




 ただし、軍服を着ていれば、別である。


 軍は、羅王のルールに抵触しない限り、自由である。


 だから、軍と承認された、そんな軍服を着ていれば、空は自由に飛べるのである。




 そして、軍服を着ている者は、どんな破壊行為を民間にもたらそうとも、その被害の一切は、民間には及ばないというものであった。




 例えば、軍事行為の一環として、爆弾を都市部にて起動したとしても、被害を受けるのは、軍服を着た者と、その軍の拠点と財産。それだけである。







 端的(たんてき)に言ってしまえば、羅王のルールにより生じる規制は2つに分かれるものである。


 1.民間は軍事行為に抵触(ていしょく)する行為を起せない。


 極端(きょくたん)な表現をすれば、その者が、民であると同時に、軍であるのならば、両者の矛盾が為に、その身は硬直する。


 というものである。


 2.軍服を着た、純粋な軍は、自由だが、羅王のルールが為に、民間に被害をおよぼせない。


 以上である。




 しかし、大陸の格が、何をもって、軍事行為とそれを判断するのか、


 また、何が、民の被害となるものなのか。


 その基準なのだが、それは、非常に複雑怪奇なものだった。




 それだから、羅王のルールを読み取る。そんな専門家たちもいる。




 つまり、羅王のルール。

 そこに書かれていない、不文律たる。運営の規則というのを読み取るのである。




 そして、それは、情勢によってまた、変化するものだったから、ややこしかった。




 しかし、そこには、共通する概念があった。




「羅王が許さない行為は許されず、羅王が許す行為は許される」


 というものである。




 羅王の大陸。その格の性質は、羅王の精神と同一なのだった。


 これは、羅王のその力が絶大だったが為に、そうなったものである。




 普通、そんな事は起こりえない。それが、大陸の格の常識である。







「しかしね、お兄さん。理由がたばこってのは、またまた、ははははは。そんなもん路上で吸おうがどこで吸おうが見逃すよ。ま、ここだけの話だけどね」


 そして、もう一人の警官も話し出した。


「でも、空飛んじゃマズいでしょ、だって落下物なんてのがあって、それが誰かに当たっちゃったってんなら、お兄さん。ニュースだよ。ニュース。軍服着てないんだから怪我させちゃうよ。それに僕らと同じ職業ってわけでもないでしょ? でも、まあ、見たところそんな危険はなさそうだけどね。だから羅王の格に拘束されないのかな・・・でもみてよほら、あそこ。お兄さんの真似をしようとした馬鹿が硬直してるよ。普通ああなるんだ。ま、以後気を付けることだね。お兄さんは、もしかしたら高度な文明国家から来たのかも知れないけど、そこと比べちゃ、まだここの文明ってのは大国のそれじゃないからさ。落下物抑止の設備ってのはそんなに整ってないんだよね」




 仕方なく話す警官たちだったが、そんな彼らには活気があった。







 ちなみにだが、警察行為は、軍と、民間の中間に位置している。


 それは、両者の利点を兼ねそろえたものであった。




 その存在意義は、不慮の事故。その抑止(よくし)が主である。


 街中のヒーローというものであるが、もちろん、彼らは法に照らし合わせた犯罪も取り締まる。


 ただ、羅王のルールと、国家のルール。その両者の関係は、また、複雑なものである。




 加えて、この一帯の大陸に成立する国家たちも、軍を背景に成り立つものではないので、これまた、複雑なあり方となっているのだったが、今、それについて述べるのは、やめておこう。







 ふと、警官のその一人が、闘神に(たず)ねる。


 事情(じじょう)聴取(ちょうしゅ)のような形だったが、それは、ただの日常会話のような雰囲気だった。




「ところで、お兄さんはどこへ向かっていたんだい?」


 それに対し、闘神が答える。


「訓練用のダンジョンだね。そこに向かっている途中だった」


「なるほど、それじゃ、車で送って行こうかい?」


「お? それは、ありがたいな」




 その提案は、一気に気が楽になるもので、そのとき、それまで、自身の体がいかに張りつめていたものだったのか、それを知る闘神だった。




「ちなみに、なんでまたそんなところへ? (きた)えるのかい?」


「いや、軍から仕事をもらおうと思って、その試験てやつさ」


「なるほどね。そういうわけか」


 警官らの顔に、好奇の色が浮かんだ。


「ちなみにだが、どこの軍なんだい?」




 仁宗(じんしゅう)(とく)が軍であることを伝える。


 すると、両者の警官は、ちょっと(くや)しそうな顔をするのだった。


「あ~そっちか~。(じん)さんの軍か~。いやいや、すまないね。私たちは、(りん)さんの軍に属しているからね。ちょっと、()しいなって思っちゃたよ」




 鈴の軍。




 その言葉。それは、彼女が、()(おう)(りん)の生まれ変わりだと、


 それを告げるものだった。




 それは、完全言語理解のその働きからもたらされた、情報。次いで、確信だった。




 そして、その瞬間。あの時の、初めて出会った、あの星読みの、ベールのその下を(のぞ)いた。


 そんな感覚が、刹那(せつな)、浮かんだ。







 しかし、約束をすっぽかす訳にはいかない。


 残念がる警官たちに対し、闘神は口を開く。




「悪いね。でも約束しちまったからな、とりあえずいかなきゃ」


「そうか、残念だな。まあ、仁さんとは同盟みたいなもんだからいいか。殺し合わないことを願うよ」


 両者の顔に浮かんだ笑みは、(したた)かだった。




 そして、警官たちのその車両に乗り込み、目的地へと向かう闘神だった。


 その車内は、喫煙空間だった。


 警官たちもたばこを吸うのである。


 厳密には、もう一人の警官は、たばこ吸いではなかったから、闘神と、残りの警官ひとりが、たばこを吸うだけだったのだが、その勤務態度は、なんとも自由なものだった。




 一つ、この世界のたばこ、その事情を述べておく。


 この世界には、体にいいたばこ、活力をもたらすたばこ、様々なたばこが存在するものであるのだが、しかし、それらのたばこは、どんなに喫煙者の健康に良いものでも、その副流煙。そして、吐き出される煙というのは、有害であった。




 それがどれだけ有害なのかは、各地の医者により様々な意見があるのだが、それらから排出された煙に有害な成分が含まれるというのは、医者の見解が一致するところだった。




 もちろん、その煙というものを一か所に集め、拡散させない(しゅう)煙器(えんき)なるものも存在する。


 しかし、たばこ吸いがそんなものを持ち歩くというのは、滅多にないことだった。




 技術の面でも、その集煙器というのは、重く、そして持ち運びにくいものであったし、大国レベルの文明を誇るそんな地域では、有害物質を取り除いてくれるそんな浄化設備が街中にあふれるものだったから、必要がないものであった。




 また、マナーのいい喫煙者(きつえんしゃ)の一部は、わざわざ集煙スキルなるものを生み出す。


 そんな努力も無きにしも非ずであった。




 しかし、それはそれで、事態がこじれると、集煙スキルを持つ者しかたばこが吸えなくなる。


 そんな、たばこ免許制度が誕生する。嫌な事態もあるものだったから、面倒だった。







 目的地へと、到着した。




 時間は既に、夜であったから、そのダンジョンの入り口は閉まっていた。




 文明が普通国家のレベルだと、日中、魔物の力を抑え込んでいる分、夜間、何もしない、そんな期間を置く事で、その抑え込んだ魔物の力をガス抜きする。


 という事例がよくあるもので、このダンジョンもその例にもれなかった。




 だから、そのダンジョンの為に作られた手前のロビーには、今は、ひとっこひとりいないものだった。




 そのロビーに並ぶ三列シートに、寝転がる。


 そこが、闘神の、今日の家である。




 ぼけーっとした時間が流れていた




 警官たちは、もういない。


 闘神を送り届けたその足で、職務というものに戻っていったのだった。




 寝転がったまま、なんとなく、片腕をそっと、上げる。




 そして、手を開いては、ゆっくりと、閉じる。


 そんな動作を少し続けた。




 力はある。




 こぶしを作るその度に()き上がるその力をしっかりと確認する闘神だった。




 そこには、嬉しさがあった。




 力はあるのだ。




 するととたん。活力というものが、みなぎって来た。


 体の底から湧き上がる、活力である。




 それは、喜びを(ともな)っていた。




 すっと、起き上がる。


 そして、その足で、なんともない、そんなステップを踏んでゆく。


 踏んでいった。







 孤独のロビー。


 その夜は、長い。が、(はな)やかだった。







 そして、朝が来た。




 ちらほらと、訓練用のダンジョンに向かうであろう、そんなツワモノたちが現れ出した。


 そして、その数は、時間が経つごとに増えていった。




 その始業時間が近づくと、このダンジョンの事務方たちもまた、ぞろぞろと現れるのだった。




 その中に、昨日、闘神を受け持った、受付係のその姿もあった。




 あ、ちゃんと来てる。




 闘神を見つけた、その受付係は、そんな事を思い、そして、彼を少し見直すのだった。




 全ての用意が整ったのは、そこから1時間後である。




 準備のために事務の裏手に(もぐ)っていた、受付係がやっとこさ闘神の元にやって来た。


 リュックを抱えながらである。


 それは、ダンジョンで必要になるであろう、そんな用品が一式、入ったリュックだった。




「おはようございます。少しお待たせしましたね」


「おはよう。それでだが、これからどうするのだい?」




 訓練用のダンジョン。その入り口は、とうに開かれている。


 準備が整った者から、そこへ入ってゆく。そんな姿がもうあった。




「これからですが、ゆいが様が何層までたどり着けるか、そしていかに魔物と戦えるか、それをテストします。昨日お伝えしましたが、このダンジョンは護身石があれば極めて安全なダンジョンであります。また、ゆいが様の動向は逐次(ちくじ)こちらが把握するものとなりますのでそれはご了承ください。危険と判断されれば、こちらで護身石を作動させてもらいます。その作動中ですが、ゆいが様の動きも拘束(こうそく)されるものとなりますのでご注意ください。では、こちらをどうぞ。思う存分暴れてください。あとの詳しい説明は、こちらの端末で指示しますので、」


 と言いながら、オペレーターとの連絡機器であろう、耳にかけるそんな端末を渡そうとしてきたのだったが、それを(さえぎ)る。




「いや、いらない」


「は?」


 と、うっかり、受付係が言ってしまうのは、仕方のないことだった。




「いや、すみません。え~いらないとは、どういう意味でしょうか? その、なんですか?ご用意があるという訳でございましょうか?」


 動揺を即座に抑えた受付係のその言葉は、少々、いらいらしたものだった。


「違うんだ。嫌がる子たちがいるものでね、そういった所持品というのは、持てないんだ」


「はぁ・・・」


 意味が分からない。


 そんな受付係の溜息(ためいき)だった。




 しかし、事態は、直ぐに終わる。


 闘神も闘神でこの目の前の受付係を困らせてしまったなと、思う気持ちがあったから、直ぐに行動というのを起こすのだった。


「まあ、その気持ちは分かるが、でもちょっと待ってくれ。今に示すから」




 受付係は考えるのをやめた。




「ちなみにだが、このダンジョンは、やはり、100層までなのか?」


「はい。100層までです」


「そこにいる魔物はどんな魔物だ」


「サソリの魔物ですね。それ一匹だけです。それが、このダンジョンのラスボスになります」




 そうか。


 ただぽつりと、そう、つぶやく。




 そして、闘神は、あきれ果てた受付係のその顔を無視し、片手をダンジョンの入り口に向けて、振り上げた。




 神域解凍




 突如、紅の(ほむら)が、ダンジョンの入り口へ向けて、するりと、続いていった。




 それは、あっという間のことだった。




 闘神が、その開いた手を(にぎ)る。




 そして、ぐいっと。何かを引っ張る。そんな動作をした途端。


 数秒後、巨大な、サソリの魔物。その息絶えた姿が、ダンジョンの入り口に現れた。




 唖然(あぜん)としてしまったのは、何も受付係だけではなかった。


 その周囲の者たち。そして、ダンジョンの中にいた者たち。


 その(ほむら)を目撃した者たちは、一様に皆、固まってしまったのだった。




 そして、そのダンジョンの中。


 そこに蔓延(はびこ)っていた魔物たちの息の根は、全て止まっていた。







 そこからの話というのは、実に早かった。




 とんとん拍子というものである。




 ダンジョンのロビーのその外。


 黒塗りの高級車が何台も列をなした。




 それは、(れっき)とした軍事行為であった。




 仁宗(じんしゅう)(とく)の軍が、闘神を迎えに来たのだ。




 ―軍の中枢が、動く時。そして、軍にとってそれが重大な意味を持つその時は、それが些細(ささい)なものであろうとも、軍事行為とみなされる―




 闘神を迎えるその異常な車列は、彼が軍の重大事項であるその事をはっきりと、指し示すものだった。







 その車列が、到着する少し前。




 呆然(ぼうぜん)と固まってしまった、受付係に闘神は


「ところで、たばこが吸いたいのだが、ここには喫煙所というものはあるかい?」


 もちろんその答えは、ある。


「あります」


 というものだった。




 従業員専用の、バックヤードに置かれた、喫煙所。


 関係者以外立ち入り禁止のそこに通された闘神は、未だ、ふわふわとしているその受付係に、一緒に吸おう。そう誘うのだった。




 もちろん、その受付係も喫煙者である。


 闘神がダンジョンに潜るその為の準備を、受付係がしている最中。彼に対するストレスからか、何本もその勤務中にたばこを吸っていた、そんな受付係だったから、闘神が彼がたばこ吸いだと気づくのも実に、簡単な話だった。




 しかし、その受付係だが、今や、そのストレスがなんだったのか、もう分からない。そんな有様だった。




 (あこが)れというものを彼に投影してしまった受付係がそこに居た。


 闘神は、彼の中で、もはや他人などではなかったのだった。







「ああ、では、私も一本......」


 両者、たばこに火をつける。


 そして、ぽつりと。闘神が言葉を(つむ)ぐのであった。


「しかし、昨日は、悪かったね」


 何がとは、言わなかったが、ただ、それだけで昨日の嫌なものというのは、立ち消える。そんなものだった。


「いえっ、いえ......こちらこそ、申し訳ないことをしたものです」


 許されている。それを知った、受付係のその言葉は、後に続き、とめどなく、あふれていった。


「いや、正直申しますと、いや、ほんとに悪いことをしたもんです。悪人ですよ私は、心の中で、あなたに、罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)、吐いていたのですから。きつい態度を取ってしまったものです。いや、あなたが、最初から、部外者じゃなければ良かった。しかし、やはり、外からくる方というのは、色眼鏡で見てしまうというか、身構えてしまうというか......ええ。きついですよね......」


「分かるよ。だから大丈夫さ。それに俺だって悪人だ。大悪党だよ」


 まさか、目の前のこの男が、大悪党とは思えなかった受付係は彼の顔をまじまじと見つめてしまったものだった。




「そうなのですか?」


 受付係のその顔は、素っ頓狂なものだった。


 それが、少々おかしく思えた闘神は笑みをこぼしてしまったものだった。




 たばこの煙を吐く。


「ああ、大悪党も大悪党。特に、大犯罪者という奴さ」




 闘神の、その言葉には、なにか諦めのような、そんな感情があった。


 それに少し、びくりとした受付係だったが、闘神のその顔を見て、己が思う犯罪者ではないな。と、どこか安心するのだった。




 しかし、目の前のこの男は、この地域に破滅をもたらした、ロイヤルの所持者である。


 ただ、それを知ったからといって、その事件は、もはや、大昔のこと。それだから、その受付係がその事実を知ったが為に、何かを感じる。そんなわけでもないのだったが、闘神には、大犯罪者というその言葉は、己で吐いた言葉であったが、きついものだった。










 外に待機した、その車列というのは、実に立派なものだった。


 その車列に並ぶように、敬礼とともに、凛々(りり)しく立ち並ぶ、軍の隊列もまた見事なものだった。




 そして、その車列は、大変丁寧な作法で、闘神を軍の総帥たる仁宗(じんしゅう)(とく)のもとへと運んでいったのだった。




 その軍事行為は相当なものであったから、何者の邪魔も入らなかった。




 この時だけは、その交通は整理され、全ての信号は、発信を許可する色(それは、地球と同じで、青だった)それに変わるのだった。




 それは軍の強権で、このように、真に差し迫ったその時だけは、一時的に羅王のルールがその為に(ゆる)むものだった。







 整理された交通に、民は少々被害を受けるのだが、羅王のルールは、それをよしとする。




 大陸の格のその常識に照らし合わせれば、ありえない事態なのだが、羅王のルールは、他の格とは違うのだ。




 羅王が、


「それは、面白い」


 と、そう思うものであれば、羅王のルールは、少々であれば、緩むもの、融通(ゆうずう)がきくもの、そんなものだった。


 それは、ある意味で独裁だが、これが、羅王のルール。その強き特徴の一つだった。







 そして、その中枢に到着した。




 仁宗(じんしゅう)(とく)


 その者と、初めて会った時、闘神の脳裏には、ある者の名前が浮かんだ。




 こいつ、劉備(りゅうび)みてえだな。




 三国志の劉備(りゅうび)である。


 もちろん。会ったことなども、いや、そもそも会えるわけもない。歴史の偉人のその名である。


 歴史や、小説でしか、知ることがない存在。


 だから、仁宗(じんしゅう)(とく)劉備(りゅうび)だというのは、互いに対し、実に失礼ともいえる話である。




 しかし、闘神は、目の前のこの男を眺めた途端(とたん)劉備(りゅうび)の名前を想ってしまった。


 だから、以後、仁宗(じんしゅう)(とく)。彼のあだ名は、闘神の心の中では、劉備(りゅうび)となった。




 であれば、曹操(そうそう)や、孫権(そんけん)なんてのもいるのかもな。


 と、この場にそぐわぬそんな思考を巡らせてしまった闘神であった。




 そして、それは、ほんのわずかに顔に出てしまう。そんなものだった。




 それだったから、そんな劉備(りゅうび)が、闘神に下した、その第一印象は、良いものなどではなかった。




 そして、その印象だが、それは、以後も変わることがなかった。




 そんな両者だったが、その闘神も、その劉備(りゅうび)の目の奥に己と合わぬ居心地の悪さというのを感じ取るのは、また早かった。







 そして、その会合の最後に、ある指令が闘神へと下されたのだが、それは、闘神に対する、ある種の試験というか、嫌がらせに近いものだった。




 劉備(りゅうび)は、ものの数秒で、この目の前の男をどう取り扱うべきか、その判断を決め、そして、最後にその指令を出すに至ったのである。




 その指令が達成されれば、この男を軍に(むか)い入れよう。




 そのような思いが劉備(りゅうび)にあった。




 そこには、目の前の男がダンジョンにて起こした事件からくる一定の尊敬、というものが多少あったのだったが、そのような真似など、(おの)もできるものであったから、目の前のこの男を山頂から値踏(ねぶ)みするような、そんな心が(りゅう)()にはあった。







 さて、その指令であるが、


 その指令。


 闘神が数日前、換金所(かんきんじょ)にて売り払った、かの鉱石。


 それを、敵から、盗み出す。軍令だった。


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