note.7 成長
竜たちの国ドラコニスに来てから2日目、トールの発現が起きた。
サラリアは何も感じなかったが竜族は何かを感じたらしく、慌ただしくやってきたオーレリウスによってトールは少し離れたところにある浮島に連れていかれた。
サラリアのいる浮島より高い位置にあるその浮島は無人で、トールが発現をしたらそこに連れていくとサラリアは事前に説明を受けていた。そこで存分に暴れるとのこと。
そう事前に説明されてもサラリアにとっては3歳の子ども。トールを島に置いて戻ってきたオーレリウスを質問攻めにしようとした瞬間、浮島で爆発が起きた。白い炎が天に向かって何本も伸び、サラリアが啞然としていると浮島から水があふれ出た。
「雲が……」
「上空は暴風が吹き荒れているようですね……さすが、王竜様」
ボロボロと崩れはじめた浮島の様子にオーレリウスが畏怖の籠った声をあげたとき、多くの竜が飛んできてトールがいる浮島を囲みはじめた。迫力のある光景にサラリアは息を吞む。
「大丈夫ですよ。王竜様の発現を拝みに来た一般人です」
「拝みに……」
「ええ。うちの父も来ました。全く仕事を放って……いや、王族の警護が仕事だからありなのか? あ、あれは……」
困ったようなオーレリウスの声にサラリアが首を傾げると、「あの兄です」と気まずそうにオーレリウスが答えた。
「ああ……わざわざ……」
「トール様の発現が近いと知って実家に帰ってきたようで、連日ワクワクと……あ、陛下もいらっしゃっいました」
オーレリウスの言葉と同時にサラリアの視界が陰った。
反射的に空を見ると、大きな黒竜がそこにいた。城のある浮島、次から次へと竜が飛び立っているがあの黒竜がラーシュだとサラリアにはすぐに分かった。
(あ……)
黒竜がこちらを見た気がしたのでサラリアはふいっと顔を背ける。ドクドクと高鳴る心臓。発現が話に聞いた以上の規模で驚いたのだと自分に言い聞かせた。
ラーシュが鳴き声をあげた。
しばらくすると浮島から黒い竜が飛び立った。まだ小さい竜はラーシュに向かって白い炎を吹く。襲い掛かっているようにも見える光景だが、サラリアには竜になったトールが自分の姿を誇らしげに父親に見せているように見えた。
「サラリア様? ご気分でも?」
押し黙ったサラリアをオーレリウスは心配そうに見た。竜人の発現に他の種族は怯えることも多く、サラリアは最弱の人族。しかも今回発現したのは最強の王竜。発現に慣れているオーレリウスですら本能的に畏怖してしまう。
「……これが地上で起きなくて良かったと思っているところです」
「ああ……そうです、ね」
それがサラリアの思っていたこととは思えなかったが、オーレリウスは追及しなかった。
「発現は半日ほどで治まるのですよね?」
「そうです」
サラリアは竜たちが鳴く空に背を向けて、家のほうに向かう。オーレリウスは首を傾げてそれを追った。
「どうしましたか?」
「ご飯を作りながら待とうと思います」
あんな風に思いきり暴れればお腹がすくだろう。サラリアはどんな食材があったか、何を作ろうかと考える。
「あ……」
「……なんですか?」
明らかに『言い忘れていた』と言いたげな「あ……」にサラリアはオーレリウスを見た。
「発現すると竜人は成長期に入ります」
「それは聞いています」
(既に知っていたことだし、そんなに重々しく言うことかしら)
「成長期に入った竜人はそれはもうよく食べます。うちも上の二人が成長期です、それはもうよく食べます」
3歳で成長期に入るのは違うが人間にも成長期はある。成長期の子ども、特に男の子がよく食べるという母親の嘆きをサラリアも聞いたことがあった。
「だからうちには料理人が四人います」
「……4人?」
「ラパンは料理が趣味なのでそれまでうちに料理人はいませんでした。長男の発現後に2人、次男の発現後に2人追加。だから4人です。人件費と食材費でうちのエンゲル係数はぞっとするほどです。俺のお小遣いも激減しました」
貴族で宰相なのに小遣い制なのかと、サラリアは妙なところが気になった。
「私も誰かを雇うべき、ということですね」
「もちろんその費用は国で負担しますが……」
言いにくそうなオーレリウスにサラリアは苦笑する。
オーレリウスの屋敷に比べたらサラリアの家は物置小屋。厨房という広い作業スペースのある屋敷と違って『キッチン』のそこはサラリア一人が使うのに丁度いい大きさ。そもそもあの家に他人が一人いるのは窮屈で仕方がない。
「だからといって引っ越すのも……」
「そうですよね……それでは、城から料理を運ぶのはどうでしょう。城から目と鼻の先、スープも冷めることもない距離です。それに王竜様のための料理を作ると聞けば城の料理人たちは張りきります」
自分の知識と想像の遥か上をいく竜人の生態。サラリアはオーレリウスの提案が一番現実的だと思って受け入れた。
(……なんて、考えが甘かったわ)
「母様、このスープ美味しいよ」
目の前ではスプーンを皿に勢いよく突っ込んで食事をするトール。サラリアの教育により所作はきれいだが勢いと盛りが豪快だ。
ここはトールとサラリアの食事のために城に用意された部屋。
オーレリウスの提案を受けて家に料理を運んでもらうことにしたサラリア。浮島からトールが戻ると同時に届いた料理は全て湯気が立っていて、サラリアは便利だと暢気に考えていた。
しかし、皿のスープを一瞬で空にして「もっと食べる」と強請るトール。スープをよそう、すぐに空になって「もっと」と突き出される。「もっと」の回数と早さに驚き、いっそのこととサラリアは自分の分を皿によそってトールには鍋のまま提供した。王女として受けたマナー教育が批難の声をあげたが、背に腹は代えられないとマナー教育に蓋をした。
食べる量は多いが口もスプーンも小さい。大量の朝食を食べ終えるのに時間がかかった。
朝食が終わり、片付けは後回しにしようと一息吐きかけたところで『おやつ』が届いた。『おやつ』というがサラリアにはどう見ても一食。
朝食が終わったばかりなのだけれどと思いながら受け取り、一応と思いながらトールに食べるか尋ねれば、トールの返事は「食べる」。サラリアは唖然とした。唖然としつつも食べると言ったのだからとおやつを渡せばトールは完食した。
よく食べるというレベルの話だろうか、と思ったら昼食が届いた。まだサラリアの目の前にはおやつが消えたばかりの皿があった。
受け取るサラリアは動揺しているのに、大きな寸胴鍋を次々と運び込む料理人たちはいたって普通の様子。竜人にとってこの食事量は想定内。「たくさん食べて頂けて嬉しいです」と笑い、「足りなかったら仰ってください」と心配そうにさえしていた。
朝食と同様に昼食の時間も長く、終わったと思えば『おやつ』という名の食事が届き、おやつが終わったと思えば夕食が届く。
結局その日のサラリアはほとんどダイニングかキッチンにいて、トールが寝たあとに見たキッチンの光景に「これは問題だわ」と頭を抱えた。キッチンのシンクには使った食器の山、空になった寸胴鍋が床にいくつも並んでいた。
そんな経緯でサラリアたちは城で食事をすることになった。
城が広いこともあるが、偶然でもラーシュと顔を合わせることはないようにオーレリウスが調整してくれている。王であるラーシュの行動を制限してしまうことに申し訳なさはあったが、城で食事ができることはかなり助かっていた。
「おはようございます」
「ラパン様」
(こっちのことも助かったわ)
ラパンが4人の子どもたちと一緒に部屋に入ってきて、続いて侍女たちによって大量の食事が運び込まれて、部屋の中は一気に賑やかになる。
最初は2人で食事をしていたが、食事量の圧倒的な差からトールだけが食べている時間のほうが遥かに長かった。
サラリアはただ待つのは暇だし、一人で食べているのがつまらなくなったトールに「母様も食べて」と強請られるようにもなった。
量は無理なのでサラリアはゆっくりと食べることにした。
しかし、時間をかけると料理は冷める。
スープは冷めてもったりとするし、肉は冷めて硬くなるし、魚にかかっていたソースはザラザラする。
唯一時間をかけられるのはサラダだけで、サラダを食べ続ける羽目になったサラリアはオーレリウスに相談した。相談するほうも、相談されるほうも慣れはじめていた。
オーレリウスは彼の子どもたちも一緒に食事をすることを提案してくれた。聞けばラパンも同じような悩み、子どもの食事が終わらない問題を抱えているという。
ラパンと相談し、共感し合えた二人は手を組んだ。
子どもは子ども同士。
ゆっくりと長々と食べてもらおう。
オーレリウスたちの子どもは息子4人。上から8歳、7歳、5歳、4歳でトールとも年齢が近い。食事相手と遊び相手が同時にできたトールは喜んでいるし、「お子様たちは私が」と侍女たちが子どもたちをみてくれるのでサラリアとラパンは自分の時間がもてる。
サラリアは食事が終わると隣の別室で読書をしたり、今日のようにラパンが子どもたちを連れてきたときはラパンと話をしている。
「せっかく家を運んでもらったのに、寝るために帰っている感じです」
「子育ては想定外がどこまでも続きますもの」
仕方がない言っているが子ども好きのラパンはいまの生活に至極満足しているし、宰相になってオーレリウスの年収がぐっと上がったので「あと二人くらい」と考えているらしい。子だくさんは兎族の本能だが、成長期に入った子どもたちによりエンゲル係数が爆上がりし、それに恐れ戦いたため子作りは中断していたという。
ちなみに年収が上がってもオーレリウスの小遣いをもとに戻すことは考えていないとラパンは言っている。
「ラパン様たちのおかげでサラダ地獄から抜け出せましたわ」
「ああ……あれは辛いですよね」
「野菜は嫌いじゃないんですよ。でも……」
「私は野菜大好きです。兎族ですし。でも……」
「「野菜がまずいんですもの」」
二人は同時に頷く。
「基本が肉食だから、野菜はオマケという感じなのですよね」
「そうなのですわ。生産量が少ないので基本は輸入、鮮度がないのに高いんですの」
「でも国産のは、とにかくまずいの一言」
うーんとサラリアは悩む。
「やはり自分で作るしかないのでしょうか」
「そう思って私は家庭菜園をやっていますが、やはり美味しくはできませんわ」
「土が枯れているんでしょうね、浮島ですし」
「……土が、枯れる?」
サラリアの言葉にラパンが首を傾げる。
「野菜は土から栄養をもらって成長するので、土のほうの栄養がどんどんなくなってしまうのです」
「そんなことがあるのですね」
「兎族の国は森林地帯にあるので森から栄養がもらえていたのだと思いますわ」
サラリアの言葉にラパンが肩を落とす。
「森から栄養が……森のないドラコニスにはやっぱり無理ですわね」
「確かに……」
(でもブックカフェを再開するなら、野菜を使ったサラダや煮込み料理がほしいわ。私が好きだし……あ、そうか)
サラリアの頭に隣の部屋のテーブルに並んだ大量の食事を思い出した。
「肥料を作ればいいのですわ」
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