note.9 将来
「サラリア様、全体的に値上げしました?」
オーレリウスの言葉に目敏いとサラリアは思った。この経済観念は厳しいお小遣い制度、つまりラパンにぎっちり財布の紐を握られているからだろうとも思った。
「貯蓄を増やそうと思いまして」
利益を増やすために値上げするとは安直なやり方だとサラリアは思ったが、値上げしても竜族は払うと分かっているのだから使わない理由はない。
「貯蓄……何か足りないものでもありましたか?」
それなら今すぐ城のほうで用意すると言いたげなオーレリウスにサラリアは苦笑する。オーレリウスが何も考えずにそうするほど、自分はこの国に背負われて生活しているのだということだから。
「私個人のことなのでお構いなく」
「……相談にならのりますよ?」
「老後のことを考えてしまいまして……ここにきて3年だなと思ったら、約束の10年もこうやって気づかぬ間に終わるんだろうなと思ったのです。地上に戻ったら何しようとか考えたら、とりあえずお金を貯めておこうかなって…………オーレリウス様?」
オーレリウスは明らかに何かを思い出した顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「すみません、オニオンスライスが辛くて」
「水に晒すのが足りなかったようですね……ちょうどいい辛味だと思うのだけど」
サラダにするために作っておいたオニオンスライスを摘んだサラリアは悩む。
『王竜トールが採ったタマネギ』作戦を使えば容易に消費できる量だが、このタマネギはトールが収穫したものではない。5歳になったトールは竜族の王となるための勉強や鍛錬に忙しい。
(嘘をつきたくはないし、それに……)
辛味で涙目になっているオーレリウスを見ると、竜族に対する嫌がらせだとしてもやり過ぎな気がしてくる。
(野菜の苦味がだめ、辛いものもだめ、甘いフルーツとお菓子が大好き。竜族は子ども舌だわ)
「オニオンスライスはかき揚げにすることにしますね」
「いいですね、私もかき揚げ好きです。あとタマネギならばなんといってもオニオンフライ。あれはタマネギ大革命です」
「私からすればタマネギに何もせず生のまま食べる発想のほうがすごいですよ」
「これまでは野菜は生で食べるというのが常識でしたからね」
◇
地上から遥か上にある空の浮島で暮らす竜族。
風景は幻想的だが、『竜族至上主義』が祟って知識も知恵も竜族からしか継承しなかった結果、文化面において離れ小島現象だった。
料理に関しては焼くのは肉くらいで、あとは生というのが基本。肉の部位がどうのこうのと語るグルメはいるが、味付けについては塩のみか付けないの二択のみ。
こんな竜族だったがサラリアのブックカフェを起点に他族を知る傾向が広まっている。
生活の基本たる衣食住の『食』に関する文化の広がりは早く、子どもたち向けケチャップとドレッシングを皮切りにいろいろな味付けが浸透してきた。
―― サラリア様のおかげで料理がおいしくなったと番が喜んでいまして。お礼にこれを……。
そういってサラリアのもとに感謝という名の賄賂を持ってくるのは番が竜族でない竜族。
番が喜ぶ顔を見ることが生き甲斐かのような竜族。番のためと様々な調味料を地上に買いつけにいっている。南から北へ、東から西へと様々な地域の調味料に埋もれ、番への竜族の愛の重さにサラリアは驚いている。
(番のためなら……か)
サラリアはカウンターで食事をするオーレリウスから離れ、亜熱帯地方に行っていた竜族から受け取ったスパイスをいくつも入れた煮込みのほうに行く。数種のスパイスが入り混じる複雑な香りをかぎ、オーレリウスから香った『花のような』としか形容できないにおいが薄くなったことにサラリアはホッとする。
ラーシュではなくオーレリウスがここにくるとき、オーレリウスからはいつも花のような香りがする。香水でもつけるようになったのかとオーレリウスに言えば否定され、トールやカイゼルに聞いてみれば何のことだか分からないという感じ。
サラリアにだけ分かるニオイ。
―― 姫のにおいがしたから。
よみがえるのは初めて会ったときにラーシュがいっていた『いいにおい』のこと。
柑橘類やハーブのような言葉にできる、好きなところを言える『いいにおい』ではなく、好きとしか言えないにおい。そして――。
(体が疼く……)
生娘どころかラーシュに愛され続けたサラリアには分かる、女の欲が蠢く感覚。ラパンに初めて会ったときに言われたことがよみがえる。
―― 本当にサラリア様に『番』という感覚はございませんの?
―― 絶対にこの人、この人でなければ嫌だと感じて欲情した。
―― この男の子どもが欲しい、と。
(多分いまラーシュはヒート状態にある)
竜族には発情期があるが、生物として子を残す機能の一環としてあるくらいの感覚で本人すら発情期と気づかないことが多い。しかし番のいる竜族は別。番を得た竜族は激しく発情し、ヒート状態になると激しく番を求める。
―― 愛しているよ、俺の番。
触れる手つきの優しさと対照的な、猛々しい欲情に染まる紫色の瞳を思い出す。
(……だからラーシュはここに来ない)
オーレリウスやトールからこの香りがするのに、サラリアに会おうとしないのはサラリアがラーシュの番であることを受け入れていないから。
(その気遣いに甘えてる……あと7年……私はどうしたいのだろう……帰ってきた)
ブックカフェの窓ガラスがガタガタッと揺れる。
トールの帰宅だ。
ラーシュたちは上空で人化して地上に降り立つが、まだ子どものトールは竜のまま島に降り立つのだ。練習するのだと言っていたから、できるようになるのも直ぐだろうとサラリアは思っている。
「母様、ただいま!」
ぽふんっと抱きついてくる体はまだ子どものもの。あともう少しだけ、と甘い気持ちが自分の中に浮かんでしまうのをサラリアは感じる。
「カイゼル卿、トールは迷惑をかけませんでしたか?」
「まさかっ! 今日のトール様も素晴らしかったでございます。まだ筋力が少ないので木剣での訓練でありますが、トール様ならすぐにでも鋼製の大剣を自在に操るようになられるでしょう」
分かりやすい報告でなにより。
「トール、例の訓練も皆さんとしたの?」
「うん。でもね、カイゼルよりは時間がかかったけれど全員に解かれちゃった」
「それは残念だったわね」
「僕、もっと強くなる」
気合を入れるトールの頭を撫でて、微笑んだサラリアはトールに耳打ちする。母の言葉を聞いたトールはにこっと笑ってオーレリウスのもとにいく。
「オーレリウス、おはよう」
「おはようございます、トール様」
駆け寄ってきたトールにオーレリウスは優しい笑みを向ける。王竜として敬う気持ちはもちろんあるが、息子の友だちという感覚もあるような父親の顔に似た笑顔だった。
「オーレリウス、よく聞いてね」
「……トール様?」
ジッと見るトールにオーレリウスは首を傾げたが、トールから立ちのぼる気にハッとして身構えたが遅かった。
「喋っちゃダメだよ。あと動くのもダメ」
竜族は本能で上位種に服従する。そしてトールは最上位の王竜。オーレリウスは王竜の命令に従った……が内心はとても焦っていた。なぜトールがこんなことをしたのか。考えられるのはさっきのサラリアの耳打ち。
サラリアはオーレリウスの口を噤ませ、動きを封じたかった。
その狙いは――。
「カイゼル卿、つかぬ事をお聞きしますが竜族の番になると寿命って短くなりますの?」
オーレリウスは先ほど老後のことを話しているときに変な反応を見せた。胎児だったときのトールの様子を思い出し、もしかしたら自分の寿命は番の子を産んだことで短くなったのではとサラリアは思ったのだった。
「逆ですよ。竜族の番の寿命は長くなりますよ、番の竜族の寿命を半分もらい受けるので」
「……え?」
(番の竜族の寿命の半分……?)
竜族は人族に比べて遥かに長命。
生まれてから約20年間は人族と同じような成長の過程を踏むが、20代前半で体の変化は一気に緩やかなものになり、そこから約1000年の時をかけてゆっくりと老化していく。人族で月に1回ある月のものも竜族は約1年に1回の頻度になり、このことが竜族の子どものできにくさに関係しているともいう。
ラーシュの見た目は人族の30代手前だが、実際の年齢は100歳くらいだとサラリアは聞いていた。
「サラリア様とラーシュ様の場合、人族のサラリア様はラーシュ様の10倍の速度で老化していましたがラーシュ様と番の儀式をしたことでサラリア様は老化速度が5分の1になります」
(老化、老化と女性相手に遠慮なく……この人、絶対に女性にもてないわ……いえ、それよりも……)
「番を見つけた竜族は寿命が短くなる、ということ」
「はい、そうです。そのため『番は呪い』という竜族も少数ですがいます。理屈では竜族に番は必要なのですよ。番がおらなければメスが子を一人しか産めない竜族は人が減るだけ。家と国の繁栄には番が必要、ましてや竜族の悲願と言える王竜様は竜王様の番様からしか生まれないのですからね。しかし感情は理屈ではどうにも……特に子の母親たちはどうしても。子のほうが親の自分より早くに死ぬわけですから、家を繫栄させてくれたからって手放しに喜べるものではありません」
サラリアは思わずオーレリウスを見た。オーレリウスはさっと目を逸らす。
(なるほど……老後80年と思っていたところに実は480年と聞けばそれは驚くわ……でも、それよりももっと……私はラーシュの寿命を半分にしてしまったことに驚いている)
「私たちの両親は番ですがともに竜種。寿命はそのまま。私に番はおりませんが、両親のためには良かったことだと思っております。魂の片割れと呼ばれるほど愛おしい存在という者が想像できないだけかもしれませんが」
「魂の片割れ……」
「以前は自分の寿命の半分を持っていく者をどうして愛せるのか私には分かりませんでしたが、最近は分かる気がするのですよ。多分それが愛しているってことなのです」




