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それは身を切る氷のような

 また、いなくなった。

耳を澄ませていると、遠くの方で階段をコツコツ降りる音が聞こえる。

九国さんが、ビルの外へ出ようとしているのだ。

このビルに初めて連れてこられた日から2週間。

他にやることの無かった私にとって「音」だけがこの生活で唯一の変化だった。

そのため、以前よりも遙かに小さな音で色々な情報を持てるようになっていた。

だが、携帯は取り上げられなかったが、どういう仕掛けになっているのかここは電波が一切通らないため、スマホも単なる鉄の板となっている。

でも、このビルから出さえすれば・・・

そうすれば雄大さんにも連絡が取れる。

そして・・・警察にも。

テレビで見たことがある。警察は髪の毛からDNAを採取して鑑定できると。

私はベッドの端に栗色の髪の毛が落ちているのを見つけて、こっそり回収したのだ。

こんな証拠を渡しちゃうなんて詰めの甘い。

彼女は定期的にベッドシーツを交換してくれるのだが、その時に落ちたのだろう。

これは大切にポケットにしまってある。

あの様子では現場に証拠なんて残してないだろうけど、これさえあれば・・・

このビルから出さえすれば、現在地を地図アプリで確認して警察に連絡できる。

そうすれば・・・私の勝ちだ。

最初は九国さんを殺してやろうと考えたが、冷静になると私にはその力も手段も無い事に気付いた。

武器が無いし、何よりあの動きと力・・・

仮に私がナイフを持ち、彼女が素手だったとしても勝てる気がしない。

だったら法に裁いてもらおう。

二人殺していればきっと大きなニュースになっている。

確か二人殺していれば半分以上の確率で死刑になるはず。

でも「仕事」と言った彼女の言葉を借りるなら、余罪は出てくる。

上手くいけば死刑。悪くとも無期懲役。

でも、私にしたことも言ったことも洗いざらい警察にしゃべってやる。

それなら彼女が殺しを仕事にしてることも、その後ろに依頼した人間がいることも分かる。

そうすれば両方に復讐できる。

私を見くびるな。何も出来ないだろうと甘く見て・・・

思い知らせてやる。


音が聞こえなくなると共に、私はそっと窓の隅から外をのぞき込んだ。

案の定、九国さんらしき影がビルを離れていく姿が見えた。

今だ。

私は湧き上がるような高揚感に身を震わせた。

やっと・・・出られる。

これでお父さんとお母さんの敵が討てる。

そして、こんな生活を終わりに出来る。

このビルでは文字通り生きる意外何も無かった。

可愛い調度品も仲の良いクラスメイトとのおしゃべりも。

そしてお風呂も。

毎日彼女が持ってくるのは大きな洗面器に入ったお湯と液体石けんとタオル。

これで身体を拭けと言うのだ。

生まれてからそんな事したことが無い。

シャワーか湯船に入りたいと言ったが、むべもなく断られた。

そのため、死にたくなるほどの惨めさだったが、已むなく身体を拭いた。

着替えもずっとしてない。

でも、そんなこんなも九国さんが警察に連れて行かれる事を思えば些細なことだ。

私は窓から離れると、急いでドアを開けて部屋の外に出た。

スマホを確認するが、やはりまだ圏外。

やっぱりこのビルから出ないと行けないらしい。

そう思った途端、矢も楯もたまらず通路を走り、階段を駆け下りた。

九国さんの居ない間にスクワットは欠かさなかったので、足も問題なく動く。

そして一階に降りると、少し迷ったがすぐにビルの出口が見えた。

やった!

私は心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら、想像以上に息が切れていたため、小走りでそこに向かった。

もう少し・・・

だが、突然横の通路の影から誰かに左腕を掴まれ、左側の通路に乱暴に引っ張られた。

え?

私はバランスを崩すと、そのまま左側に後ろ向きに倒れ込んだが身体ごと誰かに抱き留められた。

慌てて背後を見ると、そこにいたのは能面のような表情をした九国さんだった。

驚くほど近くにある彼女の顔はとても美しく・・・冷ややかだった。

「あ・・・」

私は呆然となって身体から力が抜けるのを感じた。

「そろそろだと思ってましたが、やはり」

その抑揚の無い言葉に胃がギュッと締まるような苦しさを感じたが、何とか言葉を絞り出した。

「なんで・・・」

「『なんでバレたのか?』ですか?ここに来てから2週間。お嬢様のストレスも恐らく限界近く。なのに、目は輝いていた。そして、ここ数日必ず私がビルを出るとき窓からのぞき込んでいた。恐らく私の行動パターンを観察していた。ここから出ようとしてるんだ、と子供でも分かりますよ」

子供でも・・・

愕然とする私の喉にヒンヤリとする感触がした。

恐る恐る目を動かすとやはり、以前見た細長いナイフが押しつけられていた。

でも、今度はあの時よりも強く・・・ほんの少し力を入れれば喉に食い込みそうなくらいの触れ方だった。

「い、いや・・・助けて」

私の哀願に答えず、九国さんは片手で私のブレザーのポケットに手を入れると、入れていた九国さんの髪の毛を取り出した。

「これは返して頂きます。あの時シーツを替えた際一本落としておきました。その次に見ると案の定無くなっていた。勝手に落ちる位置では無いので、当然あなたが回収した。これであなたが本気でここを出ようとしていること。そして私を・・・終わらせようとしている事が良く分かりました。試したようで申し訳ないですが、ここらでお嬢様の真意を確認しておこうと思ったので」

九国さんは私の耳元に口を寄せると、そっとつぶやくように言った。

「あなたの口を封じる方法、ナイフだけだとお思いですか?」

その心を凍らせるような冷酷な響きに、私はたまらず泣き出した。

そしてあの日以来、また股の間から生暖かい液体が漏れ出してしまった。

「戻りますよ。身体を拭かないと」

私は泣きながら小さく頷いた。

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