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保手途市の繁華街・薄野にあるホテルで首が切断された男性の遺体が見つかった事件において、遺体には抵抗した際にできる防御創が無かったことが7月5日、捜査関係者への取材で判明した。なお男性の頭部は見つかっておらず、死因は出血性ショック。浴室に血を洗い流した痕跡があることから、捜査本部は浴室で殺害されたとみている。捜査関係者によると、1日午後10時50分ごろ、白っぽい服の人物が入室しており、大きなスーツケースを持っていたという。それが約3時間後に1人で退出した際には、入室時と異なる黒っぽい服で、スーツケースに加えてリュックサックも背負っていた。入室時と退室時で歩き方や体形が異なる事から複数犯の可能性もあるとのこと。頭部もこの人物がスーツケースなどに入れて持ち去ったとみており「被害者の判別をしづらくして捜査をかく乱しようとした可能性がある。また強い憎悪があると考えられる」と指摘した。 (yahoo news参考)
滞りなく一連の凶行が計画通りにうまくいき機嫌が良い。俺は目元を緩めながら自宅のPCでこの記事を読む。
「どれだけ捜査をしても無駄だな。真犯人である俺を捕まえることは絶対にできない。」
俺は幼少期から神童と呼ばれ、小学校高学年の頃には大学入試の問題や、数学・理科分野では大学の理論や、未解決問題に挑む変わり者であった。だからと言って、同級生を無知だとみなすことは無い。物理的、心理的に他人の一挙手一投足から学べる情報は多い。部屋で一人で思考の海に沈む時間も貴重であるのはもちろんだが、数日の間考え続けて解の選択できない問題がある事に対し、他人の何気ない一言や行動が解を決めるきっかけになるようなこともある。だからこそ私は自室に縛られる事は無い。何か解決したい問題を3時間分程をストックした上で、野山に分け入りその答えを探しに行く。心臓の拍動は血液の送る場所を選ばない。体を動かしながらの思考は最もパフォーマンスを発揮できるのだ。思考をしながらの山中。移動は自動操縦であるのでそれなりに危ない。だが、街中であると赤信号に気づかず歩いてしまうのですぐに辞めた。
中学に入る頃から一般的な学問からは外れる。生理学・医学・プログラミングに興味を持つ。プログラミングに関しては夜に自室で思考をすることを助けるためだ。小学校の頃から数千、数万の単純計算を補助してもらうためにPCは使っていたが、更にプログラミングを用いることで世界中の論文から狙いのものをピックアップできたり、寝ている間に資料の整理を行ってくれる。そして高校の中頃には人類の過去の足跡をなぞり終わることができた。それから先には未踏の領域が存在している。
俺には夢があった。この世の未開の理論や物理のすべてを解きほぐす。その夢に対し、人としての寿命がどうしても壁となる。目的のために手段として不老不死という選択をする。死なないだけでは意味が無い。不老も脳機能を保つために重要な要素となってくる。
そして計画する。人間の心は心臓にあると思っているヤツはもういないだろう。脳だ。人は脳が正しく機能することでその人たらしめている。事故で不意に手や足を失うならば準備が整うまで相応の不便を強いられるだろうが、完全に準備が完了してから自らの意思で切り離すのならば問題にはならない。俺は死の原因の大半を呼び込む体を捨てることにしたのだ。昨今の映画などの俗でも扱われる「人工心肺」「水槽の脳」などと言えば分かるだろうか。体を捨てるにあたり、血液の循環・酸素・主にブドウ糖の栄養素と脳卒中・脳梗塞の管理が大切である。
2015年以降のバッテリーの進化と無線の技術は自身の特許も関わっているが、目覚ましいものもありようやく実用レベルに達した。脳神経をwi-fiで外部に繋ぎ人間の形の首無しロボットを操作する訓練に1年以上かかったが、不測の自体や、栄養素の調達のため出掛ける必要はある。ロボットにロボットを作らせるプログラムを構成し、量産化も図っている。
2023年7月1日。俺は繁華街の薄野のホテルにいる。スーツケースから首無しロボットを取り出し浴室に持ち込む。神経をロボットに同期させる。リュックサックから手術道具と自作の燻煙タイプの滅菌ガスを取り出し撒いた後に後頭部の頭蓋骨を空け、体外循環器を繋ぎ、脳への血流を確保する。そして後部からC1(首の頸椎の最上部)を電気メスで出血を防ぎながら焼き切っていき体を分離する。更に時間をかけ丁寧に反応を感じながら脳の下部すれすれに切り落としていく。口と鼻は落とす。口からの自立呼吸、栄養補給は不要と判断した。嗅覚も今は必要ない。眼も将来的にはカメラに切り替える予定であるが、現時点ではしない。ホテルから自室に帰る際、最も不都合が起こるとまずいのは視界だからだ。
なぜこのような場所での凶行を選んだか。自室で完結すれば良いではないかと今でも思う。それは猟奇的な事件により俺が死んだと思わせたいからである。
…いや、主要な理由はもしかして、もう1つの方なのかもしれない。不老不死に関しては他人に決して明かせない。誰かに明かし、現実であると判れば、おそらく、その年にでも俺は命を落とすことになるだろう。だから報道により、俺の生きた証を、俺の体を捨てたことを、覚悟を、蜥蜴の尻尾を多くの人に見せたかったのだと思う。帰り道はもう辿れない。道中に93%を捨ててきた俺は前に進むだけなのである。ここから未踏の領域への一歩目が始まるのだ。