二人の恋路はフロンティア
はじめてのデートは15歳のときだった。
一緒に森へでかけて、イーサンは銃を、イザベラは弓を持っていた。そして、標的は一匹の屍食鬼だった。
普通の男女なら、デートといえば、ショッピングとか、観光名所めぐりとか、そういうのなんだろう。
だが二人は違った。イーサンとイザベラにとってデートとは、ともに森へ入り、魔物を狩ることだった。
一緒に獲物を追って、頭を撃ち抜き、死体を引きずって持ち帰って、そして両親に「なんて危ないことを」と叱られる。それこそ、二人にとっての最高のデートだった。
そんな日々がずっと続くと思っていた。
★ ★ ★
「イザベラ。なかったことにしてくれ。お前との結婚は」
そんな彼の第一声とともに差し出されたのは、そう遠くない昔に交わした誓いの、その証たる対の指輪だった。
「……やはり、そうなの?」
突き返された指輪を――二人で合わせて一羽の鳩を成すその指輪を見つめて、イザベラは言う。
「やはり、だ。魔物となってしまった以上、お前はもはや人ではない。人と魔物が結ばれることはない。さようならだ。イザベラ」
その瞬間、イザベラの赤い瞳、すっかり赤くなった瞳に大きな涙の粒が浮かんだ。
「……童話の世界では、種を超えた愛もあるわ。子供だましな恋をしてきたのよ。どうしていまさら、そう大人ぶるのよ」
「俺の家は、代々祓魔官の家系だ。当然、俺も近い内に十字架のもとで戦うことになる。そうなったとき、俺はお前を殺さなくてはならない。だから、どうか……」
彼の首で揺れる鷹の紋章のペンダントが揺れる。
徐々に震え行く声で、彼、イーサン・メイソンは言い放った。
「どうか、俺の前から消えてくれ」
★ ★ ★
祓魔官。
それは、魔物を狩るために武装した、神の名の下に結束する一団である。
「口の中が真っ赤だ。血を吸ったばかりだな。吸血鬼め」
そう吐き捨てた彼の足元で転がっているのは、頭を砕かれ、腹を裂かれた魔物、吸血鬼の死体だった。
吸血鬼は血を吸う魔物である。おとぎ話の中では、吸血鬼は誇り高い夜の貴族などと謳われるが、実際の吸血鬼はそんな理想像とは程遠く、理性を失い、ただ血を飲むことだけを考える、グールとさして変わらない魔物である。
「吸血鬼、こいつらの厄介なところは、こうして……心臓を潰さないと、いくらでも復活することだ。クソ、硬いな……っ!」
倒れた吸血鬼の、その硬い骨で覆われた心臓を剣で突き刺すのは、他ならぬイーサンだった。
首から鷹の紋章をぶら下げた長身の青年。
その右手に鋸刃の剣を握って、その背中には4連銃身の散弾銃がくっついて、そして、その薬指に片翼の鳩の指輪がはめた、細身で長身の青年である。
「おらっ!! ……よし、これで、こいつもおしまいだな」
イーサンが吸血鬼に完全なとどめを刺すと、隣でその様子を見ていた同僚が軽口を言ってきた。
「ナイス。その調子で女の子のハートも仕留めろよ。お前のイケメンなら余裕だろ」
イーサンは独身だった。現在、付き合っている相手もいない。かつてはいたが、もう昔のことである。
「吸血鬼の死体を前にしてすることが恋愛の話か? 強いな、お前」
「死んでるんだし良いだろ。なぁ、気になってる子とかいねぇの?」
「……いない。色恋には興味がない」
「ふ~ん。にしちゃあ、女の子の写真、大事に持ってるじゃねぇか。知ってるぜ? お前の懐中時計、中に写真が入ってるだろ。誰なんだよ、それ」
「お前、どうしてそれを……! なんでもいいだろ。もう終わったことだ」
「昔の恋人か?」
図星だった。
イーサンはずっと、イザベラの写真を大事に持っていた。魔物とは愛し合えない。そう突き放した彼女の写真をである。
「よりを戻せばいいだろ。そんなに大事なら」
「無理だ」
「どうして。向こうはそう思ってないかも」
「だから無理だ」
「なぜわかる?」
「彼女が吸血鬼だからだ。吸血鬼はただの魔物だ。魔物と人は愛し合えない。こうなるだけだ」
こうなるだけだ。足元の死体を蹴りながらイーサンが言い切ると、同僚の彼は一言、悪いと言って黙りこくってしまった。
「いいんだ。気にするな……それよか、街に戻ろう。腹が減った」
その後、二人は街へ戻るため、待たせておいた馬に跨った。
★ ★ ★
合衆国西部。フロンティアとも呼ばれるその広大な砂漠地帯は、未だ開拓の途上にあり、鉄道すらまともに通っていないような未開の地も多い。
フロンティアの真ん中あたりに位置する寂れた町、ゴールデンスロップも、最寄りの大きな街から馬を走らせねば辿り着けないような秘境の一つだった。
いつもなら、寝る場所を求めて流れ着いた旅人やら開拓者やらがぽつぽつといるだけの小さな町だが、しかし今日に限っては、ゴールデンスロップは、そこで一番大きな建物たる酒場の中は、大勢の人でごった返していた。
「なぁ、嬢ちゃん。そのマスクを取ってくれよ。あんたの顔が見てみたいぜ」
人でひしめきあう酒場の中で、ひときわ異彩を放つ者がいた。
それは――彼女は、短く切りそろえた白髪が可愛らしい、小柄な女性だった。彼女は西部によく似合う広つば帽子を深くかぶっていて、さらに奇怪な防塵マスクで顔を全て覆い隠していた。
帽子こそおそろいなものの、他のものに顔を隠している者などいない。彼女はとても目立っていた。だから、誰もが彼女を放っておかなかった。
「嫌よ。あっち行ってちょうだい。あなた、息が臭いわ。このマスクをつけていてもわかるぐらいにね」
「手厳しいな。頼むぜ、一杯奢るからよ」
「私が飲んだくれに見えるのかしら。お酒は結構よ」
マスクの彼女が手を跳ね除けると、すると、彼女に絡んだ男が急に態度を変えて。
「おいおい、つれないやつはつまらないぞ。いいから付きあえよ」
「ねえねえ、しつこいやつはくだらないわ。いいから消えなさい」
ただならぬ空気を感じ取ったのだろう、瞬間、酒場から賑わいが消えた。
そして入れ替わるように、張り詰めた緊迫した空気が立ち込めた。
「なんだと女――っぐ」
男がマスクの彼女のドレスのジャボをつかもうとした。しかし、その手はあらぬ方向に曲げられてしまった。彼女の手によって、男の右の手首が赤子のそれのようにひねられ、ぐぎりと痛々しい音を立てて曲がったのだ。
「なっ、なんだこいつ……っ!!」
悪態をついたのもつかの間。彼は手をひねられたあと豪快に蹴り飛ばされ、彼のその大きな身体は、後ろの酒場の群衆の中に飛び込んでいった。
だがマスクをつけた彼女はそれだけでは満足しなかったようで、拍車つきのブーツをもって酒場の床を踏んで歩き、そのさなか、倒れる男に歩み寄る傍ら、機械式の折り畳みの狩猟弓を展開し、さらにその弦に矢をつがえた。
「お、おい待て、やめろ!」
男が叫ぶ。と、そのときだった。
騒ぎを聞きつけてやってきた政府の祓魔官が声を荒らげた。彼らのシンボルである白い羽の広つば帽子がひらひらと揺れる。
「なんの騒ぎだ。おいお前、弓を下げろ!」
そう言って回転弾倉式の拳銃を突きつける祓魔官の青年。
細身の彼に銃を向けられ、しかしマスクの彼女は弓を構えたまま固まって動かなかった。分厚い防塵マスクの向こう側から、彼女はじっと、祓魔官を見つめていた。
「聞こえなかったか。法の名のもと、その弓を下ろせ。我々には法執行の権利が与えられているぞ」
「うそでしょ、イーサン?」
彼女がぽつりと漏らす。同時に彼女の手から力が抜けて、つがえられていた矢が飛んで、男の耳をかすめて床の木に突き刺さった。
群衆をかき分けて逃げていく、先程のしつこい男のことなど気にも留めず、彼女は、自身がイーサンと呼んだ青年を見つめ続けた。
「……なんだ。俺を知っているのか? どうして俺のことを知ってる?」
「知ってるわ。その指輪を見れば、いやでも思い出す。だってほら、同じの、持ってるもの」
言って、彼女は右手の薬指にはめた指輪――二つ揃えることで一羽の鳩となる指輪を彼に見せつけた。
「お前、それをどこで……?」
問われ、彼女は、そこではじめてマスクを外した。
手でつかんでマスクを取り外し、くぐもっていた声がはっきり鮮明なそれに変わった。
「もらったのよ。あなたから」
分厚いマスクの内側から姿を表した謎の女性の、その正体。
それは、他ならぬイザベラ・ハーパーだった。かつてイーサンが別れを告げ、俺の前から消えて欲しいとまで言い放った、あの女性である。
あの別れから三年。久方ぶりの再会だった。
「イザベラ……!? でも、どうして……!」
「ふん。久しぶりね。イーサン。少し焼けたかしら」
「…………――」
だがどうやら、感動の再会といったような雰囲気ではなかった。
イザベラは親しげに話しかけたが、しかしイーサンの方は黙りこくったままうつむいてばかりだった。
「いや、君のことなんて知らない」
「はっ……?」
「悪いが、もう行かせてもらう。危険な魔物がここらをうろついているんでな。君もせいぜい気をつけることだ。あと、もう騒ぎを起こすなよ」
言い残して、逃げるようにして去っていくイーサン。そんな彼を、名も知れぬ群衆のうちの一人が呼び止めた。
「おい、祓魔官。こいつ、目が赤い。吸血鬼だぞ。殺さなくていいのか?」
「ここは西部の未開拓地だぞ。吸血鬼なんざそこらじゅうにいる。一匹ぐらいなんだっていうんだ」
「なんだと? クソ、役立たずが。お前がやらないなら、俺がやる!」
次の瞬間、勇んだ男が散弾銃をイザベラに突きつけた。その刹那、彼の銃から火花が散って。
「うおっ!」
彼の銃が空を飛んで砂の上に落ちた。彼が撃とうとしたその瞬間、イーサンによって、その銃身が撃ち抜かれたのである。素早い銃撃だった。
「騒ぎを起こすな。いいな」
言い残し、スウィングドアを抜けた先、丸まった雑草が横切る町の通りを、イーサンはどかどかと歩いていく。
「イーサン……っ!」
一方、イザベラは彼を追いかけようと駆け出したが、しかしすぐに足を止めて、仲間とともに去っていく彼の背中をじっと見つめていた。
そのときの彼女の目はどこか切なげで、かすかに伸ばしたその手は、うっすらと、彼の影をつかもうとしていた。
そんな彼女のことなど振り返りもせず、イーサンはまっすぐ歩いていた。
「いいのか? あの赤い目、確かにあいつは吸血鬼だったぞ」
「だが彼女は潤種だろう。喉の乾いたやつならともかく、彼女は理性を保っている。普通の人間と変わらない。脅威にはならんさ」
「でも男を殺そうとしてたぜ?」
「機械式の弓を使ってな。普通の吸血鬼なら、そんな知性はない」
吸血鬼にも種類がある。
世間一般的に認知されている吸血鬼は、理性を失い、ただ血肉を食らうことしか考えない動物同然の存在である。
しかし祓魔官や、魔物について少しでも学んだことのある者は、全ての吸血鬼がそうではないことを知っている。
一部、理性を保ち、人の言葉を話し、機械を操ることすらできる。それこそ普通の人間となんら変わらない吸血鬼もいる。そうした者たちは潤種と呼ばれる。発生率はまさに天文学的だが、それでもいることにはいる。
イザベラは潤種だった。彼女は完璧な知能を有し、機械の弓を使っていた。それならば、むやみに人を襲うこともない。だから、殺す必要もない。イーサンはそう言っていた。
「優しいねえ……」
「なんだ。なにか言いたそうだな。言えよ」
「べつに。なにもねぇよ。んなことより、情報集めに戻ろうぜ。恐ろしい野良がうろついてるんだろ」
そんな会話を交わす二人の足元に、ちょうどよく、風に乗って手配書が飛んできた。
ぼろぼろになった紙切れに書かれた大きな『WANTED』の文字。
その上に印刷された写真には、恐ろしい形相の痩せた老人が写っていた。
曰く、その老人は一夜にして二十人を殺害し、それらの死体から血をすすった上、肉すらも食い尽くしたらしい。犠牲者の中には妊婦や子供もいて、凄惨を極めた事件の現場に行けば、今でも当時の悲鳴や嗚咽が聞こえてくるという。
史上最悪の吸血鬼、アレクサンダー・レックス。殺した者に賞金300万ダラー。合衆国対魔局より。
これこそ、ゴールデンスロップがかつてない賑わいを見せている、その理由だった。ゴールデンスロップは、かつてアレクサンダーが潜んでいた町なのである。
★ ★ ★
イーサンがどこかへ去っていった一方、イザベラは酒場を出て情報収集にいそしんでいた。
「失礼。この写真の男に関して、なにかご存知かしら」
彼女は町の宿屋でそう尋ねた。すると、どうやら同じ質問を何度もされているようで、店主はうんざりした様子で、視線一つ動かさずに答えた。
「お前みたいなやつのくだらない質問に答えるために、よくある質問集を作った。話すなら、こいつと話せ」
言いながら、店主は紙を一枚、イザベラの前に差し出した。そこには……。
Q,最近アレクサンダーを見たか?
A.いいや。
Q.アレクサンダーの居場所の目星はあるか?
A.あるわけないだろ。
といった具合の、無愛想な質問集があった。彼は魔物狩りの賞金稼ぎに寛容なようだ。
「……なるほど。よくわかったわ。ありがとう。でもあなた、なにか勘違いしてないかしら。私が探しているのはアレクサンダーじゃない」
「は? じゃあ、誰を探してるんだよ」
「この写真の男よ。ちゃんと見て」
そこでようやく、店主はイザベラの持つ写真を見た。
小さなペンダントの中に収まった、小さな写真である。切れ長の目をした端正な顔立ちの青年が写っている。
「誰だこいつ」
「イーサン・メイソンよ。さっき酒場で見たの。久しぶりに見たら、ずいぶんと変わっていたわ。祓魔官になってたの」
「ふぅ~ん。知らねぇよ。見たこともねぇ」
「そう。残念ね。一度、きちんと話したいと思ったんだけど」
別に恨んでなどいないが、イザベラは、もう一度イーサンと話がしたいとは思っていた。
あまりにも突然で、急速な別れだったから、どうせ望むような結果にはならないとしても、きちんとした形でケリを付けたかった。
「ふん……悪いな。ほかを当たってくれ」
「あらそう。わかったわ。ありがとう。じゃあね」
イザベラは店をあとにした。
収穫なしである。
婚約を解消されてからの三年間。イザベラはずっとイーサンのことを考えていた。
吸血鬼となり、家を追い出され、しかし理性を失わず潤種として第二の人生が始まったときから、彼女はいかなるときもイーサンのことを忘れなかった。
願わくばもう一度、きちんと話し合い、自分の気持ちにしっかりと区切りをつけたい。彼女はずっとそう思っていた。
だが、どこにいるかわからず、吸血鬼ゆえに東海岸の大都市を堂々と歩くこともできない。一般人に潤種がどうだのと区別がつくわけもない。目が赤いというだけで、石を投げられ、銃を撃たれてしまう。
そんなことだから、イザベラは、鉄道すらなく、法整備も未熟な合衆国西部へと逃げてきた。
逃げながらかつての想い人を探すなど、どだい無理な話である。
と、思っていた。しかしそこに、彼は現れた。
この好機を逃すわけにはいかない。このゴールデンスロップの町の近くに彼がいるのなら、見つけ出し、話をせねばならない。
「……はぁ。どうしてあのとき、追わなかったのかしら」
すっかり日も暮れて、イザベラの気分も落ち込んできていた。
宿屋の出口の階段に座り、後ろの窓から漏れ出す光を背中で受けながら、彼女は暗くなった砂の道を睨んでいた。
「ここにいたか。イザベラ」
彼女が睨みつける道に、突然、拍車のついたブーツのつま先が飛び込んできた。
何だと思って顔をあげると、そこには……そこには、イーサンがいた。指輪をはめた手で酒のボトルを差し出して、彼は、しかし明後日の方向を見ていた。
「こっち見なさいよ」
「……文字通りの、顔向けできないってやつさ」
「へぇ。どうして?」
「言わせないでくれよ」
だが言いつつも、彼はイザベラの隣に腰掛けた。
吸血鬼と祓魔官が隣り合って座っている。奇妙な光景だった。
「……それで、どうしてここにいるんだ?」
「アレクサンダーを探して来たのよ。賞金をもらって、外国に行こうと思って。でも他のお尋ねものが現れたから、今はそいつを狩りたい気分」
言って、イザベラは微笑を添えてイーサンを指さした。
「そいつの首の値段は?」
「はっ。一ダラーにもならないわ」
瞬間、二人の間に和気がはじけた。
「ははっ。そんなやつのために危険をおかすのか?」
「危険なんてないわよ。ただの祓魔官なんて、怖くないわ」
「言ってくれるな……俺は吸血鬼が怖くてたまらないよ。近くにいると思うと、恐ろしくて眠れない」
「アレクサンダーのことかしら?」
「まさか。君のことさ。イザベラ」
少しの沈黙のあと、イーサンが話を続ける。
「……あのとき、どうして追ってこなかったんだ? 酒場で会ったとき。あのときでも話はできたろう」
ちょうど考えていたことだった。
さっきまではイザベラにも何故かはわからなかったが、少しだけイーサンと話した今なら、その理由がわかっていた。
「……さぁね。たぶん、あなたが満たされて見えたからじゃないかしら。仲間がいて、仕事も順調って感じ」
「満たされているか……縁遠い話だ」
「ほんとうに?」
「本当だよ。君を失ってから、俺の日々は色彩を失った。君は俺の全てだった」
「そうは見えないわ」
「昔から、取り繕うのは得意なんだ。ずっと、偽りの自分を演じてきた。だが君の前でだけ、俺は、素の弱さをさらけ出せたんだ」
そこで酒を一飲み。イーサンは喉を鳴らしてから続けた。
「悪いな、俺ばかり話して。君の心遣いには感謝している。ありがとう」
「そりゃあ、どうも。ところで……」
ところで。少し間を置いてから、イザベラは問う。
「ところで、同じことを聞いてもいいかしら。どうしてここにいるの?」
「あぁ、アレクサンダーを探してるんだ。賞金は祓魔官でも貰える。まぁ、金は欲しいからな」
「使い道を聞いても?」
「海外旅行でも行こうと思ってた。アルヴィニアとか、プロイスとか」
アルヴィニアもプロイスも旅行先としては人気の場所である。アルヴィニアは時計塔が、プロイスはビールが、それぞれ有名だった。
「誰かと一緒に行くの?」
「いいや。一人で行く。相手なんていないしな」
「ふん。そりゃあ、残念ね……」
口を閉じてから、そして立ち上がって、イザベラが。
「そうだ。一緒にアレクサンダーを倒してくれたら、報酬を山分けして、一緒に旅行してあげてもいいわよ」
そう言って、イザベラはイーサンに右手を差し出す。
「祓魔官と吸血鬼が手を組む? 冗談だろ。そんなのおとぎ話の中だけだ」
「一度は道を分けた男女が3年の時を経て、お互いの思いもよらない場所で再会した……ねぇ、イーサン。私達、もうとっくに、おとぎ話の中にいるわ」
しばしの沈黙。ため息と、泳ぐイーサンの視線。彼はたっぷりと黙ってから、満を持して言った。
「……わかった。やろう、一緒に」
言い切ると同時に、イーサンは帽子を脱いでから、イザベラの右手を握って立ち上がった。
「嬉しいわ。やり直しましょう。わたしたちっ」
イザベラがにっこりと笑う。美しい銀の髪がふわりと揺れた。
「ぜひとも。そうしよう。イザベラ」
イーサンもはにかんで笑った。月明かりを浴びて光る勇ましい鷲のペンダントがこつんと揺れた。
★ ★ ★
アレクサンダー・レックスは朽ち果てた列車の中に潜んでいる。
イザベラはアレクサンダーの居場所をすぐに突き止めてみせた。彼女がいうには、血にはそれぞれ異なる味と臭いがあるらしく、それらを覚えれば追跡することも可能だという。
イザベラは、アレクサンダーがおぞましい惨殺を働いた場所を回り、その方々で痕跡を集め、そうやって彼の足跡を追った。
その結果に辿り着いたのが、崖の下に打ち捨てられた列車の廃墟だった。
「ウェスタン・レール号……あぁ、これのことは知ってる。工場で作られた車体を輸送している最中に事故を起こして崖の下に落ちていったんだ。落ちたのは無人の列車だけだったから、幸い、怪我人はいなかった」
「不幸中の幸いってやつね」
「あぁ。だが、こうして魔物のすみかになっては、幸いとも言えないな」
「ここが魔物のすみかなのは、今日で最後じゃない」
「……確かに」
軽快な会話を交わしつつ、二人は朽ちた列車の扉をこじ開けて中へ入っていった。
富裕層向けの特急列車であったらしく、列車内は気品ある木目が印象的な空間だった。きっと大金が注ぎ込まれたであろう装飾だらけの食堂車を、二人は剣を片手に歩いていった。
「昔、こういう列車に二人で乗ったの、覚えてる?」
「もちろん覚えてる。そのときにプロポーズしたからな」
「あのときのあなたの顔、今でも笑っちゃうわ」
「こっちは真面目だったんだ。笑わないでくれよ」
「ごめん、ごめん。でも、面白いものは面白いの。ねぇ、これが終わったら、また改めてプロポーズしてちょうだいよ」
「これが終わったら結婚するんだとか、そういうことはあまり言わないほうが良い」
「どうして?」
イザベラがどうしてと問いかけたときだった。
列車の奥。個室の並ぶ車両に差し掛かったとき、進む先の109号室から、全身を血で濡らした、恐ろしい姿の老人がよたよたと歩いて出てきた。
そのシワまみれの顔において不気味に光る赤い瞳は、イザベラとイーサンをしっかりと睨んでいた。
間違いない。こいつがアレクサンダー・レックスだ。二人は確信し、剣を強く握り直した。
「こういうことが起きるからだ。不幸は幸福の香りに釣られてやってくる。祓魔官の常識さ」
「あぁ、結婚を間近にワクワクしていたら、突然、婚約を破棄されるとか、そういうことね」
「ぐぬ……言ってる場合か! やるぞ、相手は吸血鬼だ!」
「それはこっちも同じよ。イーサン、下がってて!!」
最初に踏み出したのはイザベラだった。彼女は手に持った短剣を逆手に握ってアレクサンダーのもとへ駆け出し、そこへアレクサンダーの鋭い爪の一撃が射し込まれたが、イザベラはそれを――しかし真正面から受け止め、脇腹を爪で引き裂かれながら、目の前の老醜の顔面に剣を突き刺した。
「キィィィィ!!!」
言葉にならない悲鳴をあげてよろけるアレクサンダー。イザベラがすかさず追撃を叩き込む。
彼女は背負った機械弓を展開し、矢を連続ではなった。
彼女の弓の腕前は見事なもので、標的の頭部に2本、ふとももに1本、そしてこれは骨で弾かれてしまったが心臓にも1本命中させた。
「くそ、心臓は硬いわ! 矢じゃ無理よ!!」
「どけ、俺がやる!」
次に躍り出たのはイーサン。彼は剣ではなく、見た目からして強そうな4連銃身の散弾銃を放った。しっかり両足で身体を支え、完璧な姿勢をもって衝撃に備えて放った。
凄まじい煙と火花が広がり、耳をつんざく怒号のような銃声が轟くと、その無数の散弾がアレクサンダーの身体を吹き飛ばした。
しかし。
「まだ立つか。とんだ化け物だな」
未だ決定打たり得ず、恐ろしい吸血鬼はなおも立ち上がって奇声をあげた。
「吸血鬼を簡単に殺せるようなもの、なにかないわけ?」
「吸血鬼の硬い心臓を貫くための武器はある」
「それを使いなさいよ」
「いま使ったショットガンがそうだ。効果はなかったがな」
「はっ。大した武器ね……他には? もうネタ切れ?」
「ない。ネタ切れだ」
そのとき。アレクサンダーが壁を伝って駆け寄ってきて、その勢いのままイーサンの顔面を蹴り飛ばした。彼は大きく吹き飛ばされ、後ろの壁に叩きつけられてしまった。
「うわっ!」
「イーサン!! ……あまり調子に乗らないでよ、野良風情が!」
眉間にシワを刻んで怒鳴ると、イザベラはポケットから赤い液体――血の入った小瓶を取り出した。
それは処女の血。吸血鬼の力を最も強める霊薬である。
イザベラはその血を一気に飲み干した。その瞬間、彼女の視界が揺れて、鼓動が早まり、やがて体の奥底から、底知れない力が沸き立ってきた。
「格式の差を教えてあげるわ。これが本当の吸血鬼よ!」
イザベラのような潤種の吸血鬼は様々な特殊能力を持つ。
人並み外れた五感、暗闇をものともしない両目、たやすく折れはしない鋭い爪。色々あるが、やはり最たるものは、
「受けてみなさい!!!」
彼女は叫ぶと同時に足元に落ちていた4連の散弾銃を片手で連射した。雑に構え、歩いて前進しつつ、彼女は巨大な銃をおもちゃのように乱れ撃った。やがて弾がなくなると、彼女は銃身を真っ二つにへし折って、それぞれを鈍器に見立てて何度も振り下ろした。
「これで最後よ」
冷たく言って、殴り続けてよろめいたアレクサンダーの胸を右手で貫くイザベラ。貫通して背中から飛び出した彼女の手の中にいは、未だ脈打つ心臓が握られていた。が、それもすぐに潰されて止まった。
「存外、あっけないわね。イーサン、終わったわよ」
300万ダラーの賞金首が死んだと見るや、イザベラは視線をイーサンに戻した。車両の後方、割れたガラスでいっぱいの廊下に、彼はふらふらと立っていた。
「なんだいまの。吸血鬼の力か?」
イーサンが問う。イザベラは、彼の肩から埃を払いつつ応えた。
「ふふ、吸血鬼の最たる力は、この怪力よ。私のような吸血鬼は、血を飲むことで力を増す。パワーアップした状態なら、鉄骨すら持ち上げて投げ飛ばせるわ」
「全く恐ろしいことだな」
「でもね、こうして力を激しく使うと、ある困ったことが起きるの」
「なんだ……?」
「あぁ、もう来ちゃったわ……ごめんなさい、悪いけど、我慢できない……」
声から力が抜けて、イザベラはイーサンの胸の中に倒れ込んでしまった。
「……寝てしまった。まさか、力を使うと昏睡するのか?」
すっかり眠りこけたイザベラを抱えて立ち尽くすイーサン。
しょうがないので、彼女が目を覚ますまで、彼は客室の中で時間を潰すことにした。
今しがた殺したばかりの吸血鬼と同じ車両の、端っこの部屋で、である。
★ ★ ★
イザベラが目覚める頃。すっかり日も暮れて、割れた窓から見える外は真っ暗になっていた。
携行電球の光だけが淡く照らす個室の中で目を覚ましたイザベラは、まず真っ先に、イーサンを見て言った。
「ずっとここにいたの?」
ぼんやりとした橙色の光の中に浮かび上がるイザベラの寝起き顔。彼女はその赤い目をこすって、イーサンを見やった。
「あぁ。君が目を覚ますまで待ってた」
「はぁ。どうせなら街に連れて行ってくれればよかったのに」
「ここを離れたら、アレクサンダーを盗まれるかもしれないだろ。死体がなければ賞金はもらえない」
「死体のためにここにいたの? ふふっ。あんた、どうかしてるわね」
「心臓を素手で潰すやつに言われたくない――」
少しの沈黙を経てから。
「なぁ、イザベラ」
改めた様子で、イーサンは問いかけた。
「あの指輪、まだ持ってるのか?」
「鳩の指輪? 持ってるわよ。肌身はなさずね」
イーサンとイザベラの絆の証。2つ合わせて1つの鳩になる、あの指輪である。
「なぜ?」
「なぜって、そりゃあ、こんな高価なもの、売り飛ばせば良いお金になるもの。生活に困ったらそうしてやろうと思って、ずっと持ってたの。なに? どんな理由だと思ってたの?」
イーサンは思わず笑ってしまった。
「ふん。そうかよ。俺もまだ持ってるが、理由は違うぞ」
「へぇ? どんな理由で持ってるの?」
「いつかこうしてまた会えたときのために、持ってたんだ」
すると、今度はイザベラが笑った。真面目な顔をして言い切るイーサンとは対照的に、彼女はニタニタと笑っていた。
「……なにそれ。ばかじゃないの」
「真面目な話だっ。運命干渉仮説って言って、こういう、二人の絆が刻まれた品は、遠く離れた二人をまた巡り合わせるんだ。そういうふうに運命を書き換えるんだよ」
「祓魔官の教科書に書いてあったの?」
「そうだ。一番最初の講義で学んだ。マジの話だよ」
「そう。で、どうして自分から捨てた女との品に、そんな仮説を当てはめたわけ? あなたは私を捨てた。俺の前から消えろって、そう言ったわ」
「それは……」
少し口ごもってから、彼は指輪を見つめて続けた。
「悔いていたからだ。君に謝りたかった。謝るために、また会いたかったんだ。だから、また会えるようにって、指輪を持ってたんだ。迎えた”結果”はどうあれ、絆が刻まれたものには変わりないだろ?」
「……あんた、勘違いしてるわね」
「え?」
「結果じゃないわ。まだ結果なんて来てない。私達、まだ終わってないもの」
「それ、どういう……」
すると、イザベラはイーサンの隣に席を変えて。
「だから、私達の恋は、まだ終わってないわ。ほんとのこと言うけど、私があの指輪を持ってた理由は、あなたと同じよ。また会いたかったの。こうして、また一緒に魔物狩りがしたかった。それが今日叶った。だから確信したわ。私、まだあなたのことが好き」
言い終わると同時にイザベラがイーサンの膝に手をおいた。
「私達、また一緒にやりましょう。一緒に魔物を殺しましょう。あのときのように」
真っ直ぐな視線がイーサンの胸を焦がす。
「で、でも君は……」
「そう、私は吸血鬼よ。でも野良とは違うわ。きっと力になれる」
だがイーサンは頑なだった。生来の意気地なしであり、優柔不断である彼の悪癖が、こんなところでも出てしまっていた。
「……いいや、でも……できるのか、そんなことが」
「できるわよ。ここは西部よ。なんでもありの無放地帯じゃない。上層部も納得するわ」
「そういうことじゃない。君の気持ちの問題だ。いいのか。俺は君を捨てたんだぞ」
「でも捨てきれなかったじゃない。お互いに」
静寂。
目を泳がせるイーサンがようやく口を開いたのは、彼の懐の懐中時計が二周ほどしたときだった。
「…………俺を、許してくれる――」
しかし言い終わるのを待たず、彼の口は強引に塞がれた。紛れもない口づけによってである。
イザベラの柔らかい唇が彼の言葉を遮り、全て言わせずとも答えてやったのだ。こういうことだ。これならばわかるだろう。彼女の、ぎゅっと握られた右手が、イーサンの心にそう告げた。
「君の気持ちの問題? 私の気持ちなんて、問題にならないわ。今でも愛してるの。あなたを」
「イザベラ……ありがとう、嬉しいよ」
言って頬笑むイーサン。そのとき、やはり幸福の香りは不幸を引き寄せるらしく、窓の外から屍食鬼の唸り声が聞こえた。
「もう、良い雰囲気だったのに」
「くそ、あいつの、アレクサンダーの死体の匂いに釣られてやってきたか。もう動けるか? イザベラ」
「もちろん。さっさと片付けましょう」
すると二人はともに立ち上がり、足並みをそろえて拳銃の撃鉄を下ろした。魔物狩りの時間である。そして、二人にとってそれは即ち――。
「楽しいデートのはじまりだ!」
★ ★ ★
一ヶ月後――。
アルヴィニア連合王国の首都グラストル。その大きな時計台のお土産を飾った部屋の中。
イザベラに肩を揺らされて目覚めたイーサンは、微笑み合ってからともに起き上がり、一連の朝のあれこれを済ませてから、仕事の準備に取り掛かった。
自宅にて保管している祓魔官の制服に袖を通し、剣を携え、銃をホルスターに収め、拍車つきのブーツを履いて、そして、祓魔官の証たる白い羽根の広つば帽子を被る――。
これらの慣れた流れを、彼は、恋人のイザベラと一緒になぞった。
最後に揃って玄関を出たとき、二人は、イーサンとイザベラの二人は、全く同じ格好をして、西部の街へ出かけていった。
二人の祓魔官の、なんてことのない、いつも通りの朝だった。
完