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サキ作品集

七つのクリーム壺

作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)

「例のウィルフリッド・ピジョンコートさんには、もうお会いすることはないんでしょうね。准男爵位をがれて、莫大な財産を相続することになりましたから」


 ピーター・ピジョンコート夫人は、夫に向かって残念そうにそう告げる。


「まあ、その可能性は無いだろうな。あれがまだうだつの上がらない頃は、うちも何かにつけて会わんようにしていたからな。十二の頃が最後だったか、あれ以来会った記憶が無い」と夫が返す。


「まあ、お付き合いしたくない理由もありましたからねえ。あのロクデナシな癖があったら誰も家に上げたりはしませんよ」とピーター夫人。


「ンン? あの手癖の悪さはまだ相変わらずなのか? それとも財産相続のおかげで性格も総変りしたかね?」と夫が尋ねる。


「いいえ、もちろん手癖の悪さはあのままですわ」と夫人が認める。

「でも、未来のご当主様とお近づきになりたいというのは、単に好奇心だけじゃないのは分かりますでしょう。それに皮肉なしに、あんな悪い癖があっても、お金持ちってだけで人の見る目なんて変わるものですわ。なにしろ、単なるお金持ちじゃありませんからね。お金には全く不自由しないんですから。手癖の悪さが残ったままでも、そこによこしまな気持ちがあるなんて疑念は自然と消えてしまいますわ。だから、そうね、アレはただの厄介な病気ですよ」


 このくだんのウィルフリッド・ピジョンコートという男は、従兄いとこのウィルフリッド・ピジョンコート少佐が打毬ポロの怪我の後遺症で亡くなったおかげで、本人も予期せぬ具合に、伯父であるウィルフリッド・ピジョンコート卿の跡継ぎになったのである。(ここで「ウィルフリッド」という名に注釈を挟むに、その昔、マールバラ公の遠征の際にウィルフリッド・ピジョンコートという名の男が功績を挙げて以来、男子にはウィルフリッドという洗礼名を付けるのがこの一族の悪習となっていたのであった。)


 さて、一族の権威と財産を新たにぐこととなった、二十と五になるこの若者は、人物像よりも、その噂話のせいで親類縁者に広く知られていた。無論、それも悪い方の噂である。親戚に多くいる「ウィルフリッド」という名前の男どもは「ハブルダウンのウィルフリッド」や「砲兵のウィルフリッド坊」のように住んでるところ職業しごとの名前をつけて区別するのがつねなのだが、このる御曹司様は「かっぱらいのウィルフリッド」なる不名誉で、かつ示唆に富む仇名あだなで以て知られていた。というのも、学生時代の終わりの頃から、この男は突発的かつ難治性の盗癖に悩まされており、蒐集家の選別眼も持たぬままに蒐集家の欲望のままに振舞ってていたのである。食器棚よりも小さく、かつ持ち運びができて九ペンス以上の値打ちがあるものは、他人の所有物であるという必要条件さえ満たしていれば、ウィルフリッドの目にはあらががたいほど魅力を放って見えるのであった。ごくまれに片田舎のハウスバーティにお呼ばれになったとしても、屋敷をつ前の晩になると、他人のものを「誤って」ふところに入れてやしないかと、家主や家族の誰かが親しげな様子で手荷物をあらためるのである。それがつねであり、必要なことでもあった。そして大抵はこの取り調べのおかげで色々なモノが出てくるのである。


「こいつは面白いことになったぞ」とピーター・ピジョンコートが妻に語りかける。先程の会話から、まだ三十分も経ってない。

「ウィルフリッドから電報が届いてる。自動車で近くを通るから、うちに立ち寄って表敬訪問でもしたいそうだ。ご迷惑でなければ、一泊ご一緒させていただけないだろうか、だとさ。見なさい、『ウィルフリッド・ピジョンコート』 の署名入りだ。あの『かっぱらい』に違いないだろう。他の連中は自動車なんて持ってないからな。きっと銀婚式の祝いでも持ってきてくれるんだろう」


「あらあらあらあら!」とピーター夫人は思い出したように声を上げた。

「あんな手癖の悪い人がうちに来るのはちょっと不味まずいわね。客間に飾ってある銀器の贈り物も、郵便受けに次々届く贈り物も、全部を把握するのは無理よ。家にあるものもそうだけど、他にもまだまだ届くのよ。どこかに鍵かけて仕舞い込むのも無理ね、あの人のことだから絶対に『見せてほしい』って言い出しかねないわ」


「注意深く見張ればいい、それだけのことだ」と安心させるようにピーターは答えた。


「でも、手練てだれた盗人ぬすっとっいうのは頭がよく回るものでしょ。それに、見張ってるのに気づかれたら、とても気まずいじゃない」と夫人は心配そうに話す。



 その晩、通りすがりの旅人をもてなしているとき、家中には確かに気まずい空気が流れていた。会話のときには、他人事のような話題が次から次へと神経質に慌ただしく飛び交っていた。客人は従兄弟連中からの前評判とは異なり、コソコソして言い訳じみたことを言うわけでもなく、逆に礼儀正しく自信に満ちていて、そして多分、ほんの少し「威張っている」ように見えた。一方で家主の方はというと、疑惑に満ちた本心を裏打ちするような不安げな態度で接しており、夕食後の客間では一同、さらに増した緊張感と気まずさの中で過ごしていた。


「あら、そう言えば、銀婚式の贈り物をまだお見せしてませんでしたね」と突然、客人をもてなすための素晴らしい名案を思い付いたようにピーター夫人が話し出した。

「これで全部ですわ、どれも素敵で便利なものばかりで……もちろん何点いくつかは重複してるものもございますけど」


「クリーム壺なんて七つもある」とピーターが割って入る。


「ええ、持て余してしまいますわ。七つもあるんですよ。残りの人生、クリームだけで暮らしてかなきゃいけませんわ。まあ、取り換えてもらえるものもあるんですけど」とピーター夫人が続ける。


 ウィルフリッドの興味関心と言えばもっぱら骨董物の銀器に尽きていて、一つ二つ手にとっては燈火ランプの下でその刻印ホールマークを見て年代を確かめていた。その瞬間ときの家主の不安と言えば、まるで生まれたての子猫が検査のために人の手に渡されるのを心配そうに見つめる親猫のようであった。


「アラ、ええと、洋辛子壺マスタード・ポットは戻してくれました? ここにあったはずなんですけど」とピーター夫人が甲高い声で尋ねる。


「すみません、その下の葡萄酒クラレットの水差しのそばに置いてます」と忙しなく他の品を検分しながら、ウィルフリッドは答えた。


「ええと、もう一度、お砂糖の篩匙ふるいさじを貸してくださるかしら。忘れてしまう前に誰の贈り物か書かないといけませんので」とビーター夫人は神経質ながらも確固たる意志を持って告げた。


 しかし、そういった警戒心を以てしても完全勝利とは言い難かった。客人に「お休みなさいませ」と告げた後、ピーター夫人はウィルフリッドが何かを持っていったと確信していたのである。


「あの様子を見るに何かある気がするな。何か無くなってないか?」と夫も確信めいて語気を強めた。


 ピーター夫人は急いで贈り物を総ざらいに数え始めた。


「三十四個しかないわ、贈り物は三十五個あったはずなのに。でも、まだ届いてない大執事様の薬味立てを、その三十五個の中に数えてたかは記憶が定かじゃないんだけど」と夫人が告げる。


「そんなの知ったことか! あの吝嗇ケチな豚野郎は贈り物も持ってこなかったし、何か持って帰ろうものなら締め上げてくれよう」とピーター。


「明日、あの人がお風呂に入ってるときしかないわね。鍵は手放して置いているはずだから、旅行鞄を調べてみましょう。それしかないわ」と夫人が興奮気味に提案する。



 翌日、二人の共謀者は半開きになった扉の裏に隠れて注意深く見張りを続けていた。ウィルフリッドが豪奢な浴衣バスローブを身に纏って浴室に足を運ぶのを見届けると、興奮冷めやらぬ二人は一等客室に向かって素早く、かつ音を立てぬように駆け出した。ピーター夫人は部屋の外で見張り役に徹し、夫がまず急いで鍵を見つけ出し、それから几帳面な税関職員のような不愉快な態度で旅行鞄に鍵をじ入れたのだった。ただ、この探索はすぐに終わってしまった。銀のクリーム壺は折り畳まれた柔らかな衣服に埋もれていたのだから。


けだものみたいな狡賢ずるがしこさね。たくさんあるからクリーム壺をったのよ。一つくらいなら無くなっても分かりっこないと思って。とにかく早く持って降りて、他のと一緒に戻しましょうよ」とピーター夫人は言った。



 その後、朝食の時間に遅れてウィルフリッドが姿を現した。その様子から察するに何か不都合なことが起きたことは明白である。


「こんなことは言いたくないのですが……」と、しばらくしてウィルフリッドが口を開いた。

「残念ながら、お宅の使用人の中に盗人ぬすびとがおられるようです。私の旅行鞄から物がられていて……銀婚式のお祝いのために用意した私と母からのささやかな贈り物、です。本当なら、昨日の晩餐の後にお渡しするべきだったのですが、実は偶然にもクリーム壺だったもので……同じものが何点いくつもあって辟易へきえきなされているようだったので、そこにもう一つ差し上げるのも気まずいと思いまして……。何か別のものに変えようと考えていたのですが、今はこの通り無くなってしまいました」


「「貴方とお母様からの贈り物と、そう仰いましたか!?」」


 ピーターと夫人は、ほとんど一緒に声を上げてしまった。なにしろ例の「かっぱらい」は、もうずいぶん前に両親に先立たれているのである。


「ええ、今はカイロに滞在中ですが、母はドレスデンの私に手紙を寄越してくれて、貴方がたのために古風でおもむきのある綺麗な骨董物の銀器を探してほしいと頼まれたのです」


 ピジョンコート夫妻の顔はみるみると死体のように青ざめていった。ドレスデンと聞き、突如として事実が明らかになってきたのである。つまり、この人は「大使館勤めのウィルフリッド」で知られる、とても優秀な若者だった。夫妻の交友範囲では滅多に出会うことのない人物を、夫妻はそれと知らずに「かっぱらいのウィルフリッド」だと思い込んで接していたのである。そして、その母親であるアーネスティン・ピジョンコート夫人は、夫妻のくわだてや野心を超越した世界の人物で、息子もいずれ大使になるだろうと目されていた。そんな方の旅行鞄を荒らし、盗みを働いてしまったのである! 夫妻は、互いに呆然とした面持ちで必死に顔を見合わせた。そして、ピーター夫人が先に閃いた。


「家に泥棒がいるなんて、考えただけでも恐ろしいわ! 夜の間は当然、客間は施錠してますけど、朝食の間に何か盗まれるかもしれないなんて」


 夫人は立ち上がるなり、客間の銀器が盗られていないことを確かめるように、急いで部屋を後にした。そして、しばらくしてからクリーム壺を抱えて戻ってきた。


「今見たらクリーム壺が八つありましたの。七つだったはずなのに」と大きな声を上げるピーター夫人。

「昨日は無かったはずなのに。ウィルフリッドさんったら、珍しい記憶違いをされたんじゃないかしら? 昨晩こっそり持って下りて、私たちが鍵をかける前に置かれたんでしょう? 朝になって全部忘れてしまったんですわ」


「人間の頭というのは、そういったちょっとした間違いを起こしがちですからな。私もつい先日、支払いのために街に出たんですが、次の日になるとそのことをすっかり忘れてしまって、また街に出かけてしまったんです……」と、ピーター氏が必死の思いでまくし立てる。


「確かにこれは私が持ってきたクリーム壺ですが……」と、クリーム壺をまじまじと見つめながら告げるウィルフリッド。

「今朝、お風呂をいただくとき旅行鞄から浴衣バスローブを取り出したんですよ、そのときはクリーム壺も鞄の中にあったんですが……お風呂から戻ってきて鞄の鍵を開けると無くなっていて」


 ピジョンコート夫妻の顔面はさらに蒼白に変わっていった。そして、最後の最後にピーター夫人が一計を思いついた。


「気付け薬を持ってきてくれないかしら。化粧室のところにあったと思うから」と夫人はピーターに告げる。


 ピーターは嬉しい安堵感を抱えながら急いで部屋を後にした。この数分間は非常に長く感じられ、金婚式ですらそう遠くない未来のように思えた。


 そして、ピーター夫人が客人に向き直り、内緒話でもするように取り澄ましてみせた。


「貴方も外交官ですから、今回の一見、何も無かったように取りなす方法をご存知だと思います。実は、家のピーターには少し悪い癖がありまして……きっと血筋のせいでしょうね」


「なんですと! それはつまり、ご主人は盗癖があると、あの従兄いとこの『かっぱらい』のように?」


「いえ、正確には、そうじゃありません」と、自分のうそぶいた夫の風評が思っていたよりも灰色グレーな印象を与えてしまったのを気にしながら、ピーター夫人は続ける。

「ただの置き物には触ろうともしないんですが、鍵付きとなると別で、じ開けてやろうという感情を抑えられないみたいなんです。お医者様も特別な病名をつけてらっしゃいました。今朝もきっと、貴方がお風呂に行った隙に旅行鞄に飛びついて、最初に目についたものを持っていったに違いありませんわ。だって、クリーム壺を盗む動機なんてありませんもの。ご存知の通り、家には既に七つもあるんですから……あら、もちろん貴方とお母様の贈り物が気に入らないというわけではありませんわ……アッ、静かになさって、夫が戻ってきましたわ」


 ピーター夫人は少し困った様子で話を切り上げ、ふらふらとした歩みで玄関にいた夫と合流した。


「全て上手くいったわ」と夫の耳元で囁く。

「みんな説明しておいたから、貴方はもう何も言わないでね」


「大したもんだよ、お前は。俺なんて何もできなかったのに」と安堵の息を吐きながらピーターは呟いた。


 ******


 外交的に口を閉ざすと言っても、必ずしも家庭の問題にまで及ぶものではなかった。春先に滞在したコンスエロ・ヴァン・バリヨン夫人が浴室に行くときには、とても目立つ二つの宝石箱を肌身離さず抱えており、廊下で偶然出会った人にはマニキュアとフェイスマッサージの道具だと説明していたが、ピーター・ピジョンコートがその理由を理解することは決してないのである。

原著:「The Toys of Peace, and Other Papers」(1919) 所収「The Seven Cream Jugs」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)

翻訳者:着地した鶏

底本:「The Toys of Peace, and Other Papers」(Project Gutenberg) 所収「The Seven Cream Jugs」

初訳公開:2023年1月20日



【訳註もといメモ】

1. 『クリーム壺』(Cream Jugs)

 先に断っておくが「Cream Jugs」を「クリーム壺」と訳すのは誤訳である。

 訳者がこの短編に最初に触れたのは新潮社「サキ短編集」の「七つのクリーム壺」だったか、やる夫スレ「枕元に短編を」の同名短編だったかは記憶が定かではないが、当時からこの「クリーム壺」という物がどんなものなのかについては深く興味を抱いていた。当時は「壺」という字面から、アイリッシュクリームのようなトロりと甘いリキュールの小壜こびんのようなものを想像していたのだが、結論から言うと「Cream Jug」というのは洒落た喫茶店やホテルで珈琲や紅茶を頼んだ時についてくる、ミルクが入った小さな水差しのことである(正確には銀器の「Jug」なのでティーポットのように手で抱えるくらい大きさはある)。

 つまり「Jug」というのは取っ手とし口がついた食器なので、厳密には「壺」とは異なるわけである。「水差し」の訳が適切だとは思うのだが(現に本稿でも「claret-jug」を「葡萄酒の水差し」と訳している)、「クリームの水差し」は個人的に字面が悪く感じるので却下した。次点は「クリーム・ピッチャー」だが、「ピッチャー(pitcher)」自体が米国英語なので英国小説とはチグハグな感じがする。出版されている既訳では「クリーム入れ」や「クリーマー」と訳されているが、どうにも訳者の趣味に合わないし、Cream Jugsは本作の象徴となる舞台装置マクガフィンなので、字面がスパッとしていて意味ありげな感じのする「クリーム壺」を採用した。


2. 『マールバラ公の遠征』(the course of Marlborough’s campaigns)

 スペイン継承戦争(1701-1714)において、英国の初代マールバラ公爵ジョン・チャーチル(John Churchill, 1st Duke of Marlborough, 1650-1722)率いる同盟軍がネーデルラント、ドイツ方面でフランス軍と激突した一連の戦闘のこと。


3. 『刻印ホールマーク』(their marks)

 14世紀、英国では銀製品の純度に関する法律が制定され、この基準を満たすものに刻印(Hallmark)がされるようになった。刻印は五つの構成要素(製作者を示すMaker’s mark、納税証明のDuty mark、銀の品質を示すStandard mark、検査場所を示すCity (Assay) mark、製造念を示すDate later)からなり、その銀製品の素性を調べることができる。


4. 『砂糖の篩匙ふるいさじ』(the sugar-sifter)

 例のごとく篩匙ふるいさじというのは訳者の造語である。Suger-shifterというのは文字通り「砂糖用のふるい」なのだが、ここでは銀製品のことを指すのでキッチン用品の大きな篩笊ふるいざるではなく、小さな穴が開いた広めのさじのことを指す。シュガースプーンと呼ばれることもあるが、ただのスプーンと混同してしまいそうなので、篩匙ふるいさじとした。

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