悪役令息の頼れる味方
かつて、レムウッド領の中心部は辺境伯の居城の城下町だった。
仮にも有力貴族のお膝元だけあって、レムウッド城下は国内でも有数の規模の宿場町だ。国内の大街道の終点の町だから、人や物の往来も賑やかだった。
この町が人流や物流の重要拠点なのは、今も変わらない。……でも、今はレムウッド領で一番の『花』ではないのだという。
辺境伯家の領地自体は広大だが、国防の観点から隣国と接する地域まで街道を伸ばすことは許されなかった。進みやすい街道を整備すれば、いざ隣国との戦争になった時に侵入した敵軍の進軍をも助けてしまうことになるからだ。
レムウッド領の中でも街道からは外れた広範な地域には、人も物も運べない。これでは領地が発展するはずもない。
だから辺境伯である『彼』は、家も領地のことも大嫌いだった。
無駄に広くて旨味の少ない土地。負担ばかりが課される土地。
もしも戦争になれば真っ先に国のために盾となって死ねという領主の義務なんて、糞食らえだ。
辺境伯は許されるかぎり長く王都の別邸に滞在して、渋々領地に帰らねばならないときにも一番王都に近い城から出ようとはしなかった。辺境は不便で恐ろしくて心が休まらなかったから。
かつて辺境伯だった『彼』は、いつも考える。――自分は一生懸命頑張ってきたのにどうしてこうなったのだろう。
領地の支配は分家や家令に任せておけばいいのだから、長男は王都貴族と縁付かせて中央への縁を広げようとした。
その長男が結婚間近に病死した時は悲しかったが、死後に長男の隠し子がぞろりと出てきて他家からの失笑を買い、悲しみに沈むどころではなくなった。
急遽当主に据えた次男にはどうも覇気がないので、父として代わりに支えてやろうと思った。だから悪評が既に立ってしまった国内ではなく隣国と通じようとした。
せっかく隣国で地位を得られそうだったのに、よりにもよって長男の隠し子の一人が公爵令嬢を殺そうとするなんて。やるならもっと上手くやってくれればいいものを。
嗚呼、私はこんなにも頑張っているのになんて不幸なのだろう!――今や辺境伯でもない『彼』はずっとそう思っている。
『父上、母上。もう疲れたんです。私は確かに自分で生き方を決めることなんてできないけれど……従う相手を選ぶことくらいはできたみたいだ。無能なくせに謀が大好きなあなたたちは民にとって害悪なだけだ。悪辣でも有能な彼女とは違う』
両親にずっと従順で扱いやすかった次男が何に感化されたのか、反発してきた時にも『こんな不幸があるか』と『彼』は嘆いた。
次男が連れてきた女が――。
『初めまして、お義父様、お義母様。先日嫁いだアレクシアです。あまり会う機会は無いでしょうけれど、宜しくお願いいたしますわ? まずはとっとと隠居してくださる?』
わたくしには筆頭貴族を率いた経験がございますので素人の口出しは無用です、と、あの悪魔がにっこりと笑みを浮かべた時も。
☆
「おお、レイモンド……! おまえなら私たちの気持ちをわかってくれると思っていたよ!」
「……ええ、おじいさま」
一応は祖父孝行な孫として前辺境伯の弱々しい抱擁に応えながら、俺はこっそりと顔をしかめた。
ダメだ、こりゃ。こんな小物をいくら集めたところで、鉄壁の要塞みたいな女に勝てるわけがない。
忠誠心も高く訓練された精鋭を従えたアレクシア陣営とは違って『俺の味方』は比べるのも失礼なくらい頼りにならないどころか、俺の足を引っ張ってくる可能性すらあるのだ。
俺は口パクで『計画通りに』と、白け顔のシャルに合図した。
恋愛脳な長男の出奔に始まり隣国との内通に至るまで、前レムウッド辺境伯夫妻の歴代の『やらかし』を俺が並べ立てたとき、シャルは大きな目を丸くして言った。
「うわ。ホンモノの馬鹿だ。よく今まで殺されなかったね」
ほんとにな。そう思うわ、俺も。
祖父母の行動基準は至って明確でシンプルだ。
要は『こんな田舎イヤだ!』ってことなんだろ。そのくせ、自分で手を加えて発展させるのも手間だからイヤ。
アレクシアが代わりに変えてくれたって、それはそれで自分たちが蔑ろにされたような気がするからイヤ。
イヤイヤ期の駄々っ子か! ほな、どうしろって言うんだ!
アレクシアがレムウッド家に嫁してきたとき、彼女の出した条件の中には『義両親との同居は絶対に嫌だし基本的に会うつもりはない』という文言が入っていたという。
そりゃあ、俺だって対面するとげんなりするのに、苛烈なあの女ならいっそう相性合わないだろうよ。
アレクシアが徹底していたのは、辺境伯の居城は前辺境伯夫妻に持たせたままにして、自分は国境寄りの山城を新居としたことだ。
最初期は『いくら同居が嫌だからって意地を張って利便性を捨てるなんて』と笑う声もあったらしいが、ものの数年でその声は消えた。
アレクシアが拠点とした国境地区は、山がちな地形の割に意外と居住人口が多いのだ。国境警備隊の人員を削減することは国防上考えられないのだから。
ならば、それまではどうして栄えていなかったのかというと、物が手に入らないから諦めていただけ。
皆もっと豊かになりたいけれど、無理なことを言っても仕方ないと諦めていただけだ。
アレクシアは民の声を聞いて、笑って言ったという。
『それならもう解決したわね。わたくしには金と伝手ならあるのよ。あとは、貴方たちが望むかどうかだけ』
アレクシアは公爵家と商人のネットワークを駆使して不毛の地にも強い植物を探した。
それが食べられる植物でないなら売って外貨にして、食べ物に変えた。民に工芸の技術を教えて『商品』に加工して糧を得る術を与えた。
比較的肥沃な地区では連作障害を防ぐために植える植物をローテーションさせることを約束させた。
農地が足りなければ開墾を進め、開墾した者にはその土地の所有権を与えると言って小作を解放した。
国防上の理由で街道が作れないと聞けば『それなら領地内で完結した経済圏にしてしまえばいい』と言った。自給できないからこそ外との交易頼りになり金が流出しつづける負のスパイラルになっているから、と。
アレクシアは、この世界ではまだ発見されていない理論をまるで見てきたように提唱するのが上手かったという。
そうして、辺境伯領の辺境の新拠点は『小王都』と呼ばれるまでになった。かつての辺境伯の城下町を上回るほどに栄えた町に。
前辺境伯夫妻を含めてアレクシアは嘲笑っていた人々はその時になって恐ろしさにようやく気づき、顔を引きつらせた。
敵ながらあっぱれだとは思うんだ。
俺も負けていられないと、ふつふつと闘志が湧いてくる。
俺たちが祖父母宅に到着する前の宿場町に留まっているときにアレクシアからの封書が早馬で届けられた。
警戒しながら開けてみると、中身は領主アレクシアの名で俺の身分を保証する公文書――公式な『領主権限の委任状』だった。
手が震えた。これが一枚あれば、山を崩すでも橋をかけるでも税を課すでもなんでもできる。
それだけ重いものをひょいと渡してくる母は、俺を試しているのだろうか。それとも彼女にとってはこんなものは重くないのか。
『お守りがわりにでも使いなさい。役に立つ間は見逃してあげる。お母さんが恋しくなったらいつでも帰ってきていいわよ?』とのメッセージ付きでこんなものを送ってくるとか、本当に馬鹿にしてくれるなと思う。だけど、実際それくらいの実力差がある。
アレクシアは俺たちが泊まっている宿場町を推測したうえで、つまり『俺たちが何をするためにどこに向かうつもりか』を知ったうえで的確に釘を刺してくる。
俺たちの反抗なんて、あの女にとっては、子猫が爪を立てたような感覚なんだろう。
でも、それも仕方ない。――今は、まだ。
ここから見てろと握りしめた拳が鳴った。
☆
アレクシアが当主となって華々しい活躍をする中で、自分たちは世の中に忘れられた『過去の人』になっていくという自覚と危機感があったのだろう。
久しぶりに『レムウッド家の正当な後継者である孫』が訪ねてきたもんだから、祖父母のテンションは最高潮に達していた。
仮にも辺境伯家に代々受け継がれてきた城だけあって、部屋なら有り余っている。大広間での歓待の食事会を終えたあと、綺麗に整えられた一室を『レイモンドの部屋』として与えられた。
「ふう……」
やっと一息つける。食事会では愛想笑いを連発しすぎて、このまま顔に貼りついたらどうしようかと考えていた。
「おつかれさ〜ま。どう? どう? 『無能な味方は有能な敵よりなんとやら』って感じ?」
シャルはあの居心地の悪い空間から先に抜けていたからか、既にベッドに寝転んでだらけている。……ほんと、猫みたいだな。
「有能じゃなくていい、『普通』であってくれればいいものを……話が通じないからな。異星人の群れの中に放り込まれたみたいだ」
「あっはは! がんばれー!」
「くそっ、ひとごとみたいに言うなよな」
びっくりするくらい俺の声は疲れていて、祖父母とのやりとりで想像以上に消耗していたんだと気付かされる。
ベッドに倒れこむと途端に瞼が落ちそうになって、まだ寝るわけにはいかないと気合を入れる。眠ってなあなあにしてしまう前に、聞いておきたいことがあった。
「なあ……」
「ん?」
退屈しのぎのちょっかい出しか、俺の頰を突っついて遊んでいるシャルの手を、ぎゅっと掴んでやめさせた。
「……ほんとに、俺と来たことを後悔してないか」
食事会の途中から年寄りの繰り言なんて全部聞き流して、ただそれだけを不安に思っていた。
シャルと目を合わせるのが気まずくて、でも言い逃げなんて不誠実だと思うから、満月みたいにまんまるの猫の瞳を見上げた。
「言ったじゃん。あたしはシスのことを高値で買ってるから、これからどれだけ化けるか、見極めたいんだって」
だから、見極めるまでは一緒にいるよ。――シャルの声は俺を慰めるでもなくいつも通りにフラットで、なのに俺の頭を撫でる手は優しかった。
普段そんなキャラじゃないくせにこんな時だけ甘やかすなよ、と理不尽な文句が頭に浮かぶ。
最初からわかっていた。分かっていたつもりだった。
『レイモンド、そちらの方は、お友達かな?』
久しぶりの孫との再会による感激の涙もひとしきりやんだ頃、祖父が今はじめて気づいたかのように言った。
探るような蛇の目を見て、彼が何を言いたいかを悟る。『お前の連れは身元のはっきりしている人間なのか』ということだ。
俺は『学園での学友だよ』と紹介するつもりだった。自慢の友達で、俺の片腕で、大切な客人として遇してほしいと言うつもりだった――シャルが先に口火を切るまで。
シャルは即座にその場に片膝をついて、俺が見たこともないような美しい目下の礼を取って、祖父に発言の許可を求めた。
『私はシャルロ・ベルモアと申します。レイモンド様の侍従としてこの度雇っていただきました』
『……フン、使用人か』
『誠心誠意努めますので、ご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします』
途端に横柄になった祖父の口調の意味も、慇懃なシャルの挨拶の意味も、俺は分かっていたつもりで何も分かっていなかったのだ。
根っからの貴族である祖父の言う『身元のはっきりした人間か』とはお前は貴族の私が礼を尽くすべき人間かという意味だということを。
『侍従ならレイモンドの部屋の続き間でいいな?』
『……うん。いいよ、おじいさま。ありがとう』
『閣下、ありがとうございます!』
シャルは俺なんかより全然すごいやつなんだよ、と幾ら言葉を尽くしたってこの手の人たちには何も伝わらないのだ。
まるで異星人の群れの中にいるみたいだ。同じ言葉を話しているはずなのに、何ひとつ俺が伝えたいことは伝わらない。
「あたしには、シスが何を悩んでるかわからない」
「……っ、」
「ううん、一応分かるは分かるよ。だけど、それはシスが悩むようなことじゃないし、あたしは気にしてないんだけどなぁ」
よしよし、なんて節を付けて頭をぐりぐりかき混ぜられる。
なんで何も貶められてない俺の方が慰められてるんだろうと思って、涙が出てきた。
「だって、おまえ、全然……人の世話とか向いてないじゃん。なんだよ。侍従って」
むしろ自分のことに無頓着なおまえの世話を散々してきたのは、誰だと思ってるんだよ。
あんなに真面目にかしこまっちゃってさぁ、全然空気読まない天才美少女シャーロット・ベルモアらしくないじゃないか。
俺はちゃんと冗談めかして言えただろうか。上手くいったか分からないけど、シャルはくすりと笑ってくれた。
「なんだよぉ。天才美少女はやろうと思えば何でもできるんだって。なかなかやる気にならないだけでね」
「……知ってるよ」
知っているからイヤだったんだ。
何でもできる自慢の友達が、まるで目に映す価値もないつまらないやつみたいに粗略に扱われるのが。
意味わかんねえよ。『今生きてるのが不思議なくらいのホンモノの馬鹿』の方が異世界では価値があるっていうのか?
もう17年もこっちで生きてきたのに、どうしても馴染みのない身分制にだけは慣れられない。
「もうっ! くよくよすんな!」
「……シャルは凄いやつなのにっ」
「そうだよ? 知ってる。だから、そのあたしが保証するシスも、すごいやつなんだよ。だから泣くなってば!」
友情に殉じて自己犠牲とかクサいこと言うなって。
少し前に聞いたのと同じセリフに、ずび、と鼻を鳴らしながら、どこかほっとしている自分がいた。




