悪役令息と親子の邂逅
志したのには、たぶん大した理由は無かった。
親に家族旅行で連れ回された影響か『俺』も旅行が好きで、旅先の古い建物や街並みを見るのが好きで、それらが今日まで残った経緯や辿った歴史に思いを馳せるのが好きだった。
あとは、高校単位で応募させられた防災に関するコンクールでそこそこの評価をもらって教師に褒められたから。
単純だけど、きっと『俺』の夢はそうやって出来上がったのだ。
「あんたが真剣に考えて出した結論なら何だって止めないわ」
「大丈夫だろう、もう十分大人だよ。護は、いい男に育ったんだから」
「しみじみ言うなよ、なんか調子狂うじゃんか……」
進路の相談があるんだけど、と『俺』が言うと、前世の両親は晩酌の手を止めた。予想外に真剣な態度で聞かれて戸惑ったのを覚えている。
「俺、考えたんだけど、やっぱり設計士になりたいんだ」
「設計? 建物の建築士ってこと?」
「ええと、建築士の資格も出来れば取りたいけど、どちらかっていうと『まちづくり』の方。環境工学をがっつり扱ってる大学ってなると俺の成績で行けるか怪しいし、大学院まで行くことになるかもしれないし、上手くそういう仕事につけるかも分からないけど……でも、頑張ってみたくて」
「お金は父さんが出す。他に必要なものがあれば言うんだぞ」
「本当にいいの!?」
「もちろんいいわよ。母さんも応援するから」
「ありがとう!」
二人とも『いい夢だ』と言って喜んでくれた。
部活を引退したら受験勉強まっしぐらだ。運良く志望校に入れたら勉強もして、もちろんほどほどに遊んで、ぼんやりした『夢』をだんだんとクリアにしていくような――そういう未来が『俺』を待っていると思っていた。
まさか異世界転生することになるなんて思うはずもなく。『俺』の言う『まちづくり』とは『領主としての領地運営』のことではなかったはずなのに、なんとも因果な話だ。
「専門外でも知識が活かせてよかったじゃない。『人為的に土砂崩れを起こして敵を足止めする』なんてえげつないこと、わたくしにはとても恐ろしくてできないけれど。若い子の行動力は怖いわね」
「言ってろ、クソババア」
「まあっ! 実のお母様に向かってなんて口を利くのかしら!」
俺にとっての『母』と言えば、前世の『母さん』の方なんだが。
わざとらしく赤い唇を尖らせながら『怖い怖い』とうそぶくアレクシアに冷ややかな視線を送った。世界のラスボスみたいな女に『怖いもの』があるわけないだろ。
「あんただって思いついていた。そうじゃなければわざわざ崖沿いの道なんか作らない。たまたま今まで敵を追い込む機会が無かったからって棚上げすんなよ。俺は『こんなところで土砂崩れが起きたらどうなるんだろ。ああ、性悪領主は有事の時にわざと崖を崩して敵を生き埋めにするための道を作らせたのか』と気づいただけだ」
「うふふ。息子の察しが良くて嬉しいわ」
レムウッド領は隣国と境を接する山がちな土地だ。ここに旅人の旅路を快適にする街道が敷かれなかったのは、山での工事が技術的に難しいせいもあるだろうが、第一に国防のためである。山間の細い道しか無ければ、いざという時に塞いで敵の侵入を防ぐことも、道の脇で待ち伏せることも簡単だからな。
アレクシアはその方針を踏襲しつつも、近年になって新たな道を造らせていた。『敵をここで確実に仕留める』という物騒な思惑は、アレクシアへの負の信頼がありすぎる俺には見え見えだった。
「……暴走する馬車を止めるには道を塞ぐしかなかった。馬車が横転すれば中の人物が怪我をするだろうとは思ったけど」
「ええ、あの時のあなたは最善の判断をした。馬車の中の『人質』の安全を考えようにも、領主として重犯罪人を逃す要求は絶対に吞めない。交渉が長引けば焦れた犯人に人質が殺される可能性も高かった。あなたは間違ってない、わたくしでもそうしたわ」
「でもっ!」
弾かれたように頭を上げて、俺は目の前の寝台に横たわっているシャルを見た。
大破した馬車の車内からシャルを発見した時、彼女の身体はぼろぼろに傷ついていた。全身が痣だらけだったし、首の周りにはくっきりと手の痕が残り、出血や火傷も一、二ヶ所ではきかなかった。
もっと早く、もっとマシな助け方が出来なかったかと悔やんで、何度も自問自答した。悔やんでも悔やみきれない。
(でも命は助かったんだ。あと一歩で失われるところだったものがまだ、ここにある)
白銀の髪も、華奢な体躯も。彼女はこんなに儚げに見えるのだということを、ついつい忘れてしまっていた。
(そうだ。目と、口が……)
好奇心にぎらぎらと輝く猫のような瞳と、口達者でロクなことを吐かない唇。『シャル』という人間を形作るそれらが伴っていなければ、俺は目の前の儚く美しいだけの存在をシャーロット・ベルモアだと認められない。
「貴方のお姫様はずいぶんねぼすけさんなのね。……確かに『この世界』の医療は『あちら』ほど進んではいないけれど、わたくしにできる限りのことはしたつもりよ。彼女が目覚めるかどうかは、彼女の体力や気力次第ね」
アレクシアも転生者だ。ガチ中世の価値観のヤブ医者よりは衛生観念も医療的な常識も遥かにあるし、何より彼女にはこの世界での伝手と権力がある。馬車が国境沿いに逃げてきたおかげで、発見したシャルを真っ先にアレクシアの元に運べたことは幸運だった。
「最後は祈るしかないわね。この世界は人の命がひどく軽くて、その上わたくしたちはカミサマに好かれていないようだから、祈りがどこまで届くかは分からないけれど。とにかく回復するまでの面倒は見てあげるわ」
「ありがとうございます、母上!」
「そういうときばかり『母上』と呼ぶなんてゲンキンね。いいわ、わたくしにとっても義娘になるかもしれない子だし」
「ああ、パトロンとして養女にするっていう……?」
「まあっ、なんて馬鹿な息子なの。もういい、知らないわ。面倒を見るとは言っても手ずからの看病まではサービスしなくてよ」
ぷいと顔をそらしたアレクシアは立ち上がって、部屋を出て行ってしまった。なんだかんだと言っても、眠るシャルの側から離れない俺にこまめにちょっかいをかけにくるのだから、彼女なりの励ましのつもりなのだろう。その気遣いを無碍にするほどには、俺はまだアレクシアのことを憎めない。
(『甘っちょろいなあ』とか、怒るなら今だぞ)
たぶん俺は何を言われたって、もう一度シャルの声が聞けるだけで泣いてしまうだろうから、いつものように俺をおちょくるなら今がチャンスなのに。
――騒動が穏やかに終息した今も、シャーロット・ベルモアは目を覚まさない。




