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あたしが泣き止むのを待って、ミアは一つ咳払いして言った。
「逃げようにもまずは腕を自由にしないとね。刃物……は無いでしょうけど、釘だのピンだの先の尖ったもの、持ってない?」
持ち歩いているわけがない。こちとら訓練を受けた工作員ではないのだと力無く頭を振った。
「そうよね。お嬢ちゃん、じゃなくてシャーロット、私の髪飾りってまだ付いてるわよね?」
「付いてますけど……?」
「よかった。じゃあそれ、取ってバラしちゃって」
「えっ、でも……」
ミアの髪をまとめていたのは、象牙に優美な花の彫刻がされたカメオと水晶の飾り付きのバレッタだ。ただそれで髪をまとめるだけでも様になるような上品で美しい上物。熟練の職人の手による一級品だろう。
「いいから。たぶん金具を反対向きにバキッとやれば、すぐに留め具がイカれてパーツが取れると思うわ。これを惜しんで死んだら世話は無いし」
「……すみません。いきます!」
躊躇いを捨てて金具を力任せにねじ曲げると、細長いパーツがカメオの台座から外れた感触がわかった。
「……外れました」
「ちょっと見せてくれる? うん、思ってたより断面が鋭いから、これなら楽にイケると思う。というかオシャカにしたんだから役に立ってくれないと困るわ。シャーロット、見えないからやりにくいでしょうけど、自分の手首の縄にそれを擦り付けて繊維をほぐして掻き切って。切れたら私の縄も解いてちょうだい」
「っはい! 急ぎます!」
縄を擦るのに集中して会話が途切れた空白の時間を埋めるように、ミアはぽつりと呟いた。
「それにしても、シャーロットの『ご主人様』って領主のボンボンだったのね。予想以上の大物でびっくりしちゃった」
「……そうでしたけど。もうクビ扱いですよ、きっと」
「なんで?」
「あたしは自分の意思で出て行くって書き置きを残してきたので、さっきの男はあんな風に言ってましたけど助けは期待できないと思います。……ごめんなさい」
「へえ、なんて書き置いたの?」
「『もう飽きたから出て行きます』って」
文意をまとめるとそういうことだ。『なんだこいつ』と呆れて忘れられるようなことを書いたつもりだった。でも、そのせいでシスが助けに来る可能性は絶望的になってしまった。それがただただミアに申し訳なくて、あたしはうなだれた。
「あっはは!……ふふっ、シャーロット、誰かとお付き合いしたことないでしょ? それとも『本命』相手にはカッコ悪いところ見せたくなかったの?」
だから――ミアが突然笑い出した時、あたしは怪訝に思って首を傾げたのだ。
「……どういう意味ですか?」
「オトコはただでさえ動くものを追っかけるイキモノなのに『話は終わり』って一方的に締め出して、姿を消して対話の機会まで奪ったら、どこまでも追いかけて来るに決まってるじゃない。『話がしたい』『話せばわかる』って粘着質で傍迷惑な気持ちを携えてね」
――要は、別れ話をこじらせるとつきまとわれるってこと。
それを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
考えたこともなかった。シスを危険から遠ざけるために考えてしたことがかえって裏目に出るというのか。
「でも、あたしはっ!」
シスに迎えになど来てほしくない。その気持ちは変わらない。
それなのに、人の気も知らないミアはくすくすと他人事のように笑っている。
「いいの、私が勝手に期待しておくだけ。来るわよ。白馬に乗った王子様がお姫様を迎えに」
来て欲しくない、来られたら困る。……でも、こんなことを言うあたしだっていざ彼の姿を見たら喜んでしまうかもしれない。
思い浮かべた光景にどんな顔をすべきなのか分からなくて、あたしはあやふやな笑みを浮かべた。
二人ぶんの縄を解き終わると、あたしは痺れが残る手で急いで男たちの荷物を漁った。
荷台の隅から木切れをいくつか発掘する。燃料用として積まれているのだろう。
「これがあれば、いけるかもしれない!」
木切れを折って細くなった断面を壁に当てる。壁板と壁板の隙間に木片の楔を打ち込んだ。木槌の代わりに木靴の底面を使って、床近く目立たぬ位置に、馬車の立てる音に紛れるように、慎重に、何箇所にも。
「できた! それで、どうするの?シャーロット!」
「食糧袋の中の水や酒を掛けてください。……よし、このまましばらく放置で」
木片の楔を湿らせる。湿った木材は膨張する、上手く楔が打ち込めていれば、壁板の隙間を広げることくらいは容易いはずだ。
できることはやった、あとは運を天に任せるしかない。
結果をじっと待つ時間はまるで数日間のようにも思えたけれど、実際はほんの数時間だったのだろう。広げられた壁の隙間から外の光が差し込んで来た。――夜が明けたのだ。
「見えるかぎり周りや後ろに並走する人影は無いです。ひたすらのどかな田園風景って感じですね」
「助けを求められそうな村人もいないか。じゃあ、プランB?」
「はい。ミアさん、迫真の演技をお願いします」
「まっかせといて! 昔は私も舞台に立ってたのよ」
そしてミアは、清々しい朝の空気を切り裂くような叫び声を上げた。
「きゃあっ! 誰か、ねえ、助けて! シャーロットが死んじゃう!」




