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こんなの割に合わねぇと、男は唾を吐いた。
領主の子飼いの密偵らしい小娘を捕らえたはいいが、既に『女帝』の手が回っていると思えば油断はできない。確かに覚えた恐怖心をごまかすように葉巻を噛んだ。
「ずいぶんイラついてるみたいだね、おにーさん」
「あぁん!? うるせぇ、どうしろってんだ! あんな余計な荷物を背負込んで……クソッ!」
元はと言えば、こいつのせいで逃げる羽目になったのに!
男は『売人』を睨みつけた。その甲斐もなく隣に座った『売人』は飄々とした笑みを返してくる。
「『余計な荷物』でもないよ? 前向きに考えれば、レムウッド領はフリーパスになったようなものだろう? 『次期領主の愛人』は人質にふさわしい」
「あぁ……ああ、そうだよな。あのガキが切り札に……!」
逃亡劇の最中でも『売人』が落ち着き払っているのは、勝算があるからに違いない。そう思うと気が楽になった。
港町で『売人』が仕入れた『商品』を受け取り、巡業のついでに王国全域にばら撒くこと――それが男の役割だった。
大街道の行き止まりの大都市である『優良顧客』を失うのは惜しいが、命には代えられない。まずはレムウッド領を無事に出ることを考えなくては。
「隣国と受け入れの話はついてるってのは本当なんだろうな!?」
「もちろん。元々、そちらがボクの本拠地だし」
「なら、次期領主サマにせいぜいあのガキを高く売っ払ってトンズラすりゃいいんだな!?」
お高くとまった城勤めの使用人たちだって、時たま娯楽を求めて城下町に降りてくる。その点で男の『役者』という身分は重宝されていた。贔屓の役者に近づきたい者たちが寄ってくるからだ。
旧レムウッド城の口の軽い使用人たちは、次期領主レイモンド・アレクシス・レムウッドが滞在していることを口々に囀った。
彼が頻繁に城を抜け出しているという噂も、えらく見た目の綺麗な侍従を常に離さず『寵愛』しているという噂も。
「そろそろ『彼女』が目覚めるんじゃない? おにーさん」
「ちょっと見てくる。ちゃんと馬を繰ってろよ!」
「はいはーい」
言い置かれた『売人』は肩をすくめて応え、荷台に移る男を笑顔で見送った。
「……人質ちゃんは生かして連れてってもいいけど、単純バカくんは捨てていかないとね。旅の荷物は軽い方がいい」
笑顔で吐いた毒を風の音に紛らわせながら。
☆
目が醒めると、粗末な木の板が見えた。
床と壁が同じ素材で出来ていて、下からガタンと不規則な振動が伝わってくる、ってことは――?
「……箱? 動いてる馬車の荷台?」
「よかった! 気がついたのね!」
「へっ?」
声のした方を向くと半泣きのミアさんと目が合った。
よかった。どうやらあたしも彼女もまだ生かされているらしい。
腕は後ろ手に拘束されているが、指の曲げ伸ばしに支障は無い。多少は手首の筋を痛めたにしても大事は無いだろう。ここからどうやって脱出しようかと考えていると、耳障りな大声で起き抜けの頭を揺さぶられた。
「おい、目が覚めたのか!」
なるほど。どうやらこの男が『犯人』らしい。
頭に響くから大声はやめてほしいんだけど、とあたしが顔をしかめたのをどう受け取ったやら、男は得意げな顔で『今後の計画』を語ってくれた。
曰く、薬物の騒動を起こしたのは自分であること。
曰く、レムウッド領で商売を続けられなくなったから国境の関所を越えて隣国へ逃亡すること。
曰く、シャーロットを人質にして領主に関所を開けさせるつもりだということ。
「……あっは! それ、本気で言ってんの?」
「おい、何がおかしい!」
「だってさぁ!」
男の言い分がちゃんちゃらおかしくて笑ってしまうと、すかさず怒号が飛ぶ。でも、こんなの笑わないなんて無理でしょう。
「それは無理だよ。あたしにそんなに価値があるわけがない」
あたしが『シスの愛人』だって噴飯ものの誤解はさておいて。
平民の女で、天涯孤独で、それどころか養父の親戚筋の豪商たちからは疎まれていて。抱え込むだけ損をするような、持て余された『不良在庫』――賢いシャーロット・ベルモアはもちろん自分の価値だって正しく算定していますとも。
あたしが多少賢くて美しくたって、その程度の人間にはいくらでも代わりがいる。あたしの持ち物で代わりが利かないのは『シスとの友情』くらいだったろうに、今やそれも無くなってしまった。
だから、今のあたしには価値がない。なんと明快な答えだろう!
(そりゃあね、うら若き乙女として死にたくないとは思うけど)
でも、あたしには死よりも怖いものがあるから。
優しいシスがあたしなんかを助けに来て、こんな悪党どもの要求を呑むところを見たくない。元友人の愚かな行為に失望したくない。いいや、あたしが彼にそんなことをさせたと思いたくないのだ。
あたし自身が『宝物』の輝きをくすませるなんて許されない。
「ひっ、人質にならなくてもっ! 逃げて逃げて、そのまま海の向こうに売り飛ばせば足はつかねえ!」
「へえ、海路も押さえてるんだ? 捕まえたら余罪もたくさん吐いてくれそうだね? いやあ、大悪人はとっとと捕まえて火あぶりにしてもらわないとっ、い゛っ!」
「うるせえ、黙れ!」
「ちょっとっ!? あんた何してんのよっ、ねえ、お嬢ちゃんも挑発しないでってばぁ!」
正面からえぐるように腹を蹴られてえずく。ミアの悲鳴のような金切り声が聞こえた。
身動きも取れない状態の相手に対してすぐに暴力に走るのは心に余裕がないからだ。捕まったのが悔しくなるくらいオツムの軽い連中らしい。これならあたしがいなくても悪事は遠からず露見するだろう。
「立場を勘違いしてねぇか? あんたがすべきなのは命乞いだの泣き落としだろ!? 野犬の餌にされたいか!?」
「あれれ、売り飛ばすんじゃなかったの? 自分で言ったことももう忘れたっ、ぐっ、ああっ!」
「綺麗なツラに産んでもらってよかったなぁ? 顔だけは傷つけないでやるよ!」
「本当にね、頭を殴られてあんたみたいな馬鹿になったら死ぬより辛くて二度死ねるし?……ははっ、顔真っ赤だよ?」
「やめて! ねえ、やめてよっ!」
あたしと違ってミアには彼女を待っている人がいる。彼女だけは攻撃の標的にしてはならない、巻き込んだ者として責任を果たさなければと無闇な挑発を重ねた。
でも、どうやったら助けられるだろう。悪事を知ってしまった彼女を、この男はどうやったら見逃してくれるだろう。
考えても考えてもこういう時ばかり良い考えが浮かばなくて。悔しさに噛み締めた唇が切れたのか、口の中に鉄臭い味が広がった。




