天才美少女は危機に瀕する《シャーロット視点》
「君は、この土地の次の領主でしょう? その名前を使って証拠もないのに家に押し入って探すっていうの? 仮にそれで証拠が見つかったとしても拭いきれないほど、レイモンド・アレクシス・レムウッドに対する不信感が増すだけじゃない?」
なんとなく、『被害者はドラッグの禁断症状を起こしたのではないか』というシスの推測は当たっている気がした。
でも、彼はまだ『その先』まで考えてはいないのだろう。『対処法が分かったところで彼には手の出しようがない』という結論にはきっとこれからたどり着く。
事が進んでから落胆する彼を見たくなくて、無駄に期待を持たせるのが嫌で、かき消すように口にした言葉は、思ったよりもキツい響きを帯びて聞こえた。
「……ひどいことを言ったつもりはないけど、言い方を間違えた、かなぁ……」
独りよがりな反省など何の役にも立ちやしない。シスに謝りたいなら、真犯人をふん縛って連れて来るしかあるまい。
あたしは眠気覚ましに自分の頰をぱしんと叩いた。
シスの推測が当たっているとしたら、『売人』とその『顧客』が接触したのは『今からそこそこ前』だと考えられる。
物は依存性が高く、断つと禁断症状が出る危険なシロモノだ。断つことができないほど依存しきった手元の『それ』が、残り少なくなっていくとして。
考えろ。あたしが『顧客』だったら、何をする?
最初に考えるのは、死に物狂いで金を積んででもドラッグを補充すること。しかし、その調達がうまくいかなかった者が多くいたからこそ、こんな惨事になっている。
暴行事件の犯人たちの中には裕福な者も含まれていた。『買う金』はあったのだから、彼らに無かったのは『買う機会』だ。
「……つまり」
『売人』は、旅の商人か。それも頻繁に旧レムウッド城市を訪れる者ではない。そうだとすると目撃証言から割り出すのはますます難しくなる。
でも、幸か不幸か、あたしにはそういう一団に心当たりがあった。
「……パトロンは引く手数多なのに、頑なに巡業をやめない劇団か」
旅芸人の一座なら、ひと所に留まらなくとも怪しまれない。運び屋にはうってつけだ。
彼らが関係している可能性はどれくらいあるだろう――?
「確かめないと。もしも彼らが犯人なら早めに潰しておかないと害になる。目をつけていた芸術家が使えないとなると厄介だけど、それはまた後で考えるとして」
後で、決めればいいことだ。後で、シスと話し合えば、それで。
――だけど、あたしたちに『後で話し合う機会』は残っているのだろうか?
「あっ、いたいた! ごめんね、遅くなっちゃった! ちょうど近くの街まで来ていたんだけど、座長の気まぐれで、いつもとは巡業ルートが違って……」
「……いえ、お気になさらず。しばらくぶりですね、ミアさん」
不吉な予感からは目を逸らしながら、あたしは今日待ち合わせをしていた『容疑者』に言葉を返した。
(前に会った時、ミアさんは既にあたしの背後に街の有力者がついているんじゃないかと疑っていた。その上で今日の呼び出しに応えたってことは、彼女に後ろ暗いところは無いのかも。でも、まだ油断はできない)
先日と同じく彼女がとった宿の散らかった部屋に入り、美味そうに酒で喉を湿らせている彼女の顔をこっそりと窺った。
他に手がかりも無い中で藁にも縋りたくて、エルダーリヴラの今の巡業先をリーナ嬢に尋ねると、ちょうど近くまで来ていたのだ。
滞在地に手紙を送って、ミアを呼び出した。でも、この分では無駄足を踏んだのかもしれない。
「それで何よ? 話ってのは?」
そんな内情を知るよしもなく、ミアは上機嫌な様子で言った。
『公演がうまくいった自分へのご褒美!』と酒を呷っていたから、今なら口も軽くなっているだろう。聞くなら今しかない!
「ミアさん。あなたたちが巡業のたびに販売するのは、脚本の冊子だけですか?」
「いきなりなぁに? そうねぇ、よほど暇があれば小物なんかを作ることもあるけど、それが?」
「……いえ。深い理由は無いですけど、個人的に気になって。あなたたちは『旅先で商売もした方が儲かるんじゃないか』って」
「ええ? そんなに上手くいかないわ。商才があるなら最初から商人になってるわよ。売り上げはまあ、お察し、ね」
じっと観察したけれど、散りばめた特定の単語に反応は、無い。ミアは『ただの世間話』と受け取ったようだった。
「……ミアさんが言うならそうかもしれませんね。もし売り出すなら行き先を決められる座長さんとか、芝居の稽古が無いミアさんが主導で決めるのかなって思っていたんですけど、外れましたか」
――だけど、まだ何かを見落としているような気がする。
「ふふ。別に、役者だってずっと芝居の稽古に拘束されてるわけじゃないわよ」
もしも犯人が毎年ドラッグをばら撒いていたとして。今年だけ、レムウッド領でだけ、騒動が起きたのは何故だろう。
それは――『売人』に不測の事態があったからではないか?
「……そういえば。あの舞台の初日、肝心な日の重要な役を、代役にしたのは何故ですか? あの許嫁の役は一座の人間じゃないでしょう?」
「えっ、お客さんから見て分かっちゃった!? 代役にしては良いキャスティングだと思ったんだけどなぁ」
「いえ、たまたま、代役の人があたしの知り合いの知り合いで。それで聞いたんです」
「ああ、そうなのね。少しホッとしたわ。あんまり部外者には聞かせたくないけど、あの日はね、元の役者が喧嘩して揉めたのよ。それで舞台なんか立ちたくないって、飛び出しちゃって」
「……そういうことって、よくあるんですか?」
「いいえ? ただ『彼』は大舞台に立つのが初めてだったからか、たぶんイライラしてたんだと思うわ。ローレンスのバカが直前までキャスティングを発表しないから、これだけ負担が大きくなるのよね。まったく、あいつは……」
「あの日が『初めて』」
「そう。いつもは裏方とか荷運びとかをしてくれる子で……そういう意味じゃあ、彼はいつも町中を走り回ってるわね」
もしも『売人』がドラッグの取引を以前からしていたとして、今回だけうまくいかなかったのは、今回だけ『彼』にも事情があったからじゃないか?
たとえば――今回は忙しくて抜け出す機会が無くて、多くの『商品』を持ち出せなかった、とか。少ない量しか売れなかったから、次の巡業に来る前に『顧客』が使い切ってしまった、とか。
「……ぐっ!?」
「えっ、ちょっと!? 何してんのよ!?」
ちょうどそこまで考えたところで、あたしの背中を鈍く重い一撃が襲った。思いきり蹴られたのだと一拍おいて理解する。骨まで響く衝撃で呼吸ができなくなった。
「……そうか。あんたが、領主の回し者か」
あたしの知らない、低い男の声。……ああ、扉の施錠はしていなかったっけ。ミアと揉めた時に逃げやすいようにと部屋の入り口側を陣取っていたのだけど。これ、裏目に出たってやつ?
命の危機に晒されたせいか、かつてないほどの速さで頭が回り始めるのを感じた。
あぁ、なるほど。
あの時だって、ミアの泊まっている部屋には大量の演劇用の小道具があった。鬘や衣装の類いだって複数。ミアは小柄だ。あたしでさえ重くて嵩張ると感じた布の塊を、わざわざ一つ一つ運んだとは思えない。おそらくは彼女の荷を運んでくれる『足』がいたのだ。
そして、今日、彼女の部屋を訪れたときだって、この部屋は散らかっていた――。
(ここには、ミアさん以外にも頻繁に出入りする人間がいたのに! 油断した……!)
「ねえ、何やってんの!? なんで、その子を……!?」
「姐さん、ちょーっと、おとなしくしてくれよ? しばらくオネンネしてたら、愛しの座長さんにも会わせてやっからさぁ!」
あたしの詰めが甘かったせいだ。不用意に人目につかないところに来たせいで、ミアのことも巻き込んでしまった。せめて彼女だけでも助かってほしいとは思うけれど。
(シスは気づいてくれるかな。目星をつけた場所のリストを作って無事に帰ってから線を消す習慣をつけた。そうすれば『あたしがそこから帰れなかった』場所が悪い人の居る場所だ。次期領主として排除した方がいい。『帰れなかったあたし』はそれとは別件で出奔したことになるわけだし、シスにはキズも残らない。我ながら、良い考えだと思ったんだけどな)
「ちくしょう! 手間かけさせやがって!」
人気のない路地裏に、苛立った男の凄む声だけが響いていた。
ぐったりと力の抜けた体を麻袋に詰め込んで持ち出され、粗末な荷馬車の荷台に投げ込まれるその瞬間まで、シャーロットはそんなことを考えていた。




