テンプレ異世界転生のはずだった。
男なら、誰もが一度は夢見たことがあるだろう。
『目が覚めたら綺麗なお姉さんに囲まれてて〜、俺は強くてイケメンで世界とか救っちゃったりして〜! みんなから救世の勇者とか言われちゃったり!』
なっ、皆あるよな。俺はある。……えっ、さすがに夢見すぎ?
夢を持つならでっかくいこうぜ!
いいじゃん、誰かに迷惑かけるわけでもなし、夢くらい好きに見させてくれよ。現実の人生はあまりに退屈すぎるんだ。
学校の時間割に『異能力バトル』のコマは無いし、クラスにミステリアス美少女転校生がやってくることすらない。
どこかに旅行したって、もじゃもじゃ頭の名探偵や眼鏡と蝶ネクタイのガキと同じ宿に居合わせることも無い。
特に重い悩みは無いけど、部活終わりの木曜の帰り道とかは怠い。時々受験のことを考えて、勉強はしないくせに無駄に焦る。
幸いにも『死にたい』と思ったことはないけど、『俺みたいな平凡なやつが死んでも世界に影響は無いよな』と考えたことはある。
我ながら、絵に描いたような『平凡な高校生』だった。
だから――木曜日の部活帰りに曲がり角からトラックが飛び出してきたことも。
トラックはスピードを出しすぎていて、俺は疲れきっていて、すぐに避けきれないって分かったことも。
トラックが近づいてくる瞬間がやけにスローモーションに見えたのも。
どれもこれも『はいはい、テンプレ乙』で済んでしまうくらい世の中にはありふれた平凡なことなんだろうけど、やっぱり、怖くて、痛くて、悔しくて。
なんで前途洋々な高校生を轢き殺して逃げようとしてんだよ、このおっさん。轢き逃げって重罪なんだぞ、早く捕まって一番酷い刑に処されろと運転手のことを呪って。
それから俺は『死にたくないなぁ』と当たり前のことを思った。
『俺みたいな平凡なやつが死んでも世界に影響は無いよな』――そうかもしれないけど、少なくとも両親と妹は泣くだろうな。今後ずっと親戚の集まりがある度に誰かが俺のことを口にして気まずい空気になるんだろ、きっと。
俺のせいじゃないけど、なんか、ごめんな。
そんな無駄に現実味のあることが最期に思い浮かんだのだって、きっと平凡なのかもしれなかった。
☆
「……ぅ……」
小さな呻き声とともに、俺は目を覚ました。
頭が重い。体がダルい。
腕も思うように動かせなくて、『もしかして』と思った。
もしかして、あの事故に巻き込まれた俺は奇跡的に助かって、今ちょうど意識が回復したところなんじゃないかって。
おーけー、皆の言いたいことは分かってるぜ。
そりゃ、体がばっきばきのぐっちゃぐちゃになったのに命があるとか意識が戻るとかありえないって俺自身も思ってるよ!
だから『奇跡的に』っ言ったろ!
でも、希望くらいは持ったっていいだろ!
「……あぅ」
「あら、坊っちゃま。お目覚めですか〜」
誰かに向かって猛烈に弁解したくなった途端に自分の口から喃語が出て、固まる俺。
俺に気づいて近づいてくるにこやかな表情の女の子。
彼女は間違いなく俺の知らない顔だし、そもそも俺は『坊っちゃま』と呼ばれるような立派なお家の出身じゃない。発泡酒で晩酌してる平凡なサラリーマンの家庭だ。
おまけに、今の『坊っちゃま』って単語は日本語じゃなかった。なのに、今の俺にはその単語の意味がわかる。……それって、つまり。
「ううっ!」
「はいはーい、今、奥方様をお呼びしますね〜」
高校生くらいに見える女の子は、慣れた手つきで俺のことをあやした。彼女の根元までツヤツヤの栗色の髪は地毛なんだろうし、空色の瞳もカラコンをのっぺり貼りつけたようには見えない。
あと、よくメイドさんが付けてる白いカチューシャが女の子の頭の上にちょんと載っていた。
あんなのを付けてるのは、メイドさんかメイドさんかメイドさんしかいないよな? じゃあ、この状況から言って本職のメイドさんで確定だ!
不思議の国のアリスとかが着ていそうな膝下丈の黒のエプロンドレスを着ていて、正直めっちゃ似合ってるし、めっちゃ可愛い。
……って、それはいったん置いといて。
彼女が呼ぶと言った『奥方様』というのは、明らかに俺の母さんのことじゃない。
メイドさんのあやしなれた反応からしても、俺は事故から回復したのではなく――。
「奥方様、坊っちゃまが泣いてますよ〜、『次に泣いたらお世話したい』とおっしゃってましたよね」
「ありがとう、エリザ! ふふ、レイったら起きちゃったの?」
考えているうちに、新たに肉感的な黒髪美女が登場して、つかつかと歩を進める……俺を囲む柵に、にじり寄ってくる。
そうだ、俺が寝転んでいる寝心地のいいベッドの周りにはなぜか『柵』があるのだ。なんでだ。
いや、ね。
もうわかってますよ。
でも、異世界転生確定まで目を逸らしたいんだよ、わかるだろ!?
「お腹が空いたのかしら?」
「ふぇぇ!?」
笑顔の美女が細腕で俺を抱え上げた時に、俺はやっと現実逃避することを諦めた。
今の俺は、身長175センチ体重70キロの『平凡な高校生』ではないらしい。
「あら? お腹が空いたわけじゃないの?……じゃあ、こっち?」
「ふぎゃ!?」
やめて、ほんとそういうのやめて!?
立ち直れなくなるから! 男子高校生として大事なものがごっそり取っていかれるから!
……って、伝わるわけないのか!? ああ、クソ、今の俺って全然喋れてないもんな!?
美女の視線が下向きにロックオンされた時点で、俺は恥も外聞もなく暴れ出した。そのせいで、彼女の疑いの眼差しは強まるだけだったけど……こんな状況でそこまで冷静に判断できるか!
テンプレ、テンプレって言うけどな?
自分の身に起きてみたら全てが非日常なんだよ!!!
☆
「エリザ、この本、戻しておいて」
「あらあら、坊っちゃま、すご〜い! もうこんな難しい本もお読みになるんですね!」
幼児時代という毎日が羞恥プレイの日々を、精神をすり減らしながらなんとか乗り切った俺は、7歳になっていた。
7歳の何でもスポンジみたいに吸い込む柔らかい頭脳と、17歳まで生きた高校生としての倫理、道徳、思考回路。
前世では逆立ちしても『平凡』『人並み』としか言えなかった俺も、今や『天才児』扱いだ。
羞恥プレイの特典と考えると複雑だが、二周目の人生はなかなかイージーモードらしい。
「レイ、お茶の時間にしない?」
「母上!」
メイドのエリザと話していると、母親のアレクシアがひょっこりと廊下から顔を覗かせた。
アレクシアはいかにも貴族らしく俺の世話は使用人に任せっきりにしているが、元々子ども好きなのか、ちょいちょい構いたそうに声を掛けてくる。
現代日本なら親が子どもにつきっきりだったりするけど、むしろこちらではそうすると使用人の仕事を奪ってしまうのだそうだ。その割には、アレクシアは積極的に世話をしている方だろう。俺が新生児の時も慣れない手つきで抱き上げようとしてたしな。
「今日は歴史のお勉強? 精が出るわね」
幼児の頃からティーカップを片手に母親と歓談なんて、前世の俺はしたことなかったよ。そんな優雅なご身分じゃなかったからな。
でも、生まれながらの貴族にとっては、これが『普通の日常』で疑問も戸惑いも抱いてないんだろう。だったら、俺の方が慣れるしかない。そう思って、俺は積極的に礼儀作法や異世界に関する知識を身につけるようにした。
それに――。
「そうです! でも、歴史の本は難しい単語が多くて……」
我ながら単純だと思うけれど、母親に褒められると嬉しいのだ。情緒は体の年齢に引きずられるのかもしれない。
いつも忙しそうな彼女とは関わる機会も少ないからか、怒られた記憶も全く無い。そんな優しい母と日を置いて会う時には、彼女の期待に応えたくて、驚かれたくて、俺はついつい得た知識を披露してしまうのだ。
アレクシアは『本が難しい』という俺の言葉に頷くと、何かを考えているようだった。
「そうねぇ。あなたは今年7歳のはずだものね。少し古い本だけれど、わたくしが昔使っていたものを送らせましょう。挿絵が入っていてわかりやすいわ、きっと」
「ほんとですか!」
「ええ。貴方がいてくれれば、レムウッド辺境伯家は安泰ね。……レイ、早く大きくなってね」
「はい!」
どこか遠くを見るような目をして最後に付け加えたのは、何か心配事があるからだろうか。
ならば、いっそう期待に応えなくてはならないと思うのだ。
今生の俺は、レイモンド・アレクシス・レムウッド辺境伯家子息という、この国の高位貴族の長男らしい。
きちんと貴族名鑑で確かめたから間違いない、レムウッド家は王家の血も幾らか流れているような名家だ。母親のアレクシアの方も現国王の従姉妹だという生粋の高位貴族らしい。
(……でも)
豊かで幸せで満ち足りた身分に生まれたことを喜びこそすれ、不満は無いのだけれど。
この家には、少しおかしなところがあった。
「……ところで、父上にはお会いできそうですか」
「貴方のお父様は遠いところにいらっしゃるの。だから、今は会えないわ」
俺が折に触れてアレクシアに何度聞いてもこの答えが返ってくるということは――俺の父親である『レムウッド辺境伯』という人物は既に亡くなっているのだろう。
この国では財産や爵位は基本的に長男が継ぐものらしい。後継が絶えたり幼かったりすると女性が一時的に代行することもあるが、それはあくまで例外だ。アレクシアが常に忙しいのも、慣れない婚家の当主業を行っているからだろう。
当主である辺境伯を亡くし跡継ぎの俺もまだ幼いレムウッド家は、このままで本当に大丈夫なのか?
現代知識で内政チートだとか無双だとか、俺にもできるものならやりたいけど、たぶん平凡な高校生の知識だけあったところで何にもできないんだろう。
この世界にも魔法はなく、スキルもなく、俺の不思議な力が覚醒するということも現状ではない。
それなら俺は、この世界の常識、知識、ルールを片っ端から頭に叩き込んで、少しでも早く一人前と認められたい!
そのうえで、現代人なりの感覚を活かして、この世界のおかしなところを是正していくんだ!
まずはレムウッド家の立派な跡継ぎになる! それが、家族や領民ひいては国のためにもなるんだ!
「母上、ぼく、がんばります!」
「嬉しいわ。……でも、無理だけはしないでね」
「はい!」
俺が、いいや、ぼくが、母上のことを守るんだ!
なーんてね、思ってたこともありました。
「あんの、クソババアがっ! 俺が思いつくような現代知識は全部導入し終わってるうえに、国中の人間関係までしっちゃかめっちゃか、はちゃめちゃのぐちゃぐちゃにしてくれてんじゃねぇか! 俺にどうしろってんだよ、手詰まりだよこんなもん!」
国有数の高位貴族という大人同士のパワーゲームに嫌でも巻き込まれる身分なのに、旨みは少ない傀儡当主。
前世の享年と同じ17歳になり『一人前』と認められた俺を待ち受けていたのは、あまりにも厳しすぎる社会の荒波と、実は家の外では『恐怖の女帝』と呼ばれていた母親の負の遺産だった。
【急募】恐怖の女帝の息子で傀儡当主まっしぐらな俺の明るい人生計画〜悪役令嬢は恐怖の女帝に進化しました〜【悲報】